75話 武辺者の侍従、ケーキ作りに困惑する
終業の鐘が響く。
錬金生成学概論の授業が終わり、リーディアと私は従者控室を出て主であるミニヨ様をお待ちしていた。しばらくして教室の扉が開き、何人かの生徒たちが次々と姿を現し、それぞれの従者と合流して校舎を後にする。ややあって、談笑しながら現れたのはミニヨ様とエルゼリア様。最近は仲良くされることが増え、学院内はもちろん、休日も一緒に過ごされている。出身こそ違えどどちらも子爵家の令嬢であり、おっとりとした気性でありながら芯の強さ――すごく頑固――なところも似通っており、きっと気が合うのだろう。
校舎の中庭、楡の木のそばのベンチにミニヨ様たちが腰掛けた。私とリーディアはその後ろに立って控える。すると二人はふぅとため息を付いた。
「セーニャ、聞きたい事があるんだけど。――マイリスさんにお手紙を書いたら一番早くて何日ぐらいで返事が届くかしら?」
副長にお手紙ですか? ――速達便を利用しても片道三日、往復となれば一週間ほどかかりますね、と私はお答えした。するとミニヨ様どころかエルゼリア様まで深くため息を付く。
「どうかなさいました?」
「聞いてセーニャ、ヴィンターガルテン家とラミルフォード家の最大のピンチなのよ」
――ミニヨ様、何やらかしたんですか? 副長に助けを求めるほどのピンチなんですか? しかもエルゼリア様をも巻き込んだんですか? と思っていたら、そのエルゼリア様がもう一つため息を付く。
「ケーキを焼けって宿題が出たのよ、ダナス先生の授業で」
エルゼリア様はそう言うと困ったように肩をすくめた。あぁなるほど、当家のメイドでお菓子作りと言えばマイリス副長だ。時々焼いてくる蜂蜜紅茶のクッキーは絶品だしりんごのマフィンなんて職人技だと思う。
ちなみにダナス先生と言えば、先ほどの錬金生成学の担当教授。いつもよれよれの白衣を引きずりながら廊下を歩く、少し風変わりな若い女性だ。その先生が――錬金術の授業でケーキ、ですか? 私は一瞬、耳を疑った。同じくリーディアも怪訝な顔をしていた。
「錬成の基本はレシピ、それについて考察する実習よって言われたけど、どういうことだと思う?」
エルゼリア様が眉を下げて私とリーディアに聞いてきた。――さて、どう答えればいいんだろう? 錬金術は確か、素材の投入順序や配合を誤れば爆発や液状化を引き起こすって事は聞いたことがある。だがそれとケーキとどういう関係が? 私にとってその錬金生成学とケーキが結びつかない。横に立つリーディアを見ると彼女も途方に暮れた顔をしていた。確か彼女は料理が苦手だったはずだ。
「それでしたら、どこかのパティシエさんにお願いして焼いてもらうってのは?」
リーディアは苦し紛れにそんな事を口走るが「既製品はだめ、自分で焼いて持ってこいって釘を刺されたわ」エルゼリア様がぼやく。
「毎年、喫茶店のマスターに頼んでケーキを焼いてもらい、それをしれっと提出しようとする生徒がいるらしいけど、すぐに見破れると言うし、バレれば落第と先に釘を刺されたわ」
エルゼリア様はそう続けると青い顔をして両掌で顔を覆った。それに追い打ちをかけるかのようにミニヨ様も続ける。
「しかもダナス先生、『ホイップクリームは嫌い』って条件付けているし、事細かいレシピも提出しろだってさ」
それを聞いて私はこっそりため息ついた。その課題なんなの? 『ケーキ焼け』って雑なオーダー出しておいてどんなケーキかは指定なし。そのくせホイップクリームは嫌、自分で焼いてこい、レシピも添えろ――注文多すぎ。
「ちなみに提出日は?」
「週明けの一限目の鐘が鳴るまでよ」
ミニヨ様はそう言うと溜息をついた。――明日、明後日の休みを足せばあと三日。早馬を借りれたとしても往復は無理。さてどうするべきか。
「とりあえず、図書館でケーキのレシピを探してみませんか?」
リーディアの提案を受けて私たちは学院の図書館へ行ってみる事にした。
*
「あなた達一回生でしょ。ケーキのレシピ集はもう貸出済みよ」
料理や錬成の書架をあちこちうろうろ四人で探していたところ、司書腕章をした女性に声を掛けられた。
「その口ぶりだと錬金科の毎年恒例行事って事ですか」
ミニヨ様がぽつりとつぶやくと、司書は苦笑して「えぇそうよ」と言ってうなずいた。
「錬金科どころか創薬専科も家政科も、調理科ですらこの時期にケーキ実習があるのよ。だからこの時期は毎年一回生がここに殺到するわ。他を当たりなさい」
司書はそう言うと、他にうろうろする生徒を見つけては同じセリフを繰り返していた。困った顔を浮かべるミニヨ様に頬に手を当てて考え込むエルゼリア様。こういう事があってもいいように、少しは副長からお菓子作りについて師事しておけばよかったと後悔した。
「全て貸出中って言うのなら、気持ち切り替えて街の図書館に行きましょう」
ミニヨ様の前向きな提案に私たちは頷いた。だが街の図書館でも結果は同じだった。ケーキ、製菓、甘味、焼き菓子、果ては『スイーツ史』まで全て「貸出中」の札が下げられていた。スイーツ(笑)。 エルゼリア様は「禁書のケーキレシピはございませんか?」と必死な顔で司書に尋ねてたけど、「禁書のレシピって、あったらむしろ見てみたいです」と笑顔で言い返されていた。――私も見てみたいです。
次は本屋を三軒、四軒と巡ったが、どこも「この時期はどれだけ入荷しても売り切れちゃうんです」と言われてしまう。急ぎ注文しようにも首都から仕入れるにも最低一週間は掛かるとの事。完全に袋小路だ。私たちは顔を見合わせてため息をついた。
「街を歩きすぎて疲れてしまいました――どこかで、お茶を飲みませんか?」
エルゼリア様は青白い顔をしており、目元には疲労の色が滲んでいた。ミニヨ様も同様にどこか顔色が冴えず、歩き疲れたようでベンチに腰掛けていた。リーディアもきっと疲れているのだろう、顔が上気していた。
「それでしたら前にセーニャと行った喫茶店へ行きませんか? あそこ、静かでよかったですしここから近いはずですから」
リーディアが提案する。そうだ、近くに文官殿おすすめの――たしか『知究館』という名の喫茶店があったはず。私たちはその店に向かうことにした。
*
栗材で出来た外開きの扉を引き開けると小さな鈴がちりんと鳴る。店主がちらりとこちらを見て会釈した。夕暮れが近づいているせいか店内は静かだった。喫茶店で夕飯を食べる習慣はヴィオシュラには無いらしいし、もう少し遅い時間ならパブとして賑やかになるのだろう。ちょうど端境な時間だったため他に客はいなかった。
私たちは奥の窓際の四人席に腰掛けた。外の街灯がぼんやりと灯り始め、テーブルに写り込む。頼んだ紅茶と焼き菓子が運ばれてくると、ミニヨ様がぽつりとつぶやいた。
「さて、どうしましょう。残り三日で手がかりゼロ」
「一からレシピを作るしかないんでしょうか?」
エルゼリア様がティーカップを両手で持ちながら言うと、ミニヨ様は首を横に振る。「無理よ、材料の配分は味や出来上がりに直結するってマイリスが言ってたもの」
「ですよね――でももう、手詰まりよ」
絶望の空気に包まれる私たちの前で、カップの紅茶がほんのりと湯気を立てていた。そのとき、穏やかな声がかかった。
「紅茶のお代わり、いらんかね?」
私たちは顔を挙げると白シャツに紺のネクタイ、白いエプロンを身に着けた店主がポット片手に立っていた。「どうした、年ごろのお嬢さんたちがそろって大きなため息とは。良ければ相談に乗るぞ? ――恋の相談は自信はないがな」
目尻にしわを寄せて笑う店主。その穏やかな声にエルゼリア様が今にも泣きそうな顔で事情を話し出した。学校の課題でケーキを作って来いといわれた事、レシピ本は街中どこを探しても見つからない事を。隣でミニヨ様も「どうすればいいか判らなくて」と涙ぐんでいらっしゃる。
店主は私たちの様子を静かに見守ってから、店の奥の本棚へと歩み寄った。
「ここは知究館。知を求める者には知で返そう」
そう言って取り出したのは古びた革表紙の本と分厚い辞書だった。
「これは三百年ほど前にこの地方で使われていたヤルガン語の料理書だ。で、こちらが対訳辞書。これを貸してあげよう」
テーブルにそっと置かれた二冊からは、時間の重みが溢れていた。
*
紅茶のお代わりをいただきながら私たちは古びた料理書と辞書を囲み、翻訳作業を始めた。翻訳自体はそこまで苦しむことは無かった。動詞などは変格が違うぐらいだし文法も同じ。単語も読み上げればイメージできた。ただ、『時間を置く』って表現が『聖句を二回暗唱して祈祷する』だったのは面白いなとは思った。
山羊の乳と鳥を使った煮込みスープ、赤カブと野菜煮込みといった、今でもヴィオシュラでありふれた料理のレシピが並ぶ。冬は厳しい寒さが続く山岳地帯なので身体が温まる料理が並ぶ中、リーディアがふと声を上げた。
「これ、“チーズケーキ”って書いてありますよ! たぶん!」
「本当!?」
ミニヨ様とエルゼリア様が身を乗り出して料理本を覗き込んだ。私も慌てて辞書をめくる。だが、翻訳を続けていくにつれすぐに不安へと変わっていった。
「常温で緩くしたバターとクリームチーズを白くなるまで混ぜる――白くなる?」
「卵黄と砂糖を滑らかになるまで混ぜる――どこまで滑らかに?」
「きめの細かい小麦粉でも、必ず粉振るいする――どうして?」
「それらをさっくり混ぜ合わせる……さっくりって何ですか?」
全員が翻訳した文章を読んで顔を見合わせる。料理経験やお菓子作りの経験がない私たちにとって疑問でしかなかった。
まずバターやクリームチーズを混ぜたら白くなる? 元々白くない? そもそも常温って何度? 何で混ぜるの? 卵黄と砂糖ってもともと滑らかじゃないかな? 混ぜるって泡だて器でがすがす混ぜるの? 粉振るいする意味って? さっくり?
この本が古すぎるから表現が判らないのか、それともお菓子作りの経験が無いからなのか、そもそも対訳があっているのかもわからない。
ふとカウンターの奥を見ると、店主がパイプを燻らせながら静かにこちらを眺めていた。既に一杯飲んでいるのか、琥珀色のグラスを右手に持っていた。目が合うとにこりと笑う。その店主にリーディアが思い切って声をかけた。
「あの、すみません。料理用語がよく判らないんです」
店主はくすりと笑った。
「まずは寮に戻って、やってみなされ。チーズケーキの材料なら近くの食料品店で売ってるよ」
そう言うと口からふぅと白煙を吹きだした。そして手に持つグラスを傾ける。
「錬金の先生が言いたかったのはたぶんそこだよ。『何で混ぜ、どう変化するか』――最終的には経験と試行錯誤の世界なんだ。ケーキだったら下処理の具合や温度、小麦との混ぜ具合で出来上がりも味も変わる。つまり同じレシピであっても作り方で見た目や舌ざわりががらりと変わる事を知ってほしいって課題なんじゃないかな?」
この店主の言ってる事がなんとなく判った気がした。ダナス先生が言ってた『錬成の基本はレシピ、それについて考察する実習』というのは、手順の理由や説明がきちんと出来るか、仮に失敗したならその理由は何なのか、それらを判りやすく後世に残す大事さをケーキに例えて課題にしたのだろう。
「ま、お礼はお嬢さんたちが焼いてくれたチーズケーキで良いぞ」
店主はウィンクすると、小さな鈴がちりんと鳴り笑顔で来客を迎えていた。その客は火酒を頼んでいた、どうやらパブの時間になっているようだ。既に窓の外は暗く、雪がちらつき始めていた。
「あぁ、せっかくならヒントをやろう。生地を入れる前、焼き型に油脂を塗ってから篩った小麦粉を付けておくとチーズケーキが型から抜けやすくなるぞ――健闘を祈る」
*
その後、寮母さんから焼き型やスパチュラを借り、四人でわぁわぁ言いながらチーズケーキを焼いた。焼いては食べ、感想を言い合い、試行錯誤を繰り返した。そして週明けにチーズケーキと共にレシピと試行錯誤のレポートを提出したところ、ミニヨ様とエルゼリア様は『A+』の評価を頂いたのだった。従者として誇らしい週末だった。――なお、ちょっとだけ太った気がする。スカートのホックがちょっときつくなった。チーズケーキのせいだと思いたい。
*
キュリクス領主館。
「はいはーい、トマファ君、セーニャ曹長から手紙が届きましたよ! ――相変わらずの量ですよね。これ、もう手紙って域じゃないですよ!」
「あはは、セーニャさんは真面目な方ですからね」
プリスカが文官執務室に持ってきたのは木箱ぎっしりに詰められた報告書だった。筆まめな彼女だとは聞いていたが、この文量で一週間分だ。『精緻な報告はうれしいです』と手紙に書いたらこんなに届くようになったのだ。
トマファはその異様な報告書を一枚一枚目を通し、記録として残しつつ丁寧に返事を書いている。
『知究館の店主は相変わらずでなによりです。勉強の事で何か困った事があれば彼を頼ってみてください。何かヒントをくれるはずですから』
『セーニャさんが焼いたチーズケーキ、食べて見たかったです』
*
やった! 文官殿からお手紙が届きました!
『チーズケーキ、食べて見たかったです』ってもはやこれ、プロポーズなのでは!? 毎日でも焼きますよ? ばんばん焼き増すよ? チーズケーキだけなら副長よりも上手く焼ける自身はありますよ? いやぁ頑張った私、やったね!
そんな事思いながらミニヨ様の授業の待ち時間、今日も文官殿の手紙を本に隠して何度も何度も読み返すのだった。
*
『あ、セーニャったら嬉しそうな顔しちゃって。いつもの凛々しい顔が緩み切ってるわ』
リーディアはこっそりとメモに残しておいた。
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よろしくお願いします。
=チーズケーキの作り方=
焼き型は18cmがおすすめ(なければ15cmでも可)
材料
(ベイクド生地)
・ビスケット70g
・バター35g
①バターは『聖句を二回暗唱して祈祷する』(約1時間放置)
②ジップロックに①とビスケットを入れて気合い入れて殴って砕く
③焼き型に②を押し込む。(ラップ巻いたコップで押さえつけると洗い物が減る)
④冷蔵庫に放り込んで『聖句を4回暗唱して祈祷する』(約2時間放置)→冷凍庫は控えて。バターが変質するから
(生地)
・クリームチーズ200g(*印が好き)
・生クリーム200g(動物性が良し)
・砂糖70g
・全卵2個
・レモン汁30cc
・小麦粉30g(粉振るい必須)
①小麦粉は粉振るいしておく。ダマにならない
②生地の材料は常温で『聖句を二回暗唱して祈祷する』(約1時間放置)
→バターを電子レンジで溶かさないで! 食感が悪くなるから!
③、②を全てフードプロセッサーにぶち込んで、白くなるまで混ぜる!
→フープロ使うと、小麦粉の粘り防止になる。初心者お勧め。中の人はアマゾンで買った中国製の安いヤツ使ってる。案外イケる。
④(ベイクド生地の④)に、優しく入れる。
⑤しっかり余熱したオーブン、上段、180度で40分、表面が焦げないように監視は続けて。
(焦げそうなら途中で開けてアルミホイールを乗せると真っ黒けは防止できるよ)
※レシピについて
美味しく出来たら感想ください(笑)
→失敗しても責任は負いません(笑)




