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84話 武辺者、通商封鎖を食らう・3

 ホラスとハラスは、かつてキュリクスにあった小売商『フェトフラー商会』で、双子番頭として働いていた。しかし『歴史と伝統を誇る』とわざわざ看板に書いてあったのに、傲慢な商会主の行動であっさり倒産したのだ。


 いきなり商会が無くなり、路頭に迷った二人に手を差し伸べたのは、その商会主から『よく聞け()()()』と罵倒されたトマファである。

(※11話参照 https://ncode.syosetu.com/n4895kc/11/)


「あなた達の経営手腕や情報収集力は存じ上げております。――そこで一つ、クモートで商会を立ち上げませんか? 資本金は領主館で、いや、僕が出しましょう」


 あの申し出に乗ったのが、人生の転機だったと二人は今でも思っている。そして双子兄弟と妹役の“ミレ”、最小構成で始めたこの商会が、今では国境の目となり耳となっている。ホラス達はフェトフラー商会で主に取扱っていた塩と酒の商売を始めたのだ。――そして同時に、領主館から指示があれば内偵もしている。

『雑な女スパイ』についてのロバスティア側での調査や、息子バンクスの保護も二人の実績である。

(※45話参照 https://ncode.syosetu.com/n4895kc/45/)



「それよりクモート領主って確か親軍部派の男爵位だよな」


 ホラスはワインの栓を抜き、マグカップに注いだ。それを見てハラスはソファに寝そべりながら手を伸ばす。


「そうよ。ロベルト・カートレットはジョン・シン伯爵の寄子ね――むしろ子飼いのペットか愛玩動物程度の」


 ホラスはワインを手渡すとハラスはラッパ飲みした。ホラスは「こらっ」と言うがハラスは気にするそぶりは見せない。


「ペットか愛玩動物かって、それ意味一緒じゃね? ま、何を言いたいのかというと、ひょっとしたらそれも戦略物資になり得るものを止める理由にもならねぇか? キュリクス行きの荷を全部止めればクモートの市場も大混乱。けど、キュリクス系商会が絡む利権は攻撃しやすい。特に買参権なんて判りやすい利権、奪い取ったあとに娘婿にくれてやればいい。恩義も売れるし先物投機の損失だって取り返せる。こんな推理はどうだろうか?」


 ハラスは酒瓶をテーブルに戻すと煙草を灰皿でもみ消した。そして腕を組み、クッションを膝の上に乗せてため息を付いた。


「寄親の機嫌は取れる、キュリクス利権を奪取できる、娘婿の顔を立てられるって事よね」


「どっちにしろ、星の砂をめぐる戦争は始まってる」


 ホラスは窓の外をちらりと見た。あの先にある山の地下で掘られた鉱石が、今、この領地を騒がせている。そして窓の外では街路の明かりが一つ、また一つと灯り始めていた。帳場の薄暗い部屋に、ハラスの吐き出す紫煙がゆるやかに立ちこめている。そのハラスがソファの背もたれに腕を預けながら、ぽつりとつぶやいた。


「──でね、兄さん。今日もうひとつ、おもしろい話を拾ってきたの」


 ホラスがトマファへ送る密書から顔を上げると、ハラスはいたずらっぽく笑いながら煙草の火を灰皿で押し潰した。


「クモート領主のロベルト氏、昔ね……戦場でユリカ様を見て惚れちゃったらしいんだって!」


「ユリカ様って、あのヴァルトア様の御夫人に?」


「そう、馬で駆けながら火矢を炸裂させてたのを目にして、ね」


 女傑だった話は聞いてはいたが、あまりの規格外にホラスは思わずマグカップのワインを噴きそうになった。どうやって矢じりに火をつけながら馬を駆ってたんだろうな。


「で、何をとち狂ったのかロベルト氏、恋文をしたためて送ったらしいの。ほら、今でもお美しい方ですけど、当時は綺麗なお嬢様だったろうし、当時の軍服って妙に色っぽかったから、勘違いしたのかもね」


「まぁ、さもありなん……んで、返事は?」


「それが最高に素敵。ヴァルトア卿が副官付きで軍使に持たせて送り返したんだって! 曰く―― 『私は女性からの愛の告白は光栄に思いますが、男性からのそれは、少々……困惑いたします』と」


 ホラスは手を叩いて笑った。


「軍使に持たせるってそれ、公文書だろ?」


「そう、公文書で。どうもその恋文、ユリカ様でなくヴァルトア卿に届いたのよ。昔から真面目な方だったから、丁寧に返事を認めたんだと思うんだけど、それが噂になって“恋文騒動”として当時は酒場の笑い話になったんだって」


 しばらく、二人で声を殺して笑っていた。だが笑いが落ち着くとホラスは眉を寄せた。


「……まさか、それが今の荷止めの遠因、なんてことは……」


「無いとは言い切れないでしょ? 男のプライドって妙なとこで拗れるのよ。特に“女に振られた”って笑われるのは権威主義の男にとって最大の屈辱だもの」


 ハラスは肩をすくめてと一人ごちるとワインをひと口すすった。ワインの渋みの奥に、妙に甘い余韻があった。


「なぁハラス、一ついいか?」


「なぁに、兄さん」


「女言葉はいつ治るんだ?」


「……お黙りっ! お茶会用に整えた“心の装い”がまだ抜けないのよ!」


 女装諜報員としてのハラスの矜持か、なかなか口調は治らないようだ。なお翌日には男言葉に戻っていた。


 *


 領主館の執務室に蝋燭の火が静かに揺れていた。


 普段なら館内も静まり返り、夜哨のメイドが各部屋の戸締りを確認する頃だ。しかし今夜は文官トマファがホラス商会から密書が届いたと報告したのだ。そのため急遽、武官のスルホンやアニリィ、文官のクラーレにレオナ、そしてメイド長オリゴとサンティナが招集された。なおサンティナが選ばれたのはメイド隊で唯一の貴族家出身のため、他家への交渉に出しても問題が無いメイドだからだ。


「以上がホラス殿からの報告となります。狙い撃ちは明白、しかも領主ロベルトの娘婿コスラボリー商会に利が偏るよう操作されているとのことです」


 ヴァルトアは深くうなずき、一言だけつぶやいた。


「……なるほど。それはつまり“戦の一歩手前”って事だな」


「では先手必勝です! 今すぐ宣戦布告しましょう!」


 椅子を蹴り上げる勢いで立ち上がったのはアニリィだった、腰に下げた剣ががちゃりと音を立てる。


「いやいや、まずは報復措置で塩と酒を止めましょうぞ! 昔の偉い人もライバルの塩を止めたって逸話があっただろうに」


 隣の椅子から立ち上がったのは武官長スルホン、両手をばっと広げて笑う姿にトマファが顔をしかめた。


「お二方、落ち着いてください。というかスルホン殿、それを言うなら『敵に塩を送る』です――まぁ実際は高値で売ってたらしいですけど」


 トマファはテーブルの上に置かれた王国法令集を開きつつ静かに言った。


「まず他国に兵を送るなんて王宮の許可が必要ですし、ロバスティアとの間には不可侵条約があります。一領主の判断で手を出せばこちらが処罰されますし、ロバスティアの友好国からも報復措置を受けてしまいます」


 ふたりが口を閉じたのを見届けて、トマファは静かに続けた。


「──しかも相手の行動は宣戦ではありません。『通商封鎖』、つまり戦争行為ギリギリの嫌がらせです」


 ヴァルトアは黙っていたが、両手を組んでテーブルを見下ろすその姿に苛立ちが滲んでいた。


「だが、民は困っている。鍛冶屋は火を止め、創薬師は処方が遅れるやもしれん。──ならば、こちらも静かに踏み込むべきだろう」


 そう言って立ち上がったヴァルトアは、窓の外を一瞥しながら命じた。目線は遠く山肌の向こう、サキーヤを見ていた。


「トマファ、アニリィ、サンティナ。そなたら三名を使節として、クモート領主館へ送る。まずは俺が書状を書く故、その応えを持ってまいれ」


「御意にございます」

「はいよ、睨みを利かせに行ってくるわ」

「お二人の護衛、しかと承りました」


 それぞれが答えるとヴァルトアは手元のお茶を一口飲み干した。


「まずは静かに踏み込む。この一手でどう動くか、だな」


 *


 馬車を飛ばしたキュリクスからの使節団は、二日後の朝、クモート領主館に到着した。曇天の空の下──先触れが届いていたはずだが、門前の空気にはどこか殺気立った気配が漂っている。


 一行は応接室に通されたが、しばらくしても何の音沙汰もない。あまりにも長く待たされたため、忘れられたのではないかとすら思った。そしてたっぷり待たされた末に現れたのは、領主ロベルト・カートレットの腹心、ニョルマンという男だった。脂ぎった顔に、ふてぶてしい態度。中年のその男は、どう言い繕っても露骨に胡散臭かった。人の見た目をとやかく言うのは不調法かもしれないが──この男に限っては、外見どおりの中身だろうと誰もが思ったに違いない。


「これはこれは、キュリクスの皆様。よくぞお越しで」


 ニョルマンはとびきりの愛想笑いを浮かべながら言ったが、その口元にはあからさまな侮蔑の色がにじんでいた。 そして、トマファ、アニリィ、サンティナへと目線を順に流すと、小さく舌打ちをした。どうやらどの顔も彼の“お眼鏡”には叶わなかったらしい。トマファはそれに動じることなく、丁重に信書を差し出した。


「我がヴァルトア卿より、貴領主ロベルト閣下に宛てた親書です。お取り次ぎいただけますか」


 ニョルマンはそれを片手で受け取ると、ちらりと目を通しただけで──無造作に、傍らの火鉢に放り込んだ。 ふわりと炎が上がり、信書はあっという間に黒い灰へと変わっていく。それを見てアニリィの眉が跳ね上がり、サンティナも驚きに眉をひそめた。だがトマファだけは静かなまま、じっと相手を見据えていた。


「いやあ、突然押しかけて親書とか、ちょっとどうかと思いますけどね?」


「どうかしてるのはあなたの方でしょ? 他領主からの親書を、その場で焼くなんて──無礼どころか、宣戦布告と受け取られても文句は言えないわよ」


 アニリィは立ち上がるとおもむろに一歩踏み出し、低く唸るように言う。手が腰元に伸びかけたが剣はあらかじめ預けさせられていた、右手は虚しく空を切る。


「おやおや、キュリクスの武官殿は血の気が多いようで。──だから、嫁き遅れるんですよ?」

「……うるせぇなこの下郎!」


 サンティナも思わず足を踏み出しかけ、スカートの内側に隠したナイフに手を添える。 しかしトマファが片手をさっと掲げた。


「──やめなさい。安い挑発に応じる必要はありません」


 トマファは静かに、だがはっきりと告げた。


「貴領のご意向、よく理解いたしました。なお、先触れを出している我々を“突然”扱いするあたり、国際儀礼というものをご存じないようですね。──これにて失礼いたします」


 三人が背を向けようとしたその時、ニョルマンはふてぶてしい笑みを浮かべて捨て台詞を吐いた。


「跳ねっ返りの武官、車椅子の不具者、感情むき出しのメイド──いやはや、キュリクス領は人材不足にもほどがようだね。せめてもっと愛嬌ある娘でも寄越せば良かったのに。サキーヤの衛視から聞いてるぞ? キュリクスにはむっちり文官の“ぼいんちゃん”がいるってな。そいつが来てくれてたら話くらいは聞いてやったんだけどなあ」


 アニリィの肩がびくりと震えたが、トマファはただ静かに車椅子を漕ぐ。サンティナはその車椅子のハンドルを握ると優しく押した。誰も言い返さず、誰も振り返らず。領主館の扉が背後で閉じるまで、三人の足取りは静かだった。


 ただ、三人の空気は明らかに、怒りの熱を帯びていた。

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