83話 武辺者、通商封鎖を食らう・2
キュリクスとロバスティア王国の国境に位置する町、サキーヤ。
荒涼とした山地の谷間にあるサキーヤに春のはじまりを告げる乾いた風が、くすんだ関所の看板を軋ませていた。キュリクスとロバスティアの国境は急峻な渓谷を伝うように伸びており、その渓谷沿いの国境地帯は、古くから「ジャルダン回廊」と呼ばれている。過去何度もこの渓谷の帰順を巡って両国間の諍いとなっていたが、今は両国間不可侵条約によってこのような形で落ち着いている。
サキーヤの国境門に、一台の荷馬車ががたんと音を立てて停まった。くすんだ灰色の幌には「ポーイヤック商会」の文字が大きく刻まれていた。砂ぼこりを払いながら背の高い男が御者台から下りてきた。ホラス──ロバスティアとクモートとの間でクリル村のワインとキュリクスに集積される塩を取り扱う商会主だ。だがそれはあくまで表向きの顔。本当の姿は──キュリクス領主館から密命を帯びた密偵商人、いわば“草”である。
「ホラスの大将、毎度。申請書をだしてくれ」
ロバスティアの衛視二人がにやけながらホラスに気安く声を掛けると、槍の尻で荷馬車をカンカン叩きながら言った。どうやらそれが荷台検査のつもりらしい。ホラスは大げさに肩をすくめ、胸元からマニフェストを取り出して無言で差し出した。衛視はそれをぱらぱらとめくり、途中でふと、にやけた笑みを浮かべた。それを見てホラスは困った表情を浮かべた。
「あぁいけねぇ、このワイン、申告漏れだ」
ホラスはわざとらしくそう言うや、御者席の横に置いてあった道具箱からボロ布に包まれたものを衛視に突きつけた。
「おやおや。ワイン2本が“漏れて”ましたか?」
「どうぞお納めください。密輸は大罪ですものね」
ホラスは口元だけで笑うと、そのボロ布を衛視に手渡した。衛視二人もにやけ顔をさらに緩め、手慣れた手付きで肩からかけた鞄に素早く納める。
「んじゃポーイヤック商会さん、異状なし」
衛視たちは荷台を改めることなくロバスティアへの入国を認めた。つまるところホラスは衛視たちと“いい関係”を常日頃から結んでおり、警戒心を緩めてもらうよう腐心しているのだ。そのホラスは懐に手をやると、小さな革袋を衛視に差し出した。
「最近じゃ、キュリクス向けの荷馬車、気持ち減ったんじゃありません? 特にクモートからの便。――キュリクスの連中も嘆いてましたぜ」
衛視は革袋の中身を確認することなく、さも自然に懐に納めるとホラスの耳元に顔を寄せる。
「……クモートの領主が腹を立ててるんだよ。ほら、娘婿の商会、うまくいってないでしょ」
そう呟くとすっと顔を離し、通行の旗を振る。ホラスは一礼して荷馬車に乗り込むと手綱をとった。馬が静かに歩き出す。荷馬車の揺れに身を任せながら、心の中でひとつ、ため息をついた。
(──大将の見立て通りだ。こいつは、面倒な匂いがしてきた)
春風がまた、国境の町を抜けていった。
*
日が傾きかけたクモートの大通り沿いにある古い石造りの店舗。
その店舗の帳場は、帳簿と備品に押しやられて常に雑然としていた。だが、この雑多さこそがポーイヤック商会の『心臓部』なのだ。表は塩とワインの小売商として、だが裏の顔はキュリクス領主館の密命を受けて動く情報収集の“草”の一つなのだ。
その帳場の扉がガチャリと音を立て、淑女が姿を見せた。一見すれば社交界帰りの淑女だ。だがその女はおもむろに髪の毛に手を触れるとソファに投げつけた。続いて、華やかなワンピースもケリーバッグもオペラグローブも、容赦なく脱ぎ捨てられる。
「──ただいま、兄さん。今日は良い紅茶が飲めると聞いてたのに、ロバスティアの御婦人方の香水のほうが強すぎて、味も香りも飛んじゃったわ。……はぁ」
声の主はハラス。ホラスの双子の弟にして、変装と情報収集の達人だ。女装時には“ポーイヤック商会のミレ夫人”と名乗り、ロバスティア上層婦人たちの茶会に潜入している。なお、ポーイヤックはロバスティアでは名家だが、彼らとは一切関係が無い。そもそもホラス兄弟はキュリクス人だ。ハラスは鏡台に向かいながらマスカラとアイシャドウをオイルで落とし、バネ仕掛けのコルセットをほどくと大きく息をついた。
「いつもお疲れさん。何杯お茶飲まされた?」
「五杯半。身体を傾けたら、中で音がしそうだわ」
帳簿の山を相手にしていたホラスは、わずかに口元を緩めた。兄弟の会話はいつも軽口から始まる。そうすることで、次に来る重い話を軽く受け止められるようにしているのだ。
「それで、お前さんが感じた“風向き”は?」
その問いに、ハラスはお化粧を落としながら鼻で笑った。
「横殴りの風、──兄さんはどうだった?」
「衛視たちの話を聞くと……こっちを狙い撃ち、っぽいな」
「やはり街に出回っている噂を考えたら“計画的に悪くなってる”って感じよねぇ、兄さん」
オイルで顔を揉み込んだハラスはボロ布で拭う。するとそこにいたのは──仮面を脱いだ、いつものハラスだった。双子だが弟ハラスの方が中性的な顔で随分と華奢な身体つきだ。
「……はぁ、本当にくたびれた。──兄さんワインちょうだい」
「あのなぁ、その顔で女言葉を使うとキモいんだけど」
ホラスは苦笑しながらマグカップに入ったワインを差し出した。受け取ったワインを半分ほどぐいっと飲み干したハラスは、先ほど放り投げた黒のケリーバッグから革表紙のメモ帳を引き抜き、ホラスの前にそっと置いた。
「ほい、今日の“収穫”。あたしの胃袋とお腹を犠牲にした、香水臭い茶会の成果よ」
ホラスが「わかったって」と苦笑しながらメモを寄せる。ハラスは足を崩して座り直すと、煙草を取り出して火をつける。ふぅと紫煙を燻らせた。
「まずね、三日前にポワフェレ商会が出した“星の砂”の申請、通関所で戻されてる」
「理由は?」
「“書類不備”だって。けど、いつもと同じ書式で数量も単価も変えてないのにって、番頭がぷりぷりしてたって夫人が言ってたわ」
ほぉ。ホラスはそう言うとワインで唇を濡らした、表情が引き締まる。
「で、次はバルトン商会の砥の粉類。こちらは“通関再審査”を食らってる。これも理由不明だって話だが、ハラスは何か聞いたか?」
「番頭のお嬢さんの話じゃ、役所から却下された際の理由書すら届いてないそうよ。あちらも“様式通りにやったのに”って怒ってたわ」
ハラスは火先の灰をぽんぽんと落とすと煙草を口にする、しばらくして紫煙をぷぅと吹いた。彼は煙をくゆらせながらも、メモの内容をすらすらと口にした。一方ホラスは煙草が苦手なようで、手で煙を追い払う。
「ほかにも似たような案件がぽろぽろあったけど……“たまたま”って言い切れる数じゃないわね。しかも3か月以上も続いている。――あと兄さん、気づいてると思うけど鉄粉や炭粉は通ってるのよ。キルヴァン商会の運搬便、キュリクスに向かって走っていくのを見かけたもの」
「ラグランジュ商会の銑鉄便も同じだな。その二つはロバスティア系の商会だからな」
「つまりさ、“止められてる物資”は全部、ポワフィレさんやバルトンさんといったキュリクス系の商会が扱ってるやつばかりよ」
二人はそれぞれ手元にある紙の束と帳簿を照合しはじめた。鉛筆の音と、紙がめくられる音だけが部屋に響く。そこで止められているものと商会のリストを書き出すと、キュリクスの国境付近で『速達便です』と通信隊からわざわざ手渡された手紙と突合をする。
「どれもトマファの大将が書いた手紙通りだ。鍛冶・創薬・工芸でキュリクス系商会がシェアを握ってるもんばかりが止められてるぞ」
ホラスが呟くように言うと、ハラスが鼻を鳴らした。ちなみにキュリクスでは商売で立身する者があちこちにいるらしく、『親兄弟、祖父がキュリクス』という商会は、地方では『キュリクス系』と呼ばれている。
「これは、通関の気まぐれや役所の怠慢じゃないわよね」
ホラスはふぅ、と息を吐いてワインをすすった。そして彼は手元の帳簿を閉じ、本棚に戻すとぐっと押し込んだ。するとその本棚はくるりと回転し、別の帳簿がぎっしりと並ぶ。官憲などに見られるとまずい秘密の帳簿や手紙を隠すための改造が施されていたのだ。きちんと隠せたことを確認した彼が、ふと呟く。
「ところで――ポワフィレやバルトン商会の荷止めとなってる商品、どうなってるか訊いてるか?」
お気に入りのクッションを枕にしていたハラスが煙草を灰皿でもみ消し、目を細めた。
「んー、聞いた話じゃ、倉庫に長く置いとくと預かり賃がバカにならないから相場よりずいぶん安くしてロバスティアの都市やベタナフトル経由で南のビルビディア王国にも流してるってさ」
「……おいおい、そんなことしたら、大陸全体で値崩れするぞ」
「そうなのよ。たぶん輸出先でも在庫がだぶついてきたら、相場が一気に崩れるってさ――で、そこに出てくるのが、例の領主の娘婿の商会」
ホラスが眉をひそめる。「コスラボリーか。……お前、何を掴んだ」
ハラスは体を起こし、再び煙草に火をつけた。「立て続けに吸うのは身体に毒だぞ」とホラスが渋い顔をする。
「これは噂話レベルだけどね、ポワフィレやバルトンをクモートから締め出したあと、コスラボリーが“市場買参権”を安値で買い叩いて、星の砂や砥の粉の輸出に参入するらしいのよ」
星の砂は、ロバスティアとルツェル国境沿いに鉱脈があり、そこから産出・精製されたものがクモートの市場に入ってくる。しかしその市場での売買には『買参権』が必要で、誰でも買えるわけではない。現在その権利を持っているのはキュリクス系の五つの商会であり、そして今、市場買参権をどうしても欲しいコスラボリー商会夫人が、父親――すなわち領主におねだりしている、という噂だ。
「つまり、商会潰しのために荷止めして、ギブアップさせたところを横からかっさらうつもりか」
「正解。しかも、それで失敗しかけた先物投機の損失を取り返そうとしてるって話もある」
ホラスは椅子の背に深くもたれながら、天井を見上げた。
コスラポリー商会は、クモートでは名の知れた老舗商会であった。かつては堅実な取引で信頼を築いていたが、現商会長である跡継ぎが放蕩無頼の馬鹿息子であったため次第に経営は傾いていったのだ。とはいえ格式ある大店であることに変わりはなく、潤沢な持参金を用意できる家でもあった。
そこに目をつけたのがクモート領主ロベルトである。
財政に不安を抱えていた彼にとって、金を積んでくれる商家との縁組は喉から手が出るほど欲しかったのだろう。利害は一致し、娘は商会に嫁ぎ、代わりにコスラポリー家の資金が領主家に流れた。そして現在──放蕩息子は先物取引に手を出して盛大にしくじり、商会は資金難に陥っている。
「……やってること、めちゃくちゃだな」
部屋にゆっくりと煙が漂うなか、ホラスはマグカップのワインを舐めながらぼそりと漏らした。
「星の砂ってのはさ……便利すぎるんだよな」
「そりゃ兄さん、戦略物資になり得るんだもの。薬にもなれば鉄の精錬にも使う。ガラスの透明度を上げるにも使えるわ」
ハラスは煙草の灰を指で弾きながら笑う。ホラスはうなずき、語り出す。
「トマファの大将の手紙では、キュリクスへの便は三か月ぐらい前から止まってて大変な騒ぎなんだとさ」
「でもさ、『私たちの恩人』なら次の一手を考えてるんじゃない? 例えば――」
ハラスが言いかけて煙を吐く。
「仕入先をルツェル公国に変える、とか?」
ホラスはマグカップを机に置くと視線を天井に向けた。
「いや、一国からの仕入れは政治情勢によってあっさり止まる、ただのリスクだ。きっとトマファの大将ならそのリスクをヘッジするやり方を今頃構築してるはずだ」
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