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60話 武辺者のメイド、駆ける・2

 翌朝。

 メイド詰所の空気は私たちのせいで重かった。


 私とプリスカは並んで点呼を受けていたが、互いに一言も口をきかない。ちらりと視線が交わるたび、どちらもすぐにそっぽを向くといったまさに『ツーン』状態。不機嫌オーラ全開の私たちのせいで周囲のメイドたちも明らかに気まずそうだった。交代のあいさつもどこかぎこちなく、詰所の空気は冷たく重い霧のようだった。


 点呼が終わったあと。

 さてとっとと家に帰ろうかと思っていた時に、私とプリスカをマイリスさんが呼び止めた。マイリスさんが座りなさいと言って詰所のソファを勧めると、私たちにお茶を置きながら遠慮がちに口を開いた。


「――喧嘩するほど仲がいいって言うけど、あなたたちの作り出す空気だけで胃が痛くなるのよ」


 その言葉にも私とプリスカは互いに反応せず無言を貫いた。そんな時に詰所の扉が静かに開くとオリゴ様が姿を見せたのだった。ぎろりと私たちを睨みつけると一つ溜息をついた。


「まったく。ガキの喧嘩で館内の空気を悪くしないでください」


 ピシャリと放たれたその一言に私もプリスカも身を固くした。


「あなた達はヴィンターガルテン家のメイド。仕事があれば命令に従って正しく動くだけです」


 そう言うと彼女は一枚の配達書を取り出すと私たちに差し出した。


「あなたたちはもう仕事上がりよね。それなら帰り道すがら二人で南門の衛兵隊にこの書簡を届けて欲しいわ――間違いなく二人でね」


 私は思わずプリスカの方を見た。プリスカも一瞬だけ視線をこちらに向けたが、やはりそっぽを向いた。──こいつと一緒か。だけど今度は失敗できない。私たちは無言のまま一礼し任務に出発した。


 *


 朝もやが残る裏通りを二人で歩いていた。

 私は何度か話しかけたいと思っていたが、すました顔を浮かべるプリスカを見てしばらくは関係改善は無理かなと思っていた時だった。


「ねぇロゼット。あれ見て、あそこ――なんか変じゃね?」


 プリスカが遠くを見つめて立ち止まった。少し目の悪い私にはよく見えないが、まさかプリスカの方から話しかけられるとは思ってなかったので胸がちくりと痛んだ。駆けるプリスカと共に私も付いていったのだけど、この時点では何が変なのかは判らないので彼女を止めようがなかった。しかしプリスカが指差したその先、人気のない路地裏で一人の若い女性が男に腕を掴まれていたのがようやく見えたのだ。彼女の隣には、倒れ込んだ若い男性がいる――恋人か兄妹の片割れか。


「離してよ、いやっ!」

「黙ってついてこい!」


 女性の悲鳴が響く、私の心臓がドクンと跳ねた。男の手には鈍く光るナイフが見える。


「ちょっと、プリスカ!」


 だがプリスカは早かった。すでにガーターから細身のナイフを抜いていたのだ。


「アンタは下がってて。なんなら増援呼んできて!」

「勝手に動いちゃダメ! また同じこと繰り返す気なの!?」


 左手で私を追い払う仕草をするプリスカを見て私は思わず声を張り上げていた。けれど次の瞬間、ナイフを抜いたプリスカの姿を捉えたのか男は目を見開くと、プリスカに向かけてナイフを突きつけながら何かを叫ぶ。


(やばっ)


 衛兵を呼ぶか、女を助けるか、プリスカに加勢するか! 混乱する思考回路が私の体を強張らせた。


「武装解除しなさい!」


 プリスカは女を盾にナイフを持つ男の前に躍り出る。


「黙れメイド、お前には関係ないだろ!」


「武装解除しなさい!」


 プリスカも怖いのだろう、ナイフの刃先がわずかに震えていた。訓練隊時代のプリスカの近接格闘術の成績は下から数えたほうが早かった、むしろ私の方が上位だった。それでもじりじりと間合いを詰めようとするプリスカに、女を盾に後ずさる男。私もガーターからナイフを抜こうと思っていた――その時だった。


「あれ、ロゼットじゃん」


 ふと声をかけられて振り向くと斥候隊のジュリアとパウラのペアが立っていた。訓練服姿だが休日腕章を巻いていたところを見ると、休みを利用しての訓練中だったらしい。


「そこにいるのプリスカ? ――なによ、あんたたち戦闘状態じゃない!」


 そう言うとジュリアもパウラも武器を抜いていた。ジュリアは探索棒、パウラは短剣。それを見て私もガーターからスティレットを抜いた。

 そしてパウラはプリスカの横に立ってナイフを持つ男と相対しながら、後ろのジュリアに手信号を送っていた。私にはパウラが左手をパタパタ動かしているだけにしか見えなかったが、お互いそれで意思疎通ができるらしい。


「ねぇあんた! ナイフ、折れてない?」


 パウラの突然の大声に皆の視線が男の持つナイフに向けられた。男も右手に持つナイフに一瞬視線を送った瞬間だった。――ジュリアが素早く動く。持っていた探索棒で男の顔面をまっすぐ打ち抜いたのだ。


 眉間を突然の打たれてナイフを落とし、ふらつく男。「確保ぉー!」と誰かの叫び声が上がる中、私はとっさに駆け、男が落としたナイフを蹴り飛ばす。プリスカが走って女性を抱きとめ、パウラが短剣片手に男を引き倒して関節を固めていた。すべてはほんの十数秒の出来事だった。


 観念したのか取り押さえられた男は呻き声をあげ、私たちはしばらくその場で呼吸を整えるしか出来なかった。そこへ警吏と衛兵隊が駆けつけてきた。この一件は無事に解決した。


 *


 その日の昼過ぎ。

 警吏と衛兵隊からの事情聴取を終えた私とプリスカは、疲労困憊の身体を引きずって領主館三階のメイド長執務室へ出頭した。そこには朝よりも険しい顔のオリゴ様。そしていつも通りほんわかとした表情を浮かべているマイリスさんが待っていた。そこへ座りなさい、顎で指し示されて奥のソファを案内されてたので私とプリスカが腰を下ろす。


「まず最初に――あんたらは一体どれだけ問題起こせば気が済むの!」


 怒声が部屋に響いた。

 私は思わず背筋を伸ばし、隣のプリスカが小さく肩をすくめた。横でマイリスさんが『まぁまぁ』と優しく間を取り持とうとするが、オリゴ様の怒りは収まらない。


「粗暴犯の担当部署がちゃんとあるのに、私たちが出しゃばって被害女性が怪我したらどうするつもりだったの」


 オリゴ様の声は低く静かに、けれど明らかに怒気を孕んでいた。私は何も言えなかった、プリスカも押し黙っている。


「幸い、トレーニング中のジュリアとパウラの斥候隊が通りかかったからよかったものを――あの二人にはメリーナ姉さんを通じてお礼を言っておくから、あなた達も顔を見たらお礼ぐらい言っておきなさい。特にジュリアとあなたたちは同期、でしょ」


 私は横目でプリスカを見た。彼女もこちらを見ていた。


「ところでプリスカ。調書を見たけど、なんであなた動いたの?」

「私は――失敗を取り返そうと思ってた。ロゼットにいっぱい迷惑かけたから、引けなかった」


 プリスカは小さな肩をさらに小さくさせてから思いを吐き出していた。まさかプリスカからそんな言葉が出るなんて思っていなかった。けれどその声音は嘘じゃなかった。少しだけプリスカの気持ちが胸にしみた。


「前にアニリィから『戦力を見誤るな』と言われたでしょ。あと蛮勇は美徳や美談にはなりません、非常時は腰から下げてる非常信号を鳴らしなさい。――次、命令違反したら即刻で謹慎処分です。覚えておきなさい」


 もう下がりなさいとオリゴ様が仰ったので、私たちは立ち上がって深く頭を下げた。オリゴ様がふっと息を吐きだした途端、執務室の空気が緩んだ気がした。


「――二人が怪我なく帰ってきてくれたのは良かった」


 その一言には、怒りだけでなく心配していたオリゴの本音が溢れていた。私とプリスカは思わず顔を見合わせると、再び深々と頭を下げた。ほんの少しだけ――本当に少しだけだけど、プリスカとの距離が縮まった気がした。


 執務室を出た廊下で、マイリスさんがふっと笑って小さな包みを差し出してきた。


「甘いものは仲直りの特効薬よ、二人で食べなさい」


 包みにはマイリスさん手作りのハニークッキーがぎっしり詰まっていた。受け取った瞬間から香ばしい香りがふわりと広がる。それを手に二人で屋根に駆け登り、屋根瓦に腰を下ろしてクッキーを頬張った。あたたかな昼の陽射しが少しだけまぶしかった。


 プリスカがもそもそと口を開く。


「――いつかあんた偉くなったらさ、私の尻拭いよろしくね」

「は? もうしてるでしょ」

「うっせぇバーカ!」 「おめぇもバーカ!」


 くだらない言い合いがなんだかちょっと心地よく、屋根の上に吹く風がほんの少しだけ優しく感じられた。


 *


 その日の夕刻、斥候隊の詰所ではジュリアとパウラの二人が正座していた。


「休暇中に訓練をしてた、そういう心がけはすごいとボクは褒めてあげる!」 


 日も陰ってけっこう冷えてきてるはずなのに訓練上衣を肩にかけ、その下はスポーツブラ一枚だけと随分と薄着な隊長メリーナは、靴ベラで自分の肩をぽんぽんと叩きながら二人の前を歩く。


「そして街で出くわした新人メイドたちの交戦に加勢して、被疑者確保っと――。ふふ、そこの部分はまぁ、自分で自分を褒めてあげなさい」


 隊長メリーナの声は笑っているのにどこか凄みを溢れさせていた。――そうだ、彼女は相当に腹を立てているのだ。


「でもねぇ、失敗したらどうする気ぃ? ロゼットちゃんたちが大怪我しちゃったら誰が責任とるの? んー?」


 メリーナは二人に指を突きつける。


「それよりもあなたたちもケガをしたらどうする気ぃだったの? んんー? ――ちょこーッとだけ根性に沁みる『指導』が必要よね?」


 その笑顔の裏にあったメリーナなりの“心配”に、ジュリアとパウラは冷や汗を垂らすしかなかったのだった。

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