25話 武辺者、アポなしで面接をする
朝の領主館は、静かだった。
小鳥がさえずり、メイドたちが中庭で洗濯ものを干す音、掃除をする音も聞こえる。俺は執務室でエラールから届いた報告書をトマファと二人で読んでいた。久々に平和な一日が始まるかと、甘く見ていた。
「失礼します。――ヴァルトア様、ご報告いたします」
いつも通り無表情なオリゴが、書類束を抱えてやってきた。ただ、少し息を弾ませているのは気になったが。
「どうした?」
「今朝早くから当家への仕官希望者が四名、面接に来ております」
――は?
俺は手にしていた手紙を落としてしまう。
「いや、待て。召募なんてかけてないだろ?」
「はい」
オリゴはあくまで無表情だった。
だが、その瞳の奥にわずかに「ため息」と「殺意」が同居しているのを、俺は見逃さなかった。無表情を装うのなら、無駄に殺意を撒き散らさないでほしい。
「じゃあ、どうして面接に?」
「話によれば、『ここでは素人の若手文官が好待遇だ』とか」
「――それは間違いないんだがな」
オリゴは手にしていた書類を机に置いた。その希望者四人の履歴書らしい。
俺は眉をひそめる。確かにトマファやクラーレを(それなりに)待遇よく使っている。しかも最近では領地発展に伴い、新学校建設や市場拡張に街道整備――と、確かに忙しい。だが文官を“ほかに拾う余裕”があるとは、誰も言っていない。
「そもそも、応募書類ってどうやって持ってきたんだ?」
「持参です。しかも、正門で堂々と『採用されに来た!』と宣言したそうです」
俺は天を仰いだ。
――なんというか、バカなのか? 何もかも間違っている。礼儀も、空気も、世界線も。
「――どうする? 門前払いで追っ返すか?」
「ご判断にお任せします」
オリゴはぴしゃりと即答する。表情は変わらないが、露骨に面倒くさいなぁってのが目を見て判る。
オリゴに続いて側にいたトマファも若干引きつった顔で提案した。
「せっかくなので、記念に――いえ、面接だけでもやってみます?」
「ああ、暇じゃないんだがな」
俺は溜め息をつきながら立ち上がった。
だが、胸の内にほんの僅か、奇妙な興味も湧いていた。
そもそも、我が家に仕えることになったクラーレは、最初はかなりの突発案件だった。
軍属時代の上官ウタリから『雇用先が簿記が出来る文官を探してるっぽい』って手紙を読んでアポなしで馬車を乗り継いでやってきたのだ。現在、当家で活躍する彼女を採用したのは僥倖であったのはいうまでもない。だが同時に、あの“アポなし突撃採用”が、変な前例を作ってしまったのも事実だったが。
(本当に使えそうな逸材が転がっていたなら、採用も視野に入れるか)
「では、オリゴ。書類審査から頼む」
「かしこまりました」
こうしてキュリクスでは二度目の『押しかけ仕官のはちゃめちゃ面接』が幕を開けた。
「では最初の志願者、お入りください――」
オリゴが静かに声をかけると、扉の外からずんっと重たい足音が響いた。
現れたのはどこか疲れた顔をした中年の男だった。
着ている服は年季が入りすぎてもはや灰色に褪せている。しかも靴は片方だけ靴底が剥がれかけていた。
――第一印象だけでも、だらしないな。正直、嫌な予感しかしない。
「ベルナド・サイスと申します。ラブレス伯の寄子でございます」
男は大仰に胸を張り、妙に場違いな大声で自己紹介した。
ラブレス伯爵——実のところ俺の寄木のクラレンス伯爵とは不仲だ。
もっとも王宮の連中は俺に寄木がいるなんて夢にも思っていないだろうが。
(連中らからしたら、飄々としたあのスケベ親父が、俺にウザ絡みしているとでも思っているんだろうが)
俺とオリゴは目を合わせる。この時点で、彼は無いな、とオリゴが目で訴える。
オリゴは一礼すると、手にしていた応募書類に目を落とした。
しかし――
「ヴァルトア様」
「ん、どうした」
オリゴが眉をわずかにひそめた。
「――応募書類が読めません」
ぴしゃりと断言するその声に、俺は思わず苦笑した。
「老眼かッ――!」
肘鉄が俺の脇腹にめり込んだ。
「――どれ、貸してみろ」
オリゴから書類を受け取り、覗き込んでみた。
なんだこれ?
まるで潰れたミミズが這いずり回ったような、解読不能の汚文字だ。
「これ何語だ?」
「たぶん、古センヴェリア語ですね」
オリゴの声色は一切変わらない。ただ、冷酷なまでに現実を突きつけてくる。
「……(そっと目を閉じて呼吸を整える俺)」
ここでふと、俺の右横からトマファが顔を覗かせる。
彼もチラリと書類を見た瞬間――小さく、だが確実に首を横に振った。
この時点で、審判は決まった。
「ベルナド・サイス殿」
「はっ、はいっ!」
やたら元気な返事をする中年男に、俺はできるだけ柔らかく告げる。
「申し訳ないが――大陸標準言語のセンヴェリア語が書けない者を文官に雇うわけにはいかん」
「えっ、えぇぇぇぇ!?」
ベルナドは信じられないという顔をした。
「ちゃんと書いてありますよ、センヴェリア語!」
「読めません」
オリゴがぴしゃりと一言で切り捨てた。
無表情なのに、なぜこんなにも刺さるのか。
「――おのれ、メイド風ぜ……」
「帰れ、次!」
俺は手をひらひらと振って、早々に終了を宣言した。
こうして一人目はわずか二分で爆死した。
「では二番目の志願者、お入りください――」
次に応接室へ案内されたのは、妙に姿勢のいい青年だった。
細身で、鼻筋の通った顔立ちのイケメン。着ている服も、エラール流の今風きっちり仕立て。そして、イケメン。
一見、かなりまともそうに見えたのだが――
「ヴェルム・ラファージュです。以後、お見知りおきを――」
自己紹介の最中から、どうにも鼻につく態度が目につく。
用もないのにやたらと前髪を梳き上げる仕草。
これはたぶん本人にとっては「優雅さ」を演出しているつもりなのだろう。しかしその動作がわざとらしさを強調しているのだ。
ほかにも椅子に浅く腰掛けて投げ出すように組まれた足もだらしない。
さらに無意識のうちに腕を組んでこちらに対して妙な威圧感を漂わせている。
まるで「俺を見ろ」「俺すげぇだろ」と態度で喚いているかのようだった。
――ナルシストを拗らせたのかな?
「――で、私の得意領域は行政文書の悉皆整理と、リソースアロケーションのプレリミナリーフェイズにおけるバリューマキシマイゼーションに向けたアジャストメント、および……」
――ん、何語だ?
俺とオリゴが思わず顔を見合わせた。
横で控えていたトマファだけが、わずかに目を輝かせる。
「あぁ、申し訳ありません。田舎領主様たちには難解でしたね。――戦略的予算配賦における初期段階の概算見積プロセスの高度化と、ROI最大化を志向した緻密なチューニングを――」
――だから何語なんだ?
というか今、さらっと俺たちをディスった?
俺とオリゴは再び顔を見合わせた。
オリゴは目をそっと閉じ、首を横に振る。
だが横で控えていたトマファだけは、なぜか目を輝かせている。
何語か判らない言葉を吐き出すヴェルムの話を一通り聞き終えると、トマファが口を開く。
「大変興味深い話ですねヴェルム殿! ――こほん。あの、素人質問で恐縮ですが、よろしいですか?」
車椅子を前傾させながら、トマファがずいっと身を乗り出す。
その勢いで座面からずり落ちそうになったので、オリゴが慣れた手つきで背後からそっと支えて絶妙な加減でお尻の位置を戻してやる。――見慣れた光景だった。
「では、当領地の予算管理フレームワークにおける、エンパワーメント型アプローチとセントラルコントロール型アプローチの構造的相違、およびその戦略的インプリケーションについてご高見をお聞かせいただけますでしょうか?」
トマファは前つんのめりになりながら、さらりと横文字&専門用語を並べて切り返す。ヴェルムの顔が一瞬で引きつった。
「え、ええと……もちろん……エンパワーメント、型、というのは……つまり、現場に権限を与えるという、ええ、その、ええと、活気づけるというか……」
汗が額ににじみ、ヴェルムの視線が泳ぐ。
その間にも、トマファはにこにこと笑顔を崩さない。
――どこが素人質問だよ!
「では、具体例を挙げてご説明いただけますか?」
「え、ええと、ええとですね――? 要するに……その、最適な、ええと、その……行政的アプローチと申しますか……? その、えと」
どんどんと声が尻すぼみに小さくなるヴェルム。その間も足を組み直してごまかそうとしたりやたらと髪を梳く仕草をするが、肝心の言葉が紡げない。
――てかさぁ、お前ら一体何語で話してるのだ!?
センヴェリア語だよな?
しかしついに黙り込んでしまったヴェルムにトマファは興ざめしたのか、オリゴに頼んで車椅子に深く座らせてもらうと小さく息を吐いた。
「ヴェルムさん、ではもうすこし質問を判りやすくしましょう。――標準型アプローチだと統制重視が課題になりますからどうしても決裁速度が課題になりますよね。それの欠点を補うリソースアロイ(略)」
しかしトマファがさらに容赦なく追撃をかける。
俺は心の中で思わずため息をついた。
「では、仮に当領地でセカンダリーアロケーションフェイズにおける、プレリミナリーリクエストプロセスとファイナルアカウンティングプロシージャーの構造的差異をご説明いただけますか?」
「せ、セカンダリ――? ぷ、プレミナリ――? え、ええと……」
ヴェルムは顔を引きつらせながら、やたらと長い助詞と接続詞を羅列して、何とかごまかそうとする。
しかし――オリゴがぴしゃりと言い放った。
「要点を三行以内でお願いします」
ヴェルムは顔を顰める。
面接開始時は田舎領主相手に自信満々でやってきておいて、結局はぼろくそにやっつけられたのだ。きっと彼のプライドを強く傷つけたのだろう。
「し、失礼じゃないか! メイド風情や障碍者風情が偉そうに!」
あー、それ絶対言ったらダメな捨て台詞だぞ。
「そこまで偉そうに訊くならそこの車椅子、セカンダリーなんちゃらとプレミナリーなんとかを三行以内で説明してみやがれ!」
顔を真っ赤にしたヴェルムが立ち上がる。
きょとんとした顔のトマファは静かに口を開く。
「三行ですよね?
・要求は見積もり
・精算は実績
・戦略的予算配賦とはなんぞやをまず勉強しろ
――ですがなにか?」
完。
トマファがメモにさらさらと一言、「意識高い系勉強不足」と記す。
俺も小さくうなずいた。
(口先だけじゃ、この領地は回せんしな)
「帰れ、次!」
俺は手をひらひらと振って、ヴェルムに終了を宣言した。
「では三番目の志願者、お入りください――」
応接室に入ってきたのは、小太りで小柄な中年男だった。
服こそきちんと着てはいるが、ところどころボタンが取れかけていて、着こなしも何となくだらしない。先ほどのベルナドもそうだったが、もしこんなのが王宮内で仕事をしてたなら、王宮官僚も随分と質が堕ちたな。
「バクラ・エッダルド、元・王宮会計課所属にございます!」
威勢だけはいい。だが、第一印象は……うん、正直、かなり不安だ。
「ではバクラ殿、早速ですが――」
俺はにっこりと笑い、シンプルな問いを投げた。
「当地では、複式帳簿記入方式による財務管理を採用してる。簿記は判るか?」
「はいっ! 簿記ならバッチリです!」
バクラは胸を張った。……この時点でちょっと嫌な予感がした。
それはオリゴも察したのか、まずはオリゴが口を開く。
「では一つ質問です。単式帳簿方式と比べて複式帳簿方式のメリットを教えてください」
「え? え!? ――あの、便利だからです」
「では、何がどう便利なのか説明してください」
「――――ッ」
オリゴのさらなる追撃にバクラは口を閉ざす。
最近になって俺もトマファやクラーレに簿記を教えてもらっているので、『複式帳簿方式のメリット』が理解できるようになった。
単式帳簿方式だと一つの取引から得られる情報が一次的だ。例えば現金帳や売上帳だけを見てもその取引の全体像や関連する要素や記録が分散して把握しづらく、後から内容を追跡するのが非常に困難だ。
例えば
『王国暦28年4月1日に取得した運搬具(取得原価:20ラリ、耐用年数:5年、残存価額:ゼロ、定額法で減価償却)を、31年3月31日に3ラリで売却し、代金は現金で受け取った。なお、当社の会計期間は4月1日から翌年3月31日までである』
という取引を単一帳簿方式で記帳していたら、色んな帳票をひっくり返さないとどんな取引だったか判りづらい。むしろゾッとする。
だが複式帳簿方式なら各種帳票の原本となる仕訳帳にはこのように記帳されているはずだ。
『運搬具売却:王国暦31年3月31日・No.XXX』
「借方
・現金 3ラリ
・減価償却累計額 8ラリ
・固定資産売却損 9ラリ」
「貸方
・運搬具 20ラリ」
これら情報を元に各種帳簿に転記・落とし込みしていくわけだ。ちなみに計算しやすいよう敢えて残存価額はゼロにしたが、有形資産であれば備忘価額(1シリングなど)を付けなきゃダメだぞ?
(※作者・註1)
オリゴはバクラへの追撃を止めない。
「では次の取引。馬匹の購入として2ラリを前払金で決済、3ラリを現金で支払った。この取引の仕訳を切ってください。なお馬匹は資産として計上すること」
「へっ?」
バクラの顔が一瞬で真っ白になった。
「え、えーっと、馬……ですから……その……えっと……前払金?」
「えぇ、前払金は資産? 負債?、借方? 貸方?」
「――」
「簿記、本当に判ってますよね?」
オリゴが即座にぴしゃりと切り捨てた。
その場の空気が一気に冷えた。
「借方は“資産の増加”ですから勘定科目馬匹で借方に5ラリです、貸方には当然、“資産の減少”となる前払金と現金が計上されますよね」
と、トマファが静かに補足する。
「あっ、そ、そうですよね。知ってましたよ、はは――」
バクラは苦笑いしながら汗をかいているが、明らかに顔はひきつっている。
(――こいつ、簿記の“ボ”の字すらわかってねえ) ※作者・註2
俺は内心で溜め息をつきながら、オリゴを見る。
オリゴは無言で、またしても手元の書類に「✕」を記した。
「――バクラ殿。大変申し訳ないが我が領では“帳簿を読めない会計係”は必要としていない」
俺は静かに、しかしはっきりと告げた。
バクラはしばし口をパクパクさせていたが、やがてしょんぼりと肩を落とし、部屋を後にした。
俺もオリゴもトマファもため息を付く。
三人ともハズレじゃないか、と。
「ヴァルトア卿、あと一人のようですね」
トマファがそういうのでオリゴに最後の一人を呼んできてもらった。
もうそろそろ時間だ、もう止めたい。
「では最後の志願者、お入りください――」
応接室の扉がドンッと音を立てて開いた。
「失礼いたすッ!!」
現れたのは、筋骨隆々でピカピカに磨かれた鎧を着込み、背中にはやたらデカい剣を背負った男だった。――文官の面接と聞いていたが明らかに場違いな奴だった。
(なんぞこれ――)
俺もオリゴもトマファも、一瞬、言葉を失った。
しかしそんなことにも係わらずガランはバシッと敬礼し、大声で名乗った。
「ガラン・ツァック! 元王国軍第三連隊所属! この度、領主館武官への採用を志願し参上しました!!」
うむ、勢いは認めよう。でも、
「――ええと、ガラン殿」
と、俺はできるだけ優しい声で確認した。
「そもそも、武官の募集は、していないのだが?」
「承知ッ!! しかし御領におかれましては内外の脅威に備え、優秀な戦士を常備すべきかと存じますッ!」
ガランはガシャンガシャンと鎧を鳴らしながら力説する。
オリゴが小声で囁く。
「ヴァルトア様。この男、緊急時ならともかく常勤の武官には向きません。というか、無駄に目立ちすぎます」
「うん、知ってる」
俺も小声で返す。
トマファが念押しするように口を開く。
「――ちなみに、当領地の戦闘要員は現在、領主軍で充分に機能しています。武官ポスト自体、空きがございません」
「なにィ!? 空きがないだと!? ――それでしたら何かしらの特例で!」
「特例かぁ。――うーむ」
俺も頭を抱える。有事であればこういう奴でも使いようはあるのだが今のところ国家間で差し迫った状況はない。むしろ国内に目を通せば火種はいくらでもあるだろうが、こんな辺境に飛び火して来ることはそうそうないだろう。しかしそんな説明をして聞くようなタイプではない。典型的な猪突猛進型は、かえって扱いに困るな。
――ん、一つひらめいた。
「あぁ、それなら当家武官、アニリィの陪臣としてならどうだ?」
「……ッ」
俺の一言でガランの血の気が引いたのがわかった。
後先全く考えない女・アニリィが、自分の身の回りの世話ができる部下を欲しいと時々言ってたのだ。オリゴから百年早いと窘められていたが。
「――あの、アニリィって、前に王国軍にいらしたアニリィ・ポルフィリ大尉の事か?」
「そうだ。彼女の指揮下に入ってもらうのはどうだ?」
「――――」
ガランは固まった。まるで凍りついた獣のように。
やはりそんな反応をするのか。
「――失礼した、再考仕る!」
脱兎のごとく、がしゃがしゃと鎧を鳴らして応接室から逃げ出していった。
扉が閉まって数秒後、廊下の遠くで「くそっ、あの女の部下なんて、いくら積まれても無理だぞ!」という声が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「――あれ、逆に仕官させたら面白かったんじゃ?」
とトマファがぽつり。
「アニリィが図に乗ります。却下です」
と即答するオリゴ。
「今ので以上です。お疲れ様です、ヴァルトア様」
「そっか、ありがとう」
俺は溜息混じりに苦笑した。そして椅子に寄りかかって肩をぐるぐる回すと首元がゴリゴリと鳴る。
「それにしても面接って本当にいろんなのが来るなぁ。――ただ、エラールの人材難ってここまでひどいとは」
「想像以上ですね」
オリゴが淡々と答える。けれど、その瞳にはうっすらと怒りにも似た感情が宿っていた。
「もともと王都では、縁故採用と派閥人事が横行してました。ノクシィ一派の暴走で寄子に頼られた太い寄木が地方に投げつけたり、反体制派のポンコツもあちこち流れ流れてこちらに来たのでしょう」
彼女は一枚、丁寧に折り目がつけられた履歴書を拾い上げた。先ほどの4人のだろうか。
「そういえばクラーレ殿が来たときも、今日と同じように『何の予告もなく』現れましたよね」
トマファが、軽く笑う。
「そうだったな。あのときは突然ウタリが『紹介したい文官志望の者がいる』ってやってきて……」
俺の脳裏に、初めてクラーレと会ったときの記憶がよみがえる。クラーレの場合は会計に関する知識だけでなく、農業、機械の知識も豊富だったからな。
「あれは本当に良い買い物だった、間違いなく」
「でしたならヴァルトア様、お願いがございます」
そう言うと、オリゴが静かに一歩、前へ出た。彼女のその声音には確固たる決意がある。
「次のクラーレ殿を、“待つ”のではなく、“育てて”みませんか?」
俺は一瞬、言葉を失った。
「育てる、だと?」
「はい。ヴァルトア様は教育事業にも直接テコ入れをするんです。原石を集って次世代の官僚を磨き、育てるのですよ」
「ただ、エラールのように縁故と派閥の人間を集めると鈍い石ばかりになりますが」
と、トマファが苦笑いを浮かべながら言う。俺は思わず噴き出した。
「ははっ……それはそうだな」
肩の力が抜けた。こんな面接地獄のあとだと、むしろこのような建設的な意見が妙に沁みる。
「――よし、決めた」
俺は立ち上がった。
「『家臣は拾うもんじゃなく、育てるもんだ』って、昔、老師リモネが言ってた言葉を思い出したよ」
オリゴとトマファが、わずかに微笑む。
こうして、新たな官僚育成計画が――静かに、しかし着実に、始まったのだった。
「それよりもヴァルトア様、そろそろミニヨ様の出立のお時間かと」
静かな声でオリゴが告げた。トマファの車椅子を押しながら、ふと外の陽射しに目を細める。
「お、もうそんな時間だったか。よし、トマファも一緒に行こう。娘の門出だ」
俺は椅子を立ち上がり、軽く背筋を伸ばした。
この大陸では、秋から新学期が始まる。
そして今年、我が家の長女ミニヨは念願の進学をする。その進学先は名門女子総合学校――ヴィオシュラ女学院だ。隣国の首都からやや離れた山あいの学術都市にある、由緒と気風のある名門校だ。
「ミニヨ様の進学にはいろいろとございましたね」
オリゴが控えめに口を開いた。声は穏やかだったが、その言葉の裏には過ぎた数ヶ月の騒動が滲んでいる。
「あぁ。……まさかあのスケベ伯爵が、最後に役に立つとはな」
苦笑が漏れる。娘の希望、家の事情、そして王宮への働きかけ。すべてが複雑に絡み合った進学の道だった。そしてようやく笑って見送る準備ができたのだ。
「さ、行こう。ミニヨも玄関先でソワソワしてるに違いない」
俺たちは足早に、領主館の玄関へと向かった。
秋風はすでに、ひとつの物語の終わりと、新たな旅立ちの始まりを運んでいた。
(とある新任女兵士、ネリスの日記)
入隊1か月と15日目
熱は下がったのに夜になると何故か熱発したおかげでなかなか原隊復帰できなかった。
おかげで四日間は衛生・看護隊舎の病人専用棟でお世話となった。
そのうちの二日間、衛生隊はバタバタしていたっけ。
なんかキュリクスの街中で集団食中毒があったらしい。
うちの家族、大丈夫だったかなぁ。
病室は私一人。身体がなまるからと衛生隊の目を盗んで筋トレをやってた。
だけど衛生隊ってよほどカンが良いのか、筋トレ始めるとすぐに気付かれる。
「大人しく寝てて下さーい」
飛んでくる衛生隊、なんでバレるんよ。
気が付いたら彼女らにバレないように筋トレするドキドキ対決してた。
んで、今日。(1か月と15日目)
「ネリス訓練生、きちんと解熱したね。――いま一番鐘が鳴ったところだからすぐに着替えて原隊復帰しなさい。寝具はこちらで片づけます」
医官にそう言われてようやく私は原隊復帰を果たす。
私が兵舎の前に行ったときには全員が揃っていた。みんな口々に大丈夫かと聞かれた。ちょっと恥ずかしい。私の異変に真っ先に気付いたカタラナ訓練生にお礼言いたかったけど、日朝点呼になった。
「はーいおはよう、今日の当番、人員を掌握し報告!」
朝二番の鐘が鳴り日朝点呼が兵舎の前で始まる。いつも通り笑顔のメリーナ小隊長、そして当番のモリヤ訓練生が今日の当番のため大声で応じる。
「女子班、総員10名、事故なし、現在員10名、健康状態異常なしでーす!」
「おはよう!」
「「おはようございます!」」
「朝晩は急に涼しくなったからね、体調には気を付けるように」
笑顔のメリーナ小隊長と目が合った。きっと私に言ってるよね、反省。
「あと、本日、マル・キュー・マル・マル時にアニリィ閣ッ――いや、アニリィちゃんが訓練隊と合流します。みんなの後輩になるけど、決していじめない事! それなりには敬意払う事、以上!」
みんなが噴き出す。
ちょっと前まで『雲の上の存在』だったのに、やらかしを連発して訓練隊に降格したって話らしい。それって何階級降格扱いなんだろう。
ただ、私以外にもアニリィ様に憧れを抱いている人が居た。クイラ訓練生とレンジュ訓練生だった。特にクイラなんかは、普段はいつも憮然としてるのにこの時はめっちゃ目をきらきらさせてた。ま、いっか。
点呼後は朝食。シーラ隊長から山盛りにされた。
「ネリスちゃん、痩せたでしょ?」
「いえ、たぶん太った――」
「ちゃんと食べなっしねぇ!」
相変わらずシーラ隊長は人の話を聞かないなぁ、朝からそんなに食べられないって。しかし配膳台で先にご飯を盛られてたクイラも山盛りにされていた。隣の相棒に迷惑かけた事を伝える。
「――ん」
そういって一つ頷いただけだった。相変わらず愛想のない奴だ。
「ネリス訓練生、あんた大丈夫なの?」
食堂のいつもの席に腰掛けて山盛りの食事を突き崩そうとしていたときにカタラナに声を掛けられた。彼女にも迷惑かけた事を伝える。
「仲間の健康を看るのも訓練だと思ってるからね」
と言う。カタラナは看護隊に入りたいと言って短槍の戦闘訓練を拒絶するような子だもんね、うん。ある意味、あなたの志って本当に高いよね。
んで、私は何になりたいんだ?
この訓練隊が終わったらどこかの小隊に配属となるけどさ。『3年我慢』って事ばかり考えてたから、この訓練隊を卒業した先について、まともに考えた事ないや。メリーナ小隊長みたいになりたいなぁって思えば斥候隊になるのかな? それとも楽な隊に行くべきかな――うーん、悩む。
んで、どうやって攻略すべきか悩んでた朝食もするりとお腹に収めて訓練開始。さて今朝は何から始まるかと思ったらランニングだった。食べたものが逆流しそうだった。
午前9時。
「今日よりお世話になるアニリィです、よろしくお願いします!」
戦闘服姿のお姉さまは目の下に隈が出来てた。というかあからさまに痩せこけてたし髪の毛もぼさぼさだった。余程心配だったのかメリーナ小隊長が声を掛ける。
「ねぇアニリィちゃん。あんたご飯食べてンの?」
「出勤停止中はご飯になかなかありつけてなくて。スルホン殿も『毎日来るな』って言うからさ、耐えきれない時は薬草採取して銭にして、定食屋で麦粥だけを食べてた」
姐さん腹減ったと続けた。メリーナ小隊長もやれやれと肩をすくめると、
「あんたの分ぐらいならシーラ隊長に言えば用意して貰えるわよ?」
「そうしてくれたら嬉しい。マジ、飢える――ついでにお酒も出して」
「にゃはは、シーラ隊長にそれ言ったら、消毒用を出されるよ?」
「それで我慢する」
――おねがい、我慢しないでよ! てか、そんなもん飲まないでよ!
「まぁいいや。昼ごはんまでは目の前の“先輩訓練生”たちには遅れを見せないでよね、アニリィちゃん!」
午前中は相変わらずの短槍の戦闘訓練だった。しかし今日からの訓練は「ツーマンセル」で二人一組の連携戦ってこと。つまり私と組むのは、あのクイラ。相棒だもんね。
「みんないいかな? ボクたちが放り込まれる戦地ってのはねぇ、きっとゴブリン掃討戦か盗賊の討伐戦しかないよ。もしくはおバカな王国正規軍だったりして」
「んで、連中らにはチームプレイってのは存在しないんだよ。あるとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけ。だから、そういう相手には、とにかく囲んでボコる!」
清々しいまでの集団戦。つまり、突出してきた兵を囲めって事ね。
「ちなみに“一騎当千の兵”なんて幻想だよ? 一人の長槍使いが凡百の兵を吹き飛ばすなんて不可能だから! ――とにかく囲んでボコるのが用兵の基本!」
ということはむしろ、敵兵の中で孤立したら物理的に消えるってことだよねそれって。
で、今。
私とクイラは古参兵の方相手に稽古中。
ちなみにこの古参兵の方々はどうして一緒に訓練してるのだろうと思ったら、将来の隊長、リーダーとしての勉強中らしい。職業軍人として頑張ってる人だからかな、私とクイラが相対してる古参兵がめちゃくちゃ強いんですけど! しかも「もう少し連携取って私を囲みなさい」って言いだす始末。――この人まじ強すぎで攻め込めない!
メリーナ小隊長が短槍を肩に担ぎながら私たちに近づいてくる。
「ねぇオーリキュラちゃん。そろそろネリス訓練生とクイラ訓練生に本気を見せたら?」
「え、メリーナ姉さん、いいんスか?」
「いーよー♪ やっちゃえ、にゃは!」
「ぅす」
あ、この人オーリキュラって言うんだ、意外とかわいい名前。
しかしメリーナ小隊長にOKが出た途端に槍先の動きがぬるぬるっと早くなる。あっという間に私の籠手、クイラの防面、ついでにメリーナ小隊長の左胴まで打ち抜いた。
「いやぁ、流石、工兵隊の女傑ちゃんだねぇ」
「――ぅす」
打たれた左胴をさすりながらメリーナ小隊長が言う。え、この人、工兵隊なの!?? 技術兵科じゃん。てっきり前線でパイクを振り回す先鋒隊だと思ってた。
「じゃあオーリキュラちゃん、二人に感想戦を兼ねて2対1の攻略法など教えてあげて。この二人はマジで強くなると思うから頼んだよ、にゃは!」
「――ぅす」
その後、オーリキュラさんに攻略法を教えてもらう。
オーリキュラさんが言うにはとにかく一人は相対し、もう一人は回り込んででも相手の背中を襲えば勝てる、と言う。でもさ、相対する方が斬られたら回り込む事もできないよね? それこそ囲む前に個別撃破だよね?
だけどクイラは理解したらしい。
「――そか、私らが強くなればいい」
って、え!? クイラが喋った。ちょっと驚いた。背の高いクイラは私を見下ろす。私は一つ頷くしか無かった。つまり私も強くなれと。
ちなみにアニリィ様はというと。
前回の練習試合でゆるーい打ち合いをしていたモリヤとポリーナ相手に稽古を付けていた。
「つまり、――こうやって相手の意識を逸らさせる、で、ポリーナちゃんはここでこう攻める。他にも――相手の懐に飛び込んで、モリヤちゃんがこう攻める。わかる? じゃ、私とやってみようっか」
「「はい!」」
うわぁめっちゃ楽しそう、いいなぁ。
「ネリス、よそ見すんな」
クイラに防面をこつんと叩かれた。
※複式帳簿方式のメリット
センター試験()の簿記の文章題で数年に一度は必ず出てたネタ。
※四人の志願者
この1年で実際にあんな感じの応募者を面接したんだ、それが元ネタ。
作者・註1
※残存価額
中の人が税理士資格を取った時はH19年税制改正前(H24年会社法改正前)なので「残存価額=10%」だった。
※備忘価額
先ほどの『運搬具、減価償却5年、残存価額ゼロ』って設定だと、5年たったら減価償却が完了して帳簿から運搬具が消えちゃう。資産が存在するのに帳簿には存在しないとはどういうことか?
で、帳簿上に資産の記録として残しておくために「1円資産」として残す事を備忘価額という。
作者・註2
※こいつ、簿記の“ボ”の字すらわかってねえ
中の人、実は簿記は完全に独学。
で、独学でテキスト買って答練してると必ず壁にぶち当たる訳だ。
んで、その当時、壁にぶち当たっても応えてくれる人が居ないので、2chで聞きまくってた。(まじ)
そん時に頂いたありがたいレスが、「簿記の“ボ”の字すら〜」だった。
あの時、色々教えてくれた名無しさん、ありがとう。
なお日商簿記で一番苦労したのは「3級だった」と胸を張って言おう。
まず勘定科目がB/SとP/Lの何に反映されるのかが理解できなかった。
そして為替手形の扱いで泣きそうになった。
なんだよ振出人・作成者・名宛人・引受人・支払人・受取人・指図人ってぇ! ぶちころがすぞ(泣)
ただここ最近、手形の取り扱いが随分減ったので日商簿記の2、3級には為替手形は出なくなったらしい
マジかよ ぶちころが(略)
んまぁ「小切手」も死語だもんなぁ。
ちなみに手形決済を未だにやってるの、建設業ぐらいじゃね?
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