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246話 武辺者と、滑車弓騒動・4

 夜更けにぐっと冷え込んだせいか、キュリクスの街は底冷えがする朝を迎えていた。しかし今日の領主館大広間はいつもよりも熱気を帯びていた。昨夜のうちからメイド隊が綺麗に長机を並べ、きっちりと椅子の向きを揃え、正面には一段高いひな壇が設けられて立派な机が置かれている。


 大広間は今日、キュリクス領で一番熱くなるであろう「審理の間」となるからだ。


 キュリクス領では重大事件が発生すると、原則領主裁判で公開の場にて審理される。裁判長は領主ヴァルトア・ヴィンターガルテンが務め、検察は文官長トマファ・フォーレンが担当する。被告人は身分の如何を問わず弁護人を選任できる──それがこのセンヴェリア大陸で定められている一般的な審理方法だ。


 まだ朝の二番鐘も鳴らぬというのに大広間には既に傍聴人が席につき、審理が始まるのを今か今かと待っていた。傍聴席には新聞屋や物好きな民衆たち、被告人の友人らが固唾を呑んで成り行きを見守り、武官長スルホンとウタリ、夜勤明けなのに警備隊詰所から眠たげな顔のオッタヴィオが神聖なる審議の場の警備のため鉄槍を持って壁際に立っていた。


 キュリクスでは民衆の安全と治安維持のため『無許可者の武器の製造・開発は禁止』の領主令が出てたのだが、その命令が出て一か月も経たぬうちに武器製造・開発の容疑で領主館に勤める技官の妻と、ルツェル公国から招かれていた技師の妻の母娘二人が逮捕されたのだ。その逮捕された母娘は街中や飲み屋では非常に愛想が良く愉快な人だと評判で、民衆らは「うそでしょ?」「冤罪だ」「審理の行く末を見守りたい」と多くの声が上がったという。中には「被告人の手助けに寄付を!」と小銭を集めて弁護士担当に差し出す者も現れたとか。


 そして民衆らの耳目を集める裁判では傍聴人の抽選を受けるため、今朝は一番鐘が鳴る前から領主館で並んでいたという。なお、その武器製造・開発を幇助したとして一人の売れない画家の審理も並行して行われるが、集まった民衆らはその裁判には興味が無いようである。


 時間となる三番鐘が鳴った。ひな壇上の椅子にゆっくり腰を下ろしたヴァルトアは、背筋を伸ばすと大広間に視線をゆっくりと見渡した。ヴァルトアから見てその右側には書類の束を膝の上に載せた車椅子の男──文官長トマファ。左側には、仕立ての良さそうなルツェル好みの黒スーツに身を包んだブロンド・ベージュ髪で気の強そうな女──ハルセリア・ルコックが座っていた。


 トマファとハルセリア、どちらもヴィオシュラ学院時代にセンヴェリア大陸共通の司法試験に合格している。片や領主館の頭脳として働くトマファが検察官を務め、片や祖国ルツェルの同朋エリナとナタリヤの身の潔白を証明するため弁護を買って出たのがハルセリア、そして幇助容疑でクーグラの弁護を担当する国選弁護人。それぞれがこれから裁かれる者たちの入廷を静かに待っていた。


 やがて木扉が軋む音を立てて開くと、衛兵に先導されて被告人たちが入ってきた。


 最初に姿を見せたのは肩を落とした男だった。売れない画家のクーグラだ。やつれた頬に脂汗を浮かべ、足取りはなんとなく重い。


 続いてずんぐりとした影が二つ。ドワーフ族の職人エリナ・フランコとその娘ナタリヤ・ヘムベルクだ。エリナは胸を張っていつも通りの足取りで進み、ナタリヤは緊張で手を小刻みに震わせながらも母の背中を追っている。傍聴席からは「エリナさーんがんばれー」と黄色い声援が飛ぶと、エリナはその方向に無邪気な笑顔を見せると手を振り返していた。それを見て法廷画家はさらさらと絵を描き、新聞記者はメモ帳にペンを走らせる。


 アニリィ・ポルフィリはクリーニングしたての武官用の制服を着て長い手脚を気怠げに動かして入廷。その後ろには“乙女技官”とあちこちで囁かれるミルドラスが続く。さらにメイド服姿のネリスとクイラが証人席へと通された。


 ヴァルトアはガベルを二度三度打ち付けると、人々の視線が一斉に壇上へと集まった。ヴァルトアは一つ咳払いをすると朗々とした声で開廷を宣言した。


「──これより武器製造開発とその幇助における領主裁判を開廷する」


 その一声が冬の冷えた空気をさらに震わせたのだった。


 *


「では検察より本件における争点を提示させていただきます」


 車椅子のトマファが胸を張る。膝の上の書類束を机の上に載せ、普段とは違う銀縁眼鏡の奥の瞳が静かに光を帯びる。


「本件は、いわゆる『滑車弓』と呼ばれる改造弓の製造、およびその技術情報をどういった経路で知り得たかに関するものです。争点は次の四点に集約します」


 彼は一本の指を立てた。


「第一に──滑車弓の製造は事実か。これはドワーフ族の技師エリナ・フランコ殿およびナタリヤ・ヘムベルク殿の二人に関する罪状認否です」


 傍聴席の視線が母娘の方へと向く。エリナは胸を張るが、ナタリヤは縮こまったままだ。


「第二に──その滑車弓の技術情報を被告人らはどこで、いかなる経路で知り得たか。これはエリナ殿、ナタリヤ殿、ならびに画家クーグラ殿に共通する争点です」


 次の一枚をめくる、紙が乾いた音を立てた。


「第三に──キュリクス領において現在有効な『無許可の武器製造禁止』を被告人らは認識していたか否か、その上で製造行為及び幇助を行ったのか」


 大広間の空気がここで僅かに重くなる。武官長スルホンが腕を組み直し、オッタヴィオ隊長が眠そうな顔をしながら顎に手を当てた。


「そして第四に──この滑車弓がどれほど危険な威力を有する武器であるかを、被告人らがどの程度まで理解していたか。その認識の程度について審理いたします」


 トマファは最後の一枚を机に戻し、裁判官ヴァルトアに向かって静かに一礼した。


「以上、四点を主たる争点として、検察官としての尋問と立証を行います」


 淡々とした声で審議の争点を説明し、本日の領主裁判の枠組みを大広間の全員に明示した。


 *


「では、エリナ・フランコ殿、ナタリヤ・ヘムベルク殿。証言台へお願いします」


 トマファの呼びかけに二人のドワーフが立ち上がる。そしてエリナはどっしりとした足取りで証言台へ進み、ナタリヤは小走りで後を追う。ナタリヤの腰に結わえた作業用エプロンの紐が緊張のあまりか少し解けかけていた。


「緊張しなくていいわよナタリヤさん。いつも酔虎亭で楽しく飲んでる時より、ちょこっとだけ静かな場所に居るだけだから安心して」


 ハルセリアが小声で囁きかけると、ナタリヤはかすかに笑って頷いた。


「……はい、ハルセリア様」


 ヴァルトアが二人を見据え、形式的な確認を行う。


「エリナ・フランコ被告にナタリヤ・ヘムベルク被告。この審議において偽りなく証言することを誓えるか」


「えぇ、誓うわよ。どうせ嘘なんかついても主神と炉の精霊はごまかせないからね」


 エリナはあっけらかんと返し、ナタリヤも慌てて頭を下げた。


「……誓います」


「よろしい。検察官、尋問を」


「はい──あ、プリスカ君、証言台の近くまでちょっとお願いします」


「はいにゃ♡」


 プリスカが甲斐甲斐しくトマファの文官服の襟元を直すと車椅子を押し、証言台の前に出る。その様子を見てハルセリアはプリスカを睨みつけると軽く舌打ちした。しかしトマファもプリスカもそんなハルセリアの気持なんかおくびに出す事なく別のメイド、ロゼットが持ってきた滑車弓を手にして二人に見せる。


「では、まずは本審理における罪状認否について確認します。──あなた方はこの滑車弓を実際に製造しましたか?」


 エリナは即答だった。


「えぇ、作ったわ」


 傍聴席が思わずどよめく。それほどまでにあまりにも自信満々な口調だった。


「……えぇと、母さん」


 ナタリヤが袖を引くと、こそこそ耳打ちした。


「いまは、『はい、間違いありません』くらいの言い方でいいと思うんだけど……裁判官の心象もあることなんだし」


「そう? でも作ったもんは作ったんだからさぁ、下手に飾ったり嘘ついたりするよりマシじゃない?」


 エリナは堂々と言い切ると薄っぺらい胸を張った。そこでハルセリアが勢いよく立ち上がる。


「異議あり」


 ヴァルトアの、トマファの、そして傍聴人の視線が、弁護士席へと向いた。


「聞こう」


「私はエリナさんとナタリヤさんの専属弁護士を務めるハルセリアです。──まず彼女たちはルツェル公国民です。そしてルツェルでは工業ギルドに属する技師が武器を製造することは、一定の条件のもとで合法とされています。ですから罪状認否と言っても彼女たちはキュリクスに来たばかりの異邦人ですから、彼女たちの事情を考慮に入れて頂きたい!」


 その言葉にはルツェル時代に培ってきた官僚としての冷静さが満ち溢れていた。しかしトマファは眉一つ動かさずに返す。


「ここはキュリクス領です。キュリクスに滞在する以上、キュリクスの法に従う必要があると、私は考えますが」


 ヴァルトアが短く頷く。


「弁護人の主張は記録に留める。──では審理は続行する」


 ハルセリアは一礼して座り、トマファは次の質問へと移った。


「第二の争点です。エリナ殿とナタリヤ殿。――滑車弓の技術情報をどこで、どのように知り得ましたか?」


 エリナは少し顎に手をやると、あっさり答えた。


「喫茶店エンバシーで朝ごはん食べてたらね、隣の席に座ったこのクーグラが、面白そうな絵図をそこの“ぼんやりした”弁護士さんに見せてたよ。──『俺の発明した、これが当たれば先生への謝礼を弾みたい!』って」


「喫茶店……エンバシーですか」


 トマファの視線がちらりとクーグラへと向く。絵描きは肩をすくめると慌てて目をそらした。


「その図を見て、どう思いましたか?」


「決まってるでしょ? 『かっけー、面白そう、作ってみたい』って」


 あまりにも気持ちいい応えだったので傍聴席から思わず笑いが洩れる。


「母さん、今は裁判の場だから」


 ナタリヤがこそっと窘めるとエリナは肩をすくめて言い返す。


「だってそうでしょ? 私たちドワーフ族はさ、『面白いもの、興味あるもの』をスルーできるわけがないの! ウマい酒があれば飲みたいし、酒に合う肴があるなら出して欲しいし、眠くなったら横になる。私たちドワーフ族に備わる本能みたいなもんなんだから!」


 その言葉を聞いて傍聴席では何人かのドワーフが深く頷いているのが見える。


「そうですか。では──第三の争点に移ります」


 トマファは表情を変えず、質問を重ねていく。


「キュリクス領において武器製造が禁止されているという事実を、あなた方は知っていましたか?」


「いやぁ、それは『ミルちゃん』に言われるまで知らなかったのよぉ~」


 エリナは後頭部を掻きながらあっけらかんと答えた。『ミルちゃん』とはエリナの義息子でありナタリヤの夫・ミルドラスのことである。


「……はい、私も恥ずかしながら知りませんでした」


 ナタリヤはうなだれながら答えた。


 そこで再びハルセリアが挙手して立ち上がる。


「裁判長、彼女たちはルツェル公国から来て間もない身です。領主布告が行き届いていなかった可能性も──」


「異議あり」


 トマファの声がかぶさる。


「弁護人は先ほどと同じ主張を繰り返しています。あくまでもここはキュリクスです。法の無知を免罪符には出来ません」


 ヴァルトアは軽く目を閉じ、それからハルセリアを見やる。


「……異議を認める。──弁護人、気持ちはわかるが今は神聖なる裁判の場だ。同朋が被告人として立っていることで気持ちが高ぶる気持ちも理解はするが、まずは落ち着きたまえ」


 ハルセリアは唇をへの字に曲げ、ぐっと堪える。


「……承知しました、裁判長」


 椅子に腰を下ろしながらもその碧眼にはまだ炎が宿っていた。


「では第四の争点に移りましょう」


 トマファが話を進める。


「この滑車弓は極めて特殊な構造を持っています。特に滑車にはミスリル銀を使った軸受が入っているし、リムにはばね鋼が用いられ、弦も金属線を巻きつけた補強弦です。これらの意匠は──威力を上げるための改造と見て間違いありません。これについてどう考えていましたか?」


 エリナは少しだけ首を傾げ、言葉を選ぶように答えた。


「弁護士ハルセリア女史がさっきから言ってる通り、私たちは技師よ。クーグラから預かった図面では滑車もリムも木材っぽかったし、軸受けなんて雑に作ってあったわねぇ。だからさぁ……、せっかく製造依頼があるなら、今手に入る材料で補強して良いものを作りたいって欲求が出てくるのは、当たり前のことじゃないかな?」


「つまり──これを人に向けて射てばどうなるかは、想像できていたと?」


 トマファの問いにエリナはあっさりと頷いた。


「もちろん!」


 傍聴席からどよめき、驚きの声が上がる。それだけでなく隣同士で「危険よね」とか「ロングボウやボウガンよりも危なそうだもんな」と小声で会話する声まで聞こえてくる。ヴァルトアはガベルで机を何度もたたいた上で「静粛に!」と声を上げた。


「一つ俺から質問させてくれ」


 ヴァルトアがガベルをテーブルに置くと、指を組み合わせてエリナとナタリヤに向き直った。


「じゃあ、危険性は認識してたと?」


 エリナは腰に手をやり、ヴァルトアの顔を見てにやりと笑ってから言った。


「──だけど……この弓を人に向けるか、獲物に向けるか、的に向けて競技に使うか。それから先は、弓持つ人のモラルになりません? 危険性を認識してたかどうかを論点にするなら、刃物を食肉用解体ナイフに改良した人はキュリクス法に従って武器製造容疑で捕まることになるわよね? 肉体を切り刻む用のナイフって認識になるってことだよね? 金属加工ギルドの鍛冶師ギルド部で、この前肉切り包丁を一丁打たせてもらったけど、たぶんキュリクスの街中で売ってるどの肉切りナイフより切れ味保証出来るわよ? これも逮捕になる? 人に斬りかかれば危険性はあるからね。──トマファ殿、この点に置いても追加審議する? 剣や槍も、みんなそうでしょ? そこんとこ、裁判長やトマファ様はどう考える?」


 ヴァルトアとトマファは息をのんだ。


 傍聴席から小さな笑いとどよめきが起きる。ドワーフ族の職人衆は「そうだ、いいこと言ったぞ」とヤジを飛ばすし、誰かが「俺もその肉切りが欲しいぞぃ!」と声を上げる。スルホンですら苦笑いを隠しきれなかった。ただ、その動揺の裏側で第四の争点──危険性の認識──が確認されたことも事実であった。

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