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72話 武辺者の女家臣たち、行方不明者捜索を行う・後編

 イオシスの捜索騒動からちょうど一週間が経った頃の朝。

 領主館の中庭には凛とした空気が漂っていた。雪は昨夜の冷え込みで硬く締まり、陽光を受けてきらめいている。そんな中、洗濯物を干すメイドたちの声が響いていた。

「でね、その道化師がさぁ──」

「えーっ、それマジウケっしょ!」


 サンティナ、プリスカ、ロゼットの三人が大きなシーツを干しながら楽しげにおしゃべりしていた。そこへアニリィが書類を片手に、大工道具をもう片手にふらりとやってきた。


「どーしたん? みんな」

「アニリィ様、おはようございます! 今度、広場にサーカスが来るんですよ」

「みんなで見に行こうって話をしてたんですよ」


 シーツの両側を引っ張りながらプリスカとロゼットが答えた。そう言えば隣国ルツェル国の軽業師たちが広場の使用許可を出しに来たことを覚えている。もちろんその書類はトマファたちにえいっと投げたのだが。


 アニリィにとってサーカスと言えば、――まず思い浮かぶのは、芸をする大きな熊だった。あんなに巨大な熊、一体何を食べて生きてるんだろう? 肉? それとも専用飼料? あれだけ芸が出来るのならカトラリー使って『今日のフィレミニオンステーキは、ウェルダンで』とか言いそうじゃない?

 それともひょっとして、楽屋に戻ると後ろのファスナーを開けて中から誰かが出てくるんじゃないか──思ってしまう。そしてその「中身」は煙草をスパーと吸いながら『このショバはシケた客やのぉ』とボヤいている……そんな想像ばかりしていた。

 それに、この手の書類を持ってくるサーカスの座長は大抵が道化師役だ。常に笑顔に見えるメイクをしているが、スッピンでも化粧をしてても、彼ら座長の目はどうにも笑ってない気がして妙に怖い。子供の頃からどうもサーカスというものには馴染めなかった。

 あと『悪さばっかしてるとサーカスに売り飛ばすぞ』って母様に言われたっけ。私みたいなのを買い取った座長は大損だろうなぁ、とも考えていた。


 アニリィのそんな思いなど知る由もないサンティナが明るく訊いた。


「アニリィ様も一緒にいかがですか?」


 アニリィは目を細めて笑い、「三人で行ってらっしゃいな」と言いながら腕まくりをすると、再び大工道具を持ち上げた。


「今日は何をするんですか?」とサンティナが首を傾げる。

「ノーム爺の恋人の部屋を、工兵隊と作るんだよ」


 その言葉に、サンティナとプリスカが顔を見合わせて色めき立つ。


「えっ、恋人?」「あのノーム爺にそんな色っぽい話があるの!?」


 しかしロゼットが憮然とした顔であっさりと事実を告げる。


「サンティナ兵長まで真に受けないで下さいよ、もぉ。そんな色っぽい話じゃなく、――牝牛のボルジアちゃんの小屋ですよ」


 二人は「ああ、なぁんだ……」と同時に脱力する。


「じゃあしばらくトンカンうるさいかもだけどごめんねー」


 アニリィはそう言うと、右手をひらひら振って屋敷の隅にあるノーム爺の小屋へと向かった。


 *


「えんやこーら! そーれ引け引け!」


 前もって基礎工事は終えていた。その基礎の上に土台となる太柱を置き、アンカーボルトで止めておき、その四隅に太い柱を立て、管柱も立てる。アニリィは工兵隊とともに、笑顔で牛小屋の棟上げ準備を進めていく。


「アニリィ閣下! 梁の上に乗るなんて危険です!」


とオーリキュラが叫ぶ。


「大丈夫大丈夫、そういうときのための鉄ッパチ被ってるから、ヨシ!」


 アニリィはぽこぽこと安全帽を叩きながら余裕の笑みを浮かべていた。


「ヨシじゃないですよ! てか指揮官が頑張ってたらみんなが委縮しちゃいますよー」


 オーリキュラは何度も降りてくださいと叫ぶが、ネリスが下からからかうように声を上げた。


「煙とアニリィ様は高いところがお好きなんですよ!」

「それ、褒めてねぇだろ!」


 皆がげらげら笑う中、アニリィはひらりと梁の上を移動し、作業を飛ばす。


「じゃあ、とっとと棟上げして終わらせるぞ!」

「了解!」と一斉に声が上がる。オーリキュラはついにあきらめたのか、ため息を付きながら棟木を挙げろと指示をする。


 そこへ屋敷からマイリスがやってくると小さな封書を手に声を上げた。


「アニリィ様ぁー、お手紙が届いてますよぉ」


 封蝋は緑と銀で封じられており、封緘には三又のヒイラギの文様が刻まれていた。梁に腰掛けているアニリィからは相当に小さいはずなのだが、ちらりとそれを見て眉を上げた。


「あぁ、ニアシヴィリ家の封蝋だねぇ――ずいぶんと形式ばってるな」

「そこからよく見えますねー!」


 マイリスが笑顔で手紙を大きく振って続けた。「開封なさいます?」


「作業が終わったら読むよ。執務室に置いといて――よっしゃ、力自慢はデカハンマーで棟木を柱にぶちこむぞー!」

「「おぉー!」」


 そう言って、アニリィたちは楽しい音を立てながら牛小屋づくりに精を出すのだった。


   *


 数時間後。

 牛小屋程度なら午前中で仕上がった。棟木を上げてからは屋根板をどんどんと打ち付けるだけ、外壁は板材を留めていくだけ、内張は払下げとして保管されていた帆布を張り付けるだけ。


「これだけ丁寧に作ればボルジアも喜ぶだろ」


 アニリィは一人ごちると撤収命令を出した。当のボルジアはノーム爺とどこかに出かけており留守だったが、喜ぶだろうと敷き藁を寝床に敷き詰めてから屋敷へと戻る。


 相当に暑かったのだろう。アニリィは上衣の前をざっくりとはだけさせ、作業で火照った肌を冷ましながら廊下を歩いていた。上気した顔で、うっすら汗をにじませた首元には軍属を証明する認識証がきらりと光っていた。そんな姿でふと廊下を曲がったところ、トマファと鉢合わせた。


「お疲れ様です。――あの、半裸で館内を歩かれるのはちょっと」


 トマファは赤い顔をしながら目を逸らした。


「あぁごめん、暑くて」


 きっと反省してないだろう。上衣を軽く引き寄せるとえへへと笑みを漏らしていた。トマファは苦笑しながら「今度から気を付けてください」と言ってアニリィを窘める、トマファ自身もアニリィがどんな人となりかは判っているのでそこまで厳しくいうつもりはない。


「あぁそうそう、アンティム家とヴァザーリャ家から感謝状が届いてます」


 トマファは思い出したかのように言うと、車椅子の後ろポケットから書状を取り出した。アニリィはふと思い出したかのように手をぽんと叩いた。


「そうだった、ニアシヴィリ家からも手紙が届いてたっけ」


 アニリィはゆっくりと息をつき、封書の存在を思い出すように視線を宙に泳がせた。


「あとアニリィ殿。出兵に関する報告書がまだ出てませんからすぐ出してくださいね!」

「あ、あぁー、そうそう、うーん、あ、はーい」

「――忘れてましたね?」


 トマファがジト目でアニリィを見やるが、彼女は露骨に目線を逸らすと吹けない口笛を吹きつつ執務室へと入って行くのだった。


 *


 イオシス捜索に関する報告書が取り纏まったのでヴァルトアはトマファとクラーレを呼びつけた。今回は善意の第三者という立場で出兵はしたが、捜索費用としての人件費などは相当に掛かっている。相応の金額を請求すればいいのだが、貨幣を使わず生活しているエルフたちに出せと言っても支払ってくれるとは到底思えない。それどころか緊張関係となれば今までうまくいっていた『アニリィ代官による統治機構』が崩れてしまう。そうならないためにもどう交渉すべきか、意見を聞くためである。


「まぁ出兵前にもトマファとは話し合ったが、ここでしっかり話を擦り合わせたうえで連中らと交渉した方が良くないか?」


 ヴァルトアはそう呟いた。トマファが静かに頷くとその隣ではクラーレが記録用の帳面に淡々と筆を走らせていた。


「さてヴェッサの民とどう話し合いをしていくか、だな――」


 ヴァルトアは言葉を切ってから立ち上がると、壁に掛けられた領内を描いた大きな地図の前に立つ。そしてテイデ山、ヴェッサの森あたりの場所を指でなぞる。


「この道だな。このテイデ山へと繋がる修験道――ここを通商路として整備し、バルギン領へショートカット出来ればキュリクスやコーラル村には多大なメリットになると思うんだ。それにバルギン領からシュヴァルの森を抜ければポルフィリ領だ」


 北方の同国領であるバルギン領やポルフィリ領へ行くには一度西に大きく迂回する通商路はあるのだが非常に遠回りである。特にバルギン領へは小麦や塩、ミスリルを輸出する代わりに、火酒、上質なワインを仕入れている。ヴェッサの森を通り抜ける修験道を整備すれば連絡や通商を大幅に短縮出来るとして活用したいと思っていた。もちろんこれは単なる経済的利便だけではない、有事の際の兵站線としても意味もあるのだ。


「ですがその案を通すにはエルフ側との条件の摺合せが不可欠でしょう。特にヴェッサはテイデ教徒の聖地。非エルフが土足で歩かれれば気分の良いものではないでしょう。ですからこの案を通すために僕からの提案は二つですね――」


 トマファは書類を膝の上に広げながら指を立てる。


「第一に通行者の限定です。闇雲に人を通せば絶対に問題を起こす連中も入ってきます。ですから通商路の厳格な管理のために限定するんです。――そうですね、例えばテイデ教徒のモルポ商会が良いのではないでしょうか?」

「ほぉ、その心は?」

「元々モルポ商会にはエルフたちとの通商権を持ってます。それを強化し、保護するのです。その代わり整備費用の一部負担を商会に求めるのです。そうすればモルポ商会には恩を売れますし、エルフたちは嫌な顔をしないでしょう」

「つまりモルポ商会を保護する代わりにバルギン領との流通を確保するってことか――どうして自由化しない?」


 ヴァルトアは腕組みしながら小さく唸った。そしてカップを掴むと静かに啜った。


「そもそも商人というのは狡猾です、というかずる賢くなければ生き残れない世界にいるんです。その彼らに通行権を与えたら好まざる者がヴェッサを汚しますよ。――それなら最初から限定すればいいんです。特にモルポ商会とヴェッサの民との関係は良好ですし、当方とも非常に関係性は良好です。そこに通行自由化の風を吹かせれば商会との関係性は一気に崩れるでしょう」

「なるほど、いいな」


 クラーレが筆を止めると恐る恐る手を挙げた。ヴァルトアが小さく頷くとクラーレが言葉を選びながらゆっくり話す。


「ところでモルポ商会の輸送力ってそこまであるんですか? 商会規模は拡大中とはいえ抱える馬車数も従業員数もそこまで大きいとは思えませんが」


 ヴァルトアは腕組みするとうーんと唸る。モルポ商会はコーラル村に古くからある商会だが確かに規模はそこまで大きくはない。数台の馬車がコーラル村とキュリクスを毎日何往復しているぐらいだ。


「そこは『傭車』を使うんです。キュリクスからコーラル村、バルギン領の通常コースは定期便を走らせる運送専用の商会に依頼するんです。彼らはスポットで運送依頼をすれば足元見られて輸送単価は高くなりますが、定期便として契約すれば随分と下げられます」

「ふむ。それならヴェッサの森は要らないだろ?」

「それならヴェッサの森の通商路は急ぎの商品のみのために使えば宜しいかと。特にバルギンのカタツムリはキュリクスでも人気ですが鮮度が落ちるせいか美味しくありません。他にも足の速い生鮮食品を通すには美味しいルートでしょうし、都市間郵便事業にも使えます」


 輸送費は多少高くなっても新鮮で良いものが欲しいってニーズはある。そのニーズに近いのは情報もだ。


「昔どこぞの国に『三方良し』という言葉があったそうです。売り手、買い手、評判の三つが良くなければいい商売ではない、って考えですが、この通商路の独占は三方良しだと考えます」

「それって、モルポ商会にその利権を預ける代わりにこちらは税収で儲ける、しかもエルフたちも嫌悪しないってことですか?」

「はい。その代わりモルポ商会が利権に幅を利かせるようになれば手痛い罰を与えます。つまり猛犬に首輪です」


 ヴァルトアはなるほどというとうーんと唸った。それを見てトマファが微笑むと指を2本立てる。


「第二に安全保障としての軍備――領主軍の巡回警備隊の配置を提案します。あくまで名目上は『通商路の事故防止・治安維持』としつつ、防衛線の確保ですね」

「つまり『招かれざる客を寄せ付けない』ってことか」

「はい。厳格化している通商路での課題は『抜け荷と不法侵入』です。まぁ棘草や風穴のせいでそういう輩は森の中で勝手に事故に遭うかと思いますが、監視の目は絶対要件です」

「なるほどなぁ――」


 ヴァルトアが少し考え込んだ後、低く言った。


「出入りを厳格化しても連中らは勝手に道を拓くかもしれん。それなら通商路を警らして不届き者を厳罰に処すればモルポ商会もヴェッサの民も嫌な顔をしないってことだな――それで行こうか」


 クラーレが「御意」と答え、トマファも無言で頷いた。執務室には暖炉で薪の爆ぜる音だけが響く。ヴァルトアがふと窓の外を見ると白く積もった玄関先で黙々と除雪しているクイラの姿があった。その足元には、白く淡い何かがふわりと舞い、寄り添うように漂っていた。

 気のせいかもしれない。しかしネリスから出された夜哨報告書を思い出せば、あれがヴォナティなのだろう。――あの少女は一体何を連れ帰ってきたのだろうか。色々と調べたところ害はないらしいのでしばらく様子を見る事にした。


 *


 夜の領主館。

 その中庭のベンチにアニリィはひとり腰掛けていた。雲一つない空には月が冴え、その明かりが地面を白々と照らしている。ぐっと冷え込む空気の中、彼女はその月を肴に静かに杯を傾けていた。

  そこへ不意に気配がしてアニリィが目を向けると夜間学校帰りのクイラが立っていた。革バンドで束ねた教科書を小脇に抱えている。


「風邪引きますよ、アニリィ様」

「ん。ちょっぴり冷えるけど、ここ気に入ってるんだ」


 アニリィは酒瓶を足元に置くとベンチの縁をとんとんと叩いた。「――隣、空いてるよ」


「では失礼致します」



 クイラは静かに隣に腰を下ろした。まだメイド服に着させられている感があるが、そこまで変な感じはしない。似合っていない訳ではないが、少し前まで訓練服姿で練兵所を駆け回っていたイメージが強いため、ふと見ると違和感がある。

 ふと風が吹いた途端、光の粒子が舞い上がった。そのきらめきがクイラの肩にそっと降り立った。 ふわりと燐光を放つ“それ”――ヴォナティは、少女の肩先で一瞬だけ実体を結ぶと、すぐにまた輪郭を揺らがせた。

 アニリィが眉を上げる。


「――それ、まだついてきてんの?」

「どうも、懐いてしまった、です。今では、朝晩、井戸水、時々、ワイン、お供え、機嫌いい、です」


 クイラの口から辿々しく言葉が紡がれる。センヴェリア語には少しずつ慣れてきているようだが、流暢というには少々心もとない。だけど必死に伝えようとする気持ちはアニリィも理解しているので笑顔でうんうんと頷いていた。


「面白い精霊サマだね、かわいいと思う?」

「──はい」

「そりゃ、心清らかなクイラちゃんだから一緒にいると落ち着くんだよ。だから付いてきちゃったのかな?」


 アニリィのその一言に、クイラの頬がわずかに緩む。


「コレの存在についてどう思うかって訊かれたら――私はよくわかんないって応えるわ」

「ですが、あの泉の、歌、素敵でした」

「だね、あの時は心揺さぶられたわ――疲れてたんかなぁ?」


 青白い月の光が、中庭を明るく照らす。ヴォナティは草の上にすっと降りると、輪を描くようにきらきらと回っていた。


「クイラちゃんーーそいつと話は出来るん?」

「少しだけです」

「それなら、どうしてイオシスちゃんを月詠の泉へ呼び寄せたんだ?」

「それなんですが――特に、呼んでない、そうです」

「はぁ?」


 クイラがそっと頭に手をやると、ヴォナティはふわりと宙に舞い、月光の中に溶け込んでいった。ふと夜風が吹き、二人の髪がふわりと揺らした。


 *


 数日後、アンティム家の当主ブロドンの家。

 囲炉裏のある広間では薪がぱちりと音を立てて燃えていた。集まった各家の当主や長老たちは、無言のまま湯気の立つ茶碗を手にしていた。その静けさを破るように外から靴音と車輪の軋む音が近づいてきた。

 アニリィとトマファが玄関口から顔を出す。アニリィは軽やかな所作で礼を取り、トマファは「車椅子で失礼します」と言いながら帽子を脱いでぎこちなく一礼した。


※作者註;エルフたちが使うカルトゥリ語での会話は『』を使っております。ちなみにこの場でカルトゥリ語が判らないのはトマファだけです。


『代官殿、文官殿、雪の道をようこそ』


 ニアシヴィリ家の当主マスキンが歓迎の言葉をカルトゥリ語で述べる。


『こちらこそ快く迎えてくれて感謝致します』とアニリィが同じくカルトゥリ語で言うとさらに続けた。


『それでは捜索終了に関する覚書を取り交わしましょう』


 その言葉に、囲炉裏を囲む長老たちがわずかに身構えた。


『まず最初にヴェッサの森の利権を寄越せという気はありません、聖地ですからね。そこだけは安心してください。ですが、その聖地の在り方について相談したいのです』


 トマファは文書を差し出しながら、柔らかく声をかけた。


「こちらからは要求というより提案です。じっくりと話し合いたい」


 アニリィが頷き、通訳を重ねた。そして長老たちが文章を受け取ると顔を突き合わせて覗き込む。そこには前にヴァルトアのトマファたちとで話し合った末の提案事項がカルトゥリ語で書かれていた。


   *


 囲炉裏の周囲ではしばらく沈黙が続いたが、ふと長老の一人が低い声で言い放った。


『有史以来、修験者の道をそのような使い方はしたことが無い』


 長老の表情には明らかに警戒心がにじんでいた。何人かの長老は静かに頷くが、ブロドンとマスキンは少し首をかしげる仕草を見せる。しかしその中でモルススが一歩前に出る。


『ですが現在、木炭と木製食器の出荷は格段に増えております。コーラル村まで背負子を担いで持って行くにはそろそろ限界です。輸送コストを考えれば森からそれらを出荷したほうが早いと思います』

『そうだ、毎日のようにモルススらに運ばせるわけにもいかんだろう』

『いやいや、彼らはヴェッサの森に婿に入ったんだ、こちらのやり方に従うべきだろ?』

『別に炭焼きの連中らは婿に来たわけじゃねぇよ。儂らの娘ッコとテイデの神が結び付けたんだよ!』


 長老たちの会議は紛糾していた。しかしその議論は信仰ではなく、歴史的な生活習慣に深く根ざしたものだったのだ。皆、従来の生活様式では限界が近づいていることを薄々感じているだろうが、習慣はそう簡単に変わらない。しかしアニリィがヴェッサの代官となって生活は少しずつ変わってきている。森と共に生きていたが、文明的な氷菓子――アイスクリームーー一つで揺らいだのだ。人里への憧れを抱く子が増えていった結果、イオシスの失踪事件となったのだ。

 マスキンはうーんと唸り声を上げる中、ブロドンが膝をぽんと叩くと一つ頷いた。


『あい判った。今までのやり方では限界が来るのは判っているつもりだ。変えてゆく時期が来たんだよ。――ただ、通商路の解放は夏場だけにしないか? 冬場は安全を期して閉鎖したい。今回のような事故は冬場に起きると捜索が大変でな』

『それならニアシヴィリ家はイオシスの捜索に力を貸してくれたんだ、通商路の整備に力を貸そう』

『無論、アンティム家も貸すつもりだ』

『ヴァザーリャ家はどうする?』

『――ん、まぁ、皆がそう言うなら』


 最終的にエルフの三家が通商路開拓についても応じてくれたのだ。夏場限定って制限は付いたが、完全な拒絶でも大幅な譲歩でも無かったからこちら側の勝利である。アニリィは静かに頭を下げた。


『心より感謝します』


 トマファは意味はわからぬままその様子を見て「成功ですかね?」小さく呟いた。「戦略的勝利?」とアニリィが小声で返す。

 その時、囲炉裏の反対側で年嵩のエルフが口を開いた。先ほどまでモルススと共に肩入れしてくれたニアシヴィリ家の男だった。左二の腕にその家を示す蔓花を模した入れ墨が彫られている。


『すまぬが、儂から一つ提案をさせて欲しい』


 ぱちりと囲炉裏にくべられた薪が弾ける。その声には先ほどの交渉とは違う静かな響きがあった。


『アニリィ殿の元でイオシスを預かってくれまいか? ――儂の孫なんだが、どうしても人間の世界で生きてみたいと言うんだ』


 アニリィがわずかに眉を動かした。囲炉裏を囲む他のエルフたちもざわめく。モルススどころかマスキンですら驚きを隠せなかった。


『お、親父――本気で言ってるのか?』


 長老は小さく頷いた。


『あの子は人間界に強い憧れを抱いてしまっている。それが、あの家出の理由だ。父親のマスキンと激しく言い争った末、家を飛び出し――泉に迷い込んだ』


 イオシスの失踪事件は彼女と父マスキンとの諍いが発端だった。思春期の真っ只中にあった彼女は、人里への強い憧憬を抱くあまり、喧嘩を引き金に家を飛び出したのだ。だが時期が悪かった。どれだけ慣れ親しんだ森であっても夏とは異なり、冬は冷たく厳しい顔を見せるのだ。寒さと雪に方向感覚を奪われた彼女は、ふと耳にしたヴォナティの囁きに導かれてフラフラと月詠の泉へとたどり着いてしまったのだ。発見時に毛布をかぶっていたのも、発見まで三日近く掛かっていたのに軽い衰弱だけだったのも、準備しての家出だったからなのだ。


『このまま森に閉じ込めれば、また同じことを繰り返すだろう。それならばいっそ、人の世界を少しでも見せてやった方がよいのではないかと、祖父ながらに思ってるんだ』


 アニリィは息を吐いた。それは心からの願い――祖父としての苦悩と、少女としての渇望――両方が交差した言葉だった。


『ただし……』と、長老は続ける。


『イオシスはセンヴェリア語がほとんど話せぬ、読み書きも不自由だ。そして、外の世界ではエルフは奇異の目で見られるかもしれない――それは承知している。だが身体に危険が及ぶようなことだけは守って貰えないだろうか? 我儘ばかりなのは承知の上でのお願いだ、頼む』


 アニリィは静かに頷いた。


『分かりました。イオシスちゃんが自分の意思でそれを望んでいるのなら、私が力になりましょう』


 その横で、通訳を受けたトマファが眼鏡を上げる。


「語学についてはキュリクスの学校で支援可能です。領主館にもセンヴェリア語の読み書きを勉強中の子もいます。受け入れは可能だと思います」


『ただし!』とアニリィはきっぱり付け加えた。

『珍しいからとか、耳が尖ってるとか、そういう理由で近づく人間がいたら――私は全力でぶっ飛ばしますよ!』


 それにはトマファも「アニリィ殿らしいですね」と言いながら苦笑を交えて同意するしかなかった。

 囲炉裏を囲む空気に少しだけ柔らかな温もりが戻った。長老はうなずいた。


『ありがとう。やはりあの子にはお前たちのような変わり者に託したほうがよさそうだ』


 そうして薪がまた一つ、ぱちりと小さく弾けた。


『――それ、褒めてないよね?』


 アニリィがぼそりと呟いた。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。



・作者註1

『悪さばっかしてるとサーカスに売り飛ばすぞ』って母様に言われた

→本当に言われました。つまり親から見たらサーカス団員は『親に棄てられた可哀そうな人』に見えてたのかしら。失礼にもほどがあると思うんだがな。(そのくせ『職業に貴賤はない』と言うんだぜ?)


ですが実は幼い頃、本当にサーカス団員になりたくて自力でバク宙出来るようになりました。んで小学生時代に木●大サーカスが金沢に来た時、ずかずかと楽屋に行って「団員にしてください!」と言ってバク宙した。当時の座長さんから「十年後に来なさい」と言われましたが、サーカス熱はその頃が最大値でした(笑)


そのバク宙出来る能力は、雪の日に友人に『ムーンサルト』するための技となりました。田んぼの土手からムーンサルトは北陸の中学生あるあるですよ!

なお、どすんと落ちた先にでっかい石が落ちてて、額が割れたおじま屋である。相変わらずポンコツである。

→当時の彼女(のちの妻)に「男ってバカだよねー」って言われたなぁ。



・作者註2

『それならヴェッサの森の通商路は急ぎの商品のみのために使えば宜しいかと』

中の人は若い頃、食肉商社に勤めておりました。

アメリカではBSE(いわゆる狂牛病)が発生するより前なんだけど、『ジェットタン』ってのがあったんです。PCIスロット二個分のグラボが入ってそうな大きさの箱に、アメリカ産スキンドタンが5本(だったかな?)が入ってました。

※確か取扱メーカーはIBCだったはず


本来は船舶輸送で、かつ冷凍です。しかし食肉は冷凍すると味が(確実に)落ちます。おまけに『スキンドタン』なので、アメリカ現地で表皮をむいてあるので賞味期限が短いです。そのために航空便で日本にぼんぼん送り込まれてたんです。もちろん値段は高くなります。しかし卸先の焼肉屋や肉屋は『冷凍のタンよりもこっちの方が旨いし(歩留考えたら)安い』ということで引き合いは強かったです。

ちなみに船舶輸送の冷蔵スキンドタンも有りましたが、『航空便より安いけど、賞味期限が極端に短い、匂いが出やすい』って理由で敬遠された肉屋はいくつか居ましたね。

※騙してインチキする営業マンが居ましたけど、すぐバレるんですよ。だって、『ジェットタン』には箱に『JET』ってハンコが押されてるんで。あと匂いやドリップシートの変色でバレます。


よく「解凍方法がしっかりしていれば味の劣化は無い!(ドヤァ)」って人がいますけど、僕は変わると思います。どうしても冷凍解凍すると細胞内の水分が膨張収縮することで破壊されます。するとドリップ(肉汁)が回るのでどうしても味・匂いに変化が出ます。そのドリップは傷むと雑菌の関係で匂いが出ますから、タンとかの「味が繊細な内臓肉」は判りやすいです。お好きな方が多い『ハラミ』も内臓肉なので、冷凍と冷蔵では味が変わります。


ですから、25年ぐらい前の引き合い(人気)としたら

「アメリカ産スキンドタン(冷蔵・ジェット)>アメリカ産スキンドタン(冷蔵・シップ)>アメリカ産牛タン(冷凍・皮付き)>>>>>>>オーストラリア産牛タン>>(超えられない壁)>>国産牛タン」

でした。



ちなみに当時の話(今から25年ぐらい前よ?・笑)


・国産の牛タンってあったの? → あったよ? あったけど、基本的に買えない。

食肉業界ってヤバイ世界です。特にタンなどの内臓肉は(ヤ)の方のシノギでした。(今は知らん)

つまり、内臓ホルモンは専門のギルドがあって、専門の世界があったわけです。ですから「欲しいから売って」と言って出てくるものではなかったです。ほら、内臓肉を『ホルモン=放るモン』って言うでしょ? そういうのを取り扱う連中らの世界があったんです。


・オーストラリア産の牛タンってあったの? → あったよ? マズかったよ?

オーストラリア産の肉って『基本は草食って育ててる(たまにショートグレーン、100日程度穀物肥育)』。だからアメリカ産・オーストラリア産の牛肉(例:チャックロール/チャックアイロール)を目隠しして食うと味が違うのよ。草臭い。

牛タンも同じで、草臭い。だけど、当時は『お寿司も出てくる焼肉食べ放題の某チェーン店』に納品してた記憶がありました。まぁ臭かったね、うん。


イオンで「タスマニアンビーフ」ってあるけど、それこさイオンが20数年近くブランド化させたんですね。草臭い肉を日本人向けに穀物肥育したりと手間暇かけてるわけです。ちなみにタスマニアと聞いて『タスマニア物語』を思い出した諸君はオッサン認定な!


・今、アメリカ産の牛タンってあるの? → 減った

アメリカでBSE(俗にいう狂牛病)が出た際に、日本は禁輸措置をとったわけ。するとアメリカの冷蔵冷凍庫に牛タンどころか内臓肉(大腸やレバー)が大量に余ったんだって。それをアメリカで自家消費したり余所の国に販路を作って処理したそうな。

※聞いた話だけど、当時、好んで牛内臓肉を買ってた国は日本と韓国だったらしい。


じゃあBSE問題が解決したから、牛タン寄越せと言ってもアメリカにとっちゃ「なんかあったら禁輸措置になるような危険な国はNO」となって輸入量は減ったそうな。それが20年以上たっても回復していない。まぁ禁輸措置が出た当時、数週間から1年程度の措置だろーねってみんなで言ってたけど、いやはや3年近く禁輸してたよね。


・メキシコ産牛タンとかは? → 聞いたこと無かった。

禁輸措置が出て1年ぐらい経ってから輸入された記憶。しかも牛タンの箱の中から草っぱが出てきた時はめっちゃ笑った。『こいつら草食ってるときに屠殺されたんけ?』とか言ってた。

ちなみに輸入先チャレンジは色々やったみたいで、「コスタリカ産・アルゼンチン産・ブラジル産」は見たなぁ。今もあるんかなぁ?


・ちなみに

中の人は牛タン、実は食べたことが無い。

「え、牛とディープキッス♡なんて嫌なんですけど?」って思っているので。ちなみに中の人の妻は牛タン大好物な人だったので、(当時)しょっちゅうお土産に牛タン持って帰って焼いて食べさせてました。



※肉屋あるある!

「ポンドからキログラムへの計算が出来る!」

→(ポンド重量)×0.45359=(kg重量)


肉屋になった際、一番最初に覚えさせられる数字「0.45359」

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