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35話 武辺者、島嶼への派兵を許可する・4

 夕暮れのキュリクス。

 領主館の隣に佇む質素な平屋建ての家屋。その煙突から立ちのぼる湯気が、夕焼け空にほんのりとけ込んでいく。香ばしくて酸味を帯びた香りは、通りがかった子どもの鼻先をくすぐり、足を止めさせるほどだ。


 この家に住むのは、武官長スルホンとその妻エルザ。独身官舎のような無機質な空間ではなく、日々の暮らしの温かみがにじみ出た場所だ。軍人らしく無駄のない作りだが、台所と食卓だけは例外だった。整然と並べられた器、壁に吊るされた銅鍋やさまざまなサイズのパン。磨かれたまな板や布巾の並び方まで計算され尽くしており、その一角だけ切り取れば、まるで小さな食堂の厨房であるかのようだった。


 ダイニングの椅子にどかりと座り、スルホンが重たい表情で報告書に目を落としていた。そこにはヴァルトアから回されてきたアルカ島派兵の記録が整然と並んでいる。スケルトンの遭遇、撤退戦、そして水による謎の行動鈍化──無機質な文面が逆にその異様さを際立たせていた。


 眉間に皺を寄せながらページを繰るスルホンの頬に、室内灯の明かりが当たる。いつも硬い表情を見せているが、今はより一層厳しい表情を浮かび上がらせていた。仏頂面にして仏頂面、まるで石像だ。

 石像とも例えられた表情を浮かべるスルホンだが、ようやく報告書のすべて目を通し終えたのか一つ溜息をつく。そして彼は小さく、しかし真剣な声で呟いた。


「――俺、やっぱ行かなくてよかったわ」


 台所でスープをよそっていたエルザが、くすっと笑って言う。


「あなた、そんなこと言ったらウタリちゃんやクラーレちゃんに悪いわよ。——めっ!」

「うー……だって本当に怖いんだもん」


 軍服を着て直立すれば威圧感しかないスルホンが、今はすっかり肩を丸めて椅子に深く腰を沈め、すねたように弱音を吐く。鍛え上げた体格とその態度の落差は、まるで大きな熊が膝を抱えて反省しているかのようだった。妻に「めっ」と叱られただけでこの様である。

 そんな男の対面で食事を始めていた文官長・トマファが、スプーンを動かしつつ淡々と口を開いた。


「スルホン様ってほんと見かけ倒しですよね、仏頂面も中身と合ってないですし。軍服着てなかったらただのビビリ散らかしおじさんですし」

「おい、そういう言い方はだな……」

「でも間違ってませんよね?」


 スルホンは反論しかけたが、諦めて黙った。トマファと言い合うつもりは最初からなかったし、言葉で勝てる気もしない。軍人の威圧や拳ではどうにもならない相手には、静かに負けを認めるのが一番安全だ。

 気まずい空気になったかと思いきや、食器の触れ合う音とスープをすする柔らかな音だけがむしろスルホンには心地よかった。どこか妙に落ち着くこの沈黙はエルザに叱られるよりずっとましだった。


 ちなみに今日はエルザが「たくさんおかずを作り過ぎちゃったから誰かと食事をしたいな。ほら、あの文官の子」と言い出し、結果的にトマファを招くことになった。スルホンとしては“文官の子”という呼び方もどうかと思ったが、彼女は人の名前をよく忘れるのでいつもの事と思ってトマファをを呼ぶことにした。ちょうどアルカ島に関する話も聞きたかったので都合がよかったのだ。

 そうして招かれたトマファはというと、何の遠慮も見せず、しっかりと食卓の主賓になって美味しそうに料理を愉しんでいる。エルザが運んできた南蛮漬けを口にしたトマファが、ふと呟く。


「あ、これ果実酢ですね。良い酸味で僕は好きです」

「あら、トマファ君って舌も利くのね。これ、おさかなもお酢も近所で買ってきたの」


 この時期のキュリクスでは、近くを流れる川で小魚がたくさん採れる。それを素揚げにし、揚げたての熱いうちに甘酸っぱい漬け汁にじゅっと漬け込み、一晩寝かせる──これがこの辺りで定番のおかず、南蛮漬けである。ちなみに南蛮酢と呼ばれるその漬け汁は、出汁に酢、ひしお、そして砂糖を加えて調えた甘酸っぱいもの。酸味と甘みの絶妙なバランスが、魚の旨みを引き立てるのだ。


「お酢の力で骨まで軟らかくなってるから、おさかなが苦手なスルホちゃんも食べられるね」


 そんな事を言いながらエルザはスルホンの前に南蛮漬けを出す。スルホンとエルザとの関係を傍目で見ている限り、まるで母子だとトマファは思った。しかし、エルザの言葉を聞いたその瞬間、スルホンの眉がぴくりと動き、食事をする手がぴたりと止まる。石像のように固まっていた顔に一瞬、光が灯る。その直後にゆっくりと顔を上げたスルホンの表情はあまりに真剣すぎて、逆に二人が戸惑うほどだった。


「なぁトマファ殿。酢で骨が軟らかくなるって事は――溶けてるのか?」


 その何気ない一言に不思議な重みが宿っていた。それを察してか二人の意識がどんどんとスルホンに集中する、そのためエルザの手もトマファの咀嚼もぴたりと止まった。トマファは静かに、その言葉の意味を噛み締めるように頷いた。彼の眼差しはすでにスルホンの着眼点に対する論理的な裏づけを探り始めていた。


「論理的には、カルシウム成分で構成される骨は酸に弱いです。特に酢のような弱酸でも徐々に溶解します。骨が軟らかくなるのは分解が進んでいる証拠と言えるでしょう」

「って事は、この酢でスケルトンを……?」と言いかけて、エルザも口をつぐむ。


 つまりスルホンの考えはこうだ。スケルトンは剣で斬っても、ハンマーで砕いても、砕けた骨が何らかの力で再接続され、すぐに立ち上がってくる。物理的な破壊が無効に等しいのであれば、構造そのものに変化を与えるべきではないか。そして酢による溶解によって、再接続そのものを不可能にしてしまえばいい。破断面や切断面が崩れ、接続の基盤そのものが壊れてしまえば──スケルトンはもう動けないのではないか。

 それはあまりに単純だが、今この瞬間、食卓に上がっている南蛮漬けの酢の力が、恐ろしいまでに理にかなった対抗策に見えていた。


「うわ……それなら俺、晩飯でとんでもない兵器を食ってるのか……?」


 スルホンが、恐る恐る酢の物の皿を見つめた。仰々しく言ったわけではない。それでも彼の声は、本気だった。


「そんなこと言ってないでさっさと食べなさい! スルホンちゃんはそうやっておさかなさんを食べないつもりでしょ!」


 まるで稚児をしかる母親そのものである。 そしてスルホンは皿の上の南蛮漬けからそっと目を外す。正直なところ、スルホンは魚が苦手だった。あの小骨の多さ、目玉が付いてるという恐怖、そして見た目、それら全てがどうも性に合わないのだ。

 だからこそ、さっきの「酢で骨が溶ける」理屈を口にしたのも、どこか言い訳めいていた。 それが思いがけず論理的に正解だっただけで、実のところ彼の脳裏にあったのは「食べたくない理由が成立してしまった」ことへの安堵だった。


 しかしトマファは車椅子の背から素早く書類を取り出し、さらさらと筆を走らせる。


「この仮説、ヴァルトア様に提案書として提出します! 兵科に携行して実験の価値あり、ということで」


 その様子を見て、エルザが静かに呟いた。


「あららぁ、クラーレちゃん、スケルトン対策で二キロも痩せたのよ。もっと早く気づいてあげられたら~」

「まさか酢で倒せる魔物がいるとは思わんだろ……俺、糧食隊に連絡入れるわ。街中の酢、片っ端から買い占めろってな」


 真顔で言い切るスルホンに、トマファがわずかに吹き出しながら返す。


「買占めは街中にあらぬ噂が立ちますよ。――領主館がピクルス市場に殴り込みって」


 その返しにスルホンもにやりと笑い、すっかり乗り気になっていた。「それでいい。次は漬物部隊で防衛線を張る。ああ、酢味噌隊と甘酢散兵も追加だ」


 呆れたようにトマファが肩をすくめる。


「そこまで言うなら、酢兵器の戦略名も考えましょうか。『歩行型スケルトン対策砲』とか」

「あら楽しそうね。それだったら私もクラーレちゃんの護衛に行こうかしら?」


 そんな冗談の応酬に、静かだった食卓に笑いが戻った。気づけばスルホンは魚を残していなかった。



     ★ ★ ★



 再びアルカ島へ向かう朝。

 前回の撤退から数日、ウタリ、クラーレ、アニリィ、そして錬金術師テルメの四人を含む小隊43名が再調査の任を受けて港へ集合していた。今回の装備は一風変わっている。


「錬チン術ギ――もう一回いいですか?」

「クラーレっち、もう何度目だよ!」


 腕組みして舳先に腰掛けて足を組むウタリはため息を付く。今のところ『テイク5』だ。


「錬金術ギルド謹製、“歩行型スケルトン対策砲”です」


 クラーレが誇らしげに紹介したその武器は、背負い式の加圧噴霧器に酢を詰め、引き金を引くとぴゅぴゅっと酢が発射できる代物だった。


 発端はスルホンが南蛮漬けを食べたくないあまりに口にした「酢で骨が溶けるんじゃないか」という冗談めいた一言だったが、これを真面目に受け取ったトマファがすぐさま論理的根拠をまとめ、設計図と簡易仕様書を夜のうちに書き上げた。翌朝には錬金術ギルドに提出され、設計通りの試作品がわずか二日で完成。背中に担げる加圧式タンクと噴射機構は、もともと消火器用に開発されていた道具を転用したものだ。もし背負い式タンクの酢が尽きても、現地で酢を補給すれば再使用が可能という、実用性にも優れた一品である。


 ただし、この兵器にはひとつ問題があった。クラーレの滑舌の問題か、それとも単語そのものが言いづらいのか、彼女が正式名称を口にするたびに噛んでしまい、報告のたびに周囲を困惑させたのだ。やがて周囲の者たちが半ば呆れながらも笑いに転じ、通称『スケスケ砲』と呼ばれるようになったのである。


 さらに今回の出発にあたり、テルメがアニリィに手渡したのは銀色の楕円形のペンダントだった。


「魔導暴発防止装置です。これを身に着ければ、あなたの魔力は安全域まで制御されるはずです」

「え、なにその首輪。――あたし、ついに犬扱い?」


 アニリィがむくれるが、テルメが目を細めて言った。


「前回、説明もなしに天井ごと吹き飛ばして更地にしましたよね、洞窟。せっかくパウラちゃんやジュリアちゃんがお仕事頑張ってたのにあなたが黄鉄鉱に踊らされちゃって――忘れてませんよ、ほんと」


 普段はほわほわとした笑みを浮かべるテルメの目が鋭く光る。それを見て生唾をごくりと飲み込むとアニリィは即座にペンダントを首に下げた。


「へい、装着しまーす」



 * * *



 再びたどり着いたアルカ島の浮き桟橋(ポンツーン)。朝靄に包まれた海面に灰色の岩場が沈黙している。クラーレがロープを確認し、ウタリが地形を確認している最中だった。


「前回のロープ、全然問題ありません。まだ使えそうです」

「じゃあ一旦船に戻って登攀班を決め――」


 ウタリとクラーレと入れ替わるように浮桟橋に「ほいっと」飛び乗ったアニリィは、暇を持て余したように海を覗き込んでいた。潮の香りが立ちこめ、透明度はさほど高くないため海底はぼんやりとしか見えない。

 今日のアニリィはクラーレやテルメの護衛として来ているため、上陸するまで彼女の仕事は無い。そのために何するでもなくぷらぷらしているのだ。


「危ないから気をつけろよ」


 船へ戻りかけていたウタリの声に、アニリィは気の抜けた調子で「へいへい」と返事をして、岩壁にぶら下がる縄梯子をぶらぶらと眺めていた。

 そのときだった。アニリィの視界の端を、かさかさと黒い何かが走る。


「……ん? ちょ、なにあれ。あれなに? う、うそ、ゴ?フナムシ!? え、ムリ、無理無理無理無理ッ!!」


 突如叫びだしたアニリィが、波打ち際を指さして後ずさった。彼女の視界の端に、黒くうごめく小さな影が走ったのだ。


「どぉした、アニリィさ――ってお前ッ!」

「――古よりの主神に誓い、我が魂と炎を捧げ、奇跡を起こす――」


 浮桟橋で騒ぐアニリィに「どぉした、アニリィさ――」と声を掛けかけたウタリだったが、その目がアニリィの手元をとらえた瞬間、空気が凍った。アニリィの両手に収束する水色の魔素──見慣れた、しかし絶対に今ここで見てはいけない光景。


 「やばい、下がれッ!」

 ウタリは血の気の引いた顔で叫ぶと、咄嗟に周囲の兵たちに向かって怒鳴りつけた。「頭を下げろ! 伏せろッ!!」

 命令の響きは鋭く、反射的にその場にいた者全員が船底に身を投げる。


 次の瞬間、爆発音が響いた。




 ドガアアアアンッ!!




 魔導暴発防止のペンダントを装着していたにもかかわらず、アニリィから溢れた魔導力は一瞬で飽和すると制御を振り切って暴発した。閃光と轟音の中、浮桟橋の周囲はごっそりと吹き飛び、砕けた岩が波とともに空を舞った。


「アニリィ!? なにしてんのよ!」

「む、無理だった! 足いっぱいのモショモショしたやつマジで無理なんだってば!」


 だが、吹き飛んだ岩壁が思わぬ形で新たな足場となり、結果的に上陸が格段に容易になる。

 沈黙の後、ウタリが静かに一言。


「……まあ、上陸しやすくなった。ヨシ!」

「ヨシじゃないです!」


 テルメが額を押さえてぼやいた。「魔導封鎖しててもこれって、もう武器というか災害……」



 * * *



 爆煙のなか、クラーレが立ち上がると、アニリィがケロッとした顔で言った。しかしその笑顔の奥には、うっすらとした焦りと後悔がにじんでいた。自分がやらかしたことの重大さはアニリィなりにじは理解しているのだ。にもかかわらず何とか空気を和らげようと無理に明るく振る舞っているのが痛々しい。

 それは、叱られた後にしょんぼりする子どもが機嫌を取り戻そうとして無理に笑顔を作るようなものだった。


「いやほんと無理、あいつら足いっぱいあるし……骨より怖くない? (骨だけに)ほーねー♪」

「……」


「骨を折る人って普通の人なんだよ! (骨だけに)(ボーン)人」


「落石って、狙って落ちてくるって言うよね! (岩だけに)ロック・ユー!」


 一瞬クラーレの眉がピクリと動くが、誰も言及しない。


「スケルトンにロックって、これもう“ホネホネロック”だよね!?」


 沈黙。


「一文字も聞かなかったことにしましょう」クラーレが無表情に言い、

「爆発より虚無が強くなったな……」とウタリが静かに呟いた。

 そしてテルメはふと腕を組みながら。

「ホネホネロック知ってるなんて……アニリィ様って、いくつなんですか?」

 アニリィ、ぐさっ。


「ちょ、テルメちゃん、それ地味にキくって!」


「じゃあアニリィ様、もうすこし面白い事言ってください! これって下手したら事故ですよ!?」


 ぷんすか腹を立てるテルメにアニリィはにやりと笑うとどや顔でこういった。


「そういえば錬金術ギルドがスケルトンもってかえるんだっけ? ()()()()()()()使()()()()?」


「……」「……」「……ぷっ」

「はーい、クラーレちゃん、アウトー!」


 こうして、第二次アルカ島調査隊の爆発的な上陸は、アニリィのやらかしとギャグで幕を開けた。しかしその後もアニリィは、反省するどころか調子に乗ってホネホネギャグを連発。


「この島、もう“骨格的に危険”ってことで記録しとく? ほねー」

「アニリィ、そこ、正座」


 ネタ切れしたアニリィが惰性のようにギャグを繰り返す姿に、ついにウタリの堪忍袋の緒が切れた。彼女は無言でスケスケ砲の予備タンクをひょいと奪うと、アニリィの前にどんと置いた。


 有無を言わせぬ口調にアニリィはすくみ上がる。おとなしく膝をつくと、その上に予備タンクを載せられる。さらにそのタンクの上にウタリが無言で腰を下ろした。

 どっしりと、ため息交じりに。


「お前、戦地で正座させられるのって、どんな気分かわかってるか?」


 声は低く穏やかだったが、逆にそれが怒りの本気度を物語っていた。


「ご、ごめんってウタリっち……うぅ、岩が硬い……」


 骨より硬い岩の上で、アニリィの地味に長い反省時間が始まった。


「おーい、若い兵士ら、よーく見ておけ。戦地でバカやってるとこいつみたいになるぞー」



 * * *



 再びアルカ島の灰色の岩場に、調査隊が足を下ろした。

 波は静かで、朝の空気にはうっすらと酢の匂いが漂っている。それもそのはず、今回の装備は全員が背負う“スケスケ砲”──つまり酢を霧状に噴霧する対スケルトン兵器だった。

 クラーレは前を歩きながら確認する。「異常なし。上陸は完了」


 パウラは黙ってジュリアの袖を引いた。軽く引かれただけだったが、その手には微かな緊張がこもっていた。

「離れるな」

と、言葉は短いが、声音はどこか柔らかく切実だった。普段は無口な彼女がわざわざ口を開く──それだけでジュリアには十分だった。

「は、はいっ……!」

 ジュリアは驚いたように頷き、少しだけパウラの背に寄る。その目に、微かに安心の光が戻っていた。彼女は首から下げた小瓶を掲げた。


「今回はちゃんと祝福済みの聖水、持ってきましたからね! 聖なる力、信じてます!」


 クラーレがジュリアの声が聞こえたのでチラリとそちらに視線を向けた途端、目に映ったものをみてぐっと息を呑んだ。


「そ、そそ、それ! まさか、娼館の“一番搾り”――ッ!」

「ち、違いますよーッ!」


 顔を真っ赤にしてジュリアは叫ぶ。

「ちゃんと神父様に祝福してもらった聖水です! 飲料にも使えますからね!」

 パウラはその小瓶を見て眉をひそめ、「……そう見えないけど」とぽつり。


 ウタリが手を上げて割って入る。「位置に着け。スケルトン、来るぞ」

 


 * * *



 岩陰から現れた一体が、ガタガタと歩み寄ってくる。


「撃ちます」


 クラーレがスケスケ砲を構えて引き金を引く。ぴゅっと音を立てて酢が飛びだすとスケルトンの膝に命中した。――反応はすぐだった。膝関節がカクンと折れ、そのまま地面に崩れ落ちる。


「命中、関節崩壊確認」


 ウタリが頷く。「有効。全員足元を狙え。まずは動きを止めろ、部位狙いを徹底しろ」

 すかさずテルメがノートを開きながら呟く。「カルシウムと酢酸の反応で構造が緩んでる。いいですね……予想通りです」


「じゃあ、私も試します!」


 ジュリアが元気よく飛び出し、聖水の瓶を構えて叫ぶ。「聖なる浄化の力よ、我が手に!」

 ポシャッ。

 聖水はスケルトンの頭にかかる。 一瞬、動きが止まった。

 次の瞬間──

 ガシャン。何事もなかったかのように歩き出す。


「……え?」

「やっぱり演出オイルだったんですね」  クラーレが冷静に言った。


 月信教の神父が言っていた事は本当だったのかもしれない。『主神の祝福を形にするためのもの』であって、聖霊なんかなかったのだろう。


「いやいや、スケスケ砲もきついからな!? 酢ってこんな匂う!? これ以上吸ったら鼻どころか性格まで曲がりそうなんだけど!」


 アニリィが顔をしかめながらも後方から噴射。

 ウタリは振り返りもせずに言った。


「お前、これ以上曲がる気なのか?」



 岩陰から突進してきたスケルトンが、ジュリアへとまっすぐに向かってくる。


「ひいっ!?」


 だが、その前に立ちはだかったのはパウラだった。普段は装備しないメイスを構えると、静かに足を開いて重心を落とす。ジュリアを背にかばいながら無言のまま一歩踏み込むと思い切り振りかぶった。鈍い音とともにスケルトンの顎が砕け、頭蓋骨は宙を飛ぶ。さらに続けざまに脇腹を殴りつけ、背骨ごと吹き飛ばす。砕けた肋骨が宙を舞い、パウラは動じることなく二歩下がって再び構えを取る。次に来た個体の膝を砕き、よろめいたところに真上からの渾身の一撃──頭蓋が粉々に割れ、ようやく動きが止まる。


 その間、パウラは一言も発さなかった。ただ、息を吐き、ジュリアを見て頷くだけだった。


「――パウラ先輩、かっこいい」 


 ジュリアが目を丸くして呟く。


「酢をかける、ちょっと目が染みる」


 パウラにはスケスケ砲が回ってこなかったので、小瓶で渡された酢をどばどばかけては退治をしていた。



 * * *



 戦いの最中、倒れた一体のスケルトンを見て、残る数体がぬるりと滑るように岩陰へ退いた。誰かが命じたわけでもない、けれどそこには明らかな「統率」の痕跡があった。


「何やら動きに、意志があるぞ」


 最前線で戦況を見つめていたウタリがぽつりと呟いた。その声音はただの違和感を告げるものではない。指揮官として戦場を見てきた彼女の感覚が『何かが変だ』と告げていた。


「あれは自律行動じゃない。反応してる」


 テルメがそばで小さく呟きながら、崩れ落ちたスケルトンの骨の様子を観察していた。酢の影響で継ぎ目が破断し動けなくなった個体の周囲に、他のスケルトンたちが近づこうとすらしない。まるで指示を受けた者だけが動く兵のように見える。


「命令を受けてる気配がありますよね」


 錬金術師としての彼女にも、それがただの反射行動ではないことが直感でわかった。


「つまりどこかに『司令』がいる」


 クラーレが低く呟く、言葉の裏には確信があった。自律的に動いているのなら敵はもっとランダムに接近したり散らばったりするはずだ。だが現に彼らは連携し、退き、再配置さえしているように見える。


「ならばそこを落とせば終わるな。急ぐか」


 地形と敵の動き、兵の消耗、酢の残量――すべてを分析したうえでのウタリの結論だった。

 静かな緊張が、空気を染めた。これはただの掃討戦ではない。

 スケルトンの奥には、まだ誰かがいる。

 それは人か、魔か、それとも──

 次なる行動の焦点が、ようやく定まりつつあった。



 * * *



 島の奥、中庭跡。

 かつてパウラが『下に変な反響がある』と指摘した地点。再調査に当たったテルメとクラーレは、その違和感の正体を突き止めるべく石畳を何度も探索棒で叩いていた。その近くでアニリィは長剣を抜いて二人の護衛をしている。


「やっぱり、響き方が違いますね。ここ、地盤が異様に薄い。下に空洞がありますよ」


 クラーレが膝をついて、カツカツと探索棒で地面を突きつつ耳をすませながら言った。音の返り方は明らかに地下に不自然な構造物を示していた。クラーレはナイフを抜くとあちこちの石と石の隙間に差し込んでいた。そこで小さく沈み込む場所を探す。テルメは金槌であちこちを叩きながらおかしな石畳をさがし探していた。


「ありました。――これ、扉の縁ですよね」


 テルメが違和感を覚えた石畳にナイフを差し込むと、薄い石のさらに下に鉄板が埋まっていた。それを慎重に調べると、まるで隠し扉のような接合部が確認される。それをクラーレと二人で引っぺがすと地下へと続く通路を見つけた。


 護衛に入っていたアニリィにウタリを呼んできてもらうようお願いすると、二人は地下へ潜ることにした。灯りを掲げて慎重に下ると現れたのは広間のような空間。その中心には石の床に埋め込まれた円形の石柱。さらに壁際には、湿気で傷みかけた十数冊の書物が整然と積まれていた。


「まるで制御室のような構造ですね。この石柱」


 テルメは制御盤の中央に刻まれた文様を凝視し、目を細めた。


「この紋様――人魔大戦時代に使われていた言語ですよね。翻訳に時間はかかりますからメモを取らせてください」


 そう言うとテルメは胸元からメモ帳を取り出すと、円形に書かれた魔法陣を書き写し始めた。クラーレも傍らに寄り、装置の側面に刻まれた魔術言語の断片のメモを取る。しかし慣れない文字のためかメモに時間が掛かってしまう。


「もしヴァルトア様が王宮にここの報告をして、連中らがここを発見していたら――軍事研究に“利用”していましたよね。だって、物理攻撃が殆ど効かない兵なんて、ある意味脅威ですよ」


 クラーレの独り言にテルメは静かに頷く。


「そんなことがあったら、また戦乱時代に戻りますね。しかも、表に出ない諜報戦と技術争奪のような、もっと根深くて厄介な形で」


 沈黙――。

 やがて、アニリィに呼ばれたウタリが階下に入ってくると腰に手を当てたまま天井を見上げた。 「どうする? ここで全部ぶち壊して、なかったことにするか? アニリィもいるし」

 その場にいた全員が、一度だけ深く息を吸った。

 テルメが小さく笑って言った。


「ええ、そうしましょう。ただ、記録として残せるものは持ち帰ります。後世への教訓として」


 それを聞いたウタリは、首を回して後方にいるアニリィを呼んだ。


「一杯奢るから、ぶちかして良いぞ」


 待ってましたとばかりにアニリィが肩を跳ね上げる。


「っしゃああああああああ!!!」


 得意満面の笑みを浮かべながら、「まっかせなさーい!」と叫び、勢いよく魔導封じのペンダントを引きちぎる。あたりに高まる魔素の気配。その目には期待とやりがい、それよりもこの仕事が終われば久々の酒が飲めると思うと気合いが入る。


 瞬間、白光が空間を包み、轟音が地下空間に響き渡った。制御盤も、古い書架も、すべてが粉々に吹き飛んだ。あとに残ったのはかすかな灰と、しんと静まり返った地下の空間だけだった。

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よろしくお願いします。



南蛮漬けは好物です

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