04話 武辺者、行き倒れてた兄妹を拾う
ジェルスに屋敷の管理と宮廷の動向について頼むと俺は馬車に乗り込んだ。俺、妻、娘、そしてメイド長のオリゴを乗せた箱馬車はキュリクスの地へと出る。この新都エラールから赴任地まで一週間程度の旅程だ。
「こうやってあなたとのんびり旅するなんて、結婚してから初めてじゃない?」
妻のユリカがそう言いだしたのでそうだな、と俺は何気なく応えた。きっとユリカも何気なく訊いたのだろう、彼女の目線は手許に収まる本に向けられていたままだった。娘のミニヨも静かに本を眺めていた、ただしうつらうつらと船を漕いでいる。もうじきこの地にも春が来るからか車内は心地よい暖かさに包まれていた。オリゴも静かに読書中だ。嵌め込み窓から柔らかい日差しがミニヨとユリカを包んでいた。
馬車での旅は時間がとにかく掛かる。徒歩で行くよりかは随分と早いのだがとにかく揺れる。シートを厚くしてもクッションを敷いても速度を上げれば車体が上に下にと揺れて尻や腰が痛くなる。それならば騎乗していけば早く着くだろうが、逃避行で無いのだから妻子を馬に乗せて旅に出る訳にもいかないしな。なお馬車が揺れるのは道が悪いからだ。車輪がはまらないよう石畳を張った道路が敷設されてたとしても長年の使用で痛むだろう、それは仕方ない。
あと馬車での移動は昼間のみにしている。別に夜盗や狼などの野生動物を恐れてではなく夜間の関所通過ができないからだ。もちろん火急の用であれば守備兵たちに寝酒代と言って袖の下でも奮発してやれば夜中でも難なく通れるだろう。しかし夜勤詰めしてる際に誰だって面倒くさい仕事なんかしたくない。だから貴族らの馬車であっても『開門時まで待たれよ』とつっけんどんに言い放つもんだ。ちなみに迂回して通り過ぎるって方法もあるが、碌に街道整備がされてなかったり、元々馬車での通行を想定してない峠道が先にあったりするので、関所迂回は決して賢い方法とは言えない。
「ところで父様、今日はどちらへ立ち寄るんです?」
「ん、今日はウェンドというヴァリック卿って在郷貴族の―――なんだありゃ。御者殿、ちょっと停めてくれ」
向かいに座るミニヨに次に立ち寄る町の説明をしてた時、そのミニヨの横の窓から気になる物陰が映ったのだ。俺は御者に停車を指示した。読書眼鏡を外したオリゴはガーターから一本のナイフを抜く、黒革鉄の刃身が鈍く光る。
「なにかございましたか」
「いや、どうも行き倒れみたいだ。オリゴ、救急鞄を持ってついてまいれ」
「―――御意」
そういうと俺は戸を開け馬車から降りた、どうも俺のような立場だと馬車から降りる際に自ら戸を開けるのはマナー違反らしい。でもそうは言ってられんと思い、いつ時かの小僧の気持ちになって飛び出していた。しかし考え無しに飛び出したもんだから慌てて護身用のダガーが腰からぶら下げてるかを確認しながらだったが。俺は街道脇の木陰で寝臥せる男を介助する若い女に声を掛けた。
「おい、大丈夫か?」
「旅の方、宜しければ助け―――あ、貴族様」
そう呟くと田舎の町娘といった格好の女が男から離れ、表情を強張らせて傅いた。この町娘からすれば俺は完全に異世界から来た異物だ、だから一般庶民の自分がそんな“異物”から声を掛けられるなんて思ってもなかったのだろうというのは平民上がりの俺ですら想像がつく。だから俺からの質問にはどうも答えてくれそうにもないなと感じたのでオリゴに視線を送った。オリゴも俺の気持ちを察してくれたのか、承知と小さく応えた。
「どうかなさったんです?」
「え、えぇ。あの、あ、兄がちょっと体調を崩しまして」
「少し診ます、失礼致しますね」
そう言ってオリゴは男の首筋に触れ、二言三言町娘に問診する。男は意識が朦朧としているのか声掛けしても反応が鈍かったようで、倒れるまでの症状を町娘の方から聞いていた。
「ヴァルトア様、そこの鞄に手拭いがいくつかあるから小川で曝して持ってきてください」
「あぁ、判った。―――オリゴの見立ては?」
「疲労と栄養不足から来る軽い日射病だと思います」
そうか、と俺は答えると鞄から手拭い数本を引っ張り出して小川へ向かう。それを見て町娘が慌てて立ち上がり俺についてきた、ただし町娘の足取りが少々おぼつかない。きっと彼女も疲労が足元に来てるのだろう。
「あ、あの貴族様。そのような事はどうぞ私にお命じ下さい。高貴なあなた様が我々庶民にそんな事、すべきではありません」
「そうか? これでも俺は槍働きだけで成り上がってきた武辺者なんでな、こういうのにも慣れてんだ。ところでお嬢、あんたもふらふらじゃねぇかよ」
「いえ大丈夫ですから―――」
そう言って、俺の手許から手拭いを奪い取ろうとしふらつく町娘の二の腕を掴んだ。今にもふらついて顔面から小川に倒れこみそうだったから咄嗟にだったが。しかし掴んだ二の腕は細く小枝のように折れそうだった。
「えぇ私は大丈夫です。それより兄が、兄が心配で」
「そうとはいえ少しは自分の心配もし給え」
「本当に大丈夫ですから」
そういいつつもふらつく頑固な町娘を介助しながら小川で冷やし曝した手拭いをオリゴの元へ持っていく。オリゴにはこのお嬢の様子も診てもらえるかと言い付けると、俺は寝臥せる男の下へ行き首筋や腋下に手拭いを置いた。確かに体温は高く辛そうである。俺が町娘と小川へ行ってた際にオリゴから飲料水と気付け薬を飲ませて貰ったのだろうか、男は意識を取り戻しており、俺の顔を見て感謝の言葉を漏らす。
「先ほど君の具合を聞いてね。どういう都合かは判らんが、きちんと食事と睡眠を取るべきだぞ」
「申し訳ありません、少し訳あって急ぎ郷里のキュリクスへ帰る旅でございまして」
「ほぉ、郷里へ急ぐ旅とな。親御さんの病気か何か?」
「あ、はい、老いた父母の具合が悪いようで。あと家業の事もあって私と妹とで急ぎ帰郷してたところでして」
「そうか。まぁなんだ、袖触れ合うも多生の縁、俺らもキュリクスへ向かうんだ。同乗していくか?」
「え、あの。ですが我々平民が貴族様の馬車に同乗するのは……」
「あぁ安心しろ。同じくエラールからメイドや教師などの道連れが乗った幌馬車があるからそっちに乗り給え。まぁ、俺はあんな箱馬車より幌馬車の方が馴染むんだがな、あはは」
「閣下、失礼します。アルディ殿の妹御テルメ様は過労のようです。気付け薬を飲ませましたので少し休ませれば問題ないかと」
「オリゴ、ありがとう、済まないな」
「―――勿体なきお言葉」
「彼ら兄妹もキュリクスへ向かうようだし、そっちの幌馬車に同乗させることにしたよ。旅は道連れ、歩くより幾分か早く着くだろうし向こうへ着任した際には土地勘のある協力者は一人でも多いほうがいいからな」
「―――御意」
俺がそう言うと、察しの良いオリゴは遠慮する兄妹に有無も言わさず後続の幌馬車に押し込んだ。その幌馬車から始終様子を見てた同乗者たちはようこそと言いながら兄妹を中に招く。きっと食事も休憩も碌に取らずエラールから歩き続けだった兄妹に、同乗者らは携行食を分け与えているだろう。そしてオリゴの事だ、過労の二人にワインを振舞うなとも言い付けてることだろう。何せこの道連れ、酒好きばかりが乗り込んでいるから。
俺は箱馬車に戻るとオリゴは素早く扉を閉め、御者に合図を送る。御者が手綱を扱くと馬車はゆっくりと動き出した。
「あなた、あの二人は?」
「アルディとテルメという、郷里キュリクスへ向かう訳あり兄妹だったよ。オリゴの見立てでは過労と日射病だったようでな。行先が同じだったんで後続の幌馬車に乗ってもらったよ」
「まぁ。体の具合がよろしくないのでしたら、少しでも揺れが少ないこちらに乗って貰えばよかったんじゃないかしら? 何なら私たちが幌馬車にでも乗って」
「俺もそれは考えた、んでも恐れ多いって奴さんが遠慮されちゃってね」
「まぁ、私だって今だにこんなフリフリドレス着てヅラ被って箱馬車に放り込まれてるのも恐れ多いんだけどね」
そう言うとユリカは小さなハンドバッグからピューターのスキットルを取り出すと口に含んだ。それを俺に突き出したので俺も一口頂く。ミニヨも手を伸ばしたが、12歳にはまだ早いと言って手を叩いておいた。
ユリカも今じゃあちこちで貴族としての振舞いを要求されているが、昔は俺と同じく槍働きで切磋琢磨し成り上がってきた女傑だ。そんな男勝りな女だからこそ俺は惚れたんだろうし、ユリカも俺なんかに興味を抱いたんだろう。
「せっかくの同行者なんですから私に紹介して下さらない? 旅路の途中に行き倒れ拾ったなんて、三文小説にもない設定よ?」
★ ★ ★
(テンフィ視点)
ヴァルトア卿の御厚意により新都エラールからキュリクスへと幌馬車で向かう事となった。この馬車にはヴァルトア卿の家臣やメイド達の他に妻のマイリス、僕の元同僚のグレイヴ夫婦とオキサミル、そして同じく中等学校を退官したウタリが乗り込んでいる。
グレイヴは平民軍人上がりの剣技教官でその嫁のアルセスさんはエラールでそこそこ有名な酒場の看板給仕だった。彼ら夫婦はキュリクスへ行くかとヴァルトア様から声が掛かった際に二つ返事でお供しますと申し出てくれた。新都の窮屈さや仕事のやるせなさに嫌気が差してたのだろうか、渡りに船とこの申し出に乗ってきたそうだ。なおアルセスさんのほうが乗り気だったそうだ。
オキサミルは僕と出身校が同じで物理学の教官だった。趣味が鉱石と薬草採取と平原だろうが山の中だろうがとにかく歩き回って資料を集める奇人だ。彼もグレイヴ同様、低賃金かつ改善されない現場から飛び出してきたそうだ。
もう一人退官して付いてきたウタリだが、僕やオキサミルとは接点が殆ど無い。このウタリは軍略教官で、どこから聞きつけたのか僕らが退官して新天地に行くことを耳にするや彼女も教頭に突然退官すると告げた後、付いてきたって次第だ。そのウタリだが幌馬車の中では終始軍略書を読み耽っていた。まぁ僕やオキサミルとは接点が全くない教員だし、軍略なんて僕の人生で関わる事もそうそうないだろうから気にしないでおくことにした。
他の同乗者、ヴァルトア卿の家臣らは、スルホン様とアニリィ様の両武官、執事ジェルス様の御子息ノックス殿、そして家事メイドのパルチミンさんと料理メイドのステアリンさん、そして作務師のノール爺さんだ。ちなみにグレイヴの見立てだと『武官の家臣だけあってメイド含めて全員左手に剣ダコが出来てる』との事。確かに何気なく妻の左手に触れてみると掌の一部に確かにタコが出来ていた。きっとこれの事だろうか。あとパルチミンさんやステアリンさんのスカートの奥にガーターに収まった小刃がきらりと見えた時、やはりこの家はそういう家なんだと理解した。あぁ恐ろしい。
そんなある日、ヴァルトア卿が行倒れの兄妹を拾った。文字通り拾ってきたのだ。箱馬車から飛び出したヴァルトア卿が兄のアルディ殿の様子を伺い、メイド長のオリゴさんが簡易診察して幌馬車に連れてきたのを僕らは固唾をのんで見守っていた。確かオリゴさんは戦闘メイドだったから簡易診療ができたはず。
「―――というわけでステア、この兄妹に温かくて消化の良いパン粥を用意なさい。このスクロールを使っていいわよ」
「承知」
「まだ本調子じゃないんだからお二人さんはしばらく禁酒して。―――あとこの馬車で移動中も通常勤務扱いなんだからアニリィは禁酒ですよ。下戸のスルホン様はアニリィをしっかり見張ってて下さいませ。パルチやステアも我慢してね」
「あの、儂は?」
「ノール爺、また痛風出るわよ」
オリゴさんは淡々とした言葉でそう言うと鞄から煮炊き用の魔法陣が書かれたスクロールを出すとステアリンさんに手渡した。この煮炊き用スクロールってのは鉄鍋を熱する機能を持っており火気厳禁の馬車内ででも簡単な煮炊きが出来るといった魔法具だ。しかし煮炊きできる時間がそんなに長くない上に一度使い切りのアイテムだ。魔法具屋で高額な魔素の補充が必要な為、薪炭代と比べたら非常に割高なので一般用というより旅行用非常用だ。
ステアリンさんがスクロールを広げて起動させるとパン粥を作り始めた。流石は料理メイド、手際は妻のマイリスの比ではなかった。幌馬車の中が優しい香りに包まれるとアニリィ様の腹の虫が大声で苦言を呈す。それを聞いて皆が苦笑いした。
「儂も腹減ってきた。ステア、なんかアテを拵えてくれや」
「まだコンロ使えますから、本当に簡単なものでしたら―――ノール爺、飲み過ぎないでくださいね?」
あぁわかった、そうノール爺さんがそう言うや陶製瓶の栓を抜いてカップに注ぐ。ステアリンさんもやれやれって顔をすると鉄鍋に干し肉や乾燥野菜に香辛料を放り込んだ。しばらくして先ほどと違い荒々とした香りが幌馬車の中に広がると再びアニリィ様の腹の虫がご機嫌な文句を垂れる。
ステアリンさんが作った簡単なアテは本当にびっくりするほどの美味しさだった。おかわりと言いたいがスクロールは魔素切れとなってしまったため、一人また一人と干し肉をナイフで削ったのを口に放り込む。そして気が付けば陶製瓶が数本も空いていた。特にアニリィ様はご機嫌になって酒を飲み、アルディ兄妹にうざ絡みを始める。僕の結婚式の際もアニリィ様は浴びるように酒を飲み干して参列者に飲み比べするぞとうざ絡みしていた事を昨日のことのように思い出してしまう。
食事を終えて一心地着いたのかアルディさんがぽつりぽつりと行き倒れていた経緯を話してくれた。兄のアルディさんはエラールの薬商ギルドに、テルメさんは錬金術ギルドに勤めていたらしい。しかし父母の急病の知らせを受けて急ぎ帰郷中アルディさんが調子を崩してしまったのだという。それを聞いて酒に酔ったアニリィ様は
「そか、そかそか! じゃあキュリクスに詳しいんだったら美味しい酒場を教えてよ! 出来れば熟乾いた樫の木で焼いた、熟成した腸詰肉を出してくれるところがいいな」
と言う、それはアルセスさんが勤めてた酒場の名物料理だ。まだ飲む気なんだろうか。
「それでしたら―――」
きっとこの兄妹はとても優秀な人材だろう。新都エラールの薬商ギルドや錬金術ギルドに所属していたなんて今後在野で眠らせておくには惜しい逸材だと思った。しかし僕は一介の元教職だし一時的にヴァルトア卿に雇われてるに過ぎない立場だ。この兄妹の身柄について進言するような当てもない。残念だが彼らとはキュリクスに着いたら個人的なお付き合いしかできないだろう。
「いやぁ、良い兄妹だ! どうだ、家の事が落ち着いたら戦乙女の剣の旗の下で働かないか? あと、テルメ嬢、このスクロールに魔素をブチ込めねぇ? そしたらステアがまた何か焼いてくれるぜ?」
アニリィ様の突然の放言に皆驚いたのだが、程よく酒が回って気分が高揚してた連中らはそれが良いと口々に言う。キュリクスでもよろしくやっていこうと言うアニリィ様の言葉を聞いて、このうざい酔っ払いのナイスアシストに心から拍手を送った。
なおテルメさんは錬金術ギルドの秘密ですよ、そう言ってスクロールの魔素注入法を教えてくれた。これだったら自分でも出来そうだな。
★ ★ ★
(ヴァルトア視点)
ウェンドの町に着き俺は箱馬車より降り立った。しかし幌馬車の中から誰も降りてこず御者殿は俺に困り顔を浮かべていた。俺はオリゴを伴って幌馬車に近づくと、へべれけに酔っぱらったアニリィが酔いつぶれた同乗者たちにもっと飲めとうざ絡みしてるところだった。なお酒が苦手なスルホンにも無理やり飲ませたのだろうか、馬車の隅で朽ち果てたゾンビのようになっていた。―――ゾンビは既に朽ち果ててるか。
「おいおい、陽の高いうちは勤務中だと言ってたろうが! あとアニリィ、お前は酒は飲むなと何度言って」
「あははごめんちゃいー。んでもヴァルトア様聞いてくださいよー、このアルさんとテルっちの兄妹ね、キュリクスに着いたら当家で働いてくれるって言ってくださったんですよー」
「あーはいはい、わざわざスカウトしてくれたんですねー、えらいねアニリィ」
「うへへ、褒められたっ―――ぷふぇ」
そう言うや、アニリィはいろんなものを戻し始めた。それを見てなお困り顔になる御者、そして吐いちゃったからもっと飲もうと言うアニリィ。それを唖然とした顔で眺める兄妹が馬車にいた。よし、全員減給だ、清掃代と御者への迷惑料を出さないとな。
お酒を飲めない人に無理やりお酒を飲ませるような行為は非常に危険です。
よい子はアニリィの真似事は絶対にしないでください。
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