05話 武辺者、在野の青年に政を問う
クリル村に到着した俺達は、この地域を治めるフォーレン家に挨拶をすることにした。事前に先触れを出していたため家長のニルベが村の門前で出迎えてくれた。そして二ルベが跪いて一礼すると私はその礼に応じて彼の手を取って返礼した。
「これはヴァルトア卿、入城前にお立ち寄りいただき、誠にありがとうございます」
「いえいえ、こちらも当主自らがお出迎えしていただき、光栄に思います」
その間、俺の家族や家臣、さらにはニルベの私兵たちも一斉に起立して様子を見守っていた。しかし、ニルベの家族の中には車椅子に座って見守る若者が一人いた。この国ではこうした出迎え等の場では全員が起立するのが礼儀とされているが様々な事情で立てない方もいるため仕方がない事は理解できる。ただ、その際には事前に相手に申し伝えるのがマナーとされている。しかし、フォーレン家からそのような申し送りはなかったため、私の後ろにいたスルホンやアニリィがどのような表情をしていたのかは、容易に想像できた。―――過去の統一戦争を経験した者として言わせてもらえば、そんな些細なことをマナーや常識として押し付ける文化は、俺は好きにはなれないな。
「ヴァルトア卿、うちの息子は少々身体に不都合がありまして車椅子で失礼いたします。」
「いえ、フォーレン殿お気になさらずに。愚息からトマファ殿のことは伺っております。もしよろしければご子息にお声をかけても?」
「えぇ、ヴァルトア卿のご意向にお任せいたします。」
ニルベの許可を得た俺は、車椅子に座るトマファの元へと近づいた。トマファは私の顔を見るとにこやかに微笑みながら着座していることへの非礼を詫びた。俺は気にしなくていいと言い、クラレンス伯から預かった紹介状をトマファに差し出した。
「愚息ブリスケットから貴殿のことを伺っている。もし貴殿がその気があれば、この国のために力を貸していただけないか?」
と尋ねると、トマファは笑顔のまま紹介状を見ずに俺に返却した。
「えぇ。―――それでしたら見るまでもなくお断りいたします」
との返事だった。俺はその拒絶を予想していなかったため、どのような表情をしていたのか分からなかった。周囲にいたスルホンやアニリィ、さらには妻のユリカも驚愕の表情を浮かべていたことから、俺も同様の表情をしていたのだろう。その言葉に皆が驚きを隠せない中、誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた瞬間に歓迎の場は騒然となった。
「ヴァルトア様からの勧誘をそんな笑顔で普通断るか?」と誰かが言い、「失礼に無礼を重ねたぞあの小僧」と別の声が続いた。「フォーレン家に礼儀はないのか?」とさらに続き、「断るにしても断り方というものがあるだろう」との意見も飛び交った。
俺の周囲だけでなくニルベの者たちもトマファの態度とその断り方に動揺を隠せずにいた。その様子が耳に入ると当主のニルベはさらに焦りを募らせていた。この地に入る統治者に対して失礼や無礼を重ねて非協力的な地方豪族と見なされることになれば、今後どのような仕打ちを受けるかは容易に想像できるだろう。
「こ、こらカリエル、お前は何を言ってるんだ―――ヴァルトア卿、これは、これにはカリエ……トマファにもきっと深い深い意味がございますれば、その」
「フォーレン殿、少しは落ち着き給え。―――こほん、良ければトマファ殿と二人きりで少し話したいと思うのだが、宜しいか?」
「え、えぇもちろんでございます! 者ども、今すぐヴァルトア卿にお茶とお菓子をお出しなさい!」
慌てるニルベが私兵たちに指示を出すとすぐに広場に簡易なテーブルと椅子が設置された。おそらく私と妻ユリカ、ニルベとその妻との茶会を想定して華やかな準備がなされていたのだろう。出された茶器や食器は新都エラールで流行している乳白色のものであった。
★ ★ ★
「あはは。あの時の親父らの慌てっぷり、なかなか傑作でしたね」
「トマファ殿も随分と人が悪いな。まぁ俺も断られるとは思ってなかったから狼狽したよ」
「ヴァルトア卿も鳩が豆鉄砲を食ったような表情でしたからね―――ですが正直、この国の為に協力してくれと頼まれて本心からはいと言えるほど僕の心は広くありません。ヴァルトア卿もご存じですよね、私がこんな身体でこんな生活を送るきっかけになった話も―――この国の為にって事は遠くない未来、僕をこんな身体にしてくれたレピソフォン様の為にも尽くせって事ですよね」
この席に着くや否、トマファは私に対して非礼を詫びた。俺も自らの言葉の選び方に誤りがあったことに気づき彼に謝罪した。目の前に座る、次男ブリスケットと同じ年頃の青年が無邪気に笑っている姿にはやはり若々しさ弱々しさが見て取れる。しかし先ほど見せた胆力と老獪さ、そして視線の鋭さも隠し持っていると思うと、目の前に座る青年を恐ろしくも感じた。
「確かに、君がヴィオシュラ学院でレピソフォン様と何があったのかについてはブリスケットから聞いていた。しかし君の心を傷つけるような言い方をしてしまったことは重く受け取り謝罪する」
「いえむしろヴァルトア卿、あなたがこんな私を徴発するのでなく、真摯に説得しようとしていることに感激しているんです。もしヴァルトア卿に仕えろと家臣らを使って命じたなら私はあらゆる手段を使ってでもこの国に害を及ぼすことを考えるでしょうからね」
「ブリスケットから君の事は色々聞いてはいたが、なかなかに面白い冗談には聞こえないな」
「そうですか? 私は若輩者ですし車椅子や介助者がいなければベッドで無為に過ごす日々なんですよ。―――ですがまぁ、蟻が堤防を崩すようにこの地やヴァルトア卿を利用して侵蝕していく可能性もあるかもしれませんが」
「それは勘弁してほしい。ノクシィ一派から目を付けられている俺にとってちょっとしたミスでもどうなる事やら判りかねないのだから」
「そうなればヴァルトア卿の家臣だけでなく私の命も危うくなるでしょうね。そうでなくても仕官を拒否してこの地に残ったとしても、次の領主が地方豪族の息子というだけで人質にするかもですし、そしてその先はその領主の匙加減次第。―――それは私も望みません。」
トマファは笑いながら茶菓子を一つ手に取った。俺もそれに続いて一つ口に入れた。しかしその茶菓子の味には驚き思わず吐き出しそうになった。何とも言えない風味が口の中に広がる予想外の体験だった。
「ヴァルトア卿、このお茶菓子は初めてですか? 生姜風味の砂糖がたっぷりかかっている、こちらでは割と有名な銘菓なんですよ」
「正直言って初めてだな。慣れていないと舌が驚く味だな」
「舌が驚く、あははその表現久しぶりに聞きましたよ。数年前にブリスケット君に食べさせた時も同じことを言ってたんですよ、舌が驚くって。―――ところで彼は元気です?」
「ブリスケットは第二師団で頑張っているよ。朝から寝る直前まで訓練に励んでるさ」
「筋肉は嘘をつかないと言っているのでは?」
「そうだ、特に『下半身の筋肉は鍛えるだけ裏切らない』とも言っていたな」
それを聞いてトマファは「彼に手紙を書いてみたくなりました」と言い、俺は「彼は筆不精だから、返事は期待しない方が良いぞ」と忠告した。
「トマファ殿が望むのであれば、一筆書いてみるといい。ブリスケットも君のことを今もカリエル君と呼んで良いのか悩んでいたしな。―――ただ、ブリスケットは本当に筆不精だから返事を期待しない方が良いぞ。留学中も、俺や妻に送りつけた手紙の内容は仕送りを頼むだけだったからな」
「あはは、もう5年以上経過したのにブリスケット君は相変わらずのようですね。そうですね、少し嫌がらせのつもりで手紙を書いてみることにします」
「ブリスケットのことだ、俺は半年経っても返事が来ないと賭けてみよう。きっと本人は『明日書く』『休みに書く』と言い訳して結局書かないだろうからな」
「そうですか。それでは、私は一ヶ月以内に返事が来る方に賭けてみましょうか」
トマファは笑いながら茶菓子を一つ口に放り込み、俺も一つ食べた。最初は変な味だと思った茶菓子だが出されたお茶と合うのかただ慣れただけなのか、今は何も思わずに食べられる。ただ冷静に考えるとやはり変な味がする生姜味の甘い焼菓子だ。
「ヴァルトア卿。もしこの国の為でなくヴァルトア卿のためにお仕えして欲しいとお声を掛けて頂けるのでしたら、喜んで出仕致します」
「―――ではトマファ殿、俺の為にご助力頂けるか、なお王家の転覆を狙うのは無しだぞ?」
「えぇ承知しました。トマファ・カリエル・フォーレン、誠心誠意ヴァルトア卿にお仕え致します。不束者ですがよろしくお願いします―――ところで、このキュリクスの地を統治するに当たって何か考えはありますか?」
「特にそのようなものは持っていない。適度に税を徴収し、民を育て、産業を発展させ、一揆が起こらないように努めることが重要かなとは考えているが」
「なるほど、それは統治者として非常に優れた見解です。まるで空想的な政策を描く理想主義者のようですね。軍議で一軍を率いて敵に突撃することを宣言する将軍の方が、むしろ愛らしいかもしれません」
そう言いながらトマファは胸ポケットからハンカチを取り出し茶菓子をいくつかつまんでハンカチに包みポケットに仕舞った。これはいつも世話をしてくれるメイドへの手土産なので父には内緒ですよと少し照れくさそうに呟いた。なかなか優しい心を持った青年だな。
「はは、なかなか厳しい意見だ。俺には統治の術を知らん。だが失敗は許されないのでな、だから貴殿に助けてもらいたいと強く思っている。―――ちなみにトマファ殿はご存じか判らんが、実は俺の家臣に在郷貴族の娘がいるんだ」
「ユリカ夫人やミニヨ様の護衛をしていたアニリィ様のことですか? 確か代々ウンブリア地区を治めているポルフィリ家の次女でしたね」
「そうだ。というよりウンブリア地区というのも知っていたか」
「えぇ、男女ともに特徴あるヘアバンドをしてますし、そこの在郷貴族と言えばポルフィリ家しかございませんから」
「さすが慧眼だな―――で、そのアニリィなんだが、彼女は統治について農民から年貢を徹底的に搾り取るべきだと言い出してな」
「卿はそれ聞いて無いなって思いませんでした? ですがそれが正解なんです。よくある領地経営ものの三文物語だと統治者が民のために考えなしに年貢を軽減したりする傾向がありますが、そのような脇の甘い態度を民に見せると連中らは統治者の腹の底を見抜いてきます。特に農民は領主の隙を見るや不正に蓄財し、隠田を作って酒を密造し、飲んで体がだるいと怠け、収穫期前から不当な要求を繰り返し、さらには不穏な行動を続け、気に入らなければ逃散や一揆を起こします。したがってそれを防ぐのなら甘い顔なんか見せず、搾り取れるだけ厳格な年貢設定をすべきでしょう。しかし盗賊団や魔獣の出現、または他国からの侵略、他にも災害の予防と対処といった地域の危機が迫った場合には統治者が責任を持って対処しなければなりません。農民たちが年貢を納めることによって、心身や財産が統治者によって保障されるという関係がなければ封建制度なんて成立しないのです」
目の前には次男ブリスケットと同じ歳の青年が座っているはずである。しかしブリスケットや長男ナーベル、娘のミニヨとは頻繁に会話を交わすものの俺はこのような内容の話をしたことなど一度もない。いつも他愛もない話や息子たちの職場であった話を聞くぐらいでしかない。部下のスルホンやアニリィとも同様だ。
このように農民と年貢の話だけでここまでスムーズに言葉を紡ぐ青年と、執事のジェルスやその息子である執事見習いのノックス、最近雇った元教師たちとを組ませたらどのような相乗効果が生まれるのだろうか。そして、再びハンカチに茶菓子を詰め込む青年はどこまで先を見てるのだろうか。
「ですが私たち地方豪族も卿と同様の立場ですよ。もし盗賊団や魔獣が現れ農村を襲うような事態が起これば私の父は一軍を率いて討伐に向かうでしょう。他国から侵略されれば領主を支援し、また支援を受けることも期待しています。長雨や土砂災害に対する治水対策や災害復興も少なくとも私たちの責任で行いますが、もしそれがリソース的な困難あればヴァルトア卿の助けを求めるでしょう。それは我々地方豪族を信じてこの地を任されている以上、その期待に応えるのが私たちの務めでしょう。ですから私たちだって農民たちから不正に搾取することは決して許されるべきではありません、適切かつ公正な搾取が求められています。そのため卿から徴税に関する抜き打ち検査があるなら文句の一つ言わず従う必要もあるのです。何故なら私たちは卿からの信頼に応じてこの地を治めているのですから」
クラレンス伯はこんなのを俺に託そうとするのか? いつ飼主の喉元に食らいついてくるか判らん、この竜の子を。俺は生唾を飲み込んだ。しかしそんな青年はもう一枚ハンカチを取り出すと再び茶菓子を包み、ポケットに仕舞った。
「―――さて、ヴァルトア卿、今後のご計画についてはどのようにお考えでしょうか?」
「そうだな、他の地方豪族二家と在郷貴族のアンガルウ卿に挨拶をした後、キュリクスに入るつもりだ」
「そうですか。もしその気があるのでしたら5日程ここに逗留致しませんか? フォーレン家と同格のリアサ家やポルチア家、そして在郷貴族のアンガルウ準男爵をヴァルトア卿がここに呼びつけたとしても失礼には全く当たりません。むしろ卿がご家族様や供回りを連れてあちこちに泊まり歩く方が警備面、費用面を考えたら無駄でしょう」
「それじゃトマファ君の父君やこの村の方々に迷惑なのでは」
「ははは、田舎もんにはそういった刺激を時々与えておかないと自分自身が地方豪族なのかこの地の農民代表なのか、判らなくなるもんなんですから」
トマファはそのように言いながらお茶を飲もうとしたが、カップはすでに空であった。俺達は夢中になって話をしていたのだろう。メイドや護衛含めて人払いしたためか、カップが空になってもお茶を注ぎに来るメイドの存在すらすっかり忘れてしまっていた。
茶菓子のモデルは柴舟、地元の茶菓子……なお中の人は苦手です。
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