58話 武辺者、トンデモ薬に振り回される
聖夜祭を前にして寒波がキュリクスを襲った。
一昼夜降り続いた雪の被害は大した事無かったのだが、急激に冷えたせいで風邪をひく市民が続出した。街の医院だけでなく薬局前にも解熱鎮痛薬の『ラクナル』を求めて長蛇の列ができていた。
しかし薬局では『ラクナル・スーパー』とか『濃縮ラクナル』などといった商品が乱立しており、客たちはどれを買えばいいのかと混乱に陥っていたのだ。
「この商品の『スーパー』とか『EX』とか『スペシャル』とかの違いって何だ?」
「濃縮って薄めて飲むのか? それとも成分が濃縮されてるのか?」
「本物のラクナルはどこにあるんだ?」
「『スペシャルラクナル』は子どもに飲ませても大丈夫?」
客が混乱してどれを買えばいいかと悩めば買うまでに時間もかかる。並んでる客らはしびれを切らして喧嘩を始める始末。あまりの混乱に警吏だけでは手が足らず、結局は領主館から衛兵隊や斥候隊まで治安維持に駆り出されたのだ。特に混乱がひどかったのは東区の創薬ギルド直売店だった。ラクナルを出せと客が騒ぎ、アニリィとレオナが小隊を率いて混乱の収拾にあたっていた。
一方、その創薬ギルド内の研究室では寝巻きの上にしわしわの白衣を着たアルディがコーホネの試薬瓶をいじりながら混乱の広がりに頭を抱えていた。
「本当は風邪の初期症状を和らげるために作った薬だったのに」
そもそもラクナルは、アルディが幼い頃に祖母が作ってくれた『生薬入りの麦粥』が原点だった。冬になるたび風邪をひいては寝込んでいた妹テルメに、祖母が身体を暖めるためにと作ってくれていた。少し苦いのだが身体が温まる。
「ちょっと苦いけど、あの麦粥って効くのよね」
笑いながらそう言ってくれた母の言葉が今も耳の奥に残っている。
やがてエラールで薬理と精製法を学びながら――あの『生薬入りの麦粥』を科学的に再現できないかと挑戦した結果、生まれたのがラクナルだった。生薬コーホネの有効成分を丁寧に抽出し、少しでも優しく効くように配合を調整した。ただ効いて体が楽になる、そんな薬だった。
その後、生理痛に優しく効くと口コミで広まり人気薬となったラクナル。一時は品薄となり市場を混乱させたのだが、今では原料調達手段や製造過程の見直しをした結果、今では充分な原料の製造量が確保できていた。そして今回のように急な需要増にも対応できるはずだった。
しかしギルド長ベーレンが『ラクナルの商品バリエーションを増やすぞ』と言ってあれやこれやと種類を増やし過ぎた結果、市場は大混乱。アルディは自らが開発した薬が『商材』として暴走していく現状に胸を痛めていた。
アルディはラクナルの乱暴な商品展開には反対だった。せいぜい子ども用と大人向けを販売する程度で充分だと考えていた。しかしベーレンがギルド長権限で生薬成分を濃くした『ラクナル・スーパー』を売り出したところ、思いのほか売れてしまったのが誤算だった。それなら他の解熱鎮痛成分を添加した『ラクナルEX』、胃に優しい『ラクナル・ライト』、さらに成分を濃くした『濃縮ラクナル』など、商品バリエーションを生み出したベーレンが把握しているのかと思うほどのラインナップである。
創薬ギルドの会議室には市民からの苦情の手紙や販売に関する帳簿が山のように積まれており、重苦しい空気が漂っていた。その中でギルド長ベーレンは椅子にふんぞり返って手紙を弄びながら飄々とした様子でアルディに言い放った。
「売れてるんだ。それ以上の正義があるか?」
ラインナップのさらなる増強が製造ラインの混乱に拍車がかかり、市民からは『判りづらい・ノーマルの製造強化を』といった苦情が多く寄せられていた。そのためアルディはバリエーションを調整するとかをして欲しいと訴えたのだがベーレンは一笑に付すだけだった。
「選択肢が多いほど客は自己責任で好きなものを選べる。俺たちは自由を提供してるだけだ」
「薬にそんな戦略は要らんでしょう!」
声を荒げるアルディに対し、ベーレンは肩をすくめると一枚の紙を放り投げて答える。
「じゃあ説明書でも増やせばいい。――むしろ読まない客が悪い」
放り投げられた紙は苦情リストだった。彼にとって売れればいい、利益になればいいとしか思っていないようだ。そしてベーレンは立ち上がるとコートを羽織りながら告げた。
「俺は新都エラールの創薬ギルド本部へ『お呼ばれ』したんで、あとは任せたぞ」
先ほどまでベーレンが弄んでいた手紙はギルド本部からの招集状だった。過去一番の売上を記録したから昇進の話でも来たのだろうか。笑顔を浮かべたまま上機嫌で部屋を後にしていった。会議室に残されたのは責任を一身に背負わされたアルディと山積みの書類だけだった。
──そして客が殺到し、領主館の衛兵隊たちが出動した日の夜。一人残されたアルディは山積みのクレームを前に自問自答する。
「これはもう僕の処理能力を超えてる。ギルド長は当てにできないし。何とかしなきゃ!」
白衣を脱ぎ、資料を抱えて領主館へ向かった。
*
領主館の応接間。
ぱちぱちと暖炉の火が静かに揺れる中、閉館時間は過ぎていたがトマファとオリゴがアルディを迎えてくれた。今回のラクナル事件は領主館側も重く受け止めており、トマファ自身もアルディやベーレンに詳しい話を聞きたかったと言っていた。
応接間の空気は張り詰めており、アルディの差し出した書類をトマファはゆっくりと読んでいた。その横でオリゴは沈黙のまま背筋を伸ばし佇んでいる。外では雪風が吹きつけていたが、この部屋だけは薪の焼ける音に包まれていた。
「ラクナルの生薬原料の月産量から考えて商品ラインナップが40種類以上って、どう考えても異常です。人気商品を増産するなら不振商品を終売にしなければ原料が足りなくなる。成果を求めすぎて、資源の現実が見えていなかった――その典型ですね」
トマファはアルディから渡された書類――生産管理表――を読んで静かに語る。アルディも頭を掻きながら深くため息をついた。
「まず、需要予測も立てず、供給計画もずさん。そんな状態で見切り発車したベーレン師は、一体何を経営と考えているんですか?」
「何度も止めたんです。けれど、彼は“目先の売上”しか興味がなかった――」
「でしょうね。そして“戦略なき拡大”が招いた自壊――つまり“経営の失敗”です」
「経営、ですか」
「ええ、古い文献にこうあります。『成果を上げるとは、時間と資源を正しく配分することであり、最大の成果を得るには【やらないことを決める】ことが不可欠だ』と。つまり仕事の量ではなく、『意味ある結果』こそが価値なんです」
トマファはティーカップを持ち上げ、一口飲んでから続ける。
「今回のケースでは資源も人手も時間も限られていた。それなのに40種もの商品を展開すればすべてが中途半端になるのは必然です。『やるべきこと』と『やらないこと』の取捨選択――ベーレン師の責務でした。資源を管理し、強みを活かし、最も大きな成果が期待できる一点に集中するべきだったんです」
アルディは目を見開き、息を呑んだ。
「アルディさんの創薬ギルドにはラクナルという明確な強みがあった。それを軸に集中して磨き上げるべきだったんです。利益を拡散するのではなく成果を最大化する――それが『選択と集中』の本質です」
しばしの沈黙の後、アルディは深く頷いた。
「接客中にトマファ君ごめん。アルディさんの妹さんが来た」
扉をノックしたとたんにメイドのプリスカがひょこっと顔を出す。そんな無礼なプリスカを見てオリゴがムッと口を引き締める表情を見せた。プリスカは「あ、やっちゃった」とぺろっと舌を出すとテルメが応接間に入ってきた。
「こんばんわトマファ様。――あ、兄さん、来てたんだ」
「あぁ。今日の件は僕の手に余るからトマファ様の知恵を借りに来たんだ」
「ちょうどよかった! 兄さんにもこの話を聞きたかったんだけど、これ、錬金術ギルドに届いてたよ」
テルメは封筒から一片の紙をトマファに差し出した。それを受け取った瞬間、トマファの顔がゆがむ。その横でオリゴが申し訳なさそうな表情を浮かべて頭を下げる。
「テルメ様申し訳ありません。創薬ギルドに届けるべき書類をそちらに誤配してました」
「いやいやいいですよオリゴ様。それよりも兄さん、これはなによ?」
アルディが過去に咳止め薬として開発していた『セキーナ』という薬があった。しかし眠気を強く誘発する副作用があったために開発を中止していたのだが、ベーレンは『スグネル』として売り出そうと許可申請を出して来たのだ。領主館としては臨床結果や効能が曖昧として再提出と送り返したのだが、それが錬金術ギルドに届いてしまっていたようだ。
「てかこの生薬、扱い間違えたら死人出るわよ! ルバスリムのときですら嘔吐や下痢で済んだけど、スグネルが『すぐ逝く』になるわよ」
ルバスリムとは、夏過ぎにキュリクスで起きた薬害事件だ。『痩せるお香』として販売した筈が、お香を飲む人が続出して街のあちこちで嘔吐や発熱を訴える人が出たのである。もちろんこれもベーレンが仕掛けた失敗事例でもある。
「トマファさん! これ以上もたもたしていたら死人が出ます。お願いですから販売停止命令を出してください!」
テルメがドンとテーブルに手を付いて頭を下げた。それを見てアルディも頭を下げる。
「判りました。今すぐヴァルトア卿を叩き起こして諮問します。オリゴさん、夜分遅くなのですがクラーレさんとレオナさんを呼び出して頂けますか?」
「承知しました。二人は在室中だったはずですから呼べば来るはずです」
「あと、衛生看護隊の出動をお願いしたいので、スルホン殿もお願いします。――彼は『飲まない人』ですからすぐに来れるかと思います」
「アニリィとウタリ殿はきっと飲みに行ってます」
「アルディさん。ラクナルの販売ですが、今のところ大人だけに限定してください。年寄りと子どもには市場に衛生看護隊を出動させて診療しますと伝えて頂ければ」
「は、はい!」
かくしてキュリクスの風邪騒動は本格的に領主館が介入する事態となった。重症患者や年寄、子どもには医官が治療にあたり、軽症者には領主館が保有する解熱鎮痛剤を数日分だけ処方する事にした。そして数日経てば沈静化していった。本当に一時の事だった。
そしてさらに数日後。
あれだけ行列が並び、怒号が飛び交う薬局にはいつもの静けさが戻っていた。そしてごちゃごちゃだった商品棚には今やたった二種類のラクナルが並ぶのみ。ひとつは通常版ラクナル、もうひとつは小児・高齢者用だ。どちらも無駄な装飾のない白ラベルに、成分名と用法用量がきちんと記されていた。
夕暮れ。
文官執務室ではトマファとオリゴが静かに書類を整理していた。暖炉の火がぱちぱちと音を立てている。窓の外を眺めると人々が穏やかに歩いていた。
「そういえば創薬ギルド長のベーレン師、今回の混乱に関してギルド本部の査問委員会に招集されて、現在事情聴取中みたいですね」
彼は伸びをするとひとつ息をついた。オリゴがマグカップをトマファに差し出すとこういった。
「あの『お呼ばれ』は、逃げではなく──裁きへの招待状だったみたいで。まったく、痩せるお香の『ルバスリム騒動』とかから何も学んでいなかったんですね」
後にエラールのギルド本部から領主館に『ギルド長交代のお知らせ』が届いたと言う。
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作者註
・参考文献
マネジメント(エッセンシャル版)P.F.ドラッカー




