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27話 武辺者のボクっ娘隊長、大暴れ♪

 近頃の西区下町には、小さな火種のようにじわじわと不穏な空気が漂っていた。改良工事を終え活気を取り戻した市場には見慣れない顔ぶれが増え、よそ者の若い商人に紛れて、素性の知れない流れ者の集団が街の隅々に浸食し始めているという報告が届くようになった。


「近頃、下町の酒場や宿屋は勿論のこと、真面目に商売をする商店や職人の工房にまで、あの手の輩が有無を言わさず“集金”に回っているという苦情が後を絶ちません」


 報告書を読み上げるオリゴの声は、飾り気のないほど冷静だった。だが彼女の指先が示す分厚い書類の端に、事務的な文字とは異質な赤色のインクで《暴力的恐喝の疑い》と、明確に記されている。その抑制された報告は静かに、しかし確実に事態の深刻さを物語っていた。


 オリゴの瞳は報告書に向けられたまま動かない。しかし、その奥には事態を見過ごせない強い光が宿っているのが、傍にいる者には確かに感じられた。


「集金? 町会費かN●Kか?」

「んなわけないでしょ。――どちらも暴力的ですが――みかじめ料ですよ。てか、現状、官吏だけでは対応しきれません」

「そぉそぉ! 夕べなんか新米警備兵が連中にボコられたらしいって、ヴァルちゃん」


 報告書の山影からひょっこりと顔を出したのは、訓練帰りとは思えないほど軽装なメリーナだった。彼女はなぜか俺の執務机に遠慮なく片肘をつき、ガラスの器に入ったプリンをちゅるんと音を立てて美味しそうに啜っていた。


「メリーナ姉さん、いつの間にプリン食ってるんだ? てか、なんだその格好」

「ん? オリゴちゃんがねぇ、『訓練後はお腹すくでしょ?』って出してくれたよ?」


 満面の笑みでプリンをひと匙すくいながら、メリーナは胸を張って言い放つ。


「あと、ほら。これスポーツブラだからセーフ!」


 アウトだよ! トマファなんて顔を真っ赤にして目を逸らしてるぞ! 健全な青少年には刺激が強いぞ。黒のスポーツブラから覗く鍛えられた肩と全くない谷間と膨らみ。そして土埃に汚れた戦闘ズボンと半長靴。常識外れの装いをしたメリーナは、しかし、それらを微塵も気にすることなく、甘美なプリンをゆっくりと味わっていた。


「オリゴ、なんとか言ってやってくれ。目のやり場に困る」

「あの人に何か言ったところで、“はーい、わっかりましたー♪”なんて素直に聞き入れると思いますか?」


 オリゴは冷めた目で俺を見返す。


「――無理だな」

「それに、姉さんはあくまで『終業後に個人的な用事ついでに報告書を届けに来ただけ』という体で来てます。業務時間内ならその格好を咎めることもできますが、今となってはただちっぱいを晒しているだけです。――ま、おっぱい放り出してたら容赦なくビンタしますが」


 オリゴの最後の言葉には、冗談とも本気ともつかない凄みが込められていた。おいおい。オリゴとメリーナが正面衝突したら、領主館が吹き飛ぶぞ。

 赤い顔をしたトマファが咳払いしながら車椅子の上の書類を手繰った。


「今は警吏にもパトロールしてもらってますが――正直、手が足りません。質も数も」

「ユリが言ってたよ~。あんま派手に動くと『領主が商人を弾圧した』とか言われて面倒なんだってさ」

「あぁ、ユリカの言う通りだ。下手を踏んで『他国商人の妨害』と捉えられたら外交問題にもなりかねん。しかも、未だチンピラの正体が掴めておらん」


 俺が渋面で腕を組んだ、その時だった。


「――じゃあ、ボクがちょろっと見てくるね♪」


 にっこり笑ってプリンを平らげたメリーナが、ぽんと手を叩いて立ち上がる。


「待ってください、姉さん! 単独行動は――」

「だいじょーぶだいじょーぶ! オリゴちゃんは心配性だなぁ♪ ボクはただのお人好しなメイドさんってことで! それともちりめん問屋の御老公にする?」


 満面の笑みでそう言うと、メリーナは執務室の隅に無造作に立てかけてあった年季の入った靴ベラを手に取り、パンパンに膨らんだリュックを背負い直した。


「じゃあ、ちょっとお散歩がてら街の様子を見てくるね!」


 軽い足取りでひらひらと手を振る後ろ姿は、どこまでも無邪気。しかし彼女の手に握られた靴ベラの用途を考えると、背筋に氷が走るような予感が俺たちを捉えた。俺とオリゴは、無言で視線を交わす。


「――あの人、またやらかすぞ」

「やらかしますね」


 トマファは、青ざめた顔に絶望の色を滲ませながら、それでも懇願するように言った。


「てか止めて下さいよ、マズいですって!」

「あのなトマファ。暴走し始めた馬車を止められるのは――おらん!」


 俺は肩をすくめて深く溜息をつく。

 オリゴも一つ溜息をつくと表情を消して静かに言った。


「アニリィをぶつければワンチャン止まりますよ?」

「バカ野郎、キュリクスを吹き飛ばす気か!」


 俺の怒鳴り声は空しく執務室に響いた。

 オリゴもトマファも、疲労困憊の表情で、ただ静かに明日の無事を祈るしかなかった。あのメリーナが、一体どんな騒動を巻き起こすのか……想像するだけで、胃がキリキリと痛む。



     ★ ★ ★



 陽が傾きかけた下町。酒場の裏通りに、場違いな足音が響いた。

 コツ、コツ――軽快だが、妙に耳に残るその足音に、男たちは不快そうに顔を上げる。そこには靴ベラ片手の少女が立っていた。先ほどのコツコツ音は、靴ベラで地面を突く音だったようだ。しかし男たちからは逆光のせいで少女の顔は見えないようだが。


「なんだぁお嬢ちゃん、しょんべん臭いガキはそろそろマンマのお手伝いの時間だぜ?――それともあンだ? こっから先に用があンなら通行料が要るぞ」


 その少女――メリーナの顔をじろじろと見つめ不快な笑い声を上げる男。その周囲には同じように粗野な身なりの男たちが三、四人。取るに足らない獲物を見下すような下品な笑みを浮かべている。しかしメリーナは微動だにせず、その小さな体躯からむしろ明らかな威圧感を放っていた。


 屈託のない笑顔のメリーナがようやく口を開く。


「そっかー、通行料かあ。――んで、それ税金?」


「はぁ?」


「あんたらチンピラ風情に代理徴収権なんか認めてないよ?」


「はぁ? てめぇ、ケンカ売ってんのか?」


「――ううん?」


 にこにこと笑顔を張り付けながらメリーナは首をかしげ、持っていた靴ベラで肩をぺしぺし叩く。


「むしろ聞かせてよ♡ あんたらがよくケンカを売った買った言ってるけど、顔ばっかひろいくせにそのうすらぽんこつ脳で損益分岐点計算ができんの? てか、誰に噛みついてるの? ――ま、奥でボコしてた子らの慰謝料分ぐらいはあんたの親分に払って貰おっかな? ボクにしょんべん臭いって悪口言った分も上乗せで♪」


「……あぁ、こンガキ。なにをほざ――」


 男の一人が右腕を充分に振りかぶり、メリーナの顔面目掛けて殴りかかろうとした瞬間だった。



 ――バシュッッ。

  ――ごすっ。



 何が起きたのか。

 殴りかかった男の巨体が、周囲の視線が追いつくよりも早く、前のめりに石畳へ落ちた。鈍い衝撃と、押し殺したような呻きが、ただ事ではないと告げる。


 どうやらメリーナの靴ベラがまるで意思を持つかのように殴り掛かる男の顎へ滑り込み、急所を寸分違わず撃ち抜いたようだ。あまりの速さに、周囲の男たちは何が起きたのか理解できなかったようだ。


「おおっと、痛かったらゴメンコ☆ あぁ、認識票だけは貰ってくね――って、次の方、どぞー? ってあれ、いない?」


 ざっ、ざざっ、と残りの男たちが一歩引く。


「お、おい、なんだこいつ……」

「いま、ボスを一発でノシたよな?」

「いや待って、こいつただのガキじゃねぇ、軍人だ! 目つきが違う」


 男の一人が腰のナイフに手を伸ばそうとしたときには、メリーナはすでに視界の中にいなかった。

 ヒュッと風が鳴ったかと思えば、刹那――


「はひっ!?」


 ナイフは叩き落とされ、かつ、その男の喉笛に靴ベラの先がべた付けで止まっていた。


「あんまり動かないほうがいいよ? これ、木製だけど意外と硬くてさぁ~。ボク、君のマッマから遺骨拾いの際に『ウチの坊ちゃまの喉仏が砕けてるザマス』って恨み言を吐かれるの、嫌だからねッ♡」


「ひっ……!」

「ずらかるぞ!」


 手を上げた男たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「え、鬼ごっこ? ちょっと待っててねぇ!」


 仲間を見捨てて我先に逃げ出すチンピラたちの背にし、靴ベラを肩に担いだメリーナは、奥で衛兵を庇って倒れていた若者に手を差し伸べた。


「二人とも大丈夫? いま、衛生看護隊を呼んだから。――ふふ、ボクね、ただのメイドさん、ううん、ちりめん問屋の御老公だから、怖がらなくていいよ~♪」



     ★ ★ ★



 夜の帳がすっかり降りた領主館の執務室は昼間の静けさが嘘のように騒がしかった。

 各部署から届く被害速報を記した紙束は小さな山となっていた。速報を抱えたメイドや文官たちが、焦燥の色を浮かべながら部屋を出たり入ったりを繰り返している。

 俺は積み上がった報告書の山を前に机に肘をつき、ズキズキと痛むこめかみを押さえていた。


「ヴァルトア様、今度は西区統括警ら隊と酒場ギルドからです!」


 次に息を切らせて執務室に飛び込んできたのは文官クラーレだった。彼女は走り書きの殴り書きが数行だけ記された速報を震える手で俺に差し出した。

 そこには、簡潔ながらも衝撃的な事実が羅列されていた。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー

送信: 西区統括警ら隊

受信: 領主館

件名: 【速報】第六区での騒動


本文:

第六区にて不審者集団が暴れているとの通報。

警ら隊が直ちに臨場するも、現場はスポブラ少女(特徴:赤髪)が“単騎制圧済み”。

使用武器は靴ベラ。

被疑者三名、瞬時に昏倒か。

周辺住民の証言:「ぐえぇ」「あばば」等の断末魔らしき音声あり。

添付の見取り図:犯人たちがまるで積み木のように、綺麗に折り重なって倒れている


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


緊急速報

送信: 酒店ギルド

受信: 領主館

件名: 第五区花街における騒動と、赤髪の悪魔(スポブラ姿)の行動について

本文:

先ほど第五区花街にて悲鳴が確認。

駆けつけた警吏によれば、大柄の男が遊女一人を人質に取り、逃走を図る事案が発生。

現場に赤髪の悪魔(以下赤髪)が遭遇、打突(使用武器:不明)により、人質犯を即座に制圧した模様。

制圧後、赤髪は人質となっていた遊女に対し、自身の羽織っていた上着を掛け、「ケガはない?」と優しく声をかけたとの報告あり。

遊女が「大丈夫です」と答えた直後、赤髪は 『今度ボクが遊びに行くね?』 と、満面の笑顔で発言したとのことです。

現在、負傷者の有無、および事態の詳しい経緯について調査中です。

以上、速報とさせていただきます。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー



「……間違いなく、メリーナ姉さんだな」


 俺が疲労困憊の声で呟くと、隣で報告書の整理をしていたオリゴが、無言で小さく頷いた。その表情は、諦めにも似たものだった。


「はいはーい、プリスカ参る! 次は花街組合からの速報だよ!」


 ひらりと猫のような軽やかな身のこなしで滑り込んできたのは日勤だけど緊急事態のため時間外労働中のメイド・プリスカだった。彼女は目をキラキラと輝かせながら疲れた表情を浮かべるオリゴに熱烈な視線を送りながら速報を俺の机に()()()()。ッてこら!


「ねぇオリゴ隊長~、私も“スポブラの悪魔”のお手伝いしたーい! きっと私も活躍できると思うんだ!」


「無謀と無茶の違いをその頭に叩き込みなさい。――あと、残念だけどあなたにまだスポブラは要らない」


「え~、少しはおっきくなったと思いません!?」


「バカは一人で充分なの!」


 いつものように軽快な言い合いを繰り広げながら、プリスカは「今度は衛生看護隊の速報!」と言いながら俺に投げ渡す。そこには、さらに頭痛を誘発するような内容が記されていた。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


第四区にて巡回中の自警団一名が負傷。

原因は、不審者との接触によるものと推測。

現場に居合わせたスポブラ姿の赤髪の悪魔がこれに対応。


負傷者に対しての発言記録:


「君は、重傷を負った仲間を背負って必死に走っている途中で、

『疲れたから、ちょっとだけ休ませてください』

って、そんな情けないことを言うのか?――ボクは、そんな風に君たちを育てた覚えはないよ?」


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


 ――育てた覚えはない、か。

 もし、その負傷した兵士がメリーナの部下だったとしても、その言い方はパワハラ以外の何物でもないだろう。だが、もし彼が領主軍とは無関係の、たまたま巻き込まれただけの一般市民がそんな事言われたのなら――完全にトラウマになるレベルだ。想像するだけでゾッとする。


「メリーナ姉さん、もはや軍曹とかいうレベルじゃなくて、“地獄の上司”と化してるぞ。ブラック企業の上司も、きっと彼女の前では泣き出すだろうな」


 俺が頭を抱える横で、プリスカが速報を取り上げて朗読するたびにオリゴもクラーレも、同じように頭を抱え始めた。もはや誰もケガをしなければ何も感じなくなってきていた。


「どうしますかヴァルトア様……姉さんはまともな話し合いができる相手とは思えません。ここは討伐隊を編成すべきです」

「無理だ」


 俺は即答した。「領内の全戦力を動員したところで、あの人を止められるとは思えない。下手をすれば、街一つ消し飛ぶぞ」


 その時、執務室の扉が、まるで何かに蹴破られたかのように勢いよく開いた。


「ヴァルトア様、今度は冒険者ギルドのフレデリクさんからの――って、プリスカさん! ここでいつまで油を売ってるのですか! 早く持ち場に戻りなさい!」


 息を切らして飛び込んできたのは、メイド隊副隊長のマイリスだった。彼女は一礼すると速報をそっと執務机に置いた。そしてプリスカの首根っこを鷲掴みにすると、まるで猫を運ぶかのようにひょいと持ち上げた。「失礼します」と一言だけ告げると、カーテシーをしてそのまま執務室から出て行った。


「マイリスさーん、私もスポブラの悪魔やるぅー!」

「クラーレさんぐらいでっかくなったら考え……」


 マイリスの怒声は、プリスカを文字通り引きずっていくにつれて徐々に小さくなっ(デクレッシェンドし)ていく。連行されるプリスカの目は、まだキラキラと『スポブラの悪魔」への野望を燃やしているがその声は廊下の奥へと消えていった。


 一方、名指しされたクラーレはというと、突然の話題に顔を真っ赤にして慌てて胸元を隠す仕草をした。まぁ当家の女官の中では確かに豊かな方だろう。ただ隠そうとすればするほど目立ってるけどな、トマファも目を逸らしたぞ。――なお、オリゴはといえば、今日も変わらず涼しい顔で書類に目を通していたが。


「……あれ、人間に対する扱いか?」

「知りません、てか、あれは猫です」


 オリゴは、もはや何も驚かないといった様子で呟いた。

 マイリスが置いていった速報には、衝撃的な事実が記されていた。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


今回のチンピラ共の所持品から、弊ギルド発行の正式な冒険者認識票を確認。

一部、元冒険者の転落者たちの集団が居た模様。

弊ギルド本部より、今回の騒動の顛末に関する詳細な報告書の提出要求あり。

なお、要求者は、少女の姿をした紅髪の悪魔とのこと。


(追伸)笑顔で怒鳴り込んできたとのこと》

ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


「もはやメリーナ姉さん。完全に竹中●人じゃねぇか!」

「そのネタ、わかる人はおっさん認定ですよ、ヴァルトア様」

 オリゴは、冷静にツッコミを入れてくる。



 さらに、追い打ちをかけるように、新たな報告が飛び込んできた。


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


“通行料”と称する不法徴収に対し、該当者に対し納税証明の有無を笑顔で問い詰め、納税の義務と権利について懇切丁寧に教育的指導を実施。

(※指導方法:物理)


周辺住民からの評価:

「月夜に現れた、可憐な美少女戦士」

「俺も、あの美少女戦士様にお仕置きされたい」

等の、理解不能な願望表明、多数あり


ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー


「誰だよ、美少女戦士って」

「もはや単語の意味をあれこれ深く考えるのは辞めましょう、ヴァルトア様」


 オリゴは、深い溜息混じりに言った。俺は、疲れ切った体で深く息を吐き、最後の指示を出すことにした。


「メリーナ姉さんには、明日の朝もいつも通り訓練隊の指導があるはずだ。日朝点呼が終わったらすぐにこの執務室に来てもらうとしよう。色々と……彼女の『言い分』とやらを、じっくりと拝聴させていただくとしようじゃないか」


 その言葉が終わるか否かのタイミングで、オリゴのどこか楽しそうな声が響いた。


「御意――」



 * * *



 翌朝。

 軽いノックと共に執務室の扉が開くと、「おはよ~、ヴァルちゃん♡ オリゴちゃんもクラーレ嬢もチャオ~♡」と、メリーナがまるで近所のドッグカフェにでも立ち寄ったかのような気軽さで顔を出した。夕べのスポブラ姿に薄い上着を羽織っただけの彼女の手には、昨日の“凶器”――靴ベラが握られている。


「……それ、まだ持ってたのか」

「うん! これすごく高い奴でしょ? 手にフィットするこの木地、そして塗料。ついでに背中をカイカイ掻けるし、一石二鳥だよね!」


 孫の手代わりに使うな! しかも、それ、俺の革靴用だぞ……。

 俺はそっと天を仰ぎ、斜め後ろのオリゴとトマファに視線を送る。二人は揃って遠い一点を見つめていた。クラーレに至っては、目を固く閉じ何かに祈りでも捧げているようだった。


「――では改めて。こほん。昨夜の出来事について覚えている限り、姉さんの口から報告を頼む」

「はーい! えっとねぇ、まずね、街の路地裏でチンピラに通行料を請求されたから、“それ税金なの?”って聞いてみたの」

「まずは恐喝をされたんだな?」

「まぁねぇ~。それで、ボクに喧嘩売って儲けが出ますかぁって訊こうとしたんだけどぉ、ぜーんぜん聞いてくれないの! ぴえん!」

「うむ……」

「あと、“しょんべん臭いガキが”とか言われたから――」


 と、メリーナは満面の笑みで靴ベラを振ってみせた。


「――カツン☆ってやったの♪ そしたら勝手に倒れた!」


 俺は頭を抱えた。トマファは青い顔をして震える手でメモを取っている。オリゴは、もはや呆れて無言。クラーレに至ってはぶつぶつと聖句を唱え始めた。


「それで、そのあと逃げようとした人もいたけどぉ、あ、でもあれは鬼ごっこだったっけ?」

「それもう、リアル鬼ごっこ……」

「ちなみに被疑者の中にサトーさんは居ませんでした」

「ちがうもん! まだ×ッてないもん♪ あとねぇ――」


 夕べ領主館に届いた速報を時系列をまとめた紙をトマファが作ってくれたおかげで、メリーナが言うきゃぴきゃぴした報告と突合することができた。速報どおりの暴虐の祭典が間違いなく開かれていたようだ。



 俺はため息を付くと深く椅子に沈み、言った。


「……要するにだ、メリーナ姉さん。君は、たまたま俺の靴ベラを手にして散歩に出かけ、そこで遭遇したチンピラどもを文字通り一掃し、負傷した警備兵には叱咤激励という名の根性注入を加え、結果として街の治安向上に貢献した、と。そして、なぜか地域の子供たちからは『美少女戦士』と崇められ、一部の問題のある変態からは『お仕置きされたい』などという奇妙な熱視線を浴びている……そういう認識で間違いないか?」

「うんうん、大体そんな感じ~♪ さすがヴァルちゃん、話が早くて助かる~♡ ね、ご褒美にご褒美~、よしよしさせてよ!」

「勘弁してください! もう子供じゃないんです!」


 撫でようとするメリーナの手を避けようとしたら、何故かぎゅっと抱きしめられた。少しだけ甘い香りと汗臭さを感じた。――姉さん、風呂入ってくれ。

 オリゴが声を低くして静かに口を開く。


「報告書類には『職業:メイドさんとか、ちりめん問屋の御老公』ってよく判らない記録がされてます。メリーナ姉さん、ヤるならもう少し設定を練ってください!」


 俺は額を押さえた。


「せめてこの人だけは“第一狂ってる団団長”とかに肩書を変えさせようか……」



 ――そのときだった。執務室のドアが音もなく開く。


「はいはいはい――。褒めた褒めた、すごかったね。もう帰るよ、メリーナ姉さん」


 入ってきたのはユリカだった。眉ひとつ動かさず、手に抱えた木刀の先でメリーナの背中を小突く。


「ゆ、ユリ!? ねぇ、ちょっと待って、まだプリン貰ってないよ!? あ、シュークリームでも良いよ? ねぇヴァルちゃん、ご褒美は?」


「朝っぱらから報告書を読んだこっちの身にもなってよメリーナ姉さん。マジ朝から胃が痛くなったわ。はいはい、あちこちに迷惑掛けたんだから、たっぷりと反省文書こうね♡」


 ユリカが笑顔で木刀をくるくると回すと、メリーナは肩をすくめて椅子から立ち上がった。


「うぅ、甘い生活ぅ……」

「甘い生活をしたいのでしたら、二度と靴ベラで人を殴らないで下さい」


 俺が念を押すと、メリーナはにっこり笑って言った。


「じゃあ、今度はシューホーンにする~♡」

「変わらねぇよ!」



     ★ ★ ★



 後日談。

 トマファの領主館業務日誌。

(罪刑法定主義のスポブラ炒め、小悪魔風)


 領主館の窓から見下ろす街はまるで嵐の前の静けさだった。

 メリーナ小隊長が引き起こした騒動――街のチンピラを一網打尽にした「スポブラの悪魔騒動」は、正しい意味で領主軍の規律を乱し、街に混乱を撒き散らした。罪刑法定主義に則れば彼女には厳罰が下されるべきであろう。軍規違反や公共の秩序を乱す行為には少なくとも厳罰をと定められている。卿は職務執行者として筋を通さねばならなかった。


 だが、事態は僕や卿の予想を遥かに超えた方向へ転がり始めた。


 メリーナが大暴れした翌々日。

 僕の執務机に山積みになっていたのは街の住民たちからの嘆願書だった。そこには市民からの熱い言葉が書き綴られていたのだ。



「スポブラを許してください!」

「美少女戦士が街の治安を救ったのだ!」


 さらには、「領主館がチンピラを放置してきたんだろ? 市民の声を無視するな!」と、耳が痛くなるような指摘まで含まれていた。


 どうやら出所不明の噂が市民に嘆願書を出させるまでの行動に火をつけたようだ。『スポブラの悪魔が領主館を頸になっちまう』と。


 卿は罪状と規則で頭を抱えていた。罪刑法定主義とは感情や民意を優先せず法の枠内で裁くことを求めている。だがこの嘆願書の洪水は単なる感情の爆発ではない。住民たちはメリーナが一晩で成し遂げた「治安の奇跡」を法の画一的な論理より重んじていたのだ。彼女の行動は確かに違法だったろうが、結果として街から害悪が消えた。これは無視できる事案ではない。



 結局メリーナ本人も、反省の色を微かに(本当に微かだったが)示し、更生の可能性……があるかもしれないという、希望的観測に基づいた報告もユリカ様から提出された。そして何より街の治安を蝕んでいたチンピラたちが文字通り一晩でいなくなったという事実は、無視できるものではなかった。


 罪刑法定主義の枠内で情状酌量の余地を最大限に検討した結果、卿はついに決断を下した。メリーナへの処分は「停職一日」。法の厳格さを保ちつつも民意を汲み取った、なんとも中途半端な妥協だった。僕も卿もこれで騒動が収まると信じた。だがそれは甘い幻想だった。


 処分が発表された途端、西区の住民たちが立ち上がったのだ。

「メリーナ小隊長が一日も停職になるなら、俺たちも一日停職だな!」

という、理解不能な連帯意識が街を席巻した。なんと彼女の停職執行日には商店、工房、酒場――西区全体が、まるでストライキのようにシャッターを下ろしたのだ。


 僕は眩暈を覚えた。罪刑法定主義は法の前では全てが平等であるべきだと教える。だがこの民意の奔流は、法の論理をまるで嘲笑うかのようだった。西区の住民たちはメリーナを「西区の英雄」「スポブラの女神」として祭り上げ、彼女の処分に連帯することで領主館への不服従を示したのだ。



 奇妙な後日譚について


 ストライキ騒動からさらに数日後、街には新たな風習が生まれたらしい。

 住民たちは、メリーナがチンピラを追い散らした夜の逸話を語り継ぎ、

「玄関先に靴ベラを飾れば悪い連中は寄り付かない」

と、冗談半分で言う連中らが出てきたという。しかしそれを本気で信じ始める人も居たらしく、気が付いたら西区の家々の軒先には「メリーナ」と書かれた靴ベラが揺れている。卿はその報告を聞いて苦笑を浮かべていた。


 そしてメリーナ自身はというと。

 停職一日を終えた翌日、その日は何をしてたんだとオリゴさんが聞いたらしい。

「ん? 花街の遊女と遊んできた」

という。彼女はどんな遊びをしたのだろうか……? 怖くて聞けなかった。



 そして最後に。

 メリーナは僕や卿に一瞥をくれ、こう言ってのけた。


「次は桜吹雪が目に入らぬかぁ、って言いながらやろうかな!」


  卿は痛むこめかみを抑えながらお答えになっていた。


「頼むから、もう勘弁してくれ」





※元ネタ

陸上自衛隊第一空てい団。

昔の職場に空挺レンジャーいたけど、「休日に893狩りをしてた隊員がいたってホント?」と訊くと「あぁ、Sさんね」とあっさり名前が出てきた。

ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。




※罪刑法定主義(憲31・刑1)

一言でいうと?→「法律で事前に明確に定められていない行為は、犯罪として処罰されない」


・国民の権利と自由を守る: 何が犯罪になるのか、どのような刑罰が科されるのかが事前に分かっていれば、国民は安心して行動できます。

・国家権力の濫用を防ぐ: 国家権力が恣意的に刑罰を科すことを防ぎ、法による支配を徹底します。



「何が犯罪で、どんな罰を受けるのか」を事前にハッキリさせることは、恣意的な処罰を防ぎ、国民の権利を守るための、見過ごせない重要な原則です。懲戒処分についても、この考え方を踏まえ、処分の重さがバランスを欠くことのないよう慎重に扱われるべきです。

具体例として『こんな犯罪やらかして罪が軽い!』って思うだろうけど、法による定めを超えて裁判官があれこれと決めたら国民の権利なんて簡単に吹き飛ぶよねって事。


なお、この主義の対極にあるのが、

・罪刑専断主義: 法の支配の否定、『権力者の恣意性』という側面。

・国民情緒法: 法の安定性や客観性の否定、感情的な判断による刑罰という側面。お隣の判決を皮肉った文言。なおぶっちゃけ、そんな法律はない。


つまり、なろう小説でよく見られがちな

「こいつは悪党だから何をしても許される」

というのは、非常に危険な考え方です。


なお、詳しい話は身近な法学部出身者に訊いてみよう♪

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