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81話 武辺者の女家臣、春祭の花嫁市場について疑問に思う。・2

 どうやらお披露目が終わったようで、着飾った少女たちが下手側から一人一人と笑顔を振りまきながら舞台を降りていった。観客たちは彼女たちを見送ってから席を立つことなく先ほどまでいた少女の論評を始めたのだ。あの子の化粧のセンスは良いとか、髪型と合っていないとか。中には衣装屋やデザイナーが居るのだろう、プロの視点であれやこれやと講釈を垂れる声も聞こえてきた。トマファはそれを一つ一つ書き綴っていった。そして一人また一人と席を立って出て行ったのでトマファ達も会場を後にした。


「いやぁ、今年も良かったですよ! あのボボリクさんのデザインは真似したいです!」


 ロゼットも少女たちの論評をしながらトマファの車椅子を押す。トマファは少女たちがどんな格好だったかまで一人一人事細かにデッサンしていたので、彼女が言うポポリクの絵を出すと「これですか」と言って見せた。


「これ、これですよ。この銀のネックレスとティアラのセンスが抜群じゃないですか!」


「綺麗な方でしたね」


「トマファ様は、その、殿方としてはどういうのがお好みですか? ――いやぁ、まぁ、参考にしようっかなーってか?」


「どれも素敵でしたから選べませんね」


 トマファはふわっとした応えで明言を避けた。しかしロゼットはトマファの意見を聞くでもなくあれが良かったこれも良かったと一人で話し続けていた。トマファはその彼女の話を聞きながらメモの中に『花嫁市場は結婚トレンド情報源』と一筆書き加えておいたのだった。


「あぁロゼットさん、ここを左に曲がって少女たちの控えの天幕へ行きましょう」


 観客たちが帰る方向と違い、舞台下手袖の楽屋代わりの天幕へと向かった。クラーレも静かに付いてくる。ロゼットは「入っていいんですか?」と訊くが、トマファは大丈夫ですよと応えた。


「領主館の文官は、興行主が適切に興行をしてるかなど視察する権限があるんです。例えばサーカスで動物虐待が行われていないかとか、申請と違う事をしてないかとか確認する権利ですね。――もし人身売買や売春行為があれば適切に処置しなければいけませんし、違法薬物の取引や亡命手引きがないかの監視も必要です。ですから認識票さえ見せれば楽屋にも入れたりするんですよ」


「へぇ、そんな事できるんですね!」


「まぁ過去判例で女性演者が着替えているところに入っていって逮捕されたって話はありますから、権利の濫用はいけませんけどね」


 トマファは静かに笑いながら言った。舞台袖に来ると観客席とは違う緊張感があった。しかし公演が終わったせいかどちらかといえば緩めの緊張感というところであろうか。


「それなら今回の花嫁市場の舞台入場料は? これも払わなくていいんですか?」


「本来なら認識票を見せれば無料で入れます。ですが、彼らリャマ族も興行の一面があって開催しているのでしょうから、少しの足しになればいいんじゃないかなと思って払いましたよ。あとでヴァルトア卿に経費として請求しますけど」


「そこらへんは抜かりはないんですね」


 そのときだった。ロゼットの横を歩くクラーレが、舞台裏に目をやると、はっと息を呑んだ。


「――ティネ」


 思わず漏れたその名に、ロゼットとトマファもそちらへ目をやる。そこには華やかな衣装に身を包んだティネの姿があった。頬には柔らかな紅が差され、瞼には薄桃から金茶にかけてのグラデーションが施されており、光の加減で微かに煌めいて見える。耳には金と真珠の飾り。銀のティアラにネックレスが掛けられており、まるで異国の姫のような佇まいだった。ロゼットだけでなくトマファとクラーレはその美しさに一瞬で目を奪われてしまった。間近で見た少女は、観客席から見たそれとは印象が全く違って見えた。


「あ、お役人さん! どう? すごい綺麗でしょ?」


 ティネと呼ばれた少女はクラーレに気付いたのか手を振りながら三人の元へやってきた。


「うん、すごい綺麗だね!」


「お役人さんもメイドさんも母さんに頼んで着飾ってもらう? あ、この車椅子の方は私を買いに来た?」


「いえいえ、視察ですよ」


 笑顔で応えるトマファにティネはあっけからんと「なぁーんだ」というと、彼らの前で一回転ターンをする。色とりどりのサテンやレースで仕立てられ、フリルやビーズがふんだんにあしらわれた華やかな衣装は、リャマ族の伝統と現代的な要素を取り入れた鮮やかな色彩を放っていた。きらびやかな金銀のアクセサリーが、彼女の動きに合わせてきらりと輝く。


「すごいねティネ。この前会った時とはまるで別人みたい!」


 クラーレが呆然とした声でつぶやいた。ティネは屈託のない笑顔で彼女に返した。


 そのとき、舞台袖の幕の隙間から一人の青年が現れた。その姿を見た瞬間、ロゼットの表情がぱぁっと華やかに明るくなる。


「コルヴィ、あんたどうしてここへ?」


「ロゼ、お前こそなんでこんなところへ居るんだ?」


 彼が先ほどからロゼットの口から出てた金属加工ギルドの見習い技師だろう、トマファもクラーレもそう思いながら彼を見やった。しかしそのコルヴィはロゼットには関心が無いのか、ロゼットの前に立つ煌びやかな少女に視線が移った。


「ティネ!」


「コルヴィ様、今年も来てくださったのね!」


 ティネはロゼットの事なんかお構いなく目を輝かせて彼の手を掴んだ。そして三人に向ける少女の笑顔とは違う、女のそれを向けていた。着慣れなれていない一張羅のコルヴィはティネの手を取って耳元でささやき合っていた。ロゼットの顔は完全に血の気が引いていた、スカートの裾を握る指に力が入る。


「なんだ、そういうことか」


 クラーレが隣でぽつりと呟いた。「男は他にもいる。切り替えてけ」――とロゼットに向けて言ったつもりだったが、全く慰めにはなっていなかった。


「じゃあ帰りますか」


 二人の世界を完全に冷え切った目で見ていたロゼットの手を取り、クラーレがそう言ったその瞬間だった。この場に似つかわしくない大きな声が舞台裏を揺らす。


「おう、こいつだな。十枚だ!」


 がっしりとした体格の商家風の男がコルヴィを突き飛ばすとティネの腕を強引に掴んだ。「やめてください」と叫ぶティネにうるさいと応えると、


「おい、こいつの父親はどこだ」


と叫び出した。あまりの剣幕にあちらこちらの天幕から人が飛び出してくる。すぐにティネの父親、マザルが飛び出して来た。


「お、おやめください! 何ですか、あなたは一体!」


「おうお前が父親か! 花嫁を買いに来たんだ。ほら、受け取れ」


 その男はマザルに銀貨が入っているであろう袋を突きつける。


「ちょっと、なにしてるんですか!」


 クラーレがティネとその男の間に入ろうとしたが、男は「黙れ、文官女が!」と怒鳴り彼女まで突き飛ばす。相当強めに突き飛ばされたのか、しばらくごろごろと転がったクラーレだがすぐに立ち上がり、腰から下げた信号弾に手をやった。――その瞬間、ロゼットが動いた。




 ――タンッ!




 可憐なメイド服の裾が舞い上がる。次の瞬間、鋭い回し蹴りがその男の後頭部に突き刺さった。どんという音が辺りに響く。駆け寄ってきたリャマ族の男たちがどよめく中、その男はうめき声も立てず膝から崩れていった。ロゼットは冷静にその右腕を掴むと、寸分の狂いもない動きで関節を固定し、抵抗する間もなくその男の身体を完全に制圧した。


「現行犯、公務執行妨害、確保!」


 ロゼットの声は怒気を含み、しかし震えていた。その男はひとしきり喚き散らしていたが、クラーレが信号弾を撃つと、すぐに駆けつけた衛兵隊が男を取り押さた。


「俺様は客だぞ! そこの下女に蹴られたんだぞ!」と喚くが、誰も擁護しない。その男は両手に拘束具を付けられるとそのまま引き立てられていった。


「客だからって何でも許されると思うなよ、腐れ外道が」


 ロゼットは汚れたピナフォラを払いながら静かに言った。そして地面に落ちたヘッドドレスを拾おうとした時、ティネが静かに拾い上げると彼女に差し出した。せっかくの頬の化粧がわずかに崩れていた。


「ロゼットちゃん――」


 クラーレが思わず声をかけると、ロゼットは真っ赤な顔で「す、すみません! あの、その――」と唇を噛みしめる。「ティネさんやコルヴィの事を想ったら身体が勝手に!」


 クラーレは何も言えず、そっと彼女の肩に手を置いた。他のリャマ族の男たちに抱きかかえられてコルヴィは立ち上がる。すっかり泥だらけになった彼に、ティネがそっと近づいて払ってあげていた。そしてティネは無言で一礼すると、二人で天幕の奥へと姿を消した。それを見てリャマ族の男たちも天幕へと引っ込んでゆく。その彼らを見送る中、ロゼットが小さな声でつぶやいた。


「オリゴ様に――また怒られますよね」


 その言葉にクラーレが静かに返す。


「でも誰かがやらなきゃティネは怪我してたかもしれませんし、問題が大きくなれば来年の開催にも影響は出ますからね」


 クラーレの震える手に、トマファがそっと自分のハンカチを差し出した。


「――さて、そろそろお暇しましょうか」


 彼の淡々としたその声に、ロゼットもクラーレも少しだけ肩の力を抜いたのだった。


 *


 天幕の外に出ると西の空は淡い茜色がかかっていた。そして風に乗って、どこからか花の香りが漂ってくる。広場にはまだ太鼓の音や笛の調べ、遠くから楽し気な声や歌が微かに響いていた。ロゼットは少しうつむいて歩きながら、ぽつりとこぼす。


「恋、おわっちゃいました」


 クラーレが小さく笑って言う。


「まぁ、まだ始まっても、なかったわよ、ノーカン!」


 ロゼットが思わず「茶化さないでくださいよ〜」と抗議し二人で顔を見合わせると笑い出した。トマファはメモ帳を閉じながら言った。


「さて、春祭の砂糖菓子を買って帰りましょうか」


 ロゼットがふと空を見上げる。「ティネさん、また来年も出るのかな……」


 トマファはその言葉に少しだけ沈黙し、「どうでしょうね。来年も出られるのでしたら、見てみたいですか?」と訊いた。クラーレが「ちょっと失恋なぅのロゼットちゃんには心苦しいかな?」といたずらっぽく笑いながら続けた。


「見たいかな!」


 ロゼットは笑顔で応える。三人は、花びらの散った石畳の道を静かに歩いていったのだった。

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よろしくお願いします。



・作者註

この話のモチーフは、ブルガリアのロマ人で今も行われる「花嫁市場」です。

ブルガリアは2007年にEU加盟を果たしたため、加盟国からはめちゃくちゃ叩かれてる、非常に評判の悪い習慣です。

EU加盟前の2001年、実はブルガリアまで行って花嫁市場を見に行った事があります。「市場」なんていうから物々しさがあるのかといえば別にそういうことは無く、とにかくブルガリア語で自分の娘たちを売り込む父母たちでしたね。


正直、僕は「風俗街的なものか」と勝手に思ってたんですが、どちらかと言えば「貴族のデヴュタント」が近いかなと思った印象です。――まぁ、どちらも行ったことはないんですがね。


で、必死に娘を売り込む父親(らしき男)に話を聞くと、まずは『君、何人? 仕事は? 年収は? どこに住んでるの?』と必死に聞いてくるわけです。日本人で、当時は学生でと応えるんですが、二言目は衝撃でしたよ。

『ウチの娘、処女だから!』

いやいやいやいや、突然の二言目に驚きを隠せませんでしたよ。綺麗な方でした。ちなみにロマ人たちの純血主義はかなり強く、娘のアピールポイントだそうです。


※ロマ人とは? → 昔は「ジプシー」と呼ばれていた方。

ジプシーは『定住しない貧乏人』って意味合いが強いため、現在では差別語。そのため「ロマ人・ロマニ」が適切らしい。それだとドラクエ4の4マーニャ・ミネアの戦闘曲はなんていうんだ? 原曲名は「ジプシー・ダンス」らしいけど。


ところで、なぜブルガリアへ?

「本場のブルガリアヨーグルトを食べに行った!」

相変わらず動機がアレだなぁ。


ちなみに味は「なんか酸っぱい」だった。

んまぁ、昔のブルガリアヨーグルトとかには砂糖ついてたもんな。

その砂糖の入れる量で友人らと言い合いになった幼い頃の思い出。

(中の人は『入れない』派だった。酸っぱいヨーグルトは嫌いじゃない)


あと、昔、「雪印ナチュレ」ってヨーグルトのCMで富田靖子さんが「スッパ、抜きました」って言うのがあった。中の人が小学生時代だから、今から35年ぐらい前。ていうか、当時のヨーグルトって酸っぱいイメージだった。(ちっこいカップに入ってる奴だけ甘かった)


※そのCM知ってる奴、おっさん認定な!


それよりも酸味がちょいキツイかな? 本場ブルガリアヨーグルトの感想はそんな感じだった。

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