59話 武辺者のメイド、駆ける・1
領主館三階。
私――ロゼットとプリスカがメイド長執務室に呼び出された。
部屋に入ると相変わらずきりっとした表情を浮かべるオリゴ様と、にこやかな表情で緊張感を感じないプリスカが既に待っていた。
「あなた達二人に重要な業務を依頼したい」
そう言うとオリゴ様は革張りの椅子から立ち上がると、執務机の上に置かれた箱と封書を持ち上げて私たちに突き出した。
「これを錬金術ギルドと創薬ギルドに届けて欲しいの。中身は大切なものだからどちらも確実に届けてちょうだい。――二人一組で頼むわよ」
私とプリスカは一礼すると、手渡された箱と封書を持って執務室を出た。出るときも「くれぐれも頼むわね」と一礼して言ってたのが印象的だった。そして私とプリスカは隣のメイド詰所に移る。
(はぁ、今日はプリスカと組むのか)
酔虎亭の娘、プリスカと私は幼なじみ。領主館で働く者たちがよく通うその酔虎亭の近くにある宿屋――安眠館が私の実家だ。母親同士が同年代で仲が良かったから私とプリスカも物心つく前から顔を突き合わせてきた。
顔を合わせれば毎度なんだかんだで騒ぎになる。昔はもう少しおとなしくて私の後ろをついて回ってたくせに、いつの間にかお転婆で口うるさい子になったなぁって印象。──そういえば昔は一緒にダンスを習っていたっけ。私は親に言われて、プリスカは本人の希望で。夢中で練習してたけど私は早々に諦めた。リズム感もバランスも全部プリスカのほうが上だったし、なにより彼女は踊ってる時だけは本当に華があったし美しかった。
でもエラールのオーディションを最後にプリスカはすっぱりと踊りをやめた。理由は聞いてない。たぶん聞いても、あの子は「飽きた」とか「一区切り」とか、そういうことを言うんだろうけどな。今も時々酔虎亭で斥候隊のパウラ伍長とパ・パ・ドゥをしてるって話だから、完全に辞めてない事を聞いて私は少しホッとしている。あれだけ頑張っていたからね。あれだけ光ってたのに、惜しいなって今でも思う。
しかし、プリスカからダンスを差し引いたら落ち着きのない子だ。それはあまり変わっていない。
メイド詰所に戻ったとたん、プリスカは持っていた箱をテーブルにほいっと投げる。
「ロゼットぉ〜。私、これ持っていくね! 分担してさっさと終わらせよーよ!」
プリスカが大声で叫びながら、すでに封筒を抱えると窓枠に足を掛け――なんとそのまま身を躍らせた。止める間が一切なかった。
「ちょっと、ここ三階って忘れてない? ――って、もう遅いわね」
窓枠には『ショートカット禁止』と書かれていたが先ほどのプリスカの足跡がきっちり付けられていた。オリゴ様がこれを見ればきっと雷が落ちるだろう。そして私にもきっと被害が出る。バレないうちにプリスカの足跡を雑巾でふき取っておいた。なんであいつの尻ぬぐいをやってるんだろう。
机の上に残された少し大振りの木箱。二人一組でって言われたのになぁ、やれやれとため息をつきながら、私はそっとそれを抱え上げた。
(重ッ! ――これ、薬品じゃない? だとしたら創薬ギルドか。叱られないうちに持っていこうっと)
後に分かる、大失敗の始まりだった。
*
「いつもお世話になります、領主館から参りましたロゼット・ラーデと申します」
「あぁ、ご丁寧にありがとさん」
メイド隊に入った際に叩き込まれた礼儀作法でドアをノックすると、創薬ギルドへ届け物をした。木箱を受け取った中年の男・ベーレンは私を一瞥すると受領書にサインをしながら訊いてきた。
「お嬢さん、ラクナルは使ってるかね?」
「あ、はい。――時々ですが」
女性に解熱鎮痛剤使ってるかって、なんかすげぇキモい質問なんですけど! ベーレンは気にせずサインし終えた受領書を差し出す。私はなるべく感情を顔に出さず静かに受領書を受け取った。
「あのラクナル、創薬ギルドの売上記録を更新したんだよ! そのせいかな、俺は今度エラールのギルド本部に呼ばれてるんだ!」
楽しそうに一人喋るベーレンだが、私にはすごくどうでもいい話だった。というより売上記録を自慢する前にもう少し判りやすい商品は売れないの? 『子ども用ラクナル』とか『生理用』とか書いておけよ。なんだよスーパーとかEXとかプレミアムDXとか! 判りづらいよ!
「まぁ、君もこういうラクナルが欲しいなら言ってくれ給え! 商品ラインナップに加えてやらんでもないぞ」
一人自分に酔いしれる中年男に何を言っても仕方がない。むしろ私は領主館メイドの制服を着ているのだ、下手な事を言えば領主館の総意と思われかねないので、「ありがとうございます」とカーテシーをすると戻ることにした。
私がメイド詰所に戻ると、プリスカは既におやつを食べていた。
「お、ロゼット遅かったじゃん。――これ食べ終わったらとっととオリゴ様のところへ報告に行こう」
プリスカはそう言うとフォークに残りのミルフィーユを突き立てると口に放り込んだ。もぐもぐと何度か咀嚼して飲み込むと、やおら立ち上がる。そして二人で隣のオリゴの執務室へ向かった。
オリゴ様は相変わらず無表情で書類を書いていた。私たちは机越しに受領書を差し出し、業務完了ですと伝えると、オリゴは一瞥して言った。
「異常はなかったかしら?」
「はい、どちらも無事に引き渡せました」
ロゼットもプリスカも本当に問題なかった信じて疑わなかった。
*
雪風が吹きすさぶ夜、領主館にテルメが駆け込んできた。
「ちょうどよかった! 兄さんにもこの話を聞きたかったんだけど、これ、錬金術ギルドに届いてたよ」
テルメが手にしていたのは、創薬ギルドの“スグネル臨床資料”。――つまり、届け先を間違えていたのだ。一瞬で空気が凍りついた。応対していたオリゴとトマファが目を見開く。
「てかこの生薬、扱い間違えたら死人出るわよ! ルバスリムのときですら嘔吐や下痢で済んだけど、スグネルが『すぐ逝く』になるわよ」
テルメは誤配自体に怒っているのではなかった。その書類の中身が大問題だと駆け込んできたのだ。
「――本当に申し訳ありませんでした」
オリゴは深く頭を下げるしかなかった。
*
アルディとテルメが引き上げた直後の夜。
私とプリスカは、オリゴ様の執務室に呼び出された。本来ならオリゴ様の仕事は既に終わってる時間。しかし彼女はこんな夜遅くまで残っていたのだ。そしてこのときのオリゴ様の目は、いつにも増して鋭かった。そして執務室の空気が冷たく張り詰めていた。
「おふたりに確認します。一昨日の配達――本当に“二人で”行いましたか?」
いつもの静かな口調なのに、まるで氷柱が背中をなぞるような感覚だった。
「それぞれの届け先、送り状の確認はしたの?」
「なぜ指示を無視して単独行動に移ったの?」
オリゴ様が紡ぎ出す言葉の一つ一つがナイフのように突き刺さる。私はだんだん悔しさが込み上げていた。
(なんでよ。私は巻き込まれただけじゃない!)
横を見ると、当のプリスカは、首を傾げていた。
「えっ? だって封筒持って、錬金術ギルドに行くだけだったよね? ――なにが問題だったんだろ」
『なにが問題だったんだろ』――その考えが一番問題だった。
(この子、ほんっとに自分のやらかしに気づいてない)
私は歯を食いしばった。それでもオリゴ様は声を荒げることはしなかった。ただ静かに口を開いた。
「今回の誤配がどれほどの重大事案だったか。そしてあなた達にこの重大さがどこまで伝わってくれるかは分かりません。ですが――こんなお粗末で間抜けなミスがヴィンターガルテン家にどれだけの傷をつける事をゆめゆめ忘れないで下さい」
オリゴ様は私たちをまっすぐに見た。その言葉がずしりと胸に響いた。
*
オリゴ様からしっかり叱られた直後、隣のメイド控室に入った瞬間だった。私の怒りは臨界点をとっくに超えていた。
「ねぇ、大体さ! プリスカが勝手に一人で動いたからこうなったんじゃないの!?」
いらだちをぶつけるように言った私に、プリスカも負けじと眉を吊り上げる。
「はぁ? ロゼットだってちゃんと送り状見てたら間違えなかったんじゃないの?」
胸の奥がカッと熱くなった。売り言葉に買い言葉。感情だけが先走って言葉が止まらない。
「何それ! あんたが勝手に三階から飛び降りて、届け先もろくに確認せず持ち出したんでしょっ!」
「だって錬金術ギルドって言われたし、いつも封書だし、ちゃんと届けたし、問題ないと思ったもん!」
「問題大ありじゃん!!」
言葉がぶつかるたびに怒りの火花が飛び散る。あともう一言でお互い本当に掴みかかってしまいそうな空気だった。そのとき。
「はい、ストップ」
ドアの隙間から穏やかな声が滑り込んできた、マイリスさんだった。手にはトレイとポット。おやつが乗っていた。
「オリゴ様がどうして『二人で取り組みなさい』っていうのも、きちんと意味があるの。あと、お互い熱くなって言い合ってても、これまずかったよねって既に気付いてるんじゃない? ――まずはこれでも食べて落ち着いて?」
プリスカにはチーズケーキ、私にはハニークッキーがそれぞれ手渡された。ふたりとも黙って別々の席に腰を下ろす。
(マイリスさんのクッキー、やっぱり美味しい)
さっきまで怒鳴っていたのに口に広がるはちみつ由来の優しい甘さで少しだけ心がほどけていく。
(ほんとは少しくらいきちんと話したい。謝ってほしい。でも――先に折れるのは癪)
視線だけそっと横に流すと、プリスカは黙ってケーキをつついていた。
(プリスカって昔から黙ってるときは落ち込んでるときだったなぁ)
そんな沈黙の中で、マイリスさんがぽつりとつぶやいた。
「ふたりともそうやって黙って食べてると――かわいいわよね」
「うるさいっ!」
「うっさいです!」
見事にハモった声。そしてバツが悪そうに同時におやつをひとかじり。その控室に流れる空気は、まだ仲直りにはほど遠い。でも――たしかに次につながる気配があった。
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