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82話 武辺者、通商封鎖を食らう・1

 時折吹く南風が、起こした土の香り、刈りたての草の香りを運んでいた。

 春祭も終わり、種蒔きの慌ただしさもひと段落ついた今、キュリクスの街には一時の静けさが訪れていた。畑には芽吹いたばかりの緑が揺れ、朝晩だけはまだまだ春と冬が行ったり来たりしている。


 キュリクスの西区、職人街の一角。背の低い屋根が密集する石造りの建物の一つにゲオルグの鍛冶場があった。この日は昼になっても火床がうなり、鋼を打つリズミカルな音が街中響いていた。


 ふいごを踏むのは手際のいい女性──ゲオルグの妻ニコルだ。彼女が風を送り込むたびに、火床の炎がうねりを上げ、炉内の鉄火が白く輝いた。ゲオルグの無骨な手は火鋏で鉄火を掴み、それを狙って鉄槌を振るう大柄の女。ところどころ黒く焦げた作業着姿のレオナだった。


 響く槌音、巻き上がる火花、跳ねる汗。レオナがゲオの鍛冶場に通い始めてはや三か月、まだまだ槌打ちにぎこちなさは残るが、その目に宿る真剣さは日を追うごとに増していた。


「お嬢」


 火花の隙間からゲオルグが「星の粉がそろそろ底つく」と声を掛けた。白から黄赤に変わる鉄火を打つ手も止めず、レオナが柔らかく尋ねた。


「確か倉庫に有りましたよね、奥から出してきましょうか?」


「いや、金属加工ギルドで買ってきてくれ。ついでに荒目の砥の粉もな」


 しばらく打ち込みを続けてから、ゲオルグは鉄火を火床に戻した。レオナは鉄槌を道具箱にそっと置くと腕を思わずさすった。最近は筋肉が付いてきたとはいえ、彼女の細腕にあの鉄槌はいささか重すぎる。


「砥の粉もですか? 両方とも減るペースが上がってますね」


「ま、ありがてぇ話だが無きゃ仕事にゃならん。特に星の粉は鉄と鉄とをきっちり焼き嵌めるにも必要だしな」


 鉄というのは、不純物を多く含む銑鉄を熱し、折り曲げて叩くことで徐々に中の炭素を追い出しながら鍛えていくものだ。鍛冶師は鉄火をただ叩いているわけではない。それに、熱した鉄火をただ叩いただけでは鉄同士はうまくくっつかない。そこで折り重ねる際に『星の砂』と呼ばれる粉を振りかける。これが接合部の不純物を弾き、鉄をきれいに嵌合させてゆくのだ。そのために『星の砂』はゲオルグたち鍛冶師にとっては欠かせない素材だった。


「わかりました。ではすぐ行ってきますね、親方!」


 ゲオルグの言葉を訊いてレオナは小さくうなずいた。彼女は革手袋を外すと右手を優しく振りながら笑顔で工房を出ていった。その背を見送りながらゲオルグはつぶやいた。


「あのお嬢に親方って言われるのは、悪くないな」


「レオナちゃんがうちの娘だったら、こんなちっぽけ工房、大きくしてくれたかしら」


「知るか、んなもん」


 ゲオルグは苦笑いを浮かべながら二コラから差し出された水を豪快に飲んだ。


 ※


 金属加工ギルドは南大通りの外れにある古びた石造りの建物だ。近くの職人や運送屋が資材の仕入れや製品の検品・納品に訪れるために人の出入りが常に絶えない。内部では職人や技師がトンテンカンと作業しているため、夕鐘が鳴るまでとにかく騒がしい。その入口をくぐり、帳簿と木札がびっしり並んだ受付窓口にレオナは足早に近づいた。


「こんにちは、クラメラ嬢」


「あっ、レオナさん毎度ッ! 今日はゲオさんトコのお使い?」


「そうそう。星の粉と、荒目の砥の粉を──」


 受付嬢クラメラは顔なじみだ。いつものように気安い挨拶を交わしながら注文を伝えようとしたレオナだったが、ふと掲示板に目をやった瞬間、その視線が止まってしまった。


 ──「砥の粉:通関待ち」「星の粉:要問合せ」。


 クラメラは「ひょっとして注文に来た?」と言うと申し訳なさそうに眉を下げる。


「そうなのよ、星の粉も砥の粉も入荷が止まってる。倉庫も残りわずかの在庫限り、次の便は未定!」


「馬車便、遅れてるの?」


「ううん、止まってる。でも理由がはっきりしないのよ。ロバスティアからの定期便の遅延や減便は前から時々あったんだけど、先々月からぴたっと停止しちゃって。しかも理由が不明! なんなんよッて感じ」


 クラメラはチャキチャキの下町娘だ。話し方も性格も蓮っ葉ながら要点はきっちり押さえてくる。そこへ背後から鼻声混じりの男の声が飛んできた。


「よう、デカ姉ちゃん。星の砂の話かい?」


 腰から大きな工具袋を下げたギルドの専属技師、モグラットがひょっこり現れた。シャツの袖をまくり、指先から爪の先まで煤けたように黒ずんだ手が目を引く。元は研磨職人だが、曲げ加工や溶接も一通りこなす器用な男でもある。レオナとはウマが合うらしく互いに『デカ姉ちゃん』『モグさん』と呼び合う、気安い間柄だった。


「その通り。んでモグさんとこの現場も足りない?」


「参ったよ。回転研磨機にぶち込む専用砥粉が止め食らって在庫切れのお手上げチャンだ。しかも理由は判んねぇ。まったくどーなってんだか」


「ふぅん。ロバスティアのどのあたりで?」


「キュリクスに入ってくる星の砂とかは全部クモートの集積所を経由してくるから、たぶんそこで荷止めだな」


 クラメラがペンをインク壺に放り込み、ぼやくように言った。


「もう今週に入ってから同じ質問ばっかりで嫌ンなっちゃう! しかもね、工芸ギルドのガラス粉も同じらしくてさ、職人さんたち暴動寸前なんだって!」


 モグラットは肩をすくめ、やれやれと笑った。


「ったくなんの嫌がらせだよ、まじふざけるなって。ところでなあ、嬢ちゃん──まさか政治絡みじゃねえだろうな?」


「ううん、ごめん、ここがロバスティアと揉める原因が判らないんだ。ちょっと色々教えて? すぐに領主館で調べるから」


「頼むぜデカ姉ちゃん」


 レオナは帳面を手に取り、クラメラやモグラット、他の職人さんたちから聞き取ったことをさらさらとメモにした。どうやら領主館の預かり知らぬところで、ロバスティアの静かな“圧力”が始まっていた。


 ※


 領主館は夕焼けに包まれ、窓辺に置かれた花瓶が黄金色から静かに茜へと染まり始めていた。夕鐘も鳴り、業務は一区切り。日勤のメイドたちは夜勤組と交代を終え、昼間の喧騒が嘘のように静謐な時間が館内に流れていた。どこも明かりが落ちているが、文官執務室は明かりを灯したままだった。


 その扉がノックされ、書類の束と鞄を抱えた作業着姿のレオナが戻ってきた。


「トマファ殿、ただいま戻りました。――クラーレ殿はもう上がられましたか?」


「お疲れ様です。クラーレ殿は麦蒔きの疲れが出たようで早上がりして銭湯に行かれましたよ。――今日の現場はどうでしたか?」


 帳簿の山に囲まれていたトマファが、ペンを置いて顔を上げた。


「ちょっと気になることがあって、トマファ殿に調べて欲しい」


 レオナの神妙な表情に、トマファは姿勢を正した。普段とは明らかに違うその雰囲気に、彼も緊張感を覚えたのだ。


「ロバスティアからの星の粉や砥の粉が、どうも通関所のクモートで止められてます。しかも通関切れない理由書が“未着”。そのせいで、ギルドや現場が混乱しています」


 トマファは無言でうなずき、机の棚に置かれた出入国物品マニフェストを手繰り寄せた。


 キュリクスとロバスティア王国を含む他国間の物流では、数量や価格を申告し、輸出入の許可を得る必要がある。その基礎資料となるのが、いわゆるマニフェストだ。各党が選挙前にばらまく、守る気ゼロのガバガバ公約とは違って、これは本当に“ごまかしが利かない書類”である。


 二人がかりで過去半年分の記録をめくり、照合を始めた。

 クモート経由の輸入品のうち──星の粉、砥の粉、漂白粉、ガラス粉、薬品類──これら特定の品目だけが極端に減少している。一方、他の輸入品――銑鉄、鉄粉、炭粉には大きな変動はない。


 また、キュリクスからクモートへの輸出品に目を向ければ──塩、酒類、食物油脂が一時的に減った時期があった。


「ねぇ、トマファ殿。こちらからの輸出が一時的に減ってるみたいですが、これは何か理由が?」


「ああ、製塩ギルドでおめでたいことが重なったんですよ。ギルド長の娘さんが嫁いだり、お孫さんが生まれたりしてね。生産量が一時的に落ちたところに、キュリクス内での消費が増えたんです。だから輸出も自然と減った。それと、油脂や酒も宴会が増えた分こっちで消費されました。もちろん、ロバスティア側には通告済みです」


 トマファは机の引き出しから別のファイルを引き出して開いた。そして何枚か手繰ったあとの一頁に手を止める、『通関遅延・中止通知』の頁だ。何らかの異状が認められて通関が止められた事を記録している頁だが、ここ三ヶ月はとくに記録がない。それ以前は書類不備を理由にクモートから止められた記録がいくつかはあるが。


「でも、クモートからの輸入は……極端に減ってます。特に半年前から数量も絞られてきて、先々月からはあからさまです。しかも通関が切れない場合の理由書が届いてないというのもおかしいですし、しかも該当商品ってキュリクス出身者の商会らが取り扱う品ばかり」


 星の砂などの資材は、まずはロバスティア北部の鉱山地帯で採掘され、地方都市クモートに集積される。その集積されたこれらのマニフェスト作成や発送処理を昔からキュリクス出身の商会らが担っていた。クモートを回避して仕入れる方法は無くはないが、今からその仕入れルートを作るとなるとキュリクスへの到着は時間が掛かるだろうし、担当する商会を探さなければならない。そこまで悠長にはやってられない。


 これらの資料一覧を見つめながら、レオナがぽつりとつぶやいた。


「……偶然じゃないですよね、これ」



「あまり考えたくないんだけど、この荷止め措置の実行犯って、もしかして……」


 レオナの指がマニフェストの束を静かに叩く。他の領主が治める集積地からの物流に異常はない。ならば、答えは一つだ。


「地元領主の裁量で止められている」


 トマファの声は静かだった。だが、その目の奥には怒りに近い熱が宿っていた。レオナは「やっぱり」とつぶやき、頭をかいた。


「これって通商封鎖ですよね」


「正式な通告もなしにこれやったら、ただの嫌がらせでは済みません」


「どうしますか、トマファ殿」


「僕の一存では動けません、抗議するにも対抗措置を講ずるにも、先ずは領主の判断が必要です。ありのままをヴァルトア卿に報告しましょう」


 ※


 領主館の奥。

 ヴァルトアの執務室では書類棚も机も片付き、ローテーブルには火酒の瓶が置かれている。大柄な男がソファにどかりと座り酒杯を片手に静かに火酒の香りを楽しんでいた。その男の横にはつるりとした緑の枝のような脚をぶらさげたアルラウネ──カミラーが腰掛けていた。執務室の梁にようやく根付いたこの奇妙な住人は、葉巻ならぬ香草の葉を燻らせていた。知性を手に入れた植物は火を恐れないようだ。


「今夜は館内が落ち着いてるわね、珍しい」


「夕べはプリスカとロゼットが夜勤者だったから特に騒がしかったな。アニリィたちも飲みに行ったようだし、今夜は特に静かに感じるのだろう。ま、たまにはこれぐらい静かなのは悪くない。──お前も一杯、やるか?」


「いただくわ。今夜はワインじゃなくて火酒なのね」


 そんなささやかな晩酌の時間に、扉がノックされた。ヴァルトアが振り返る。カミラーは「真面目な文官さんが来たわ」と一人ごちる。


「ん、入りなさい」


 開いた扉から姿を見せたのは、文官服を着たトマファと作業着姿のレオナだった。二人は揃って一礼すると、すぐに報告に入った。


「お寛ぎのところ失礼します──星の粉、砥の粉、漂白剤、薬剤……ロバスティアのクモート経由からの荷が止まっています」


「ほぉ、詳しく申せ」


 ヴァルトアは手にしてた酒杯をテーブルに置くと、レオナが書類を手渡した。そこには『クモート経由の定期便未着リスト』と書かれており、追える範囲で止められていると思われる物流便を洗い出したのだ。それを覗き込んだカミラーは「まじめねぇ」と漏らす。


「本来なら通関が切れない場合、理由書が商会とこちらに届くのですが未達です。しかもそれがクモート領だけ、キュリクス出身の商会だけの狙い撃ちです」


「クモート――ほう。今まで気づかなかったのか?」


「申し訳ございません、僕の力不足です。今日、金属加工ギルドでレオナ殿から星の粉が欠品していると聞いて、ようやく気づいた次第でして」


 トマファが申し訳なさそうに言い頭を下げた。ヴァルトアは「まぁ、続けろ」と言い杯を再び手にした。


「しかも止まっているのはキュリクス出身の商会が扱う物品ばかりです。クモート領からの他の商品は影響が出ておりませんし、他のロバスティアからの輸入量も変動はありません。――つまりクモートからキュリクスへの事実上の通商封鎖です」


 梁の上のカミラーが、くすりと笑う。


「ねぇヴァルちゃん、それってもう──『戦争』っていうんじゃないの?」


 ヴァルトアはその言葉に眉をひそめると、火酒を一口すすった。そして、ぽつりとつぶやく。


「俺らは何かクモートの領主の癇に障るようなことでもしたか? ──こちらに非があるように見えんのだが」


 ヴァルトアはトマファとレオナに問いかける。言葉は静かだったが、しかしその声音には炎のような熱が宿っていた。


「いえ、全く。──クモートと言えばちょっと前に『雑な女スパイ』を送り込んできたこともありましたね」


 四ヶ月ほど前、ロバスティア王国はキュリクスの領主館に女スパイ──カボチを送り込んできた事がある。しかし彼女はスパイとして特別な訓練を受けていたわけでもなく、「どんな情報でもいいから取ってこい」という曖昧な指示で行動していた、文字通り『雑な女スパイ』だったのだ。


 しかも捕まった際には、あろうことか自分がスパイになった経緯までペラペラと喋り出す始末。その供述や境遇があまりにも哀れだったこともあり、裏付け調査を済ませたうえで、不法入国者として国外追放とした。その後、彼女は政治亡命という形で再び戻り、今ではキュリクスで親子仲良く暮らしている。その後の追跡調査で、カボチに指示したのはクモート領主館の者とまでは追えたのだが。


 カミラーがうんうんと頷くと髪──葉が揺れた。春のせいか髪の中に白い花がいくつかつけている。


「で、どうするの? 殴りかかってきた相手に斬りかかるのかしら?」


「そんなことはせんよ、今すぐに剣を抜いたらあちらの思うつぼだ。まずは出来る手を打とうではないか」


 トマファとレオナが静かにうなずいた。


「クモート領主館への抗議文と対抗策についてはこちらで草案を起こしてあります、どうぞご覧ください。あと、放っている“草”を使って情報を集めたいと思います」


「これが草案か。とはいえ連中らもこちらが文句言ってすぐに通関を切ってくれるとは思わないんだが、何か腹案はあるか?」


「では──欠品している物資はルツェル公国から急ぎ買っても良いでしょうか? スポットで回してもらえる分は少々割高ですが押さえたいと思います」


「うむ。頼む――それよりお前ら、定時は過ぎてるぞ。早く帰りたまえ」


「御意にございます」 「お疲れさまでした、ヴァルトア卿、カミラーさん」


「トマファ君、レオナちゃんばいばーい」


 二人はそれぞれ一礼し、背筋を正して執務室をあとにした。カミラーは軽く手を振る。扉が静かに閉じられると、ヴァルトアは手元の瓶から静かに杯へと酒を注ぐとぐいっとあおった。だがふと喉の奥に苦みが残るような感覚を覚えた。理不尽な封鎖に対する怒りと、それに巻き込まれている民の不安――それらが酒に混じり、舌と喉を焼いたのだ。


「ロバスティア、何を考えてるのだろうな」


「案外、何も考えずに動いてるのかも。──それが一番厄介かもね」


 ふぅと息を吐き出したヴァルトアにカミラーが静かに応えたのだった。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


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