56話 武辺者の元に来た少女、現実を見る。
そろそろ冬の聖夜祭が近づいている。
この大陸では主神である太陽の力がもっとも弱まるのが冬至の頃。「闇に負けぬよう、灯を絶やすなかれ」という教えの名残で人々は夜通し歌い、踊り、食べて騒いで過ごす。家族と、友達と、恋人と。私もキュリクスに来てはじめての聖夜祭を楽しみにしている――。
聖夜祭が近い安息日の朝。
剣の稽古の約束をしたのに、アニリィ様は朝になっても部屋から出てこない。仕方なく私――ルチェッタ・アンガルウは、稽古着のままアニリィ様の部屋まで向かった。
キュリクス領主館の隣に建つ宿舎は木造の二階建て。女性用の部屋は二階にまとめられており、アニリィ様、クラーレ殿、レオナ殿、そして私がそれぞれの個室で暮らしている。ちなみに男性は二階へ上がることを厳しく禁じられている。もっとも一階に暮らすトマファ様は車椅子生活なので単独で上がってくることはないし、わざわざ男を部屋に招くような者もいない。そう、つまり二階は完全なる『女の園』だ。
「アニリィ様? 稽古の時間ですよー、約束通り稽古をつけてくださいません!?」
声をかけてもノックをしても反応がない。耳をすませばズビーといびきが聞こえる。――あいつ寝てやがる。鍵もかかっている。何度ノックをしてもいびきは止むことはない。
「ひどいですわ! 約束は守ってくださいまし!」
英雄譚に憧れて、この腕一本で成り上がりたい――そんな思いがあったけれど、私を養女として引き受けてくれたアニリィ様に「剣だけじゃダメ」と言われて、初等学校へ通うことになった。そこは庶民ばかりが通う普通の学校だった。新都エラールや主要都市に出ない限り、貴族が通うような学校は無い。だからこんな田舎のキュリクスで生活するとなると庶民と混じって勉強するか、家庭教師を付けてアビトゥアを突破するかしかない。だから私と釣り合う身分の人なんか誰一人いない。
はじめは戸惑ったけれど授業は楽しいし先生も親切だ。しかもなぜか友達が出来た。お弁当を交換しようと言われて驚いた日もあったし、ごっこ遊びに誘われた時は断り方に難渋した。八歳でごっこ遊びはどうかとおもう。――でも、きっとこれが「普通の生活」というものなのだろうか。
「学校は行っとけ」と言ってたアニリィ様はまるで母親のように厳しく、でもちゃんと私の未来を考えてくれているのだと信じている。――なのにそのアニリィ様はどうして今、ズビーっと寝ていらっしゃるのだろうか。私は困ってしまい立ち尽くした。
そのとき。階段の下から、ガシバシと無造作にモップをぶつける派手な音が聞こえた。そんな雑な掃除音に混じって鼻歌のようなものがリズムもテンポも構わずに続いている。そして、まるで決めポーズで登壇した舞台俳優のようにメイドのプリスカさんが現れたのだ。
「おッ! ルチェッタちゃん、おはよー。――アニリィ姉のとこにご用?」
あからさまに気まずいって表情を浮かべていた。誰も居ないと思って鼻歌交じりで雑な掃除をしていたのだから仕方ないだろう。だけど大人の私は気にしない!
「あ、はい。剣の稽古の約束をしていたのですが、呼びかけても返事がなくて」
「ふっふーん。じゃあさ、開けちゃう?」
「は?」
にやりと笑ったプリスカさん、前髪を押さえていたヘアピンを二本引き抜いた。そんな子どものごっこ遊びじゃないんですから。
「プリスカさん、そんなんで開くわけないじゃないですか」
止める間もなく彼女はしゃがみ込み、手慣れた動作で鍵穴にヘアピンを突っ込んで――
――かちゃり。音が鳴ると扉がゆっくりと開いていく。
「よし、五秒以内で開けられた!」
いつも扉の前に厚手のカーテンが下がっていて中を見ることが出来ない。そんな私たちが初めてアニリィ様の部屋の中を見てしまった。広がっていたのは――戦場だった。床は酒瓶と紙屑、脱ぎ捨てられた何かと皿で埋まり、ベッドの上にも何かが撒き散らされていた。
「寝てる」
「ゴミをかき分けて寝てるね」
アニリィ様がゴミと瓶の山の上でまるで天使のような寝顔を晒していた。その寝顔とは裏腹にいびきはズビーとかいてるが。私は人生で初めて『本当に言葉を失う』という体験をした。
部屋がこれだけ散らかし放題だから、その、匂いが――うん。ときどきアニリィ様からほんのり漂っていた“あの香り”、こんなただれた生活臭だと気づいてしまった。言葉にはしづらいけれど、ちょっと甘酸っぱくて、――うん、ゴミ臭だね。我に返った私はとにかくアニリィ様を揺り起こそうとそっと足場を探りながら近づいた。とにかく足の踏み場が無い。何でもかんでも適当に踏むわけにはいかない。――だけど殆どがゴミだと思う。
「アニリィ様、起きてくださいまし。剣の稽古のお時間ですわ」
ゆすっても、最初は「んん……」とうなっただけだったが、何度か繰り返すとようやく目を開けてくれた。
「あら、ルチェッタ? あれ、もう朝だっけ?」
寝ぼけたアニリィ様が半開きの目をこする。まだ酔いが残っているのか口元がだらしなくゆるんでいた。私の横にはプリスカさんも心配そうに顔を覗き込んでいた。身体を起こしたアニリィ様のその視線がふいに枕元に落ちる。そして。
「――っ!!? あ゛あああああああああああああああああああッッ!!」
突如、アニリィ様が叫び声を上げてベッドの上で跳ね起きた。毛布と瓶、衣類に書類とあれやこれやが宙を舞う。私とプリスカさんは突然の事に慌てて後ずさった。その時、私は何かを踏みつけたらしく、ブーツから伝わる嫌な感じが背筋を凍らせた。
「な、なんですの!? 何が――」
「虫がいたぁあああああッ!! しかも黒くてテカテカしてすばしっこいヤツッ!!」
アニリィ様は立ち上がると髪をかきむしり、両手をベッドに突き出して詠唱を始めた。手のひらに水色に輝く魔素が集積する。
「ちょ、ちょっと! こんなところで魔法ブッ放とかやめて!」
「建物の中での詠唱行為は禁止ですってよ!」
私とプリスカさんは思わず叫んだ。しかし集積していた魔素はアニリィ様の左手のブレスレットに殆どが吸収されると霧散し消えた。
「あ、そうだった。『魔導暴発防止装置・改』を付けられてたんだっけ」
そういえばアニリィ様って過去に何度も魔法ブッ放事件を起こしているから安全装置を付けられたと聞いている。とはいえ黒いアレに魔法詠唱はオーバーキルだと思う。ぶちかましたら宿舎がオープンテラスになる。雪が降ったらベッドの上で傘を差さなきゃ。
私は枕元に転がるその黒いアレを見た。たしかに丸っこくやや光沢がある。――でも動かない。いくらなんでもこれだけ騒いでる中でまったく微動だにしないのはおかしい。私は指でそっとつついてみた。――硬い。軽い。そして動かない。
「これ――おもちゃ?」
私がそう呟くとプリスカさんが壁際で肩を震わせているのが見えた。
「プリスカさん?」
私は恐る恐る声をかける。肩をぷるぷると震わせながら、壁際で顔を背けていた彼女がゆっくりとこちらを振り返る。
「テッテレー☆ 大☆成☆功〜〜!」
両手を広げ、きらきら笑顔で宣言するプリスカさん。
「え? え? なに? これ、プリスカさんが仕掛けたの?」
と、私が聞くより早くアニリィ様がベッドの横で硬直したまま「――あなたが、仕掛けたの?」と低い声を絞り出した。アニリィ様の目が明らかに笑っていない。蓄積されたゴミの中から木剣を引っ張り出す。むしろそんなところに木剣が落ちてたってよく気付いたね。
「やだな〜、そんな怖い顔しないでよ、ね? ほら、寝起きは楽しくしないと一日が始まんないっていうじゃん?」
プリスカさんは一歩、また一歩と後退る。アニリィ様は無言のままぎしりと床板を鳴らすと、スキが無い中段構えをした。あぁ、こう構えられたら打ち込めないね、うん。
「プリスカあああああああああああッッ!!!!!」
「ひゃあっ!? ちょ、まっ、やば、待って、待って! 愛ゆえのドッキリでしょ!? ね!?」
アニリィ様の怒声が宿舎中に響き、次の瞬間にはプリスカさんが全力ダッシュで逃げ出していた。
「狼藉者、成敗いたす!」
「どっきりですってばー!」
私はただ一人、ゴミと酒の匂いが混じったこの部屋の中で放置された。
(――もう剣の稽古とか、どうでもよくなってきましたわ)
*
その後、プリスカさんはなんとか逃げ切ったもののアニリィ様の部屋の惨状――いや、現状はすぐに領主館全体に知れ渡った。
その日の午後、領主館の執務室。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てるなか、立ち尽くしたヴァルトア様が眉間にしわを寄せて問いかける。
「で、魔導暴発防止装置が反応した理由は?」
「す、すみません。枕元にその、虫が、いえ、虫のようなものが!」
アニリィ様は床に正座させられ、背筋を伸ばしながらも目を泳がせて必死に言い訳を捻り出していた。
「でもそれがプリスカのいたずらだったと。そして彼女を懲らしめてやろうかと木剣を抜いたのか?」
「――おっしゃる通りです」
アニリィ様が吐き出すように言うと、ヴァルトア様はびっくりするほど大きなため息を付いた。そりゃ黒いアレ相手に爆破魔法をぶちかましそうになった事は大問題だが、腹を立てたからといって丸腰相手に木剣を持ち出すのもどうかと思う。プリスカさんも正座させられており、大の大人が説教を受ける姿というのは子どもの目からしても異常事態だ。それどころか二人の横でメイド長オリゴ様も正座して二人の赦免を願い出ていた。私はとんでもないところへ身請けされたのかとも思ってしまった。ちなみになぜか私も正座させられている。理不尽。
「俺が言いたいのは、アニリィ。まず部屋を片付けろ! なんだあのゴミ溜めは! 虫が湧いてもおかしくはないだろ」
「いや、お言葉ですが、あれはゴミでは無――」
「どう考えてもゴミだろ! 空き瓶だけで30本、残飯みたいなのも転がっているし異臭も放ってる! 他にも行方不明になった書類、未返却の図書館の本、ほかにもあったよな、オリゴ」
「はい。中身が充分に入ったお化粧品が散乱してたり、未洗濯の汚れもの多数。他にも上下バラバラの下着や靴下も発掘されてます。――あんた、上下違う色やデザインの下着をつけてるわけ?」
「いやー、そこはあまり気にしない、かな?」
いや、少しは気にしましょうよ。――というよりむしろ私が気になったのは、いまつけてる下着はいつ交換されたんだろう? まさか数日つけては新しいの買ってつけてる? 想像するだけで背筋がぞわわっとした。
「よし、今日は安息日で衛兵隊やメイド達は手は空いてるはずだから――全員、出動!」
三時間かけてゴミは全て搬出され、寝具もすべて新品に交換された。その姿をアニリィ様は正座して見続けるって刑まで受けていた。
「いやぁー、『いつか使う』って思ったら捨てられないよね?」
「あのねアニリィ。『いつか使う、いつか着る、いつか捨てる』はね、その『いつか』って絶対に来ないわよ!」
オリゴ様の言葉は深いと思った。
*
アニリィ様の部屋を掃除した日の夜、私の部屋に『黒いアレ』が出た。絶対にアニリィ様から私の部屋に引越ししてきたんだわ。私はそれを手づかみして窓から放り捨てた。アニリィ様の部屋に戻せばよかったかな。
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