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40話 武辺者のところへイケメンが現れる・1

 朝の霧はまだ庭の端に残り、濡れた石畳が陽を受けて淡く光っていた。


 キュリクス領主館の中庭にある物干し場では三人のご機嫌なメイドたちが洗濯物を広げている。いつもの朝のいつもの賑やかな時間だった。


「ずっと続いてた雨、やっと止んだね。おかげで髪の毛が大変だったよ」 


 洗濯籠を脇に置いて髪をなでつけ、空を見上げながらプリスカが言った。


「この時期の長雨が止むと、次は雪が降るんですよ、パルチ―先輩」

「へぇ! ねぇ二人とも。私、エラール出身だからキュリクスの冬ってよくわかんないんだけど、やっぱり雪はたくさん降るの?」


 隣で大きなシーツの片側を持っていたパルチミンがぽつりと訊く。反対側のシーツを持っていたロゼットが「めっちゃ降りますよ? ねぇプリスカ」と応える。


「えぇ、一晩で腰ぐらいまで積もるなんてザラですよ?」


「うそだぁ、そんなに降ったらお家がつぶれちゃうって」


「え? 潰れますよ?」「ここらへんじゃよくある事ですよ、ねぇ?」


 建付けが痛んだ家屋が雪の重みで潰れたって話はキュリクスではどこででも聞く話だ。しかし雪が降っても大して積もらないエラール出身のパルチミンには雪が重いってイメージは持てないらしい。


 そのときだった。遠くから石畳の上を硬い車輪が軋りながら進む音が、朝の湿った空気を震わせるように響いてきた。箱馬車が走るときの独特な木鳴り音、それが領主館の前に停車した。日常に割り込んでくる非日常の感覚、そんな気配に全員の手がぴたりと止めた。


「ねぇ、領主館に馬車を付けてくるなんて久しぶりじゃない?」


 プリスカが暢気に言うと、ロゼットも「錬金術ギルドのフリードさんが来た時以来よね」と陽気に応える。


「てかみんな、来客応対マニュアル通りに動くよ!」


 庶民が箱馬車で領主館に来客するなんてまず有り得ない。

 パルチミンが声を挙げると手にしていた洗濯物をかごに放り込んだ拍子にバランスを崩してロゼットの足を踏み、ロゼットが「ぎゃっ」と叫んでよろけた先に、プリスカの持っていた洗濯籠がひっくり返る。


「ちょ、ちょっと! プリスカなんでそこにいるのよ!」「えっ、私!?」 「走れーっ! マニュアルとかどうでもいいから玄関まで走れーっ!」


 三人は軽く転びかけながら、洗濯物を引きずる勢いで玄関へと走っていった。


「クラーレ様、来客です!」


 ロゼットが一階の文官執務室に向かい、来客を告げる。


「誰だろう、先触れもなく」


 クラーレがロゼットと共に玄関へと駆ける。


 *


 正門の金具がわずかにきしみ、乾いた革靴の音が石畳を蹴って敷地内へと足を踏み入れた。門をくぐったその人物は迷いなく一直線に玄関ポーチへ向かって歩いてくる。そのコツコツと鳴る足音は妙に澄んでいた。やがて扉の前で立ち止まると、丁寧で落ち着いた様子で三回のノック音が響く。


 扉を開けたクラーレと三人のメイドの視線の先、玄関には朝陽に照らされた一人の影が立っていた。


 その若者――彼は、黒の外套にくすんだ青の上着をまとい、首元には大き目な襟巻を巻いていた。それは防寒というにはやや過剰ぎみで不自然なほどしっかり覆っている。灰色の瞳が光を弾き、整った顔立ちに凛とした空気をまとっていた。彼が一歩、領主館の中に入った瞬間、玄関の空気がふっと引き締まったように感じた。まるで朝霧が彼の動きにあわせてすっと退いていくかのようであった。


「おはようございます。ここはキュリクスの領主館ですよね?」


 まるで鈴を転がすかのような、しかしどこか張り詰めた音色を含んだ声が玄関に響いた。その声を耳にした瞬間、来客を待ち受けたクラーレは小さく肩を揺らす。胸の奥に水面を叩くような衝撃が広がる。ただ、その反応はクラーレだけではなかった。


 頭を下げて来客者を出迎えていたロゼットだが、俯いている状態でも判るほど顔を真っ赤にしていた。そして心の声がぼそりと言葉となって漏れ出そうな瞬間、プリスカが思わず横から手を伸ばしてロゼットの口を塞ぐ。その時、彼女が手を伸ばさなければ『やば。王子様が来た――!』と客人に対して失礼な言葉が飛び出していただろう。 


 パルチミンに至っては目を丸くしながら、「わっ、ちょっと目が合った!? あたし今、寝ぐせとかついてないよね!?」とか言いたげな顔をして慌てて手で髪を撫で付け始める。こんな姿をオリゴに見られた日には、どれだけの反省文を書かされるだろうか。


 プリスカはロゼットの口から手を離し、一瞬だけ目を細めて観察したあと、ぼそりと誰にも聞こえない程度の声で呟いた。 「――私はトマファ様の方がタイプ」


 クラーレは息を呑むようにして、扉のノブを持つ手が少し震える。その立ち姿、所作、そして声。


(……まずい。うっかり見とれてた)


 そう思いながらも素知らぬふりで理知的な態度を装い一礼する。クラーレの一礼を見て彼もゆっくり頭を下げた。


「朝早いのに申し訳ない。ここから南下してロバスティア王国に入国したいと思います。手続きをお願いしたい」


 落ち着いた少し高めの声で旅人はそう口にした。発音は隙のない標準センヴェリア語で、語尾の抑揚にいたるまで丁寧であった。庶民育ちのクラーレたちのそれとは明らかに違っており、それは長年、言葉遣いに至るまできちんと躾けられた貴人そのものだった。胸元で光を受けた銀縁のバッジがわずかに光を返す。


 パルチミンに言われて今度はプリスカが文官執務室に走り飛び込んでいった。そこにはギルド長からの面会を終えたトマファがちょうど戻ってきたところだった。


「あのカリエル様。出国手続きのお客様が来てるんで、お越しいただけます?」


 プリスカがそう言うと、トマファははにかみを浮かべて「その呼び方はちょっと恥ずかしいので」と応える。やはり人目がないところではプリスカは彼を通名(とおりな)で呼んでいるらしい。もちろん男女でそう呼び合うなんてよほど親密な関係――夫婦や恋人――をうかがわせるのでトマファがこのような表情を浮かべるのは仕方がないだろう。


「判ったよプリスカさん、いま書類を用意する」

「手伝います!」


 出国手続きは辺境の領主館が担う重要な行政業務のひとつだが、わざわざ領主館に来てまで手続きを取って出国する者は実はそんなに多くない。国家間を行き来することが多い行商人や冒険者であれば、彼らが持つギルド発行証を入国審査で見せ、犯罪歴などが無ければ、比較的スムーズに入国が認められる。


 しかしなんらかの理由でギルド発行証が持てない者は、わざわざ領主館で出国申請をしなければならない。それをせずに勝手に国境を跨げば罪に問われるだろうし、一度でもそのようなミソが付けば当事者国は『好ましく(ペルソナ・ノン)ない者(・グラータ)』を理由に今後入国を拒否することが出来ることとなっている。


 しかも出国手続きには身元証明書と渡航理由の書類が必要で、審査にも数日かかる。観光目的で出国したのに政治亡命された日には領主館の責任となってしまう。だからその日に申請してその日のうちに通れるなんてことはない。特別扱いされるのは爵位持ちの貴族や外交官ぐらいだ。ミニヨとセーニャが共にヴィオシュラ女学院に旅立った時は、完全にその特別扱いだ。


 だから多くの旅人は、手続きの手間を嫌って冒険者ギルドなどに所属してしまう。だからわざわざ領主館に出向いてまで出国手続きを取りたいという希望者には疑いの目をかけてしまうのは文官として普通の感覚かもしれない。


 書類を抱えたトマファがプリスカに車椅子を押してもらいながら応接室に現れた。実はトマファは連日の残業で目の下には薄く影があり、どこか眠たげな顔をしていた。それでもきちんと整えた身なりと理知的な空気を纏っているのは、彼らしいといえば彼らしかった。


 応接室へと案内され、旅の者と名乗ったその青年――ソーテルヌは椅子に腰掛けることなく、室内に飾られた一枚の風景画の前に静かに佇んでいた。その姿には「応接間に通されたからといって勝手に椅子に座らない」という、意外と知られていないマナーのせいだろう。


 だが室内に立つソーテルヌを見た瞬間、トマファの表情が曇った。視線がほんの一瞬だけ泳ぎ、胸元で書類が揺れる。


 (あの顔、どこかで――いや、まさか)


 しかし彼は静かに息を吐くと、平静を装うように笑顔を貼り付けて口を開く。


「ようこそ領主館へ、出国手続きでしたね――出入国管理担当のトマファ・フォーレンと申します」


 トマファの声音には普段通りの丁寧さがあったがわずかに声が掠れていた。いつもトマファの様子を見ていたであろうクラーレだったがその動揺には気付いていない。


「あなたが担当者様でいらっしゃいますか? 本日はよろしくお願いいたします」


 ソーテルヌは穏やかな笑みとともに一礼した。その言葉遣いも姿勢もどこを切っても完璧だった。しかしトマファはというと書類を確認しているときなどは手の力が抜けているようにも見えた。肩がほんのわずかに下がる――疲れではない、気落ちとも言える動き。しかしその様子を見たクラーレはつまらない事を想像していた。


 すべての手続き書類に目を通し終えたトマファは、静かに息を吐いてから口を開いた。


「審査には数日かかります。結果が出次第、滞在先の宿に使いを出しますので、それまではキュリクスで温泉をお楽しみください」


 努めて平静を装ったその声は、どこか硬く、少しだけ掠れていた。それを聞いたソーテルヌは一礼し、「ありがとう」と短く返して応接室をあとにした。


 トマファの様子は誰が見ても明らかにおかしかった。


「トマファ様、本当に大丈夫?」


 プリスカは耳元であえて明るく声をかけたが、その声音の奥には彼を心配するという確かな色があった。肩の沈み方や返事の遅れ、目の動き――トマファの細かな異変に彼女は最初から気づいていたのだ。


「えぇ、大丈夫ですよ」


 いつもなら少し冗談を交えるところを今日は短い返答だけ。プリスカは迷いながらも「じゃあ、執務室に戻ろうっか」と耳元で優しく言うとそっと背当ての取っ手を掴む。


 二人の間に流れる、微妙で繊細な空気がクラーレにはどこか居心地悪く感じた。お熱い二人が紡ぎ出す世界を見せられて嫉妬に似た感覚とでもいうべきだろうか。そんな自分の心のざわめきを紛らわせるように、あるいは、あの応対を見て生まれた『つまらない想像』を、クラーレは空気を壊すように軽口を挟んだ。


「なんかこう、トマファ君ですらイケメンを見ると緊張するんですね。――やっぱり嫉妬とか?」


 その一言にトマファどころかプリスカまで表情を強張らせた。トマファに至っては目線を少し伏せ、一つ溜息をつく。


「……そうかもしれません」


 静かにそう返すと彼は表情を硬くしたまま口を真一文字に結び、何も言わずに視線を前に戻した。プリスカは視線を逸らさず、トマファの横顔をちらりと見つめるとそのまま静かに車椅子を押した。


(私、あれ……変な事言っちゃった?)


 二人の背中をクラーレはぼんやりと見送っていた。二人の間に流れる空気の重さにようやく気づいたようで小さく眉をひそめていた。自分の言葉が何かを壊してしまったのかもしれないと気づくには、あと数歩、時間がかかりそうだった。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。



よろしくお願いします。



※中の人より

1話のエピソード文字数が長すぎると、読んでると疲れることが判明しました。

特に中の人は老眼がキてるので、スマホで読んでるとマジ疲れるんです。

文字数を6000文字程度で抑えるようにしてみます。

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