245話 武辺者と、滑車弓騒動・3
警備兵たちに両脇を抱えられてミルドラスは警備隊詰所へと連行された。ぼんやり灯る魔導ランプのせいで部屋の中は薄暗く光っており、机の上の書類が小さな影を作っていた。女兵たちは彼を椅子に座らせると、少女のようにあどけない顔立ちの若い警備兵エリーがあまり慣れない調子で取調べに関する宣告書を再び読み上げた。
「あなたには黙秘権がありますが──」
宣告の途中からミルドラスの膝が小刻みに震えていた。唇をきゅっと結び、視線は床の一点を釘付けにしていた。家族以外とはまともに話せない、特に女性とはほとんど話せなくなるという“極度の場面緘黙”が発動していたのだ。しかしそんな事には気付かないのか、宣言の読み上げを終えたエリーが身を屈めて優しく訊ねる。
「ねぇ、この弓……どこで作ったのかな? お姉ちゃんにいろいろ訊かせて?」
ミルドラスは蚊の鳴く声よりもさらに小さく、か細い声で答えた。
「……ぎ、ぎぼ……よ、よめ……つくっ……」
ところどころしか聞き取れないので彼女たちに内容はほとんど伝わらない。だが警備兵の二人は首をかしげつつもどこか楽しげだった。詰所に連行される前、凶器は他に隠し持っていないって確認が取れてたし、被疑者は小柄な少女だと思い込んでるので警戒心が随分と緩んでいるようでもあった。
「レンジュ先輩。このお嬢さん何言ってるかわかんないです」
「じゃあ、先輩警備兵として取り調べの見本を見せないとね」
先輩警備兵のレンジュは丸椅子をミルドラスの真ん前に持ってくるとどすんと座った。ミルドラスは「ひえっ」と小さい悲鳴を上げる。しかしレンジュはそんな事気にすることなく足を組むと、少し前かがみになってミルドラスの前髪を両手で優しく左右に撫でつける。僅かに潤んだ瞳を見てもレンジュはいたずらっぽく笑い、さらに前髪を撫でつけながら話を続けた。
「──ねぇねぇお嬢ちゃん、あなた、どこの学校に行ってるのかな? 身分証とか持ってないだろうから、学校とか担任とか分かる範囲で教えて?」
その『身分証』という言葉を聞いてミルドラスははっとした表情を浮かべると、胸元を開けてネックレスを取り出し、小さな認識票を見せた。それは戦乙女が描かれた銀の認識票で、その裏には所属と名前が書かれていた。衛兵たちはその認識証を確認した瞬間、二人は飛び跳ねた。
「ひょ、ひょっとしてあなたが……噂の“乙女技官”、ミルドラス様!?」
「やだ嘘、本当に美人じゃん……!」
ミルドラスについては領主館勤めのメイド隊や衛生兵たちからも『お肌や長い髪がきれいな“乙女技官”がいる』と噂になっており、何人かのメイドが『お願いだからメイクさせて! このかわいいお洋服をちょっと着てみて! 髪型いじらせて!』と声をかけているんだとか。だけどミルドラス、見た目は乙女そのものだが中身は“アラサーおっさん”なのだが……。もちろん、ミルドラスやその上司でもあるトマファやメイド長オリゴから『くれぐれも技官殿にセクハラ紛いの要求は厳に慎むこと!』というお触れは出ているんだとか。しかし本物の"乙女技官"を見て魅了されてしまったのか、若い衛兵エーリなんかは完全に取調べ中である事を忘れてミルドラスのひっつめ髪を手で梳きながら目を輝かせて質問を浴びせていた。
「ねぇ、この髪どうやってケアしてるんです? どんな香油使ってます? ──すごっく綺麗でいい匂い!」
髪の毛の匂いを嗅ぐという行動にまで出ていたため、ミルドラスの顔はさらに真っ赤になって言葉を失ってしまった。
しかし突然、詰所の扉がガラッと乱暴に開く。
「……おいお前ら、何の騒ぎだ?」
無精髭に寝ぐせ、警備隊支給の暖かそうな外套、半ばあくびをしながら入ってきたのは警備隊長のオッタヴィオだった。ここ最近キュリクスで増えている出稼ぎ労働者同士のトラブルで疲労はピークらしい。今日も夕鐘が鳴って間もないのに飲み屋で喧嘩騒ぎが起き、出動してたとか。
今の今までミルドラスの前後に丸椅子を用意して座っていたレンジュとエーリは直立不動で起立すると敬礼の姿勢を取った。隊長ほどの階級者が目の前に現れれば、下っ端兵たちは基本的に『直れ!』と言われない限りは敬礼を解いてはいけない。
「隊長、あの、その、乙女技官に……髪のお手入れ方法を……」
「おいレンジュ一等兵にエーリ二等兵。──俺がうら若き乙女の髪の毛をそんないやらしい手つきで梳いてたら逮捕されるのと一緒、お前らも被疑者相手の取調べででもセクハラまがいのことをしたら逮捕だぞ! ──あと、技官殿は見た目は本当にかわいらしいけど、俺と同い年だし、役職は俺よりはるかに上の方なんだぞ……」
ため息をつきつつ机に目を落としたその刹那──視界に弓が映った。眠気が吹き飛ぶどころではない、目つきが狩人のそれに変わる。肩に力がぐっと入ると声の調子が一段低くなった。
「……おい、レンジュ一等兵。その弓に触っていいか?」
「あ、はい! 問題ないであります!」
レンジュが敬礼の姿勢を崩さぬままに応えると、オッタヴィオは無言で弓を手に取った。滑車、弦、軸受けをまじまじと見て、ぐっと弓を引く。滑車は音もなく回ったせいか随分と軽く引けた。しかしこれで射出される矢の勢いはロングボウと遜色はないだろうというのは、彼の経験が如実に語っていた。オッタヴィオは表情を固くする。
「──これ、報告書にあった“禁制品の弓”じゃねぇか」
衛兵たちが敬礼の姿勢のまま息を呑んだ。領主館より『弓の威力を上げるための改造品が領主館で見つかったので、仮に街中で持ってる者を見かけたら身柄を拘束した上で事情を聞くように』と報告書が警備隊にも上がってきてたのだ。今のところ狙いを定めやすくするための『弩』を持ってる猟師はいたものの、許可証を見せてもらって不問としている。しかし、弦の張り方も特殊だし、変な棒みたいなのが飛び出してるし、ただ華美にしただけで打ちにくそうではあるが、実際に弓を引けば良さが分かる代物であった。そのためオッタヴィオの表情はさらに硬くなってしまう。
そもそも警備隊とは入場門に立って商人や旅人の出入りをチェックするのが仕事だが、有事になれば弓や弩を使って門や城壁に張り付く敵兵を蹴散らす役割を担っている。そのため警備兵を率いるオッタヴィオ自身も剣技や槍術だけでなく、弓の訓練も欠かしたことは無い。だからこそ、この弓がとんでもなく危険なものだと察してしまったのだ。
「事情聴取は……まだだよな? よし、俺がやる、お前ら供述調書は頼む」
「承知ッ」
「御意であります!」
詰所の空気が一瞬で“夜勤の雑談”から“重大事件”へと切り替わったのだった。
*
「技官殿よ、ウチの若いモンが色々と済まなんだな」
オッタヴィオの穏やかな声掛けを聞いてミルドラスは何度も頷いて見せた。長いまつげや目じりにうっすらと湿り気を帯びているところをみると、本当に怖く辛かったのだろうと察してしまう。オッタヴィオはミルドラスの横に丸椅子を持ってくると、並ぶように腰掛けた。こういう時、いかつい顔の取調官が真正面に座ると、被疑者などが萎縮して言葉が出てこなくなるってのが判ってるからこそ、オッタヴィオはあえて横並びになって話を聞くようにしているのだとか。
「とにかくよぉ技官殿。これをどこで手に入れたか、判る範囲で簡潔に教えてくんねぇか?」
ミルドラスはそういう配慮に気付いているかどうかは判らないが、ようやく言葉を紡ぎ始めた。途切れ途切れだが内容は少しずつ形を成していく。
「……ぎ、義母……つくって……よ、よめも……その……」
「技官殿のお義母様が主導で作ってた。その手伝いとして技官殿のカカア……おっと、ナタリヤ女史も手伝ってたと──ふむ」
それをオッタヴィオは調書に残しやすいよう噛み砕いて復唱するように言った。そのたびに横にちょこんと座るミルドラスをちらっと見て、頷いた仕草を観れば「──ふむ」と応え、それを合図にエリーたちに調書に書かせていた。オッタヴィオの驚異的な再構成能力で状況を読み取っていく。これも警備隊に長く勤めてきた彼ならではの賜物だろう。レンジュもエーリも感心しつつ調書を書き綴っていった。
「依頼……クーグラ……ま、前金……まだ……み、たい」
「つまり、クーグラってぇ男から持ち込まれた案件を、前金貰ってないのに勝手に作り始めたと──ふむ」
「隊長。クーグラって西区の絵描きの事じゃないでしょうか? ──ほら、街でアイスクリーム・パーラーをやってる"成金"から詐欺罪で告訴されてた……」
レンジュがペンを置いて立ち上がると、調書が収まっている棚へと向かった。そこで過去の取調べ調書を開いてテーブルの上に置いた。それをオッタヴィオが覗き込む。
『夫婦の肖像画を描いてもらうよう依頼。手付金を払ったのに期日を過ぎても絵画の納入が無い。何度催促しても納入しないから手付金の返還を期日を設けて請求。それも支払われなかったため詐欺として告訴』
調書のページの下に、今朝、領主館から届いた書類が貼り付けられていた。
『留置番号二番。保釈金の支払いがあり、証拠隠滅の恐れが無いため本日朝に釈放。身元引受は国選弁護人の──』
(……これは絶対トマファ殿の胃を壊すやつだ……)
そう確信したオッタヴィオはすぐ判断を下す。
「ミルドラス殿、これ以上こんなしみったれた詰所で済む話じゃなくなったわ。──領主館で処理すべき案件だし、この調書と証拠品を元にトマファ殿とヴァルトア伯に一報入れますんで、技官はお疲れでしょうから家へ戻られて下され──てかレンジュ一等兵にエーリ二等兵、ミルドラス殿をご自宅まで安全に確実にきっちり送って差し上げろ!」
「──承知ッ!」
「了解であります!」
レンジュが書き起こした供述調書に間違いがないか確認してもらった上でミルドラスの署名を貰い、女兵たちにその後の街の見廻り等の引き継ぎを指示するとオッタヴィオは弓を抱えて外へと飛び出していった。
*
深夜の領主館、その日の夜間当直はロゼットとプリスカだった。しかしプリスカは夜哨に入っているので夜間受付には今はロゼットしかいない。彼女はあちこちに注意を払うと鞄の中から一冊の娯楽小説を取り出した。
月明かりが大理石の回廊を淡く照らす。そこへ駆けてきたリュシアンのドレスの裾が静かに揺れた。胸元を抑える手は震え、鼓動は意に反して速まってゆく。
──この前会った彼が、また、ここに来てくれるはずなんて無いのに。
人目を避けるようにリュシアンは柱の陰からそっと様子を窺った。すると蒼い外套の影が音もなく近づき、彼女のすぐ目の前に立つ。
「……こんな場所でお一人とは、危ないですよ、姫」
低く艶を帯びた声。蒼銀の騎士アランがくい、と指先だけで姫の顎を持ち上げた。触れられた瞬間、リュシアンの視界が揺れる。息が詰まり、長い睫毛と眦がしっとりと湿る。そしてその場に縫いつけられたように動けなくなった。
──きゃー、顎クイですわ! 顎クイ! エロい! むっちゃエロい!
心の声が本当の叫び声として漏れてないかロゼットは思わず口をふさぎ、辺りを見渡した。館内は灯りが落ちており、廊下の先は月明かりが漏れてる程度、相変わらず夜間受付はロゼットしか居ない。そして館内はしんと静かである。この時間帯だったらプリスカは屋根の上でこっそりお菓子を食べてるからここに戻ってくることはまず無い。よし、続きを読もう。汗ばむ手のひらをスカートで拭うと、ページをめくった。するとアランがリュシアンに顎クイする挿絵があり、ロゼットの脳内で想像が捗ってしまう。
──誰かしてくんないかなぁ、顎クイ。そんな事漏らしながら、自分の顎をさする。
「アラン殿……どうして、ここに……」
「護衛の任にございます。それに──」
アランの指がリュシアンの頬に触れ、そしてゆっくりと涙袋の下をなぞる。くすぐったさと熱が同時に走り、リュシアンの膝がわずかに震えた。
「姫君が“落としもの”をしたと伺いまして」
「わ、わたくしは……なにも……」
「心ですよ」
囁きが耳元にかかり、背筋が跳ねあがる。アランはそっとリュシアンの腰へ手を添え、壁際へ導くように近づけた。距離は指一本分よりも近く、呼吸はもう交わりそうである。
「──この胸の奥にあるものを、無くされたと聞きまして」
「そ、そんな……ここには大事なものが……」
「今この回廊は、私たち二人だけの世界ですよ」
アランの手がリュシアンの指先へそっと触れた。彼女の、ガラスのように繊細なその指がぴくりと跳ねる。彼はそのまま絡め取るように姫の手を取った。
「──一緒に探してほしい時は、姫君、どうか私の腕の中へ」
リュシアンは堪えきれず自分の胸元に視線を落とす。アランの吐息が、体温が、こんなにも近くにあるなんて。
「アラン殿……わたくし……」
「姫──」
言葉が熱に溶けてゆく。その唇へ、アランがそっと指を触れさせた──
──“彼の指先が唇をなぞった瞬間、世界の音がすべて消えた”──
「……っっっっ、続き……読んでいいの……これ……?」
ロゼットは頬を真っ赤にしながら再び辺りを見回すと、受付に置かれた魔導ランプだけがぼんやりと灯り、そして彼女の心音だけが響いていた。その心音を誰かに聞かれてないかと思いつつ、視線を本に落とすその時だった。
「ガチャッ!」
通用扉が開いたかと思えば、大きな何かを持った男が暗がりに立っていた。ロゼットは手に持つ娯楽小説──『蒼銀の騎士と囚われの姫君Ⅲ ~禁じられた夜会編~』──を慌てて閉じると机の中に放り込んだ。
「あ、え、その……オッタヴィオ隊長? こんな時間に……えっ、その弓──まさか、謀反ですか!?」
「馬鹿野郎、違うわ! 説明は後だ、トマファ殿とヴァルトア様に至急取り次いでくれ、緊急だ!」
今まで紅潮していたロゼットの顔色が急に真っ青になる。事件の匂いを嗅ぎ取った彼女は慌てて文官執務室へと飛んで行ったのだった。
*
書類の山を前にトマファは疲れ切った顔を上げた。その視界にはオッタヴィオが無造作に置いた弓が飛び込んでくる。
「……これ、レオダム式滑車弓ですよね」
トマファの声は完全に冷え切っている。レオダムが留置所で作った滑車弓は、ガラクタを寄せ集めて作ったにも関わらず、ロングボウと同等かそれ以上の強大なパワーで矢を放つことができたのだ。それと全く同じ構造のものが目の前にあるのだから、トマファの機嫌がまっすぐになる要素はどこにもない。
「あぁ。どうも作り手があれこれ工夫を加えた“改良版”みたいだな」
「改良版……」
供述記録を読むにつれ、トマファは“情報漏洩”という最悪のシナリオが浮かび上がってきた。そしてオッタヴィオが持ってきた弓を手に取ると、丁寧に作り込まれた滑車部に補強が入った弦、そして手に馴染むよう作り込まれた握り部分を見て、素人の手習品ではない仕上がりだというのに気づいてしまった。
「──はは、頭痛がしてきました」
「奇遇だな文官長、俺もだよ」
「もうすでにお休み中でしょうが、すぐヴァルトア伯に報告に上がりましょう。──ここ数日、なかなか家に帰れってないでしょうが、ところでオッタヴィオ隊長、オリヴィア嬢に帰宅が遅くなるってお伝えしてますか?」
「最近、俺の娘も一丁前にな、『父様は、仕事と家庭とどっちが大事なんですか?』って言ってきやがったぜ。──まぁ、この時季の警備隊はクッソ忙しいって相場が決まってるのにな」
オッタヴィオの言うように、ここ最近の忙しさも相まって自宅へ戻っても着替えを取りに帰るぐらいしかしてないという。そのため、武官長スルホンへ『お父さんをはやく返して下さい。"ライフ・ワーク・バランス"は大事なんですよ!』とオリヴィアから直接手紙が届いたという。
ちなみに余談だがオッタヴィオの娘オリヴィアと言えば『おてんば四人組』の大人しい眼鏡ッ娘の事である。領主館と関係が深いルチェッタやイオシスの伝を使って直訴したって形だ。もちろん、それを受け取ったスルホンは言葉を失ったんだとか。
そしてトマファとオッタヴィオ、そして取次役のロゼットはその足でヴァルトアの居室へと向かうのだった。
既に夜遅いため、ヴァルトアと妻ユリカは領主館に併設されている領主用居室で休んでいた。まずロゼットがメイド長オリゴに取次を頼むと、事情を察したのかすぐに通してくれた。応接室には寝間着姿のヴァルトアが居て火酒を一杯飲んでいた、そこへユリカがワイン片手に顔を出す。
「あら、また妙な事件なの?」
ヴァルトアは「あぁ」と漏らすと証拠品の弓を手に取り、しばし沈黙した。
「……これ、レオダム師のと同じだよな」
「同じというより改良版です。滑車部やリム部、弦など観ればきっちり作り込まれてるのが判るかと」
オッタヴィオの言葉にヴァルトアとユリカが同時に額を押さえた。そこで調書を元にこの弓がなぜここに有るかをトマファが簡単に説明する。
「つまりトマファ、これって……」
「──はい、レオダム師の滑車弓情報が漏れてます」
その一言で全員がため息をついた。技術漏洩を防ぐためにもレオダムには開発禁止の念書も書かせたし、試作品も没収した。しかしコピー品が出回るのではなく、改良版が出来てて、しかもいまここにあるってこと自体が大問題なのだ。
「明日はすぐに臨時評定を開こう。こんな時間に悪いが急ぎ準備を頼む、トマファ」
「御意」
こうしてキュリクスを揺るがす情報漏洩事件が露わになったのであった。
・作者註
ロゼットは何を読んでたんだ?
『蒼銀の騎士と囚われの姫君Ⅲ ~禁じられた夜会編~』
Ans.
官能小説ミルキ○作品に決まってるだろ、言わせんな恥ずかしい
※『小説化になろう』でR18指定してあってもBANされる程度の内容らしい。
──えっちだ。




