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71話 武辺者の女家臣たち、行方不明者捜索を行う・中編その②

 凍てつく風の吹きすさぶ夕刻。

 ヴェッサの森の民の聖地である『月詠の泉』を目指す一行は、もう時期アンティム家の集落を出発する。疲労が強く見える捜索隊員にはモルススを先導させて拠点へ戻すこととした。拠点へ戻れと言われた若い通信兵は「すみません」と悔しそうに口にしたが、アニリィは「仕方ないよ。拠点に戻ったらウタリっちに報告よろしくね」と笑顔で優しく伝えていた。


 聖地へ向かう一行が身支度を整える中、案内役を任された若い女が不満げに呟く。カルトゥリ語なので通じるのはアニリィだけだ。


『この時間に出たら、泉に着いたら完全に日が暮れてしまうよ?』


 雪兎亭の女将の妹、プロイスだ。渋々案内役を引き受けた彼女だったが、凍える道を前に表情は渋いままだった。


『大丈夫大丈夫!』とアニリィが満面の笑顔で応じる。


『帰れないって判断したら、一泊すればいいだけの話だから!』

『ちょ、ちょっと待ってよ!? 私、枕が変わると寝られないんだけどっ!』


 不満を吐きだすプロイスに、ジュリアが素朴な疑問をぶつける。


「え、二人ともなんか揉めてます?」

「うんうん! 着いたら日が暮れてるからキャンプになるよって話!」


 それを聞いてジュリアは苦笑いした。


「聖地でキャンプって、大丈夫なんですか!? むしろなんかの罰が当たったりしません!?」

「大丈夫なんじゃない? だってヴェッサの森の住民らも秋の満月の日に一晩お祈りをささげるって言ってるんだから」

「それって大丈夫って言わないと思いますよ」


 ジュリアの真面目な返答にアニリィは笑って誤魔化すことにした。そのジュリアとは違って別の反応を示すのが二人。オーリキュラが拳を握り、横でネリスも元気よく応じた。


「キャンプって聞くと腕が鳴りますよね、ネリスちゃん!」

「はい。こういうのは工兵隊の腕の見せ所です。――クイラ、工兵隊の本気、見せてあげるね!」


「が、がんばれー」


 突然話を振られて戸惑いながら小さく手を振るクイラ。


『なんか途端にやる気出してる人が二人もいるんですけどぉ』


 完全にノリに置いていかれたプロイスが情けない声を上げていた。


「さ、元気よく行きますか!」


 アニリィの元気な掛け声を聞いて、一行は夕闇迫る森の奥へと向かって歩みを進めた。プロイス一人だけは足取りが重そうではあったが。


 ゆく道は雪深く、しばらく歩を進めれば風穴が続く一帯を越えなければならない。誰もが凍える寒気と不安を抱えながらも、早く行方不明の少女を探さなければと心は焦る。その思いが皆の足を前へと進ませていたのだった。


 ※


 足元覚束ない風穴帯を探索棒でコツコツ突いてゆっくり踏破する。誰かが踏み抜いても良いように全員の腰にはロープが結わえてあり、ムカデのように静かに歩いた。そしてしばらく進むと一行の目の前に、ふいに開けた空間が現れる。


 そこには樹々の狭間にひっそりとたたずむ楕円形の大きな泉があった。風も音も届かぬ静寂の地。泉の表面は静かに波打っていたが、水面はゴミ一つ浮いておらず、代わりに淡い月光が照り返っていた。まるで空の月が地上にもう一つ降りてきたかのような神秘的な光景だった。


『やっと着いた──てか、こんな時期に月詠の泉に来たの初めてだわ』


 プロイスが静かにつぶやく。声は震えていたが、それは寒さのせいだけではない。


「まじすご!」


 ジュリアは俗な感想を漏らす。しかし皆は息を呑み、言葉を失い、しばし見入っていた。ヴェッサの森の民にとってどれだけ大事なのかが判るほどに神聖で神々しさが感じる地だった。そしてその泉の縁近くに何かが動いた。


「あっ、誰かいます!」


 ジュリアが指差した先には小柄な影がちょこんと座っていた。毛布にくるまれた少女――イオシスだった。彼女は膝を抱えるようにして泉のほとりに座っていた。肌は青白く、唇も紫がかっているが、意識はあるようだった。


「イオシス嬢!」


 アニリィたちが駆け寄る、クイラもすぐに続いた。イオシスはうっすらとアニリィたちを見上げると、小さく首を傾けた。


『――だれ?』

『ヴィンターガルテン家のアニリィだよ、君がおうちに帰らないってお父様から連絡を受けて、ヴェッサの森の代官として捜しに来たんだよ』


 アニリィは膝を付いて掌を見せてカルトゥリ語で優しく応えると、イオシスは何かを思い出したようにこくんうなずいた。そして泉の奥を指差しながら言った。


『あのね、ここでずっと話してた』

『話?』


 アニリィが彼女にそう聞きながらリュックから毛布を一枚取り出すと、そっと肩に掛ける。


『誰と?』

『ううん、誰って感じじゃないんだ。――声? 風? 歌みたいな?』


 その言葉にアニリィの表情が変わった。その話を皆にしたとたんクイラも表情を変えた。泉から吹き込む風――先ほどまでは無音で耳がきんと鳴るほどだった。しかしこの泉の周りには確かに、何かの音が混じり込んでいた。それは風のざわめきとは違い、囁き声のようであり、旋律のようでもあり、言葉ではないのに胸の奥にしみわたってくるような、そんな音だった。


「確かに、聞こえます」


 クイラがぽつりと呟いた。彼女もまた、泉の奥をじっと見つめたまま立ち尽くしていた。その目にはうっすらと涙が浮かべている。


「なんかすごく懐かしくてあったかい、ですね」


 クイラがそう言うが、他の者たちは何も感じていないようだった。ジュリアが小首をかしげて言う。


「え? 何が? 風切音しか聞こえないけど? ネリスちゃんは聞こえる?」

「いえ。むしろ寒過ぎて耳がきんきんしてます。むしろジュリアさんってピアスしてて耳が冷たくないですか?」

「あぁこれ? 慣れ」


 イオシスの無事が確認できたので、アニリィは立ち上がると元気に全員に指示を飛ばす。


「パウラっち、直ぐに赤・青、返砲があったら白の信号弾撃って」

「御意」


 パウラは静かに返事すると信号弾を空に二発撃ちあげた――探索人無事発見の砲だ。しばらくして返砲の青い弾が西の方角から上がった。すぐ後にパウラは白の信号弾を撃つ。――これは拠点に帰らないという砲だった。


「――あと、今から帰るのはきっと不可能だわ。ここで拠点設営。天幕と火の用意、急いで!」

「「はいッ!」」


 オーリキュラとネリスが元気よく返事をして早速準備に取りかかる。慣れた手つきで泉の近くに天幕が張られ、小さな火が灯されていく。オーリキュラは「訓練通りに」と言い続けながらネリスと拠点構築をする。ジュリアが担いでいた鍋を構え、「あったかいの作るから待っててねー!」と言うと張り切って夕飯づくりを頑張っていた。


 その間もイオシスとクイラはずっと泉の奥を見つめていた。そこには他の者には見えない何かがきらきらと舞っており、言葉が通じない二人が、なぜか不思議と心を通じあわせているかのようでだった。プロイスはリュックからワインを取り出すとおろおろしはじめた。オープナーを忘れたらしい。「スパッと切ればいいじゃん」とアニリィが言うと、腰からナイフを抜き、すぱんと瓶首を切り落とした。アニリィは最初の一杯を泉に静かにささげると、プロイスは静かに拝礼した。


 そして――そのときだった。泉の水面がふわりと揺れたかと思うと、辺りに静かな旋律が満たされた。歌詞もないその歌が三人の琴線を震わせていたのだろう。アニリィとクイラ、そしてイオシスの表情がぱっと明るくなる。


「聞こえたね」


 アニリィの言葉を聞いてクイラもすっと息を呑むと小さく頷いた。それを見てイオシスも頷く。それは風と月が紡ぐ歌のような不思議な響きだった。しかしそれ以外は薪の爆ぜる音と風のささめきだけが聞こえていた。オーリキュラとネリスが互いに顔を見合わせる。


「隊長、何かあったんですかね?」

「さぁ」


 アニリィは泉に歩み寄る。「誰だ?」と小さく問いかけるかのように呟いた。しかし誰も何も答えず、ただその存在を示すかのように風が吹きすさぶ。クイラは泉を見つめながら、涙を浮かべて言った。


「あたたかい。心が、洗われるみたい」


 イオシスもまた泉に向かって微笑んだ。――『ね、優しいでしょ』


 ジュリアは首をかしげながら呟く。


「うーん、やっぱり私には何も聞こえないんだけどなあ」


 泉の奥では月の光を反射してきらきらとした粒子のようなものが舞っていた。それはクイラとイオシスだけに見えていた、優しく、懐かしく、どこか神秘的な存在――月詠の泉の精霊ヴォナティだった。


 *


 翌朝。


 泉のほとりには薄らと朝霧が漂っていた。夕べに見た神秘的な様子は一切なく、ただの静かで綺麗な泉が一切の邪を払っているかのようであった。


「んー、思ったより冷えなかったな。よし、朝ごはんだね!」


 天幕からごそごそとアニリィが顔を出すと軽く肩を回した。相当疲れが出たのだろうか、彼女は夕飯を食べ、イオシスのつま先の凍傷治療を施すとそのまま横になった。夜中一切目を覚ますことなくいびきをかいていた。そのアニリィの隣は『枕が変わると寝られない』と言っていたプロイスだったが、彼女もぐーすかよく寝ていた。その隣にはイオシスが静かな寝息を立てていた。


 夜哨のオーリキュラとパウラは焚火の前で静かに寝息を立てていた。アニリィはそっと毛布を掛けてやると鍋に乾燥野菜と干し肉をまとめた簡単スープの素を放り込んだ。しばらくすると泉のあたりは優しい香りが包み込む。


 しばらくすると香りで目が覚めたのか、ネリスとクイラが天幕からごそごそと這い出てきた。彼女たちもよく寝れたのか、髪の毛がぴょんと跳ねている。


「二人ともおはよう。――泉で顔を洗ってきなさい」

「おはようございます! 申し訳ありません、閣下に料理をやらせるなんて」


 ネリスは慌てて姿勢を正して敬礼するが、アニリィは笑顔で「はやく顔を洗ってらっしゃい」と言う。クイラも敬礼するので、アニリィも起立して返礼した。二人目があったとたんにふと笑みを漏らす。


 ネリスとクイラが顔を洗って身支度が済んだ頃にイオシスが起きてきた。疲労が顔に浮かんでいたが立ったり座ったりは出来るようだ。歩くのは難渋しているのかぴょこぴょこと跳ねるようだった。アニリィは肩を貸してやると焚火の前に座らせた。そして出来立てのスープを差し出すと、彼女は静かに啜った。イオシスの表情が少し軟らかくなった気がした。ネリスとクイラにもスープを渡した頃に夜哨のオーリキュラとパウラも目を覚ます。二人は顔を青くしてアニリィに敬礼する。


「夜哨が寝てるって、新兵たちに笑われるぞ、新隊長殿と伍長殿」


と笑顔で言うと二人はさらに顔を青くしていた。


 イオシスはスープを片手に火にあたりながら、『帰ったら――叱られますよね』とぽつりと呟いた。


『そうなったら一緒に叱られてやるよ』


 アニリィは笑いながらイオシスが持つカップにスープを注いでやった。


 皆の朝食が終わる頃に、プロイスが起きてきた。しかも天幕から出てきて一言だった。


「いやぁ、枕が変わると本当に寝られないわー」


 皆は心の中で『今の今までいびきをかいてた人のセリフじゃねぇ』と思ったのだった。


 *


 天幕を片づけてリュックに戻し、竈も軽く掃いて拠点を片づけた。聖地への配慮を欠かさないよう、プロイスが言うテイデ教の拝礼を全員でしたあと、アニリィはイオシスを背負い、しっかり固定した。


『足の凍傷の具合が判らないから背負っていくけど、気持ち悪くなったら必ず言ってね』 

『はい、ご迷惑おかけします』


 背中にイオシスの温もりを感じながら、アニリィはちらりと泉に振り返った。


「なんだろうね、夕べのあの気配」


 クイラもまた同じように振り返るとそっと呟いた。


「また、来られるといいですね」


 アニリィたちは夕べ歩いた道を戻る。危険な風穴帯を過ぎてからは急ぎ足で拠点へと駆けた。ネリスもクイラも必死に付いてきた。軍属ではないプロイスははあはあと息を切らせていたが。


 *


キュリクス領軍・哨戒報告書(抜粋)

発信者:工兵隊所属 ネリス・ヴィトラ

場所・時間:月詠の泉野営地点・夜間哨戒時


【記録内容】

 月詠の泉付近にて天幕を設営し、斥候隊パウラ伍長が信号弾を射出後、返砲を受ける。その後は軽い夕飯(ジュリア嬢担当)を食べてから夜間哨戒に入る。なお夕飯は絶品だった。私ネリスと、メイド隊クイラ嬢が交代制にて火番兼警戒を担当した。以下、夜間の様子を記録する。


 本日初めて泉周辺にて宿営を行ったが夜間の気温は急激に低下。火の管理は重要であった。アニリィ閣下たちはワインひと瓶空けてたが、あの人であの量なら誤差の範囲と判断。幸い、天幕にはフライシートを二枚重ねてた為に天幕内はそこまで冷えず、内の隊員らは速やかに就寝。中でも現地案内人プロイス嬢(※雪兎亭の女将の妹)は「枕が変わると寝られない」と何度も言っていたが、実際にはものの五分でいびきをかき始めた。意外に図太い。そして寝言がうるさい。


 当方哨戒中、クイラ嬢が泉と対話する場面あり。声をかけたところ、彼女より以下のような発言あり:


「年に一回しか人が来ないのが寂しい」


 詳細を確認したところ、彼女いわく「泉の奥にいた『なにか』が、拗ねていた」とのこと。文言としては非科学的だが、彼女の指先には月光に似た光の粒子(約半ヒロ程度)が発生していた。これは物質的干渉というより、霊的または精神感応的な現象と思われる。


 私自身にはそれが何かは分からなかったが、彼女は『声にならない声』と対話しているような印象を受けた。本人は明確な言語とは認識していない様子。



【所感】

 この泉には、伝承以上の何かがある可能性がある。それは幻覚や空想として片づけるには、彼女の態度があまりに自然すぎた。その話をアニリィ閣下を通じてプロイス嬢に尋ねたところ、『ヴォナティじゃない?』との事。なおプロイス嬢はその夜はずっと「ぺたんこおっぱい」と謎の寝言を繰り返しており、哨戒に支障をきたすほどではないが、耳障りであり腹立たしかった。お前もぺたんこやんけ。


以上、記録とする。


── 工兵隊 ネリス・ヴィトラ

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