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31話 武辺者、検地の指示をする・2

 カルバ村の測量はある程度終わった。

 古地図の記録、入植記念の石碑から村の敷地と方位、川筋の変化、地質──すべてを数値に落とし込み、記録し、仮の境界線案まで引き終えた。テンフィが記録用紙をめくりながら「傾斜率だけは古地図通りですね」と呟く。


 実測したところ、古地図を元に徴税すれば文句が出てきてもおかしくはなかった。それだけ実地との乖離があった。ガンゾが何度も徴税官に文句を言っていた理由も頷けるし、それを無視され続けて頑強になってしまうのも仕方がない。とにもかくにも先の氾濫で蛇行した川が境界を狂わせたのだ。これを放置して置いたら遠くない未来、境界線を原因とした諍いが武力闘争に転じてもおかしくはない。ここから先はまぁ、文官長トマファ大先生とクラーレ嬢の仕事だな。


 俺は畔に腰掛けるとそんなことを思い馳せながらスキットルを取り出して一口飲む。俺の横に座るガンゾに差し出すと彼も一口飲んだ。相変わらず俺の隣でもくもく紫煙を燻らせるガンゾがテンフィの地図を眺めながらぽつりとひと言漏らした。


「おめぇさんら、ようやったわ。ビサワ村が納得するかは知らんが、これで筋は通る」

「そうか、あとは――」


 と、そこへ。風を割くように男の怒鳴り声が飛び込んできた。


「通るわけがなかろうがいッ!」


 声の主は、痩せぎすで背筋の伸びた爺さんだった。杖をつきながらも歩きは力強くて眼光は獣のように鋭かった。


「グリアンーー」


 ガンゾが低く呟く。ということはこの爺さん、ビサワ村の元村長だな。


「川が変わった? 石が崩れた? だから線を引き直すと? ふざけるな! あの畑は、元々はわしが子どものころからビサワのもんだ! 川の南はずっとビサワのもん! 今さら変えられてたまるか!」


 グリアンはテンフィが荒書きした地図を睨みつけると声を荒げる。


「若造が数字で並べたところで入植百年の暮らしを変えられてたまるかよ!」


 やれやれめんどくせぇ、俺は顔を上げると丁寧に答えようとした。


「なぁグリアン殿。そうは言っても現に地形が――」

「わしは地図に住んどらん! 村に住んどるんじゃ!」


 瞬間、あたりが静まり返る。

 剣呑な空気を察してか、集会所の前で入会地の確認をしていたテンフィがこちらに駆けつけてきた。


「どうしました!?」


 グリアンは俺らの顔を睥睨する。その目は怒りというよりも焦りに近いものを孕んでいた。『取られる』という恐怖、『引かれる』という不安。オレはゆっくりと立ち上がり、帽子を脱いで頭をかいた。


「じゃあさ、グリアン殿。――文句があるなら全部、測ろうや」

「なに?」

「川の北も南も、西の畑も小屋の土台も、百年前の石碑も。ぜんぶ、見て、測って、話聞いて、納得できるもんを作ろうじゃねぇか」


 グリアンは俺を睨んだが、言い返さなかった。


「線を引くのはオレたちじゃねぇ。村の範囲は領主様が決める。ただな、線を引くなら納得できる今の証拠が欲しい――それが測るやつの仕事だ」


 テンフィが小さくうなずいた。

 数字で、人の暮らしが救えるなら。言葉で記憶に折り合いがつくなら。


「お願いします、測量させてください」


 テンフィは深く頭を下げた。グリアンは唸り声を漏らすと、杖をつき直して背を向けた。


「勝手にしろ。ただ、測量するならわしの目の前でやれ。カルバ村の都合に合わされたらかなわんからな」



     ★ ★ ★




 旦那様がグリアンさんに頭を下げたその瞬間、私はそっと深呼吸をした。

 数字の理屈だけだと納得は得られない。でも、感情だけでも争いは収まらない。


 それなら実測するしかない。


 翌日からグリアンさんが言う境界を歩き、旦那様とオッキさんが測量をすると私はそれを記録した。スタッフを持った旦那様は薮まみれの崖に、濁流すれすれの先に、野に帰った山奥の社跡に立たせるのは心配だった。だけど旦那様は笑顔で「いってくるね」と言うと危険な先までスタッフを立てに行く。そして測量が終わればその場所に記録済杭を打ち込んでいく。


 もうやめましょう旦那様、あぶないです。私は何度言いたかったか。


 日が西に傾きはじめ段々畑に山影が長く伸びる頃、私は一枚の羊皮紙と簡素な鉛筆を手にして村の家々を回りはじめた。


「ええ、たしか十年くらい前まで、あの栗の木の下に麦を干す小屋がありましたね。確か、あそこの婆さんが管理してたけど、もう随分前におっ死んだからな」

「昔な、あそこら辺って春になると水が沁み出てきてな。今は出ねぇが、子どものころは泥遊びして怒られたもんだ」


 老婦人や農家の若夫婦たち、誰もがこのような言葉を繰り返す。


『昔はこうだった、ここでなにがあった、こんなのがあった』


 ただ、繰り返された言葉は曖昧だった。人によって言うことが変わる。

 それは数字にはなりづらい。だけど、意味がある。

 私は一人ひとりに深く頭を下げ、同じことを何度も聞いた。筆の動きに合わせるように、彼らの声の震えや、眼差しの揺れを書き留めていく。――その証言のすべてに、「誰かの暮らし」が宿っていた。


 旦那様が側でそっと声をかける。


「この聞き取り、興味深いですね。生活範囲の変化、記憶の重複と乖離。ある意味、分布図に近い」

「そうでしょう? 旦那様」


 私は小さく微笑んで、羊皮紙の端に書き添えた。


   “補正項:記憶と感情”


 旦那様はそれを見て目を細めると、ほんの少し肩の力が抜けたようだった。


 夜、仮宿に戻った私たちは、証言と測量図を照らし合わせながら一冊の記録帳を開いた。その表紙には、こう書かれている。



『カルバ・ビサワ村境界再調査記録』

   編纂責任:メイド隊副隊長 マイリス

 言葉で、人の暮らしを記録する。

 誰が、いつ、どこで、どんなふうに、何を耕していたのか。

 それは地図の傍らに添えられる“生きた注釈”になる。地形の変化の理由を説明し、納得への架け橋となるだろう。



「旦那様、これが『生活の記録』ですよ」


 私がそう言って台帳を差し出すと、彼は目を細めて頷いた。

「えぇ、これは『測量の地図』じゃない。『人の地図』だね」




     ★ ★ ★




「なぁテンフィ先生よ。これ、三角点じゃねぇか?」


 ビサワ村の測量をそろそろ終えようとしていた時、俺は尻に敷いてた岩に違和感を覚えた。やおら立ち上がってそれをよく見ると、なにやら『+』がわずかに見える。


「――で、ですよね! 確か一番古い地図に。これだ!」


 テンフィが古地図を取り出すとこちらには「☆」と書かれていた。その場所がこの岩だ。テンフィはシャベルでその岩の当たりを掘り始める。俺は確認のため、横で紫煙を燻らすグリアンに声を掛ける。


「グリアン殿、一つ聞きたい。この岩はなんだ?」

「ん? 知らん。――わしの婆ちゃんが生きてた頃、時々花を備えてたから犬かなんかの墓じゃねぇのか?」


「いや、間違いなく三角点です。ほら、ここに略称紋が彫られてます」


 テンフィが掘り起こした岩の側面には、設置者と思われる紋章があった。王宮に問い合わせれば誰が設置したかは判るだろう。少なくとも犬の墓ではない。


「ということは――この古地図と今の測量記録を付けあわせたら、この一番古い地図と現在がどれだけズレてるかわかりますね!」


「よし、もう一仕事だ。ここを基準点にもう一度測り直しだ!」


「はいッ! ――て、え?」


「不満か?」


「また崖の先とか川べりとかに立つんですか!」


「嫌か?」


「嫌ですよー!」


「大丈夫だ、こことここの地点に立って測ればいい。さ、走れ先生!」


 俺はテンフィの尻を叩くと『判りましたー』と言ってスタッフを持って走り出した。



「すまんな。おめぇの旦那さんコキ使って」


 俺は隣に立つマイリスに声を掛ける。彼女はふっと表情を緩めると鉛筆を握る手に力を入れて笑顔で応えた。


「えぇ、コキ使い過ぎです!」




     ★ ★ ★




 秋の空気が乾いて朝の光が低く差し込むころ。

 数名の供回りだけを付けた地味な箱馬車が山道を走る。

 カルバ村の集会所に集まる村人たち。そこには村長ガンゾだけでなく、ビサワ村の古老グリアンの姿もあった。テンフィとマイリス、オキサミルの三人が控える前に、箱馬車から下りて出てきたのは領主ヴァルトアだった。


 ヴァルトアは無言のまま集会所に入ると、中央に広げられた地図を見下ろした。それはテンフィが測量し、マイリスが証言を重ねて書き添えた、“暮らしの地図”だ。点と線だけではなく川の流れが変わった痕跡や段畑の崩れ。誰がどこで働き、何を作っていたか――それらが言葉と数字で並んでいた。


「ご苦労だったな」


 ヴァルトアはぼそりと言うと、静かに地図の上を指でなぞる。その指が示したのが、新たな境界線だった。


「本件について、領主命令でこのように裁定する」


 ヴァルトアの声が、乾いた空気を貫いた。


「カルバ村とビサワ村の間において、川の流路の変化と地形崩落が確認された。また生活記録と証言、標準三角点からの実測に基づきこのように判断した」


 テンフィが小さく肩の力を抜いた。マイリスは姿勢を正す。オキサミルは口元を引き締めた。


「よって年貢割当は新たな境界線に基づいて算定し、過去五年分の徴収との誤差があったことも確認している。相応に返還または調整とする」


 ざわ、と村人たちの間にさざ波のような反応が広がった。しかしヴァルトアの声は、その上をまた静かに覆う。


「これは“地図の線”ではない。“暮らしの線”である。だからこそ、このように記録する」


 そう言って、ヴァルトアは手元の書簡を掲げた。



『カルバ・ビサワ両村の境界線再認定について』

署名:子爵ヴァルトア・ヴィンターガルテン

副署:文官長トマファ・フォーレン

記録編纂:副隊長マイリス・スレイツ

測量責任:テンフィ・スレイツ

立会証人:ガンゾー/グリアン



「この決定は、王宮にも登記され、誰の目にも明らかになる。裏も隠しもない、“土地に生きている者たちの地図”だ。――もし不服があるなら領主館相手に訴訟を提起するように」


 しばしの沈黙のあと、ガンゾーが口を開いた。


「ま、こんな線の引き方なら文句はねぇな。――こりゃただの役人仕事じゃねぇ」


 グリアンはしわだらけの手で杖をぎゅっと握りしめたあと、しぶしぶ、と言いたげな口ぶりでうめいた。


「まぁ、筋は通っちゃおる。少なくとも、役人のふりした税金泥棒よりかは、ずっとマシだ」


 それを聞いて、テンフィは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。皆さまの暮らしを数字に落とし込めたと思います――」

「まぁだ言うか――ちったぁ現場を覚えたか、先生?」

と、オキサミルがぼそっと呟く。


「はい。少しだけですが」

 テンフィはその言葉に、わずかに笑みを返した。


 こうして、新しい境界線は定められた。それはただの線ではない。人の暮らしと記憶と、測る者たちの手によって引かれた、「誰かにとっての正しさ」をつなぐ線だった。







 すべての測量が終わった翌朝、カルバ村の広場は少しだけ浮き足立っていた。何かが『終わった』というより『始まった』というようなどこか軽やかな空気だった。

 村の子どもたちに囲まれながら三人は荷馬車の横で最後の荷積みをしていた。その子どもたちの手には、一冊の薄い冊子。

 タイトルは、テンフィが夜なべして書き上げた――


『はじめての さんすう』


 表紙にはマイリスが描いた、測量棒を構えるモグラのイラストがある。ただし絵心が溢れすぎているのか無さすぎるのか、どう見ても剣を持った土器人形にしか見えないが。


「テンフィ先生、また来てね!」

「ぼく、りょーしゅかんではたらく人になりたい!」

「わたし、“バトルめいど”になりたい!」


 最後の一言に、マイリスが「ふふ」と頬を緩める。


「なるには地獄の軍事教練が待ってるけど――待ってるね」


 荷馬の腹帯を締め直していたオキサミルが、そのマイリスの声が聞こえたのか振り返る。


「おうおう。「バトルメイド』って事は将来はカカア天下になるって宣言だな!」

「いえ、うちは別にカカア天下ってわけじゃないですよ」

「亭主関白にしては“淡泊”だよな」


 テンフィは苦笑いを浮かべながら隣に立つマイリスの方を見る。


「こちらに同意を求めないで下さい」


 彼女がぷいと横を向くとテンフィは頭をかいて俯いた。


「俺はいったい何を見せつけられてるんだ?」


 オキサミルのその言葉を受けて、皆が声を挙げて笑った。



 集会場にいた子どもが叫ぶ。


「おーい、戦うメイドさん! また来てなー!」

「絶対だぞー!」


 マイリスは振り返って手を振った。


「はい、また遊びに来ますね! よかったらキュリクスにも遊びに来てください」


 すぃと風が吹き、子どもたちの麦わら帽子が大空に飛ぶ。それを追って子どもたちは走り出した。その風に乗って、この村にもそろそろ長い冬を運んでくるだろう。




(とある新任女兵士、ネリスの日記)

入隊2か月と5日目


 訓練を終えてから走り込みを続けた結果。


 痩せた。

 そしてメリーナ小隊長からすげぇ叱られた。


 事の発端は、走り込みをしてた時。

 いつも訓練後に走ってる二人が気になったので追い越そうと速度をあげたらこけた。

 すぐに起き上がってまた走り出せば良かったんだけど、疲れてたのか足がもつれたのか、なかなか立ち上がれなかったんだ。


「ネリス訓練生、大丈夫ぅ~?」


 聞きなれた抑揚のある声に私が顔を挙げるとメリーナ小隊長だった。


「どしたん? 立てない?」


 いえ大丈夫です、そう応えたんだけど、やはり立ち上がれなかった。


「訓練後に走り込んでたのは前々から知ってたんだけどさぁ、オーバーワークだよ?」


 そう言って私の頭をこつんと叩いて一言。


「限界超えて訓練したら、身体を壊すでしょうがッ!!」


 そう叫ぶとほいっと私を持ち上げて正座させられた。向かい合う形でメリーナ小隊長も正座して腕組み。


「ネリスちゃん! いつも走ってるのはボク、知ってるよ? 今日だって、ボクを追い越そうと加速したでしょ?」


 え、てことはあの小柄な隊員ってメリーナ小隊長だったんだ。夕鐘が鳴る頃は練兵所も薄暗く、誰が走ってるかはシルエットでしか追えないから気付かなかったんだ。


「けっこうなスピードで走ってたから、そりゃ立ち上がれなくなるよ! 限界は知らないとだめッ!」


 ぷんすか説教を頂いてる時、もう一人の大柄ランナーが私たちの横を追い抜いて行こうとする。


「ちょっとストップ! あなたもここに正座しなさい!」


 え?


 立ち止まった大柄の少女は私たちを見下ろすと静かに正座した。


「ほんとにあんたら仲良いねぇ! 相棒組ませたボクの判断は間違いなかったよ!」


 けたけた笑いながら怒ってた。



「クイラ訓練生、ネリス訓練生を隊舎まで連れて帰って」


「はい」



 そう言うとクイラは私をほいっと肩に担ぐ。


「ネリス訓練生が熱出した時と同じ光景だね!」


 え? え??


「ネリス訓練生は、衛生看護隊の隊舎に連れて行ってくれたクイラ訓練生にお礼は言った?」


 え? あれってカタラナが私を連れて行ってくれたんじゃないの? なんか寝台に放り投げられた記憶はあるけど、あれ?


 ――そうなの?


「ちゃんと、言ってくれました」


 え、言ってないし!


「そっかそっか! なら良かった。じゃ、連れ帰ってとっとと寝なさい」


 そう言われて返された。




 練兵所から隊舎に戻る間、下ろしてほしいと言ったけどクイラは一言だけ。


「命令だから」


 そして私の寝台に優しく置くと、


「おやすみ」


と言って部屋を出て行った。



 ひょっとしたら私、

 ずっとクイラの事を誤解してたのかもしれない。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。

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