69話 武辺者の女家臣たち、行方不明者捜索を行う。
キュリクスの北、コーラル村。
霊峰テイデ山を頂くこのコーラル村の冬は特に厳しいようで、暖をとるための煙突からもくもくと黒煙が吹き上がっていた。屋根や道の上にはうっすらと雪が乗っており、キュリクスに比べればよく降るようだ。その村の外れにある『雪兎亭』も屋根に雪を乗せて建っていた。そこの玄関を元気よく開ける女と、連れが四人。肩の雪を払いながら中へと入って行った。
この時期は炭焼き職人も仕事のために山へ入っているせいか女将もひさびさの来客に目を丸くしている。
「あら、アニリィ様! それにお連れのかたも! 寒いでしょう、いますぐストーブに薪を入れますよ」
「女将久しぶり! ちょっと検地漏れがあったんで、――そのついでに一杯!」
「うふふ、一杯で済むかしら?」
そういうと女将はアニリィが連れてきた部下の外套を預かると壁際に掛けた。女将に手渡す際に丁寧にお礼をいうところ、アニリィの指導は行き届いているようだ。女将は部下たちをカウンター席に座らせると訊いた。
「お嬢さんたちは何にする? ここで一泊するんなら、火酒やグリューワインなど酒精が強めで身体が温まるものでもお出ししましょうか?」
「では、――まずは全員温かいお茶を所望します」
アニリィが連れてきた四人の部下では一番階級の高い女――工兵隊長オーリキュラが言うとその横にいた小柄な少女――ネリスも一つ頷く。
「えっと、私、グリューワインが良いッスけど」と斥候隊のジュリアが言うが、隣にいる相棒の先輩パウラから「任務中よ」と釘を刺されて「ちえー」と返していた。
「温かいお茶ね? くいっと飲みたくなったらいつでも言ってね」
女将は笑いながらそう言うとストーブにいくつかの薪を放り込んでいた。ぱちぱちと爆ぜる音と共に店内の空気がふわりと温かくなった気がする。
「こんな雪の時期に検地漏れって、大変ねぇアニリィ様」
「いやぁ、登記情報と検地帳にズレがあって、ウチの文官長殿がコーラル村の村長さんに問い合わせたら『あ、あの一帯の検地漏れてるかも?』ってのが判りまして。作付前に検地して欲しいって事になりまして」
「文官長って、春ごろに来てくれた車椅子の男の子ですよね?」
「えぇ、優秀な文官長“殿閣下"ですよ――あ、私は火酒のお湯割りで」
「はいはい――飲み過ぎないで下さいね?」
女将は苦笑いを浮かべながら温かいお茶を四つ、カウンターに置く。ゆらゆらと白い湯気が立ち上がるお茶であった。かつてアニリィはここで悪酔いして迷惑を掛け、領主館に『アニリィ殿にただしい酒の飲み方を指導してください』と苦情が届いたことがある。それでも彼女はコーラル村で仕事が来るたびに通い続けているのだから根性が座っているのか、それとも曲がっているのか。そんなアニリィに女将が火酒のお湯割りが入ったグラスを置こうとした、その時だった。扉が勢いよく開かれて炭焼き職人モルススが店に飛び込んできたのだ。なお彼は女将の夫である。
「アニリィ殿、やはりこちらにいらっしゃいましたか!」
「ん、モルススさん、血相変えてどうしたの?」
「ニアシヴィリのイオシスのお嬢が夕べから戻ってこねえんだ。親父さんと喧嘩して森に入っていったきりそのまま!」
店内が静まりかえる。アニリィは数秒の間を置いたのち一瞬だけお湯割りを愛おしく見つめると、懐から銅貨を数枚置いて立ち上がった。
「わかった。みんな、お茶飲んでから走るよ!」
* * *
モルススに連れられてアニリィたちはヴェッサの森の奥深くに入ってゆく。人が踏みしめたであろう雪道を30分ぐらい進んだところだろうか、広場があった。そこに森に住む三つのエルフ家の代表たちおよび家族が集まって何かを話し合っているようだった。アニリィにとってエルフの皆んなは顔馴染みだが、彼らはアニリィたちを見るとなぜか表情が沈む。
ヴァザーリャ家、アンティム家、そしてニアシヴィリ家、このエルフの当主たちはアニリィたちがやってくる前からどうするべきかと議論をしていた。意外な話だが三家は見知った人間が捜索に参加することに異議はなかった。しかし捜索に人間を入れるかどうかではなく、『お礼』のことで揉めていたと知り、アニリィは肩の力が抜けた。隣のオーリキュラたちも、なんとも言えない顔をしている。
「モルススの要請を受けて来てくれたか。だがなぁ、捜索のお礼についてまだ話がまとまってなくてな」
とブロドンが申し訳なさそう言うと、ニアシヴィリ家の当主マスキンが泣きはらした目をしてアニリィの腰にしがみつくと叫ぶように言った。
「イオシスの捜索を手伝ってくれるのはありがてぇ。だけどそれの見返りにこの森を割譲せよと言われたらご先祖様に合わす顔がねぇんだ」
アニリィは困った表情を浮かべると溜息を付きながら言った。
「あのぉ、私ら人間族ってそんなゲスい生き物に見えるんですか?――ただで引き受けますとは言えませんし、今のうちにこれだけの捜索費用を請求しますとも言えません。――ですがこの森の代官として、いえ、『善意の第三者』として捜索に入るじゃ、だめですか?」
「善意の、第三者?」
ブロドンが思わず鸚鵡のように繰り返す。
「えぇ。私たちはコーラル村での検地作業が終わって完全オフです。ですから私たちは誰にも縛られておりません。――みんなは大丈夫だよね? うん、ありがとう――これなら問題はないですよね?」
「あぁ、たしかに」
ブロドンがそう応えると、アンティム家の若いエルフが「だがここは聖地だから武器の持ち込みは好ましくない」と漏らす。確かにここは聖地であり、アニリィやオーリキュラの腰に佩いでる剣、パウラが肩に掛けているメイスは彼らにとって気に障るののだろう。
「判りました。携行する武装も最低限にしましょう。剣やメイスはどうぞ預かって下さい。ただし斥候の探索棒とナイフの携行だけは認めて下さい。もちろんテイデ神嶺の信仰への配慮は忘れませんよ」
そう言ってアニリィは腰から下げた剣を鞘ごとマスキンに渡すと、オーリキュラやパウラも武器をブロドンたちに手渡した。そしてアニリィは自身の襟元に手を突っ込んでごそごそと何かを探す。そしてあったあったと言いながら紐についた黒い石を取り出した。
「テイデ教の教会から頂いた『祈りの石』は、肌身は出さずつけてますよ」
沈黙。 やがてブロドンが前へ出た。
「よかろう。我が家の木工食器生産も販路もアニリィ殿の支援があってのもの。お前らの大好きなアイスクリームだってアニリィ殿のおかげだろ? なら彼女を信じてもよかろう」
「ありがとう、ブロドンさん」
「図々しい願いを繰り返すが、その、善意の第三者は他にも頼めたりするか?」
「それは領主の許可が必要ですが――一筆書いても?」
「無論だ」
アニリィは小さく頭を下げると、肩から下げた鞄から紙とペンを取り出すとさらさらと書いてブロドンに手渡した。
「これを急ぎモルポ商会に渡し、早馬で領主館へ届けてください。そうすれば領主館の善意をかき集めてヴェッサに寄越せると思います。──それよりも遭難者救出のリミットは72時間って言われてます。もうそろそろ24時間が経つんです。急ぎ捜索に入りませんか?」
「あ、あぁ」
アニリィに気圧されてブロドンは手紙を受け取ってしまった。
「じゃあモルススさん、イオシス嬢の足取りを追いますか」
「わかった、ついてこい」
モルススは右手を上げてアニリィたちを見渡すと森の奥へと入っていった。
* * *
日が傾きかけた頃、領主館。
雪がちらつく中庭に、呼び集められた面々が立っていた。工兵、通信、衛生看護、そしてメイド隊――選抜された若手たちが緊張した面持ちで装備の最終確認を行っている。その前に立つのは武官のウタリだった。冬用軍装の裾からのぞく長靴をぎゅっと踏みしめて、一つ咳払いする。
「……えー、まあ、皆もう聞いてるとは思うが。ヴェッサの森でニアシヴィリ家のお嬢ちゃんが行方不明となった」
ざわめく小隊たちに、ウタリは気の抜けたような口調で続ける。
「えー、ここから先の行動は領主軍としてじゃなく『善意の捜索隊』って扱いになる。――『みんな大好きお姉ちゃん』ことアニリィ殿の指揮下に入るから。あと、ヴェッサの森はテイデ教徒の信仰の地だから武装は最低限。くれぐれも慎重にな」
その横でクラーレが書類を取り出す。
「皆様の勤務記録は『特別訓練扱い』にしておきます。仮に戦闘が起きた場合は、現地で私かアニリィ殿が状況判断で処理します」
そして背後からメリーナがにこにこしながら登場した、なんと今回は彼女も参加するそうだ。領主館側の本気度が見えるだろうか。
「みんなが大好きな冬の雪中訓練大会だよっ! 走って温まろうねー! しかもたっぷり手当も出るってさ!」
それを聞いてプリスカがぴょんと跳ねるように反応する。「えっほんと!? じゃあ全力疾走で捜索してもいいですかメリーナ隊長ぉーっ!」
「この前アンタが走り出したからメイド業務の停止命令を食らったんでしょ!?」
とロゼットが肩をすくめながら言うと、思わず身体の匂いを嗅ぎ始めた。「――もうグアノの匂いはしないよね?」
クイラは横で繰り広げられるプリスカたちのやり取りには加わらず、黙って手袋のベルトを締め直す。空を見上げ、雪の気配を読み取るようにじっとしていたが、その表情には、どこか嬉しさが滲んでいた。――かつての相棒ネリスと、久しぶりに同じ任務に就ける。その喜びを、ほんの僅かに緩んだ口元で示す。
そんな笑いに包まれる一方で、クラーレが冷静に締めくくった。
「出発は今から1時間後。現地は雪専用の装備、メイド隊はタイツの上から『らくだのもも引き』を履くように! 装備の再確認を忘れずに! 爾後の行動に移れ!」
「「移ります」」
こうして、領主館の出動隊は静かに動き始めた。
*
そのあと、領主館執務室。
ヴァルトアは窓の前に立ち、雪の中を走りゆく馬車の列をじっと見送っていた。その背後から、報告書を手にしたトマファが静かに声をかける。
「――以上八十余名、コーラル村へ向かいました」
「……ああ、行ったか」
それまで窓から馬車を見送っていたヴァルトアは、ようやく椅子に戻るとどかりと腰を下ろし、背にもたれて外の白い空をぼんやりと見やる。トマファはヴァルトアに静かに呟くように言う。
「ニアシヴィリのお嬢さん、無事に見つかればよいのですが」
ヴァルトアはトマファに視線を戻すと腕を組み、ゆっくりと返した。
「事の経緯はよく判らんが、娘が行方不明となれば親は気が気じゃない」
「ですね。仮にですがルチェッタ嬢になにかあったと訊けば、僕やアニリィ殿はきっと取り乱すでしょう」
「俺もだよ」
なお、アニリィの養女として領主館で育てられているルチェッタもこの捜索に参加したいと駄々をこねた。しかし留守の間を託されたオリゴから「あなたにはあなたの大事な役割があるんですよ」と厳しめに言われ、結局涙目になりながら皆の馬車を見送ったのだ。
トマファは少し間を置いてから、表情を変えずに言葉を続けた。
「ところで今回の件でエルフ三家との信頼が少しでも深まれば――礼拝用の登山道を整備拡大して隊商交易路にするって話も聞いてもらいやすくなるかと」
「あの森は『エルフの庭』だ。そんな話を振るために恩を売ったと思われたら連中らは頑なになる。今はまず行方不明のお嬢さんを見つけることだ。――第二隊は準備するのか?」
「はい。ユリカ様の裁可が取れ次第、予備役にも出頭命令の花火が上がります」
「予備役って、あの『ママさん部隊』までも出す気か?」
「えぇ、先ほどスルホン様の奥方様――エルザ様から『出陣はまだ?』ってせっつかれてます。てかあの部隊は正規兵より士気が高くて困りものなんですが」
窓の外に見える遠くの山並みを見つめながら、ヴァルトアは呟いた。
「うむ、どうなることやら。――娘を持つ身としては、ただただ無事を祈るばかりだな」
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