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46話 武辺者の侍従、休暇を愉しむ

 キュリクスから遠く離れた、晩秋のヴィオシュラ女子学院。入学から既に一か月余りが過ぎ、生徒たちはお互いそれぞれの距離感を見出しつつある。同じような立場の者とつるんだり、1人を楽しんだり、様々である。


 なおこの学院でミニヨが選んだ学科は、将来の錬金術師や創薬師の卵を育てるための研究機関であると同時に、貴族子女としての礼儀や教養をも身につける場でもある。とはいえ入学初期の授業なんてまだまだ基礎段階。術式や薬理学といった華やかな内容は後期からで、学校が始まってすぐは数学や物理、古典語や礼儀といった教養科目が中心となる。


 私は主――ミニヨ様の傍らに控えていた。中庭に秋風が吹き、どこからか甘い香りがふんわりと流れてくる。その主は御学友に声を掛けられたので立ち止まり、次の授業について二言三言と会話を交わすと再び歩みだす。いつもの光景、いつもの事であった。


 入学直前にクラレンス伯の尽力でこの学院にねじ込んで貰ったと聞いたけど、入学早々の実力試験では主の成績は次席だったと伺った。そのせいか、数学や古典学で難解な課題が出れば道すがらに声を掛けて聞く子女らが居るのだとか。


 お屋敷に居た頃の主はいつも本を読んでおり、私たちメイドと話をすることなんか殆どなかった。それに初等教育は学校には行かずもっぱら自室でオリゴ様やアニリィ様、スルホン殿が家庭教師をして勉強なさっていたし、ユリカ様とお茶会に行くとかも殆ど無かったはずなので同年代の御友人もいなかったと聞いている。


 しかし環境が変われば人は変われる。人と交流することなんかほぼ無かった「ひきこもりの本の虫」も、同じ志を持つ学友に囲まれれば変わるのだなぁと思った。なお、私は相変わらず人と話すのは苦手だ。


 主と共に中庭を抜けて教室へ向かう渡り廊下の途中、その主が私の方へ向くとこう切り出した。


「ところでセーニャ。あなた、ちゃんと気持ちを伝える予定は?」


 突然、主様がそんな一言を囁く。まるで風に紛れて届いた一言に、私は瞬時に背筋を伸ばした。


 努めて無表情のまま、私は答える。「……何のことでしょう」


「ふうん? あなたもキュリクスからの手紙であの文官殿を巡って女の争いが始まっていることも聞いてるでしょ?」


 主様の少しいたずらつぽく笑う笑顔に私は視線をそらしながら、淡々と答えた。


「ですが任務中です」


 その言葉に主様はふっと笑い、「決断は早い方がいいわよ」とだけ告げると再び歩き出した。


 定期的にやってくる私信は遠く離れたヴィオシュラにまでキュリクスの風を運んでくれる。その中で新人メイドのプリスカと文官のクラーレ殿が、あの若き文官殿にアピールを強くしていると書かれていた。その中でも私を驚かせたのはプリスカのプロポーズとも捉えかねない告白に文官殿も困った表情を見せて断った、と書かれていた事。一体どのような言葉でフラレたなどの具体的な話は書かれてはなかったが、幻の『失恋休暇』で3日休んだとも書かれていた。クラーレ殿の話は、そのプリスカの手紙にあったのだが、何度読んでも何を伝えたいのか分からなかった。まぁ一悶着あったみたい。


 あの出立の朝、私は言葉を口にすることなく文官殿に見送られた。それは失敗だった。だけど馬車に乗り込む直前に彼がそっと差し出してくれた一輪の花――キバナコスモス。


 それを思い出すだけで、胸が軽く震える。


 文官殿が中庭で世話をしていた鉢植えの中に咲いていたそれを、何の飾り気もなく丁寧に包み、私に渡してくれた。


 花言葉は「淡い恋」。

 文官殿がその花言葉の意味を知っていたとは思えない。ただの挨拶、ただの見送り――きっと、そんなつもりだったのだろう。


 けれどその花言葉を知って、この一輪の花が私の胸に深く静かに突き刺さった。私のような一介の従者に向けられたものとは思えぬほど、優しくて、眩しくて。そして、少しだけ切ない気持ちと受け取っている


 ちなみにそのキバナコスモスは今では押し花にして、日記帳の奥にそっと挟んである。


 私は毎日それを眺めては、誰にも見せられないような顔でにやけてしまうのだが、その様子を目撃したミニヨ様からは「……ちょっと怖いよ、それ」と苦笑された。そしてオリゴ様が辞令を交付したときに「――旅立った後は、どうしても後悔の気持ちが大きく揺れる」と仰った意味がようやく分かった。


 ※


 この学院の話を一つ。

 私は元々は主様の世話をするメイドとして派遣された。しかしこの学院での扱いは「従者」である。武器を携行し、主様の御身を守る盾の役割も持っている。しかし職務内容はメイドと変わらない。掃除・洗濯・炊事・私信取扱など多岐にわたるが、この学院ではめいどではなく「従者」らしい。


 私は元々が武闘メイドのため剣技は嗜む程度にはしてるから、もし主様に何かがあっても守ることは出来るだろう。まぁ何かがあっては困るのだが。


 その従者だが、基本的に授業中は暇である。


 貴族が多いこの学校では、教室のすぐ隣に従者専用の控室が設けられており、生徒たちの様子に即応できるよう配慮されている。そこは簡素な長椅子と卓が並べられただけの殺風景な石造りの部屋だ。


 つまるところ、講義のあいだは控室に放り込まれている訳だから従者たちは暇である。暇だからといっても任務中だから常識の範囲で時間が過ぎ去るのを堪えなければならない。簡単に言えばほんと暇。他の従者も同じだ。年頃も、仕える主の格もさまざまな彼女らは、それぞれ思い思いに時間を過ごしている。


 たとえば貴族としての格をそのまま自分の格と錯覚して他を見下した態度を取る者、あるいは仕える主の悪口や誇張した自慢話をためらいもなく口にする者もいる。こういう手合いには近づかないようにしている。まぁ彼女らも私に興味なんかないだろうから、お互いいい距離を保っている。


 他には大口を開けて堂々と寝息を立てる者までいる。だらしない姿をさらけ出し、どこか幸せそうでもある彼女は大物だと思った。ただ思うに、彼女には現在任務中という意識はあるのだろうか?


 そして稀に、教室の壁越しに漏れ聞こえる教授の声を主のために一言も聞き逃すまいと必死に書き留めている者もいる。これは君臣の鑑だ、真似したいと思うが学のない私には何言ってるのかすら分からない。メモをしたところで主様には迷惑にしかならない。


 つまりどのように過ごしているかを観察したところ、彼女らにもそれぞれの事情があるのだろうけれど――私にとっては、個性が少々強すぎる手合いが多いこと。


 だから私は本を開いて読んでいた。こうすれば邪魔されることはない。ただひたすらに本の文字を追っていれば。


 しかしその広げた本には文官殿の手紙を隠してあり、そっと広げて読み耽っていた。


 幾度読んでも変わらぬ文字。

 けれど読むたびに、胸のうちの温度がほんの少しだけ上がる気がした。


「……それ、キュリクスからのお手紙ですか?」


 突然のことだった。

 ふと顔を上げれば、そこには主様と親しくしている令嬢――エルゼリア様の従者リーディアだった。その彼女のまなざしは下心も皮肉もなかったし、普段から控室で静かに読書されていた方だったし、なにより主様とエルゼリア様はよくお話しされていたので私はそっと頷いて応える事にした。


「はい。領より届いたものです」


「わたくし、セーニャ様とお話ししてみたかったんです。不躾にお声掛けして申し訳ありません」


 リーディアが頭を下げる。私はどう返せばよいか迷った。


 オリゴ様の下でメイドとして仕えていた頃から人と雑談を交わすような経験がほとんど無かった。もとより無口な私はどう返答すればいいか分からず黙っていたら、「ご迷惑でした?」と聞かれたので、私は慌てて首を横に振り応えた。


「気にしないでください」


 私のたどたどしい返答に、リーディアは安心したように微笑む。そして彼女は、私を「やはりセーニャ様は真面目で素敵な方だと思っていました」とまで言ってくれた。その言い回しは少し面映ゆかったが、私は素直にその好意を受け取ることにした。


「セーニャ様なんてお辞めください、私は一介の従者なんですから」

「それでしたら、わたくしの事もリーディアとお呼びになって下さいまし」


 少々強引な方だなと面食らったが、これ以降私はリーディアと話すようになった。先ほども環境が変われば人間も変わると書いたが、自分もそうだったんだと改めて気付かされた。


 それ以来、ミニヨ様とエルゼリア様の関係も、以前よりずっと親しげに見えるようになったのは、偶然ではないだろうか。


 ※


 先週末。

 授業の合間の中庭で主様と話していた時、エルゼリア様とリーディアが私にそっと近づいてこられた。


「セーニャ様。突然で申し訳ありませんが……」


 エルゼリア様が私の顔を見てそう声を掛ける。貴族様が他家の従者に声を掛けるとは、と面食らいながら私は背筋を正す。そしてエルゼリア様はそう前置きしてから話を続けた。


「実はリーディアったら、休みの日なのに私の世話をして過ごそうとするのよ? 休みの日ぐらいは気晴らししなきゃって思ってね。で、ミニヨ様とお話して、セーニャ様とリーディアで休みを満喫、“デート”してきていただけないかしら?」


 私は呆気にとられた。エルゼリア様は微笑んでいた。


「もちろん、変な意味ではありませんよ。ただ、あの子……最近、あなたと話すのが本当に嬉しそうですし、ミニヨ様もあなたが休みの日にも働こうとするのを気に病んでてね」


 望外な心遣いだと思った。私は24時間365日お仕えする気でいるのに休め、と。では護衛や身の回りの世話はどうすれば? そう考えている私にミニヨ様の声が追い打ちのように飛ぶ。


「行ってきなさいよ、二人で。良かったら街のとっておきとか探して頂けると助かるわ」


 主様の心遣いに本当に感謝しかない。主様は甘いお菓子は好きだがその中でも好みがあり、それを間違えるとむぅと少し機嫌を損なう方だ。かといってチャレンジして失敗してもむぅとするからなかなか試せない。だからエラールに居た頃からも、キュリクスに移られてからも、決まったお菓子しか召し上がらなかった。つまるところヴィオシュラで主様好みの店を探ってこいと言う命令だと認識した。


(そういえば文官殿が教えてくれた、“おすすめのお店リスト”がありました……!)


 私はごく小さくうなずいた。この前の手紙に送って頂いたリストと地図と、文官殿のさらりとした説明文を活用する時だと思ったのだった。


 ※


 そして今日。週に一度の休日。

 私とリーディアは待ち合わせてヴィオシュラの街を歩いた。2人で他愛のない話をしつつ、エルゼリア様や主様へのお土産用のお菓子を探しつつ、最近はまった読み物や編み物の話で盛り上がった。


 そんな時、リーディアがそっと私に問いかける。


「セーニャ……想い人には、どうされるのです?」


 突然だ。まさに唐突にリーディアが切り出してきた。言いたいことはきっとこうだ、私にでも理解できる一言を切り出してきた。


「な、なんの話、でしょうか……!?」


 なるべく平静を装った。まだ仲良くなって浅い人に切り込まれる話ではない。だけどきっと他人から見れば相当に狼狽えていたと思う。


「実は……ミニヨ様がエルゼリア様に『うちの従者が不憫で』と相談されてまして。それで、わたしが“聞き役”を仰せつかりまして」


 このまま冗談やはぐらかしで誤魔化しては、自分とリーディアの関係だけでなく、主様やエルゼリア様との信頼にも影響する――。主様はそこまで私を心配して、もしくは楽しんでいるのだろう。わざわざリーディアを使ってまで私の本心を聞き出そうとしているのか。私は一つため息をつく。


「リーディア……よろしければ、その、どこか落ち着ける場所に移動しませんか?」


 歩きながら話すような内容ではないし、これ以上ごまかしたり、くだらない冗談で煙に巻くような真似をして、リーディア様や主であるエルゼリア様、そして主様との信頼を損なってはならない――そう思った私は、意を決して言葉を発した。


「ええ、ぜひ。でも……ごめんなさい。私、ヴィオシュラの街にはあまり詳しくなくて」


 申し訳なさそうに視線を落とすリーディア様。その表情に、私はそっと微笑んだ。


 たしかこの近くに、文官殿おすすめの美味しいケーキと紅茶のお店があったはず。


「でしたら……ちょっと行ってみませんか?」



 私は、ほんの少しずつ、ぽつりぽつりと語り始めた。


 押し花にしたキバナコスモスのこと。何も伝えられなかった出立の朝のこと。届いた手紙を何度も読み返して、日記帳に挟んでは一人で頬を赤らめていること。


 街角の小さなカフェでケーキを前にして、私は少しずつ言葉を紡いでいた。リーディアは黙って頷きながら、時折フォークでケーキを切り分けては私の皿にそっと置いてくれる。


「ふふっ、セーニャ様、想いが……あふれてますわよ」


 その言葉に、私は思わず目を瞬いた。けれど、彼女の声はからかいではなく、心からの微笑だった。


「いいと思います。そんなに真剣に、大切に想えるって、素敵なことですから」


 その仕草があまりにも自然で、あまりにも優しくて――私はとうとう、「もう何も隠せない」と観念した。


 たぶん、私はもう、恋の淡さを通り越して、暴走しかけている。けれどそれを彼女は笑わず、咎めずただ黙って受け止めてくれていた。


 そしてその夜、私は久々に日記を開く。


 『恥ずかしい。恥ずかしいけど……相談に乗ってくれる友達ができて、すごくうれしかった。』

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現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


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