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86話 武辺者、通商封鎖を食らう・5

 翌朝のキュリクス領主館。


「クモート領、ついに動きました。――鉱物市場買参権の召し上げ布告です」


 領主執務室ではレオナがクモートの新聞を差し出し、ヴァルトアがそれを受け取って広げた。彼は椅子の背にもたれ、わずかに目を細める。車椅子のトマファは静かに膝の上で書類を広げていた。


「おいおい、領主の市場介入はまずいだろ」


 ヴァルトアは吐き出すように言った。領主には王宮から様々な裁量権が認められているが、市場介入は民衆の反発を招くため禁じ手だ。しかし憶測記事や観測気球を打たれる程に信ぴょう性が高いとクモートの新聞は判断したのだろう。


「はい。ですが早かれ遅かれするとは思ってました」


 トマファはあっけからんと言うと膝の上で広げていた書類を取り出してレオナに手渡した。


「──ところでレオナ殿、街中での星の砂の流通量はこれで相違ありませんか」


 トマファは涼しい顔で新聞を回収し、膝上の書類に挟み込んだ。レオナは笑顔で「あってます」と言いながら続けた。


「塩を溶かす手間は掛かってるみたいですけど、加工も研磨も生産数は回復しつつあります。もう少しでルツェル産が入ってくるって聞いてるから、みんなホッとしております」


「そうですか、よかったです」


 トマファは静かに礼を言う。ヴァルトアは紅茶を啜りながら命じた。


「なぁトマファよ。この先クモートがどうなるかの予測をそろそろ聞かせてくれないか。王宮にも報告しないといけないから、いい加減胃に穴が開きそうなんだ」


「承知しました。――この先はきっと……」


 *


 鉱物市場買参権を巡る騒動によってクモートの街には重苦しい空気が立ちこめていた。

 その騒動は既に噂や風聞ではなくなったために、市場では“さらに売れなくなった”という恨み節が溢れるようになったという。市場卸値も小売価格もじりじりと下がり続けており、誰も買わなければ、誰も動かない。それでも生活は待ってくれないのだ。



 そんな中、追い打ちをかけるように飛び込んできたのは、領主ロベルトの娘婿のコスラポリー商会の資金ショートの噂だった。


「明日の利払いができない!?」

「あぁ、先物投機を焦げ付かせたからなぁ」

「もっと早くに手当てしておけよ」


 コスラボリー商会は金策に追い込まれ、使いの者がロバスティア系の商会を駆け回っていた。街中で常に威張り散らしていたあの娘婿まで、自ら頭を下げて各商会を回っているという話だ。だが応じる者は誰一人いなかった、誰もが冷淡にそっぽを向き、彼を相手にしなかったのだ。

「今は余裕がない」と言いながらも、その胸の内では「ざまぁみろ」と溜飲を下げていたことだろう。


 というのも、頼み込んだ商会の殆どは若かりし頃の娘婿に何らかの嫌がらせやいじめを受けていたものばかりだった。「昔のよしみじゃないか」と言われて督促状に裏書するようなお人好しはこのクモートの街のどこにもいなかったのだ。


 その資金ショートの報が、ついに領主館のロベルトの元へも届く。


「今日中に現金を揃えないと不渡りになりますよ、どうしますか?」とニョルマンが問うと、ロベルトは舌打ちしながら呟いた。


「仕方ない、俺が出そう」


 そう言って娘婿のために利払い分の建て替えをおこなったのだ。


 *


そして翌朝、新聞の一面がさらなる火種を投じたのだ。


『コスラボリー商会、利息支払いに領主公金注入か!?』


 街はたちまち騒然とした。ただの一商会の不渡り危機によりにもよって義父である領主ロベルトが利払いを肩代わりするというのだ。それがたとえ彼の私費によるものであったとしても、民衆の怒りを買うには十分すぎる行いだった。


「税金だぞ!」「俺たちの払った金が、あの放蕩者の借金に!?」「ふざけんな!」


 誰かの手によって市場の端に掲げられた新聞に、石を投げる者もいれば、つばを吐きかける者もいた。そして誰かが拳で殴りつけると、皆で寄ってたかって掲示板を叩き壊したのだ。やがて怒声は集まり、街の広場に群れとなる。初めは罵声、次に拍手、やがて彼らは石を手にすると領主館へと歩き出した。


 そして領主館の門前で、怒号の渦が暴徒へと変わる瞬間、守衛のひとりが弓を構えた──


 そしてその矢は、空へ放たれた。


 *


 クモートでの急報が届いたのはちょうど午前の報告書整理が終わった頃だった。

 文官執務室ではトマファが座ったまま、整理済みの書類束を左に寄せ、静かに息を吐いた。そこに昼からゲオルグの鍛冶工房へ行こうと作業着姿となったレオナが現れた。彼女の手にはクモートの新聞、それに星の砂などの在庫推移報告書があった。


「トマファ殿、クモート領で民衆蜂起ですって!」


 彼の手元に新聞と報告書をそっと置いた。彼はそれを一瞥すると「そうですか」と言うとマグカップを持ちお茶を啜った。


 民兵が空へ向けて矢を放ったことで、それまで群衆だった者たちは一斉に牙を剥いた。投石が、火炎が、破壊が街を襲い、瞬く間にそれは“民衆蜂起”へと発展したのだ。あちこちの商会に火を放つ者、略奪する者、陳列棚を叩き壊す者。金のあるなしに関わらず、領主の顔が浮かぶものは何もかもが標的になったのだ。街の機能は完全に停止し、現在は沈静化のために王国軍が派兵されると新聞に書かれていた。


「――まぁ、早かれ遅かれだと思いました」


「ねぇ、トマファ殿、あなた落ち着きすぎじゃない?」


「いえ、けっこう焦ってますよ? とはいえクモートからの密輸作戦はうまくいきましたし、ハルセリア嬢のおかげでルツェル公国から定期仕入れの目途が立ちました。さて、次はどうなるか……」


 トマファは腕組みすると手元に置かれた在庫推移報告書を眺める。星の砂も砥の粉ももう少しで適正在庫量になるだろうし、製造危機は乗り切ったと見てもいいだろう。彼は持っていたマグカップをそっと机に置いた。


「クモートからの仕入れは、しばらく望めないのよね?」


「そうですね、まずヴァルトア卿がやることはサキーヤの国境封鎖ですから。仮に王国軍が蜂起を鎮圧したところで商会の復旧、市場の回復には年単位の時間が掛かると思います。――やはりルツェルの品は良くないですか?」


「うーん、ゲオさんが『まだしっくり来ないなぁ』って言ってましてね。やはり精製具合が微妙に違うみたいで。――まぁ、わたしは判りませんが」


 レオナは空いているクラーレの席に座るとトマファのマグカップを手にし、一口飲んだ。トマファがあっと声を上げたがいたずらっぽく笑って静かに置いた、そしてパンにも手を伸ばす。


「クモートの混乱がキュリクスへ波及しなかったことが幸いだと思います。――さて、昼一番にヴァルトア様に蜂起の件も含めて報告しないと」


「昼一番ってトマファ殿、お昼ご飯は?」


「レオナ殿が食べてるそのパンがお昼でして」


「あ、ごめん」


 結局、昼番のメイド・ロゼットにお昼ご飯のお代わりを頼んだら持って来てくれた。「レオナさんはさっきお昼ご飯食べたでしょ!」と叱られていたが、「仕事前に腹ごしらえしようとトマファ君の食べちゃった」と笑っていた。


 キュリクスに来た頃は言葉遣い一つに気を使っていたレオナだったが、馴染んできたのか喋り口調は随分と砕けたなぁとトマファもロゼットも思ったのだった。しかし、未だ方向音痴は治っていないが。


 *


 昼過ぎ。


 トマファは一礼し、ヴァルトアに一冊の薄い帳簿と報告書を渡した。


「現在の加工系ギルドの在庫一覧です。クモートからの密輸とルツェルからのスポット仕入れで在庫率は八割程度、ルツェルの次回スポット便で充当できると思います」


「そうか。ところでクモートの民衆蜂起についてはどれぐらいの情報が入ってる?」


 ヴァルトアは報告書を手にすると目を細めた。トマファは書類をめくりながら淡々と続けた。


「ロベルト一家の逃走とロバスティア王国軍の介入です。蜂起はしばらくすれば沈静化すると思いますが、市場の回復には時間が掛かるかと。なおロバスティア王宮より『もしロベルト・カートレット及び一族を見つけたら王宮へ引き渡してください』と丁寧な手配書が届いておりました」


「領主逃亡か――俺も下手を打ったらロベルト卿の二の舞って事だよな」


「そうならないよう、僕ら文官が居るんですよ」


「そうか――で、かかった金額は?」


「こちらが今回の一連の対応にかかった支出一覧になります。ご確認ください」


 ヴァルトアが椅子に深くもたれ直しながら尋ねた。トマファは帳簿の一部をめくり、該当ページを開いて静かに前へ差し出して応える。ヴァルトアは数字の並んだページを見下ろし、しばし眉間に皺を寄せた後──思わず息を漏らした。


「……あれ? 意外とかからなかったんだな」


「はい。キュリクス系商会が周辺市場に大量放出したため、安くなった物資をハルセリア嬢に全て押さえてもらってます。ですからルツェルからのスポット単価は想定より安く抑えられました。ホラス兄弟の密輸も安く上がったかと思います。しばらくしたらルツェル産も順調に入ってくると思います」


「だが、ホラス兄弟には“色”をつけて渡したって話だが?」


「ええもちろん。彼らのおかげで今回の危機を凌げましたから、成功報酬として少し弾ませて頂きました――削ります?」


「ばかもん、俺はそこまでケチじゃねぇ」


 ヴァルトアは帳簿を閉じ、少しだけ椅子にもたれたまま天井を見上げる。


「突然の経済戦争を吹っ掛けられて、得るものが無いのが辛いな」


「むしろこちらがジリ貧になっていれば、ロバスティアが我々のチョークポイントであるジャルダン回廊への野心を隠さなかったでしょう。むしろこの程度で済んだのは僥倖かと――」


「そうか、ご苦労」


 トマファは静かに頭を下げ、執務室を後にした。


 *


 クモートでの民衆蜂起を受け、キュリクス領主ヴァルトアは国境地帯であるサキーヤの国境を安全保障上の措置として一時的に封鎖する決定を下した。領主ロベルトの逃亡と王国軍の介入により、クモートでは事実上の統治機能が崩壊しており、避難民の流入や武装した略奪者の越境が懸念されたためだ。加えて、いずれの派閥にも組みしない中立の立場を国内外に示す意味合いも含まれていた。


 この措置にともない、キュリクス内に滞留していたロバスティア系の行商人には、ルツェル公国あるいはシェーリング国経由での帰国を推奨することとなった。


 封鎖によって通商上の不便は生じたが、逆に言えばこの機にキュリクスが星の砂や砥の粉といった鉱物資源のクモート依存体制から脱却する契機ともなったのである。突然の通商封鎖騒動は、クモート側の自滅に終わったのだった。ちなみに余談だが、エラールの王宮に指示を仰いだのだが答えは一通も返ってこなかったという、きっとそれどころではなかったのだろう。

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よろしくお願いします。



・作者註

『星の砂って何だよ!』

ホウ砂(ホウ酸塩鉱物)のこと。硼砂とも。


 鉄というのは、不純物を多く含む銑鉄を熱し、折り曲げて叩くことで徐々に中の炭素を追い出しながら鍛えていくものだ。鍛冶師は鉄火をただ叩いているわけではない。それに、熱した鉄火をただ叩いただけでは鉄同士はうまくくっつかない。そこで折り重ねる際に『星の砂』と呼ばれる粉を振りかける。これが接合部の不純物を弾き、鉄をきれいに嵌合させてゆくのだ。そのために『星の砂』はゲオルグたち鍛冶師にとっては欠かせない素材だった。

(82話前半部より切り抜き)


中学生時代の職場見学で刀鍛冶の隅谷正峯さんの工房へ行ったんだけど、そこでの経験が今回の話の下敷きになってます。ゲオさんやレオナのセリフなどはこの隅谷さんの言葉を当時のメモを参考に節々に紛れさせました。


そこで驚いたのは、鉄は折り曲げて打つときにホウ砂を入れないとくっつかない。

鉄は熱々の状態(名古屋弁で言うならチンチコチン)で酸化が始まり、その表面の酸化被膜のせいでどれだけ打ってもくっつかない。だからホウ砂や鉄粉を掛けて鉄表面を還元させて打って嵌め込む、と。

よく刀鍛冶で火花が飛び散る演出(?)があるけど、あれはホウ砂や鉄粉が焼けた跡。


(当時)13歳、いい経験になりました。刀鍛冶、かっけぇなぁ思いましたが、当時は年に二振りしか打てないって制限があったらしく、「ぶっちゃけ食っていけないからお勧めしないよ」と言われて諦めた覚えがあります。

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