28羽 武辺者のメイド、胸をときめかす。
領主館の中庭に植えられた椎の木が、秋風に揺れて葉を鳴らしていた。
その領主館の三階のその奥。館の使用人たるメイド詰所の重厚な扉を、控えめにノックする音が響いた。
「入りなさい」
扉の向こう側からの声に、セーニャ・マリノヴァはひとつ深く息を吸い、背筋を伸ばしてから扉を押し開けた。
控えめに一礼しながら中へ進み、両手を前に組み直して静かに立つ。
短く整えられた金髪と薄く揺れる灰色の瞳。若手の中でも凛とした佇まいと落ち着きで一目置かれている彼女だが、今はその背中にわずかな緊張の色が滲んでいた。
詰所の中には、メイド隊長のオリゴと、文官クラーレがいた。
机には数枚の辞令書が並んでいたが、セーニャの目の前に差し出されたのは――一通だけだった。
「セーニャ。あなたにはこのたび、ミニヨ様のヴィオシュラ女学院への進学に際し、随行メイドとして同行していただきます。――これは領主閣下夫人、ユリカ様のご推薦です。誇りに思いなさい」
オリゴが落ち着いた声で辞令を読み上げる。その言葉にセーニャの胸が不意に跳ねた。
予感はあった。それでも実際に命を受けると、その重みは桁違いだ。
差し出された羊皮紙を、彼女は両手で丁寧に受け取る。
「――御意」
「あなたの評価は礼儀、所作、信頼性、共に申し分なし。戦闘能力は……まぁ敵地に乗り込むわけでもありませんし」
オリゴの声は変わらず冷静だったが、そこには確かな信頼がにじんでいた。だが、次の一言で空気が変わる。
「ただし――あれだけ熱くお慕いしているのなら、気持ちは整理しておきなさい。ぐずぐずしていたら、ずっと胸の棘になりますよ?」
「……えっ」
驚きに戸惑いを見せるセーニャをよそに、横にいたクラーレがくすりと笑みを浮かべた。
「これからしばらくはトマファ君とは会えませんもの。何も伝えずに行っちゃって本当にいいんですか?」
その一言に、セーニャのまぶたがかすかに震える。胸の奥を軽く突かれたようなくすぐったい衝撃。なぜだかうまく呼吸ができずに彼女は思わず俯いてしまう。それでも火照りを帯びた耳の先は隠せなかった。
「……何を、お伝えしろ、と」
ようやく絞り出した声は、いつもの調子より少しだけ細く、揺れていた。オリゴはその様子に一切の表情を崩さず、ただまっすぐに見つめ返す。けれどその背後でクラーレがにやにやと笑みを浮かべ、頬杖をついているのが視界の端に入った。その視線が余計にくすぐったくて、セーニャはますます俯いた。
「その程度で隠せていると思うなら、あなたはまだまだ修行が足りません。――メイドに必要なのは、“悟られない演技”と“見抜く目”ですから」
オリゴは表情を変えずセーニャに言うと表情をわずかに緩ませる。クラーレは訳知り顔で二度三度頷くと、ふと立ち上がる。
「セーニャちゃん、安心して。トマファくんにはまっっったく伝わってないから。あの人、鈍感スキルが桁違いなのよ」
セーニャの口元がかすかに歪んだ。
「……よろしいのです。私の仕事は、この家にお仕えすることですから」
「仕事で割り切れるならそれでいい。でもね――」
オリゴは静かに目を細める。
「――旅立った後は、どうしても後悔の気持ちが大きく揺れるものです。だからこそ、任務遂行前には、そう、出発までに片づけておきなさい。……それも、大切な務めですよ」
セーニャはそれを聞いてオリゴに何か言おうと口を開きかけた。しかし、ただ深く頭を下げる。
「……ありがたく、拝命いたします」
セーニャにはそう応えるのが精いっぱいだった。
* * *
今日の領主館は、まだ朝の冷え込みを残していた。回廊を抜けて吹き込む秋の風が、庭先の草花を優しく揺らしている。
洗濯籠を両腕に抱えながら、セーニャは後輩のパルチミンと並んで執務棟の前を歩いていた。出立まで、あと二日。そう思うだけで胸の奥がそわそわと波立つ。
上官であるオリゴにそう言われ、セーニャは戸惑っていた。
彼――トマファ殿には、何かを伝えなきゃ。けれど、何を? どう言えばいいの?
逡巡するセーニャの思いなんてどこ吹く風、その沈黙を破ったのは、すこしだけ遠慮がちな声だった。
「そういえば……ミニヨ様の随行、セーニャさんが行かれるんですね」
業務中は私語厳禁。その習慣が身についてしまっているせいかパルチミンの声はひそめられていた。それでも言葉の端には期待が少し混じっている。
「はい。……頑張ってきますね」
セーニャはそう答え、視線を前に向けたまま小さく笑った。声は静かだったがその語尾には揺るがぬ決意が込められていた。
「私も志願しようか迷ったんですけどねー。ステアリンと離れ離れになるのはちょっと……って思って。ですがセーニャさんが行くって聞いてホッとしました。だってどんな業務でもそつなくこなす方ですから」
パルチミンがいたずらっぽく笑いながら言うと、セーニャは「そうですか」と小さく微笑んだ。
「パルチミンさんとステアリンさん、いつも仲が良いですもんね」
そう返したその瞬間だった。
「――セーニャさん、パルチミンさん。お疲れ様です」
軽やかな声とともに、執務棟の角から現れた車椅子の青年――トマファとすれ違った。膝に書類を抱え、手馴れた様子で進んでいく。
「トマファ様、お疲れ様ですっ!」
パルチミンが明るく挨拶する。
「……お疲れ様です」
セーニャも続けたがその声はどこか引き結ばれていた。
トマファは軽く会釈するとそのまま背を向けて進んでいく。彼が振り返ることはなかった。
風がひとつ、二人の間を吹き抜けた。
セーニャは洗濯籠を抱えたまま足を止め、そっと目を伏せる。頬がじわじわと熱くなるのが分かった。
「……熱いね、セーニャさん」
小声でパルチミンが囁いた。
「や、やめてください……」
そうセーニャは慌てて返したが、その耳の先まで、ほんのり紅に染まっていた。
* * *
昼鐘が鳴ると同時に、キュリクスの街はふっと静まり返る。
先ほどまで鳴り響いていた鍛冶の槌音や荷馬車の軋みも止み、まるで時間が一瞬だけ眠りについたかのようだ。唯一、街の食堂と、領主館のメイド詰所だけが例外だろうか。
詰所の中では昼食を囲むメイドたちの賑やかな声が飛び交っていた。おしゃべり、笑い声、そしてほんの少しの愚痴。セーニャはいつも通り隅の席で控えめに食事を取っていたが、場の空気は心地よくて、横で繰り広げられる舌戦を聞いてほんの少し口元を緩まえていた。誰かの冗談に小さな歓声が上がり、食器の音が心地よく響く。
その和やかさを破ったのは、きしむような扉の音だった。静かに開いた扉の向こうから現れたのはメイド長のオリゴ。口元を真一文字に結び、背筋を伸ばしたその姿には普段の穏やかさがない。詰所に一歩踏み入れ、ぴたりと足を止めて軽く一礼し、室内を鋭く見回す。メイド全員、食器から手を離すと着座のまま姿勢を正す。
「――速報よ」
低く抑えた声が空気を切るように響いた。詰所の空気を一変させるとオリゴは手元の書類を静かに広げた。
「街道沿いのやぐら建設現場、熱中症による労災事故。作業員二名が倒れたとのこと。……プリスカ。悪いけどこの報告書を衛生看護隊に急ぎ届けて」
「はーい、すぐに!」
元気よく立ち上がったプリスカは、オリゴから書類を受け取るとそのまま窓へ向かって跳ねるように駆け寄った。
「ちょっと! 窓から出るんじゃありません!」
「え~? だってこっちのほうが隊舎に近いし、この時期は風も気持ちいいんだよ?」
「てかここは三階です! しかも前にそれで着地した拍子にスカートめくれてたでしょ! はしたない真似はやめなさい!」
「あっ、それ大丈夫です! 今日は見せパン仕様ですから!」
そう言って、得意げにスカートをぴらっと捲る。オリゴは一瞬沈黙し、冷ややかな視線で足元までじろりと見た。そして、無言のままパコンと頭をひと叩き。
「バカなこと言ってないで、黙って行きなさい!」
「はぁーい、プリスカ、参る!」
ひらひらと手を振りながら窓枠に足をかけ、器用に身を翻すと、ぴょんっと消えていった。
「……ったく。あの子、本当に猫なんじゃないかしら」
オリゴがこめかみを押さえながらため息をついたとき、書類をもう一枚取り出した。
「セーニャさん。こちらを文官執務室への提出を急ぎでお願い」
「――御意」
セーニャはすっと立ち上がり、オリゴに深く一礼すると書類を受け取った。そのまま詰所を出て、一階へと続く階段手前に差し掛かる。廊下に人の気配はない。
――一応、確認。
両側を二度、目で確かめるとセーニャは無言で窓辺に向かう。窓枠に手を掛けてすっと身体を持ち上げたかと思うと軽やかに外へと滑り出た。
風が裾を揺らし陽光がその背を照らす。
彼女もまた猫のようであった。
着地してから窓を蹴って廊下に入る。
そして切れる息を整えながら、セーニャは静かに文官執務室の扉をノックする。
「どうぞーっ……って、あ」
扉を開けると、大きく口を開けてパンにかぶりつこうとしていたクラーレとばっちり目が合ってしまった。ぱくん、の寸前で固まるクラーレ。みるみる赤面すると彼女は慌てて顔を逸らした。
「セ、セーニャちゃん、どうしたの?」
「――速報です。労災の件で」
セーニャはそう告げると慎重に一歩進み、書類をクラーレに差し出した。声音はいつも通り静かに整っていたが、その呼吸には緊張から、かわずかな乱れが混じっている。
クラーレはパンをかじっていた手を止め、ちらりと視線を上げた。セーニャの顔をひと目見て、くすりと笑う。まるで何かを見透かしたような目で――。
「ふーん……なるほどねぇ」
そんな声を小さく漏らしつつ机にパンを戻して立ち上がると、受け取った書類に目を落とした。どこか楽しげなその仕草に、セーニャの肩がほんの少しだけ強張った。
「……あらら、熱中症ね、昼の作業で倒れたって。ねぇトマファくん、どうしよう?」
呼ばれたトマファが書棚の間から車椅子を引いて顔をのぞかせた。ふと視線を向けると入口の近くで立つセーニャの姿が目に入る。
「お疲れさま、セーニャさん。お昼休み中にありがとうございます」
柔らかく微笑むトマファ。何気ない一言だったが、その声と笑顔だけでセーニャの胸がきゅっと音を立てる。
「……はい」
答えながら胸の奥に火がついたように熱が走る。声が震えていなかったかな。気付かれなかっただろうか。――不安にはなるが、トマファは変わらず穏やかなままだった。
その横でクラーレがちらりとセーニャとトマファの顔を見比べたかと思うと、セーニャの脇腹を肘でぐい、と小突いてきた。
(行け行け行け、今しかないでしょ!)
言葉ではなく、態度と目で全力アピールしてくるクラーレ。セーニャは気付かないふりをしていたが、内心では真っ赤に火照っていた。
「? セーニャさん、顔、少し赤いですよ? ……風邪でも?」
鈍感極まりない問いに、セーニャの胸の奥がまた別の意味で痛む。彼女は小さく首を振り、俯いた。
(ち、違います。風邪なんかじゃ、ないのに――)
オリゴの言葉が脳裏に浮かぶ。『出発までに片づけておきなさい』――そう、いま何も言えなければ任務に支障が出るかもしれない。ならばせめて。
彼女は、ほんの小さく息を吸って、そして一歩だけ前に出た。
「……トマファ殿。――その、ミニヨ様の随行任務を拝命いたしました」
一瞬の沈黙。だが、それはすぐに破られた。
「ああ、それは素晴らしいです。セーニャさんなら、ミニヨ様も安心できると思いますよ。――そうそう、向こうは朝晩冷えますからブランケットを忘れずに」
その気遣いがセーニャの胸にしみた。ほんのひと言、ほんのそれだけが。それにも増して想いが伝えられたことが嬉しかった。顔を見られないようほんの少しだけ目を伏せる。
「ご存じかもですが、僕も昔、ヴィオシュラへ行ってたんです。今思えばいい喫茶店もあったし――おすすめの本屋もあるんですが。……興味、ございます?」
「――いえ。ありがとうございます」
セーニャは小さく一礼して踵を返す。扉を閉めるその瞬間、背後からクラーレの魂の声が聞こえた気がした。『ば、ばかーっ! せっかくのチャンスなにしてんのよぉ!』
けれどセーニャは、たとえ短い言葉でもトマファと交わせたことが嬉しくて、胸の奥がふわりと温かくなるのを感じていた。
* * *
日が傾き、キュリクスの空が茜色に染まりはじめていた。
領主館と宿舎を繋ぐ渡り廊下。その隅に添え付けられたベンチにクラーレがへたり込むように腰を下ろしていた。肩を落とし、魂が抜けたような顔つきで空を見上げている。そこへ、報告書の束を抱えたオリゴが静かに姿を現す。
「――疲れた顔をしてますね、クラーレさん」
「……もう無理です」
クラーレは両手で顔を覆い、ぐったりとうめいた。
「お昼では頑張ってセーニャさんの尻を叩いたんですよ。ほら、出発前の“特別な時間”じゃないですか。なのにあの子ったら、全然踏み込まないんです!」
苛立ちと情けなさと、やりきれなさが混ざって声が裏返る。
「一応、随行任務のことは言えてましたよ? トマファ君も、笑顔で“気をつけて”なんて言ってくれましたよ? ――でも、それだけ!」
「想いのひとつも告げることなく、旅立つつもりのようですね」
オリゴは報告書を小脇に抱えたまま、ため息をひとつ落とし、そっとクラーレの隣に腰を下ろす。西日が渡り廊下の床を朱に染め、2人の影が静かに伸びていった。
「……恋って、どうしてこう、回り道しかしないんでしょうね」
クラーレはぽつりと呟き、空に手を伸ばした。指の先には、雲ひとつない茜空が広がっていた。
「……セーニャさん、ほんとにもったいないです」
「まあ、それが“あの子らしさ”でもありますけどね。でも……ああ見えて、胸の内ではずいぶんと揺れているはずです。朝からずっと、顔が真っ赤だったり真っ青だったりしてましたから」
「……もう背中押してもダメなら、投げ飛ばしたいです」
「気持ちはわかります」
二人して空を見上げる。風が一筋、洗濯物を揺らした。
少しの沈黙のあとオリゴは静かに席を立った。
「恋は時に人を強くします。――でもあの子はもう強い。だから今度は……少しだけ、甘くなってもいい頃でしょう」
茜色の空を背に、ふたりの影が長く伸びていた。
風が通り過ぎ、ベンチの下で枯葉がさらりと転がる。
「ところで、クラーレさん」
隣に座るオリゴが、ふと問いかける。
「どうして、あそこまでセーニャの恋路を応援するんです?」
その声音はいつも通り怜悧で静かだったが、どこか探るような響きが混じっていた。
クラーレは目を瞬き、すぐにふふっと笑う。そして、両手を空に突き上げ、茜空を見上げながらこう言った。
「コイバナなんて、乙女の栄養剤ですよ? 必須栄養素みたいなもんです」
茶化すような口ぶりではあったが、その瞳はどこか遠くを見ていた。
「誰かを好きになるって、理屈じゃなくて、まっすぐじゃないですか。応援したくなるんです。うまく言えないけど、きっと……眩しくて、羨ましいんだと思います」
そう言って、肩をすくめる。
オリゴは少しだけ沈黙し、そして静かに頷いた。
「――なるほど。確かにセーニャのことが羨ましいかもしれませんね、私たち」
夕方の風は徐々に冷えてきた。
* * *
その領主館の渡り廊下から随分と離れた厨房裏には、いつもより少し肌寒い風が吹いていた。
裏口の軒下。誰もいないそこにひとり腰を下ろしている背の高い影があった。
セーニャは整えられた制服のスカートを膝上できっちりと畳み、背筋を正したまましゃがんでいた。
その足元には小さな猫が三匹、気ままにうずくまっている。
「……今日は来ないかと思いましたよ」
そう言って笑みを浮かべたのはセーニャだけ。猫たちは何の返事もすることなく、それぞれのタイミングで尻尾を揺らすだけだった。
一匹の子猫がセーニャの膝に前足をかけて細く鳴く。
「にゃ」
「はいはい……。今は話しかけてほしい気分じゃないんですけど、仕方ないですね」
セーニャは小さく息をつきながら、人差し指で猫の額をそっと撫でた。
くにっと耳が倒れ、喉の奥から、かすかにくぐもった音が漏れる。
この子猫たちは、いつの頃からか領主館に住み着いていた。
誰彼となく、見つけてはこっそり餌を与える者がいたせいで、ほんのりふっくらと育ち、ほどほどに人慣れしている。
中でもセーニャは、決まってこの時間になると彼らに話しかける癖があり、それが伝わっているのか――彼らはいつも彼女の足元に集まってくるのだった。
「……ちゃんと、伝えればよかったんでしょうかね」
誰に言うともなく、そう呟いたあとで、すぐに唇を噤んだ。
「でも……私には、そんな勇気……」
猫のひとつが、ごろんと腹を見せて寝転がった。セーニャはその仕草を見て小さく笑う。
「あなたたちはいいですね。好きに鳴けて。好きに甘えて。好きに怒って」
ごろりと喉を鳴らす猫たちの中に小さな白猫が一匹。セーニャの足に鼻先をこすりつけた。
「……そうですね。せめて――ちゃんと、お手紙だけは書きます。……それなら、嘘にはならないはずですから」
立ち上がると、膝から転がり落ちた子猫が、不満げに「にゃ」と鳴いた。セーニャは小さく「すみません」と頭を下げると、ふたたび姿勢を正して扉の奥――夜の書類仕事が灯る館内へと戻っていった。
猫たちはしばらくのあいだ、扉の閉まった方角を見つめていたが、やがて思い出したようにじゃれ合いを始めた。いつもの夜がまた静かに戻ってくる。
* * *
夜の帳が下りた頃、領主館の屋根裏部屋にぽつりと灯る明かりがあった。
それは、メイドたちの個室。そこの一つ、仕事を終えたセーニャが明かりを遮るように机の上に手帳を広げ静かにペンを走らせていた。蝋燭の揺れる灯りが、彼女の伏せた睫毛に影を落とす。
気持ちを言葉にするのは難しかった。まず何を書けばいいのか。何を伝えてしまえば悔いが残らないのか。――ずっと悩みながらそれでも彼女は一文字ずつ丁寧に、そして慎重に言葉を紡いでいた。
何度書き直したか。何度読み返し、書き直したか。
ようやく書き終えてセーニャはペンを置いた。そして深く息を吐くとそっと手紙を折り畳む。
――これは恋文じゃない。ただの報告書。
そう言い聞かせるように、けれどその封を結ぶ手元は少し震えていた。そのまま机に突っ伏すと小さくひとつだけ、息を殺した笑いが漏れる。
「……やっぱり言えなかった」
けれどこれでいい。自分にできる“最大限の勇気”はここに書いた。
出立の日、この手紙を――あの人に、渡そう。
* * *
荷積みの済んだ馬車の後方で、御者の中年男が車輪の留め具をもう一度確かめていた。セーニャはその傍らで、他の荷物とは扱いの異なる一つの小箱――ミニヨの錬金術書が入った木箱にそっと手を添える。
「積荷の具合はどうでしょうかな、嬢さん」
御者はにこやかな顔を浮かべて声をかけてきた。
この御者は、主君ヴァルトアの家族が遠出をする際には、いつも顔を合わせる馴染みの男である。人あたりがよく、仕事も丁寧だが――なぜか人の名前をまるで覚えられない。そのため、館のメイドたちを誰彼かまわず「嬢さん」と呼ぶのが癖になっていた。
セーニャも最初こそ戸惑ったものの今ではもう気にならない。というのも――セーニャ自身も、この御者の名前を知らないのだ。互いに名前は知らないままだが、御者に孫が生まれたという話だけはしっかり聞いていて、不思議とその孫の名前だけははっきりと覚えているのだった。
「えぇ。――おかげさまで問題ありません」
セーニャは落ち着いた声でそう答えながら、無意識にスカートのポケットへと手をやる。
指先が封筒の縁に触れ、その輪郭をなぞるように撫でた。確かめるように。あるいは、覚悟を問いかけるように。
「緊張してるのかい? 嬢さんのほうが、学院に入学するみたいだな」
御者はからかうような笑みを浮かべてひょいと肩をすくめる。その言葉にセーニャはほんの一瞬だけ表情を緩めた。
「はい。少しだけ、任務以外のことで気になっていて」
口調は変わらないが、ほんのわずかに揺れる声音に、彼女の胸の内が滲んでいた。
「そいつは珍しい。嬢さんが任務以外の事を考えるなんて」
御者の冗談めかした言葉にセーニャはわずかに肩をすくめる。
館の玄関前では見送りの人々がそぞろに揃いはじめていた。
遠くからトマファの車椅子が見えた瞬間、セーニャの手が無意識にポケットの中の封筒をぎゅっと握りしめていた。
「では嬢さん、準備が整いましたかねぇ」
御者も馬車の後部に詰められた荷物がしっかり留められているか、ロープを引っ張ったりして確認を取る。セーニャは領主館の入口で集まる人たちを見つめながら口を開く。
「はい、大丈夫です」
低く差し込む陽光が石畳をやわらかく照らし、葉擦れの音が微かに揺れる。その静かな響きが、やがて訪れる旅立ちの刻を告げていた。
領主ヴァルトアが真っ直ぐに立ち、その隣には凛とした面持ちのユリカ夫人。文官クラーレとトマファ、そしてメイド長オリゴの姿も並ぶ。さらに、マイリス、パルチミンをはじめとしたメイド隊の面々も整列していた。あとは休みのはずの者までもが制服を整えて顔を揃えている。その背後には、部隊旗を掲げた兵士たちが堂々と並び立ち、領主館の玄関前にはひと目見ようと集まった人々の姿が溢れかえっていた。見送りの人波が広がるほどに、場の空気には自然と厳かな重みが生まれていた。仲間たちが一堂に会して送り出す――それは、この旅がただの出立ではなく未来への一歩であることを物語っていた。
そして――最後に、ひときわ軽やかな足音とともに現れたのはアニリィだった。いつもの軽装ではなく武官の制服に身を包んだ格好で肩で風を切るように皆の前へと進み出る。いつものように気負いのない歩きぶり。その様子を見て場の空気がふっとほぐれた。アニリィはミニヨの顔を見るとにかっと歯を見せて笑い、真っ直ぐにミニヨに抱き着いて声を投げかけた。
「しっかり鍛えてこいよ!」
その声は朗らかで、どこまでもアニリィらしかった。報告書には少し前にミニヨとひと悶着あったことが記されていた。けれど彼女はそんなことを微塵も引きずってはいない。まるで本当の妹を見送る姉のように、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
ただ、その声の裏で、アニリィの目の端はかすかに赤く滲んでいた。泣くような性格じゃないのに――それでも、ぐっとこらえていたんだろうとセーニャは思った。
ミニヨはそんな彼女にふわりと微笑み、軽く頭を下げた。その仕草は静かで控えめだったが、どこか誇らしげで、大人びて見えた。
そしてその光景を、少し離れたところから見つめていたセーニャは、そっと目を細めた。ミニヨ様のための旅立ち――そのはずなのに、なぜか胸の奥が静かに熱を帯びていく。誰にも気づかれないよう、セーニャはごくわずかに目頭をつまんだ――涙がこぼれないように、ほんの少しだけ。
ミニヨはゆっくりと歩を進め、馬車の傍らに控えていたセーニャの前で、ふと足を止めた。秋の風が吹き抜け、彼女の髪をふわりと揺らす。ちょっと前までは腰まで伸びた髪を誇っていたミニヨだったが、先日ばっさりと切り落とした。どうもまだ見慣れないが、そのショートカットはどこか大人びていて、よく似合っていた。
ミニヨのために足台を手で支えると、セーニャの肩に手を乗せる。
「セーニャ、なんだか……ちょっと緊張してる?」
冗談めかした声にセーニャは一瞬だけ目を丸くしたが、足台を支えた姿勢のまま静かに答えた。
「――はい、任務ですから」
その声は凛としていたが、口元はわずかに緩みかすかに笑みを宿していた。ミニヨはその様子に満足げに見て頷くと馬車に乗り込んだ。
そのときだった。車椅子の音が控えめに近づいてくる。
「ミニヨ様、セーニャさん」
柔らかな声とともにトマファが二人のそばへ寄ってくる。
膝の上に抱えていた、黄色いコスモスと深い青のリンドウの花束が添えられている。
「ミニヨ様、セーニャさん。どうかお気をつけて」
そう言ってトマファが差し出した花束をミニヨは車上で嬉しそうに受け取ると、今度はセーニャへ視線を流した。
「今朝しがたお花屋さんで買ってきました。セーニャさんの任務の邪魔になったらごめんなさい」
トマファのその言葉にセーニャははっとして顔を上げる。差し出されたのは丁寧に包装されたキバナコスモス。セーニャは差し出されたそれを両手で丁寧に受け取ったあと、ひとつだけ深呼吸をしてポケットから小さな封筒を取り出した。
「トマファ殿に、お渡ししたい報告書でございます」
そう言ってセーニャが差し出した手はほんのわずかに震えていた。
封筒の端には淡い紫のリボンが添えられていたが、先ほどスカートの上から握ってしまったせいか少ししわが寄っていた。
トマファはそんなこと気にせずふわりと優しく笑い、
「ありがとう、セーニャさん。大切に読ませていただきますね」
と、いつもと変わらぬ穏やかな声で返すのだった。
その言葉を聞いた瞬間、セーニャの胸の内にあった張り詰めたものがようやくふっとほどけていった。
* * *
馬車が動き出す。ミニヨが窓から身を乗り出して手を振ると、領主館の面々が一斉にそれに応じた。セーニャも黙って深く一礼した。
風が花の香りを運び、空はどこまでも高く澄んでいた。
* * *
夜のキュリクスは静かだった。
秋の虫の声が、時折、執務室の小窓の隙間から微かに忍び込んでくる。
トマファは執務机の上に資料をまとめ終えるとようやく深く息をついた。そしてそっと机の隅に置かれていた一通の小さな封筒に視線を落とす。
セーニャが渡してくれた「報告書」。けれどそこに記されたものがただの業務文書でないことは彼にも何となく分かっていた。
静かに封を切る。
中から現れたのは、丁寧な筆跡で綴られた一枚の手紙だった。
装飾のない簡素な文面──だが、どの一行にも書き手の真剣な思いがにじんでいた。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
拝啓
あなたが悩み、考え、迷いながらも前へ進む姿を、私はずっと見てきました。
そのひたむきさに、いつしか尊敬の念を抱くようになりました。
けれど、それを言葉にする勇気を持てないまま旅立つことが、どうしても心残りで――
せめて、この手紙だけでもお渡ししたくて書いています。
任務は必ず果たしてまいります。
その道すがら、きっと何度もあなたの姿を思い出すでしょう。
そしてそのたびに、胸を張っていられるよう私も努力を重ねてまいります。
どうか、お体にはお気をつけて。
遠くから、あなたのご活躍をお祈りしています。
敬具
セーニャ・マリノヴァ
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
トマファは手紙を両手でしっかりと持ったまま、しばらく目を閉じた。
静かに、心の奥に何かが染み込んでいくような感覚。
照明の下、その優しい微笑みは誰にも見られることなく、ぽつりと零れた。
「ありがとう……セーニャさん」
その言葉が、夜の執務室にぽつんと落ちた。
机の上には、彼がしばらく見つめ続けるであろう小さな手紙が一枚。
そして彼の胸の中にも確かに届いた思いが静かに息づいていた。
* * *
馬車の揺れが規則正しく続いている。
車輪が土を踏む音と外を流れる風の音だけが静かに耳に届いてくる。
セーニャは、窓辺に視線を向けたまま、膝の上に手を揃えて座っていた。
ミニヨはここ数日の緊張で疲れが出たのか、反対側の席でうとうとと船を漕いでいる。
その寝顔を見ていると不思議と胸が落ち着いてくる。
(本当に……渡せて、よかった)
ポケットに入れていた手紙が、もうそこにないことにふと気づく。
あの封筒の感触、指先に残っていたわずかな重み。今では少し懐かしい。
――ありがとう、セーニャさん。
耳の奥で確かにトマファの声がよみがえる。
あの人らしい少し照れたような笑みも去来する。
セーニャは、目を伏せて小さく息を吐いた。
指先に残るのは、まだほんのりと暖かい想い。
それが、じんわりと胸に広がっていく。
ふと窓側に旅の直前にトマファから渡された小さな花束が、籠の中でそっと揺れていた。
薄紫のリンドウと、柔らかな黄色のコスモス。
「セーニャのキバナコスモス、情熱や熱意って花言葉ですから――トマファさんに告られちゃった?」
ミニヨ様がいたずらっぽく笑って言っていたのを、ふと思い出す。
「そんなわけ、ないと思いますけど」
そう返したけれど――まさか、私にまで花を差し出してくれるなんて。
窓辺に置かれた花束にそっと手を伸ばし、鼻先に近づける。優しい香りが、胸の奥をほのかに満たしていく。
旅の途中、きっと何度もこの香りと、あの人の声を思い出すだろう。そう思える自分が、ほんの少し誇らしかった。
まだ旅は始まったばかり。だけどもう私は迷わない。
――そう心に決めて、セーニャは馬車の中で伸びをした。
★ ★ ★
城壁都市キュリクスに、秋の陽光がまぶしく降り注ぐ正午前。
穏やかな天気とは裏腹に、東区の広場は熱気とざわめきに包まれていた。開催されているのは、キュリクスの名を冠した名物ガチョウレース――『キュリクス記念杯』。
会場には出店がずらりと並び、焼鳥串の香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。
予想屋たちは声を張り上げ、誌面を振りかざしながらガチョウの展開をまるで戦術のように熱弁していた。
その喧騒のなかを、ひとりの少女が歩いていく。
領主館付きの料理メイド、ステアリン。
その柔らかい表情とふわふわした足取りは、会場のざわめきとは少しだけ調子がずれて見えた。
だが――彼女の視線だけは、鋭かった。
砂埃を巻き上げて疾走するガチョウたちを、目を見開いてじっと見つめている。
昼前に行われる賞金限定レース。ステアリンの応援するガチョウは、4番ゲートに収まっていた。
その名も――『キンタ号』。
いまいち連対に絡めず、出るたびに「惜しい惜しい」で終わる、ちょっと切ない系ガチョウである。だがステアリンだけは信じていた。キンタ号には、まだ眠れる爆発力があるのだと。……たぶん。
「さぁ、各ガチョウ、ゲートに収まりました――スタートしました!」
ガシャン、と音を立ててゲートが開き、ガチョウたちが一斉に駆け出す。羽をばたつかせ、砂を蹴り上げ、白い塊が勢いよく直線を走りだした。
「おぉっと、ゼッケン4番・キンタ号、いいスタートを切りました! 7番・ピアリー号は出遅れ!」
いつもならスタートでお地蔵さまになるキンタ号がなぜかぽーんと飛び出した。
その瞬間、広場の一角から悲鳴のような声が響く。
「いよっしゃあああああッ!! いけぇぇーッ! キンタぁぁーーッ!!」
――叫んだのは、料理メイド・ステアリン。
出店の合間に立ち上がり、両腕を振り回しながら全力で叫んでいた。
もともと通る声に、興奮が乗って、広場中にこだまする。
近くの予想屋が一瞬しゃべるのをやめ、屋台の串焼き職人までもが顔を上げる。実況席の係員までもがマイクを口から離し、ステアリンを見てしまう。
――しかし本人はまったく気づいていない。
両目を爛々と輝かせ、レースに全集中していた。
レースは中盤。第二コーナー、砂塵を巻き上げながらガチョウたちが旋回する。
「おっとぉ、ここでキンタ号、他のガチョウを引き離して一人旅の様相! これは珍しい展開だ! いつもは“差し”でじわじわ詰めるタイプのガチョウなんですが、今日はまさかの逃げ戦法!」
実況の声もどこかざわつきはじめる。
キンタ号はまっすぐに、迷いなく走っていた。
そしてその背中を、全力で後押ししていたのが――
「キンタァアアアアアアアアアアア!!」
ステアリンである。
立ち上がって叫ぶなどというレベルではなかった。
両手を天に突き上げ、半ば跳ねながら絶叫を繰り返している。
叫びすぎて声はしゃがれ、額にはうっすら汗。
観客数名が引いて距離をとり始めているが、彼女はもはや気にもしていない。
「いっけぇぇぇ!! お前の脚はそんなもんじゃないでしょおおッ!!!」
もはや誰より熱い。
実況席がかすかに引き気味の声で言う。
「……な、なんという声援でしょうか。キンタ号、何かに取り憑かれたような脚色です! まさか、これが“勝利の女神”効果か……?」
最終コーナー。
ここを抜ければゴールまで一直線。
だが、大外から一羽――黄色の羽が印象的なガチョウ、1番ピクルス号が脚を伸ばしてきた!
「さああああ、後続が迫る! これは完全に勝負所! キンタ号、逃げ切れるかッ!?」
ステアリンの目からは、すでに穏やかさなど欠片も消えていた。
頬は興奮に染まり、いつものとろんとした瞳は、今や燃えさかる戦火のようにギラギラと輝いていた。
「――行けッ、キンタァアアア!!!」
その叫びは、もはや声というより本能だった。
彼女の叫び声は、会場の喧騒にかき消されていた。
だが――キンタ号が最後のコーナーを回り始めたとき、ステアリンの中で何かが弾けた。その声は、次第に怒涛の勢いで大きくなっていく。
「キンタァアアア! まくれェェェェ!!」
その絶叫は、観客のざわめきを裂いて広場に響き渡った。
一瞬、場内がしん……と静まり返る。
そして――
「ぃよっしゃあああ! それっ、キンタぁあああ! まくれまくれぇええええ!!」
問題は、その語感である。
完全に興奮しきったステアリンの「キンタまくれ!」という叫びが、一部の観客にはあまりにも聞き間違えやすく響いてしまった。
「……き、キンタ……まくれ……?」
「今、“きんたまくれ”って言わなかった……?」
男たちがざわつき始めた。
ステアリンが領主館の制服を着ていると気づいた瞬間、そのざわつきは奇妙な気まずさに変わる。
「おい、あのメイドさん……領主館の正式なメイド様だよな……?」
「いやいやいやいや、流石にコスプレとかってそういうサービスだろ!?」
「でも、“まくれ”って、すごくこう……股間がヒュンって」
「どこでそういうコスプレサービス受けられるんだ?」
「前に酔虎亭ってところで給仕してるって噂があったよな?」
男たちがそわそわし始める一方、女たちは冷めた目で彼らを睨みつけた。
「……男たちってやっぱりバカよね」
「どう聞いたらそっちに行くのよ」
それでも、ステアリンの情熱は止まらない。
それどころか――むしろアクセルを踏み抜いた。
「いっけえええええええ!! キンタぁああ! まくれぇええええええ!!!」
「キンタまくれっ! キンタまくれぇぇぇ!!」
周囲がドン引きする中、実況席からかすれた声が漏れる。
「えー……え、実況を、続けます。キンタ号、現在トップですが、えー、声援を受けてか、脚が……落ちて……」
実況の語尾が震えていた。
前回の「キンタマ蹴るな」事件の記憶も観客の間に蘇る。
中には「またか!」という半ば呆れ、半ば興味の視線がステアリンに集中した。
だが、その異様な騒ぎを聞きつけたのだろうか。
屈強な体格の警吏が、群衆をかき分けながらステアリンへと向かってきた。
「お嬢さん、あの――」
だが、ステアリンの耳にはまったく届いていなかった。
肩を叩かれても無意識に払いのけ、視線はひたすらキンタ号に釘付けのまま、両手を振り上げて絶叫を続けていた。
「キンタぁああ! そこだ! まくれぇええ! まくれぇぇ!!!」
警吏は諦めずに、身分証を見せながら再度声をかける。
「お嬢さん、すまん、警吏なんだが――」
「うるせぇ! 後にして!!」
完全に拒絶された。しかも語気が荒い。
警吏は軽くたじろぎつつ、仲間を手招きする。
その間にもステアリンの絶叫は加速していた。
「今キンタが大事なとこなんです! キンタ! キンタまくれ! まくれまくれぇ!!」
――もはや周囲の観客も手を出せない。
警吏はため息をつき、帽子を深く被り直すと、仲間と共にステアリンの前に立ちはだかり、一言だけ告げた。
「お嬢さん。軽犯罪法違反の疑いで、ご同行願います」
その瞬間、ゴールラインをキンタ号が――
ゴールポールを駆け抜けた。
* * *
「――って顛末です。このお嬢さん、二度目ですよね」
「はい。申し訳ありません。きちんと反省させますので」
警吏長はため息を付くと羊皮紙をオリゴに投げ渡した。
「博打を打つ人間にお行儀を説く気は無いんですが、せめて街では『お行儀の見本様』である領主館のメイドがこんな事されるのはどうかと思います」
「はい申し訳ありません。きちんと反省させますので」
オリゴは同じセリフを繰り返しながら、身元引受書にサインをする。
「こちらも『スポブラの悪魔事件』での借りがありますからこれ以上何も言いませんが……新しい領主様ンとこも大変ッすね」
「はい申し訳ありませんきちんと反省させますんで」
「じゃ、もう帰っていいッすよ」
オリゴは席を立つと、警吏に手錠を外されたステアリンを右手で呼び寄せる。
「隊長、ご迷惑をお掛けしました」
「ステアぁ、二度目は無ぇって言ったよねぇ」
ステアリンのこめかみにきっちり収まったオリゴの掌。
警吏事務所に乙女の悲鳴が響き渡るのだった。
ステアリンのポーチに入っていたガチョウ投票券の結果は、また、別のお話。
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