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68話 武辺者の女家臣、農業改革に取り組む・後編

 昼下がりの実験農場には掘り起こされた土の香りと焼けた魔素の香りが満ちていた。


 レオダムとドリーたち親方衆は魔導エンジンを搭載した鋤込車の整備口を開けて、あれこれと調整を試みていた。先ほど『ぼふん』と言って活動停止してから数時間経っているが、皆、楽しそうだった。


「カブりながらも魔導エンジンが唸ってましたから、クランキングの三大要素は達成してますから――」 「あー、なんだっけそれ」 「良い吸気、良い圧縮、良い燃料じゃったのぉ」

「そうです! ですから魔導回路のリークを応急措置で止めつつ――」

「魔素燃料にミスリル粉を入れてみましょうよ」


 ドリー夫妻の参加によって先ほどの重ったるい排気音が高く乾いた音に変わった。鋤込車が動き出し、レオダムが「今度は細かくデータを取るぞ」と声を上げる。


「――ぶすん」


「燃料切れっすね」「でしたよねー!」


 一同がゲラゲラ笑いながらパンをかじりつつ再び鋤込車がバラされていた。


 *


「やっぱ国家魔導錬金術師サマってすごいんですねぇー! それに引き換えこの牛といったら……」


 傍らではロゼットが、やる気を見せないボルジア──私たちはこのときも彼女をデボネアって名前だと思い込んでいた──の鼻先を撫でながらため息をついていた。彼女はすごく嫌そうに顔を動かす。


「それにしてもこのデボネア嬢、完全にやる気ゼロっすね」


 ロゼットが帽子の庇を持ち上げてぼやいた。犂引きする雌牛ボルジアは、何を考えるでもなく空を眺めてのんびりと立ち尽くし、時々口を半開きにして――あくびしていた。


「まるでアレっすよ。不機嫌な時のプリスカみたいじゃないですか、これ!」

「そんなこと言うとこの子がプリスカちゃんみたいに見えるじゃない」

「乙女は気分が乗らないと働かないんですよ!――とか言ってたりして」


 そう言いながらロゼットはボルジアの鼻頭をぺしぺし叩いていた。ふんと鼻を鳴らすとロゼットの腰を鼻頭で畑に押し倒していた。「もぉー!」と彼女は抗議の声を上げる。


「あんたも牛になってるじゃん」


 ロゼットとのやりとりの最中、ふいにぬっと現れたのはノーム爺だった。


「――ちょいとえぇかな? お嬢たち」

「え、えぇ」


 ロゼットは尻についた泥を払いながら立ち上がる。ノーム爺はボルジアの横に立つと、静かに手綱を手に取り、ボルジアの耳元へ顔を寄せると──何かをそっと囁く。その様子はまるで恋人同士が愛を語らっているかのようにも見えた。


 しばらくして、ボルジアは大きな顔を何度もノーム爺の右腕に擦り付ける。


「うむうむ、よしよし、愛い奴やのぉ。──じゃ、お嬢さんらのために一働き、頼もうかの?」


 ノーム爺が後ろに回り込み、やおら鋤の柄を握った瞬間だった。今まで何があっても頑なに動こうとしなかったボルジアが一瞬気取ったように首を振り、それから静かに──しかし確かな足取りで歩き出した。


 鋤が土を割る。枯れた大地がほぐれ起こされる。まるで昨日、一昨日とマイリスが見せた牛犂さばきを彷彿とさせるようであった。人馬一体──牛だけど──で土を切り、起こしてゆく。掛け声なんかいらない。自然と実験農園の境界まで行くとボルジアは振り向き、もうひと往復。ノーム爺は口笛を吹きつつ牧歌的に耕していた。


「えっと」

「あたし達、今なにを見せつけられてるんでしょうかねぇ?」

「さ、さあ?」


 私はロゼットとやや呆れたように顔を見合わせてしまった。


 *


 そんなときだった。奥の道からのんびりとした車輪の音が聞こえてきた。


「ん? なんか来ましたね」


 誰なのかはこの距離ではまだ分からないが、御者は周りの事を気にすることなく呑気に歌っていた。


「堆肥が走る〜グアノだぞ〜い♪」


 調子っ外れに歌いながら、ぽくぽくひづめの音を立てて小さな荷馬車がこちらに近づいてくる。荷台には麻袋がいくつか積まれており、御者席では誰かが立ち上がり、風に帽子を押さえながら、大きく手を振っていた。逆光で顔まではよく見えない。ただただ陽気な歌声だけが先にこちらへ届いていた。


「おーいクラーレさーん、追加分のお届けでーす!」


 やや薄汚れた作業着のテルメさんだった、彼女は笑いながら帽子を手に振っている。


「ここが研究農場ですか! いやぁ、思ってたより広いんですね!」


 そういうと彼女は荷台から飛び降りた。


「グアノ精製についての基礎研究も終わりましたから、急に暇になりまして」

「それで今日からは運搬係、ですか?」

「まさにその通りです。いやぁ〜外の空気は美味しいですよね! 研究室の臭いが取れないので換気中ってのもありますが」

「――あぁ、グアノって独特の臭いがありますよね」 


 ロゼットが鼻をひくつかせる。私も身体中の匂いを嗅いでみる。――大丈夫よね? そんな事は気にせずテルメは分厚い軍手をはめて荷降ろしを始めた。


「レオダムさーん、追加の魔素もお持ちしましたよ!」

「悪いなぁお嬢! 研究で忙しいのに」


 レオダムが顔を上げて声をかけると、テルメさんは小さく首を振った。


「いえいえ。――というか、魔導エンジンが大爆発してないか見てこいってギルド長が」

「フリードめ、減らず口を!」


とレオダムが苦笑した。冬空を渡る風がひんやりと肌を撫でる。



 鋤込車の後ろから作業着姿のマルシアがこちらへ歩いてくるのが見えた。 整備用の皮手袋をはずしながら髪の毛をかき上げる。その姿を見て私の隣にいたテルメがふと荷卸しの手を止めた。


「――あれ、マル先輩?」


 彼女は少し驚いたような笑顔を浮かべて言った。「ですよね? エラールのギルドを辞めたとは風の噂で聞いてたんですけど!」


 マルシアは静かに微笑んだ。二人は自然と近づき軽く握手を交わす。


「故郷に帰ってからのあなたたち兄妹の活躍はエラールにも聞こえてたわよ」

「あはは、ありがとうございます。まさかマル先輩が鋤込車を整備してるとは!」

「相変わらず作業着が似合うというか――あなたもその恰好見てたら学院の頃から変わらないんですね!」

「ふふ、誉め言葉として受け取っておきますね!」


 ロゼットが荷台の傍から顔を出して、興味津々に言った。


「えっ、二人って先輩後輩なんですか?」


 テルメは苦笑いして眼鏡を押し上げた。


「エラールの錬金術学院のときも就職先でもお世話になったんです。実験でも論文でもずっとマル先輩の大きな背中を追いかけてましたから」

「大きな背中、ねえ」


 マルシアがからかうように笑った。


「大きな背中といえば、スクラス教授の背中に雑草の『くっつき虫』を投げつけたあれ、覚えてる?」

「覚えてますよ! 一週間もくっつき虫ついてましたよね!」


 二人の間には、どれぐらい経っても消えない時間が今も流れていた。私はそのやりとりを見ながら少しだけ微笑んだ。──今、この農場に頼もしい人たちが集まっている。



 そんな和やかな空気のなか、レオダムが鋤込車の横で声を上げた。


「魔導エンジン鋤込車の試運転二度目いけるぞー。クラーレ嬢、見るか?」

「はい、お願いします!」


 私たちは鋤込車へと走る。ドリーが回路を再調整し、ホビリオが鋤の深さを再確認し、そしてレオダムが運転席に乗り込んで魔素計を眺めていた。運転席には様々なレバーとハンドルがあり、右手で鋤の深さや角度、速度ギアを扱い、左手でハンドル操作するようだ。


「じゃあ、おほん――鋤込車、行きまーす!」


 レオダムが嬉しそうに叫ぶと彼は右足でペダルを踏みこんだ。鋤込車の魔導エンジンがぶおん、と気持ちよく唸る。そして排気口からきらきらと焼けた魔素が吐き出されていた。少しずつ前へ──車輪がしっかりと大地を掴み、鋤が黒土をざくりと返していく。


「動いた! いけてますよ、クラーレ様!」とロゼットが叫んだ。


「ほんと、動いてる――!」


 私はその場に立ち尽くしたまま頷くことしかできなかった。先ほどまでの鈍足さや心もとなさはなく、力強く早く地面を切り裂いていた。


 *


 そして夕方。

 畑を何往復分か鋤込車で起こして今日は終了した。


「燃費や速度、耕耘能力などまだまだ課題はあるけど、今日の試運転は大成功だな!」


と、レオダムが総括すると誰かが大声で言った。


「それならみんなで一杯飲みに行こうぜ」と。すると他からも「せっかくなら新しい仲間を祝して乾杯だ」と声が上がる。


「じゃあみんなで行きましょうよ」


 私がそう言うとじゃあとっとと片づけて行こうやと、道具や鋤込車を片づける事になった。ちょうどその時だった。馬のひづめの音が軽やかに畦道を鳴らして近づいてくる。


「おーい、もう終わったかー?」


 現れたのは城壁修理から戻ってきたアニリィだった。風で淡い金髪がなびき、肩からは分厚い革の報告用バッグが垂れている。その彼女が土と汗にまみれた私たちを見て眉をひそめた。


「なんか楽しそうな空気じゃーん。何、試運転、爆発オチ?」


「ンなわけないですよ! 第一段階クリアです! ですからみんなで一杯飲みに行こうって話をしてたんですよー、アニリィ殿もいきますかー?」


とロゼットが言うと、アニリィさんはにっと笑いかけてきた。


「行く行く。――けど、その前にひとつだけ言っていい?」


 アニリィさんは私たちの間に歩いてくると、ぴたりと立ち止まって、両手を腰に当てた。


「──みんな、お風呂入ってきな。くっさ!!」


 その場に風が吹いた。


「うわ。自分で言うのもなんだけど確かにくっさ!」 「グアノっすよね」


 ロゼットが鼻を押さえ、マルシアさんは笑いながら肩をすくめた。私も腕をそっと嗅いで絶句した。ああこれは確かにヤバい。プリスカ風に言うなら乙女の危機。


「飲み屋から出入り禁止になる前に風呂行こ? ね?」


とアニリィは少し顔を曇らせながら言った。こういうのって言われないと本当に気付かないのよね。


 なお畑の耕運はノーム爺がほぼ一人で終わらせていた。


 *


 そして領主館の隅にあるノーム爺の小屋の横に牛小屋が増設されることになったという。――この日からボルジアはノーム爺から離れるのを嫌がるようになったのだ。やはりあの時、ノーム爺はボルジアの心を揺さぶる愛を囁いてたんだろう、という事にした。間違いない。なんだこれは――。たまげたなあ。

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