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241話 武辺者と、マイスタージンガー(Meistersinger)・2

 工区ごとの歌比べ記事が出たその日、まだ朝靄が残るキュリクスの街で最初に爆発したのは──何を隠そう、領主館のメイド隊であった。


「皆さん。私たちも……労働者です」


 朝の点呼でしれっと言い放ったのは副長マイリスであった。手にはキュリクス日報、しかも“問題の一面記事”を高々と掲げている。


「親方衆にばかり好き勝手歌わせるのはよろしくありません。──メイド隊としても、領主館としても、このキュリクスの威信にかけて歌で負けるわけにはいかないのです!」


「えっ、なんで対抗する必要が……」と新人メイドの誰かが言いかけると、


「──負けるわけにはいかないのです!」


 二度言った、しかも真顔で! 生真面目なマイリスが何故か食い気味に言い放ったのだからメイド隊全員がざわついてしまう。何せメイド隊は一か月前の豊穣祭で突貫工事のような歌劇をやりきっている。仕事が終わってはセリフ合わせをし、舞台上の動きの確認を仕事中にし、ゲネプロ一回のみという過酷な“舞台”をほぼ無給でこなした“部隊”でもあったので、またもや困難な課外活動が“無給”で課されるのかと全員ひやひやだったのだ。そこへメイド長オリゴが一歩進み出て、やけに冷静な声で宣言する。


「皆さん、準備はよろしくて? 今日から練習を始めます。難しく考えず、まずは発声から。それと、もし歌合戦になった場合は──」


「「歌合戦!?」」


 何人かのメイドがハモる。


「──ええ、歌合戦です。そして優勝したその時は──賞与を出しますわ!」


 その言葉にメイド達が色めき立った……完全にやる気満々だ! そしてメイド隊の歌唱練習はその日の昼には本格始動し、昼休みのメイド控室から妙にハモった女声合唱が響くようになったという。


 翌日、新聞社は更なる火種が撒いてきた。キュリクス日報の社説欄にはこんな一文が踊ったのだ。


『工区の班ごとの歌比べは、領主が最優秀を決めるべきではなかろうか』


 民衆はすぐさま反応した。とにかく祭り好きな人たちが多いキュリクスでは市場でもコーヒー屋でも、はたまた酒場でもこの話題一色となる。


「そりゃあ領主様が決めてくれた方が公平ってもんよ!」


「いやいや、領主様は今じゃ辺境伯なんだから忙しいだろ。武官長のスルホン様か文官長のトマファ様、もしくはご子息のナーベル様が決めるんじゃね?」


「いや、それなら奥様のユリカ様や次男のブリスケット様なら……歌がうまいって聞くぞ」


「知ってる知ってる、ブリスケット様は立ち飲み屋でよく歌ってるよなぁ」


 などと無責任な憶測が飛び交ってしまう。そんな噂をさらに焚きつけてきたのは別誌の“日刊キュリクス”であった。


『領主ヴァルトア伯も発表会で歌い、場を盛り上げるべきだ』


 という大胆な社説を載せてきたのである。ライバル誌であるキュリクス日報の記事を引用しつつ、さらに“燃料”をぶっかけてくる編集で煽ったのだった。


 読んだ民衆はというと──


「領主様が歌う!? それは見たい、聴きたいぞ!」


「そりゃあ年に一度の聖夜祭に被せれば面白ぇだろ!」


「え、領主様って豊穣祭でかぼちゃをひっくり返して大騒ぎになった人だよね?」


「んだんだ、てか、あの領主様は歌は得意なのか?」


「いや聞いたことねぇけど……声はデカそうだよな」


 と興奮はいや増すばかりである。すると今度はキュリクス日報が負けじと“飛ばし記事”をぶち上げてきた。


『歌合戦優勝班は、ボーナス支給か!?』


「え、ボーナスってマジか!?」


「いや、記事の“か!?”ってノリは東スポの一面じゃねぇかよ!」


「よし、歌うぞ! 今夜も練習だ!」


 こうして工区の各班は夜遅くまで酒場で歌い出すようになり、しかもそこへはキュリクスの各種ギルドまで参戦してくる始末。金属加工ギルドはスティールパンで演奏を付けてのコーラス、錬金術ギルドは化学ショーとマジックを交えた歌唱、小売商ギルドは全員声が小さいくせにハモりだけは完璧、薬種ギルドに至っては「喉薬なら任せて!」と営業を始めるほどである。こうしてキュリクスは冬を待たずして“全領内歌合戦状態”へと突入したのであった。


 *


 ついに迎えた安息日。キュリクス中央市場は屋台からの匂いに混じり、どこからともなく発声練習が響くという奇妙な朝を迎えていた。夕べのうちに工兵隊とイベントギルドが箱馬と平台を組み上げて作った“即席ステージ”が並ぶ。民衆は当たり前のようにステージ前を陣取って座っているし、屋台では空へと飛ばす用のランタンだけでなくグリューワインや焼き栗を売る店も出ているし、イベントギルドから派遣されたのか珍妙なスーツ姿の男女が漫才をするかのごとくしゃべくりして司会を行っている。


 新聞屋があれこれと飛ばし記事を書いたばかりに歌唱コンクールイベントを開催させられた感があるのだが、元々安息日には各種宗派の祈りの儀式もあるからそれの余興として組まれたという。


「歌うぞーーッ!!」


 最初に舞台へと駆け上がったのは鍛冶工区の若手班。一斉に拳を上げて吠えるや否や、鉄槌のリズムを模した足踏みを始める。


♪ カンカン 打て打て 我ら鍛冶衆 火の粉まみれで歌うのも仕事 ♪


 観客の子どもたちは笑い、親方がなぜか涙ぐみ、班の若者らは誇らしげに胸を張る。


 続いて登壇したのは肩に襷を掛けた木工ギルド。


「では一曲、木の叫び(スピリット)を聴いてください!」


 意気揚々と歌い出すが──連日の練習のせいか、メインボーカルである親方の喉が嗄れて歌声が見事に裏返り、観客席からは拍手と笑いが飛んだという。


 他にも酒場ギルドがコミックソングで攻めてきた。ただ、あまりにも卑猥な内容だったせいか観衆が腹を抱えて笑い転げる中、子ども達は「あの歌ってどういう意味?」と母親に訊いては叱られるという理不尽が繰り広げられたという。もうステージも観客もカオスである。


 さらに混沌が深まったのは、土塁工区三班の“愛しの彼女へのプロポーズソング”。


「ハマユーちゃん、結婚しよう!」


と間奏中に胸を張って叫んでみたところ……


「えっと、私──人妻です!」


 観客は大喝采であった。



 そして、ついにその時がやって来た。


「次は──領主ヴァルトア・ヴィンターガルテン閣下であります!!」


 市場が一瞬静まり返り、次の瞬間には割れんばかりの歓声が巻き起こった。子どもたちは背伸びをし、大人たちは身を乗り出し、なぜかメイド隊は整列して敬意を示している。


 ヴァルトアは、思った以上に照れくさそうに壇上へと上がった。


「えー……歌えと言われたので一曲、歌わせていただく!」


 堂々と宣言したまでは良かった。問題はその“歌”である。


♪ テイデぇ山~にぃ~朝日は映えてぇ〜〜〜…… ♪


 出だしの一音で──市場の空気が揺れた。観客はぱちくりし、焼き栗屋台が揺れ、なぜか近くのガチョウたちが一斉に羽ばたいた。


「お、おぉ? なんじゃこの歌声……!」


「すげぇ……確実に一番だ……!」


 観衆はどよめきつつも笑いをこらえるのに必死であったし、メイド長オリゴだけは動じず満足げに頷いていた。そんなこんなでヴァルトアの“圧倒的な何か”によって市場は完全に沸騰したのであった。



 そして聖夜祭の翌日──キュリクス全域で最も早く悲鳴を上げたのは、なんと新聞を配達する少年たちだった。


「今日の新聞、ぶ厚っ!!」


 普段は新聞を肩からたすき掛けで担いで新聞を配り歩くのだが、一部一部が分厚く重かったせいか、一度販売店に戻ってから再び新聞を配り歩いたそうだ。理由は簡単、どこの新聞社も“書かずにはいられなかった”のだ。


 ──昨日のヴァルトアの歌声について。



【キュリクス日報】

『ヴァルトア辺境伯、あまりの“美声”に死人が目を覚ます!?』


【本文】

 昨日の歌合戦イベントにおいてヴァルトア辺境伯が披露した勇ましい歌声は、まるで大地を揺るがす雷鳴の如し。その声圧たるや、市場に並んでいたガチョウ十二羽が一斉に逃走、出店屋台が三つ転倒、泣いてた赤子が妙に黙り込み、寝たきり老人が突如跳ね起きるという奇跡を引き起こしたという。

 なお、この現象を目撃した錬金術ギルドの関係者は「辺境伯ともなれば声に聖なる力を持ってしまうのか、今後の研究課題としたい」とコメントしている。


【編集部の追記】

※歌合戦の混乱は日刊キュリクスが煽りに煽って“領主も歌うべきだ”と主張した結果であり、当紙は一切の責任を負わない。



【日刊キュリクス】

『領民に悲劇を生んだのは当誌の責任──編集長、今月給与を自主返納』


【本文】

 昨日の歌合戦において、当紙は社説にて「領主ヴァルトア伯も歌って場を盛り上げるべきだ」と提言した。しかしながら、結果として領主の歌声が市場の平衡を破り、人々に驚愕と感動(?)と混乱をもたらしてしまった。

 編集長シャモットは本事態を深く反省し、自らの給与一か月分の返納を申し出た。なお返納した給与は寄付される予定である。


【編集長コメント】

「ノリで書いたら大変な事になった。だが後悔していない」


 *


 新聞を読み終えたヴァルトアはしばらく黙りこくったのち、ぽつりと漏らした。


「……そんなにひどかったか? 俺の歌」


 隣でお茶を注いでいたオリゴがためらいもなく応えた。


「ええ、かなり」


「そこは遠慮してくれてもいいんじゃないのか!? せめて“情熱は素晴らしい”とか!」


「情熱は素晴らしかったですよ、最後まで“キュリクス街歌”を歌い切った勇気と度胸も。ですが問題は声質と音程と歌詞の滑舌と、あと……音程です」


「音程、二度出たぞッ!」


 ユリカが新聞を読みながら肩を震わせ、辛うじて笑いをこらえている。


「……あなたらしかったわよ、立派だったわ」


「フォローになってない!」


 そんな夫婦のやり取りをメイド隊一同は柔らかな笑みで眺めていた。今回の歌唱コンクールは市民投票制にしたのだが、メイド隊が僅差で優勝し、準優勝は"クラーレ組"の石工集団だったという。こうして“キュリクスのマイスタージンガー騒動”は新聞社同士の張り合いと領主の悲鳴を残し、ひとまずの大団円を迎えたのであった。

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