65話 武辺者、王宮に忠誠を誓う詩を送る
聖夜祭も終わり、本格的な冬があちこちに漂う朝。
キュリクス領主館の文官執務室には薪ストーブのやさしい熱が立ちのぼっていた。しかしそのストーブの前にはプリスカが時折スカートをパタパタと動かしながらずっと立っていた。出勤時に滑って尻もちをついたと言ってた彼女は、きっとぱんつを乾かしているのだろう。しかもお尻と腰がぽかぽか温まっているせいかプリスカの表情が随分と緩んでいた。本当に猫みたいな子である。
トマファの執務机の上には、先ほどプリスカが持ってきた封書類の山。彼はそれらを一通一通確認しながら丁寧に開封していた。その中にはエラールに残る執事ジェルスから届いた分厚い封書があり、封蝋を割り便箋を開いた彼の眉間に深いしわが寄った。
「――減税に次ぐ減税。財政の裏付けも予算配分の考えなしに、思いつきだけで決められた法案ばかりですね」
ジェルスから届いたのは王宮から飛び出した減税案の数々だった。年貢に商業税、エラールの出入場税に酒税。実行すればエラールの民草の歓心は大いに買えるだろう。ただ、大店商家には矢銭を求めたり、地方の関所通行税は上げたりと一貫性が無い。まぁきっと奴の事だから大店商家への矢銭を最初に求めたのだろうなとはトマファは推察した。
しかしトマファのその声に隣で文書を覗き込んでいたクラーレが首をかしげる。
「減税って、やっぱり嬉しいことじゃないんですか? 私だったら手取りが増えますからすごく嬉しいですよ?」
「短期的にはね」
トマファはため息まじりに首を振るとジェルスからの便箋を渡す。「――ですがこれだと数年後には税収不足で破綻します。というより目減りした歳入で予算編成を組むのでしょうが、まずどこの予算を削るかで揉めますよ。貴族や官僚は必ずどこかの利権が絡んでますから、その利権との『甘い生活』を維持するためにも予算は引っ張ってこなければなりません」
「利権って賄賂の温床とか不正補助金の原因とかになってるんでしょ!? それなら潰してしまったほうが良くないですか?」
「利権ってその業界と政治的やりとりをするには手っ取り早い機構でもあるんです。例えばギルドなんていい例ですよ。王宮や領主が末端の職人さんたち全員に声を掛けるなんてほぼ不可能です。ですがギルドを介すれば早く確実に連絡が行きますよね。そして職人たちの仕事だって『ギルドの基準内』でやれば追放されることもない、互助会としての機能もある――そのために支配層とギルドと職人は密接な関係でなければなりません。これもひとつの利権団体ですよね」
「ふぅん」と言いながらクラーレはお茶を啜る。しかし扱ったせいか顔をしかめた。
「そして絶対的に予算が足りてませんから削る、借金募る、増税する。とまぁ持続的な運用ができなくなります。意味ない還元で民衆を喜ばせて終わりなんて、それは善政ではなくただの無道です」
クラーレが「なんかこの前、トマファ君が安易な減税はダメだって言ってたのがようやく判ってきたかもしれません」と言って唸る。
「政策というのは、どれだけ投資してどれだけ持続的な利益が得られるかを考えて立てるものです。特に減税政策を乱発すれば公共財への投資――教育、交通、治安、衛生のいわゆるインフラ維持の予算を削らざるを得なくなると思います。本来なら国家が責任を持って運用すべき対象なんです。では予算削ったから民間が代わりに手を入れるって言っても限度があるでしょう? しかし即効性はないし、効果が現れるまで時間がかかりすぎる案件ばかり。投資した分を回収なんて不可能なものばかりです。ですから減税のような即効性ある“人気取り”に比べて、公共財の投資は民衆には見えにくく、理解も得にくい。だからこそ政権には誠実さと覚悟、そして説明責任が求められるのに――王宮の政治にはそれがまるで見えませんね」
トマファはそう言うとマグカップに入ったお茶を飲む。随分と冷めてきたのかするりと喉を駆け抜けていった。
「ねぇねぇトマファ君。――ひとこと言っていい?」
「どうしました、プリスカ嬢」
「何言ってるか全くわかりません!」
そんなやりとりの最中にオリゴが血相を変えて書類の束を持って走ってきた。あまりの珍しい光景に文官執務室に緊張感が走る。
「王宮より、緊急命令です」
その一枚の紙に目を通したトマファは、一瞬絶句し──ふっと笑った。
「――忠誠の詩を献上せよ?」
クラーレが身を乗りしてきた。プリスカもいい加減乾いたのかトマファが見ている便箋を覗き込む。オリゴは「サボってないで仕事しなさい」と小言を言われていたが。
「詩って、あの詩ですか? えっと、王宮賛歌みたいなやつ……」
「らしいね。しかもなるべく『文学的で格式あるものを』だそうだ」
まさになんだこれって命令文であった。こちらから送付した書類には反応がなく、王宮が勝手に結んだ多国間との条約要綱も新聞で知るようになって久しいのに、たまに届いた書状が忠誠詩の献上である。政務の混乱というより頭がおかしいと比喩しても問題ないだろう。場の空気が凍りかけたところで執務室の扉が軽く開く。
「よっすよっす! 夕べ提出だった城壁修理の中間報告書持ってきたよー。って、なんか事件?」
軽やかに扉を開けて入ってきたのは、アニリィだった。手に書類を抱えたまま周囲の妙な空気に気づいてきょとんとする。そんな彼女にトマファが無表情で書類を掲げた。
「忠誠を誓う詩を王宮に送れ、だそうです」
「――はぁ?」
アニリィの間抜けな声が室内に響いた。
「なにこの『1+1は200だ! 10倍だぞ10倍』みたいな無理難題」
「アニリィ殿、テンコジの定理のほうが判りやすいかもしれません――夕方に緊急評定ですね」
そう宣言したトマファであったが、何故か嬉しそうな表情を浮かべていた。
*
その日の夜。
領主館の会議室にはヴァルトア・ヴィンターガルテンを始め、トマファ、クラーレ、レオナ、アニリィ、オリゴ、そしてなぜかプリスカまでが揃い、緊急評定が開かれるのであった――。ストーブの薪が赤々と燃え、ランプの灯りが揺れていた。だがそのぬくもりとは裏腹に、集まった面々の表情はみな冴えない。これほどまでの『難問』をどう処理すべきか、皆が頭を抱えていたのだ。
王宮からの命令書──その妙に回りくどく気取った文面をトマファが淡々と読み上げていく。
「王宮に忠誠を誓う詩をなるべく文学的かつ格式高く編纂し早急に提出せよ――だそうです」
命令書の文面を読み上げ終えると同時に部屋の空気は重くなった。アニリィが盛大なあくびを噛み殺しながら、椅子の背にもたれてぼやく。
「忠誠もへったくれもないのに――詩? なんで詩?」
書類の束を抱えたクラーレが眉をひそめつつ、まじめな声を返す。
「でも王宮の命令を無視するわけにはいきませんよね。一応、官僚の署名付き文書で届いてますし」
「きっと『服従の証』を求めているだけでしょう。無血クーデターと言っても差し支えの無い政権交代でしたから」
とオリゴが静かに言う。会議室ではストーブの薪がぱちぱち爆ぜる、その音だけがしばらく響いていた。そしてヴァルトアが大きく腕を組み直し困ったように呻いた。
「詩など書くなんて高尚な趣味、持っとらんからなぁ! どこか適当な吟遊詩人に詩作を頼むか?」
「――」
誰もが妙な命令に対する戸惑いを隠せず、寒さよりも冷たい沈黙が場を支配していく。そのとき場の空気をぶち壊すようにプリスカが元気よく口を開いた。
「じゃあさ、『うっせぇ間抜けバーカバーカ』って詩にすれば?」
一瞬で皆空気を飲んだ。
「もう少し言葉を選びなさい、クソ野郎とかに!」オリゴが咎めると、「おいおい不敬だぞ! せめてポンコツとかにしろよ」――とスルホンがぼやく。あまりにも退屈な会議のせいで皆息苦しかっただろう。プリスカの一言に会議室の空気は随分と緩んだ。
「どっちにしろ全部アウトですよ!」とクラーレが突っ込む。だがトマファが突然口を開いた。
「――プリスカ君のそれ、逆に良いですね」
一同がぎょっとして彼を見る。
「いや、ふざけているわけではありません。王宮は詩としか言っていない、ならば格式高く古典詩の形式に整えて、中身は――」
トマファはすっと筆を取り、即座に草案を書き始めた。全員が見守る中彼はさらさらと筆を走らせて、ものの数分で完成させる。
「――できました」
真の導き空より下りて
泥濘の道も照らしゆく
気高き冠をいただく者よ
大らかなる御心にて政を納め
麗しき世を築かれんことを
「――すごい」クラーレが目を見開いた、「普通に……良い詩じゃないですか?」
「まじで!」アニリィがぽかんとする。「トマファ殿、詩作もいけるんだ」
そして追い打ちをかけるようにレオナがさらなる一作を差し出す。
「じゃあトマファ君の詩に寄せて私も作ってみました」
万雷の拍手に包まれ
神世に轟くその名声
やがて時満ちて
朗々たる報が民にも広がり
失われし時間は、今ふたたび蘇る。
「なるほど、五行詩って形式ってやつか。それにしても、あの王宮をほめ過ぎなんじゃ」
とスルホンが苦言を呈するが、かといって彼が詩作が出来るわけではない。顎鬚をさすりながらトマファとレオナが走り書いた詩を眺めてヴァルトアに渡す。それを受け取ったヴァルトアが満足げに目を細めた。
「うむ、これで良かろう。我らの忠誠はこの詩に示す」
「では、クラーレ殿に詩の清書をしていただいて、明朝の速達便でエラールへ送ります」
オリゴだけが、湯気の立つ紅茶を静かに啜っていた。
*
数日後のエラール王宮。
冷たい冬の光が射し込む大理石の廊下を、早馬便が駆け抜けてきた。伝令の少年が凍えた手で差し出した封筒にはキュリクスの印章がくっきりと押されている。それを受け取ったのは、レピソフォン王子の側近――カルビン・デュロックだった。
「おや? あの王子の世迷い事を真に受ける殊勝な領主もいるんですね。――ふふ、さすがに辺境といえど、律儀だ」
彼は封を切らずにすぐさまレピソフォンの執務室へと向かった。そこには、ブランチを口に運ぶレピソフォンの姿があった。銀の皿に盛られた砂糖漬けの苺を摘みつつレピソフォンが口元をほころばせている。
「ようやく届いたか! さあ、読んでくれ給え! どんなに美しい詩か楽しみだ」
カルビンは朗々と『万雷の――』と読み上げた。レピソフォンはそれを聞いてうっとりと目を細める。
「ほぉぉ――詩って、いいものだねぇ」
しかし隣に控えていたもう一人の側近、ブランデル・コールは眉をしかめて首をかしげる。
「なんというか。微妙に、こう――」
「どうかしたか、ブランデル?」
「いえ、その、気のせいかもしれませんが、妙に間延びしてるような」
その時、扉の陰にいた侍女のひとりがそっと呟いた。
「“ばかやろう”――?」
誰も返事をしなかった。
レピソフォンはご機嫌で次の苺を口に運び、紅茶をひとくち啜る。
「ふふっ、民の忠誠って、やっぱり嬉しいものだねぇ」
カルビンもブランデルも何も言わず静かに目を逸らした。
*
夕鐘が響き、領主館は閉館時間となった。
日勤だったメイドや衛兵隊たちは交代点呼を済ませると静かに退勤してゆく。クラーレは農業研究のため、レオナは鍛冶見習いのためトマファは昼から一人で文官執務室で作業をしていた。しかし館内が夜勤者に変わったとたんに静かになる。トマファのいる部屋はペンを走らせる音だけが響いていた。
窓の外では雪がさらさらと降り続いている。薪ストーブの火は小さくなり、ランプも心もとない灯火をちらつかせていたので書類を読むトマファの影が壁に揺れていた。その静寂を破るようにノックしてレオナがひょいと顔を覗かせた。
「あら、まだ仕事しましたか?」
小さなワイン瓶を片手に彼女はゆっくりと中へ入ってくる。肩に積もった雪を払いつつ、空いていた椅子に腰を下ろした。僅かに酒気を感じるので、きっと作業後に親方衆と一杯ひっかけてきたのだろう。
「今日はやけに早いんですね、レオナ殿」
トマファは手元の書き物を止め少し首を傾げて言う。決して酒好きって訳ではないがレオナは鍛冶見習いを終えると親方衆たちと酔虎亭に流れ、しばらく飲んでることが多い。しかし方向音痴な彼女は酔いどれればさらに磨きがかかるらしいので、安全のために夜鐘が鳴って城門が閉まる頃になっても戻っていなければ衛兵隊が迎えに行くということになった。――きっとレオナの人当たりの良さだろう、迎えに行く業務について文句を言う人はいないらしい。
「明かりがついてたから、温まりに来ただけ」
そう言ってレオナはワインの栓を抜き一口だけ口に含む。赤く染まった頬が、ランプの光に照らされてやわらかに揺れた。それをトマファに差し出すが、まだ仕事があるんでと彼は固辞した。
「でもさ――あの一瞬で『まぬけ王』ってアクロスティック詩を考えるなんてトマファ殿ってけっこう腹黒よねぇ」
その言葉にトマファは眉を一瞬動かすも、すぐに小さな笑みを浮かべた。
「レオナ殿も同じでしょ? 『ばかやろう』はなかなかの傑作でしたよ」
ストーブの火がぱちんと弾けた音に混じって、二人の間にしばし沈黙が流れた。
王宮で詩の縦読みに気付いたのは何人いただろうか? 少なくともレピソフォンは賛美されたと一人喜んでいるようだった。
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