240話 武辺者と、マイスタージンガー(Meistersinger)・1
あちこちの村々で収穫祭が終わり、テイデ山から吹き下ろす冷たい風がキュリクスへと吹き込む頃になると、今年もまた冬仕事を求める出稼ぎ農民たちの列が街道につらつらと続く。荷馬車に乗り合ってくる者、肩に自前の鍬を担いで来る者、わざわざ妻子を連れてくる者、そして“今度こそいい職にありつくぞ”と鼻息荒い若者と──。まるで渡り鳥が街へと帰ってくるかのようであった。
しかし今年は大変な騒ぎである。キュリクスでは北面城壁建造に反射炉の新設といった大工事が同時に動き出した結果、領主館は思い切って村々の求人札へこう書き足したのだ。
『日当、昨年比二割増し! アゴ・アシ・マクラ付き! 真面目な働き手大歓迎!』
この一文が農村に火を付けた。日照りで不作気味だった北部の村々からは「二割増しならポルフィリじゃなくキュリクスだな!」、「食事や移動費どころか宿泊費も先方負担って大盤振る舞いだよな!」と農民たちが嬉しそうに乗合馬車に乗ってやってきたし、むしろ豊作気味だった南部の村々では「去年の出稼ぎで散財した分を稼いでこないと」、「今年もうまい酒を飲むぞ」と農民たちが意気揚々とやってきたという。
ルツェル国境と接している西の集落には「マクラは月信教の宿坊です」と、さらに一文が付け加えてあったせいで、奥さん連中は旦那の尻を叩いてキュリクスへ送り出したという。宿坊に泊っておいて、男連中がまさか娼館へ通うなんて有り得ないよねというギミックである。他にも労働条件が良いとの噂を聞きつけた近隣領の者までも大挙してやってきたもんだから、キュリクス入場門ではちょっとした祭り騒ぎになったくらいである。
ともあれ出稼ぎたちが大挙してやってきたおかげで人手は充足し、当初予定の工事スケジュールに余裕が出来たという。おかげであちこちの作業現場ではどこか牧歌的な空気が流れていた。
石切り場では槌を振るうリズムに合わせて労働歌が響き──
♪ 石を割れ、綺麗に割れ 俺たちの班が最高だ ♪
城壁の基礎打ちではアンカーを打つ拍子に誰かが勝手に節をつけ──
♪ 地盤の奥まで突き立てろ 夜は夜で突き立てろ ♪
反射炉建造現場では耐火煉瓦を運びながら大合唱が始まっていた。
♪ 運べ、運べ、煉瓦を運べ 夜の酒が旨くなる ♪
今年のキュリクスはいつもよりにぎやかだった。労働者たちは一日の始まりに歌い、昼にも歌い、日暮れの片付け中でも歌い、仕事が辛い寒い日ほど声上げて歌う──誰も文句を言う者はいなかった。むしろ現場を見回る監督者の武官スルホンとウタリはどこか誇らしげに眺めていた。
「……事故なく歌ってるうちは、安心して見守っていられるな」
「ま、今のところスケジュールの遅れもありませんからね」
そんな穏やかな日々が続くはずだった。しかし数日後、彼ら労働者たちがこの冬一番の“元気すぎる騒動”を巻き起こすことになるとも知らず──。
*
そんな牧歌的だった現場の空気を最初にぶち破ったのは──石工集団『クラーレ組』の親方ゴリクだった。
「よーしお前ら! 今日の儂は調子が良いしぃ、ちぃと付き合えや!」
仕事中の号令かと思いきやそのまま彼は石組みの上に仁王立ちし、胸を張って朗々と歌い出したのだ。
♪ 回せ回せ 砥石を回せ 百年先まで残る夢 ♪
華やかさと共に伸びやかな響きでゴリクがテノールボイスで歌い出した。周りにいた他の石切班の出稼ぎ労働者たちは「また始まった」と笑っていたが、いつの間にやらクラーレ組の徒弟たちが見事なコーラスとして歌に加わってくる。
♪ 積んで積んで 丁寧に積んで 俺らは天下のクラーレ組 ♪
♪ らぁ~、ららぁ~ ららりらぁ~ ♪
それを見た基礎打ち班であるフロイは鼻で笑う。
「ほぉ〜……石工の癖にちぃとばかし上手いやんけ。──おい、うちの若ぇの、負けられんざ!」
「あの親方、仕事中ですけど……」
「ええんじゃ! 喉の調子確かめるだけじゃけぇ!」
そしてフロイはアンカー打ちの櫓に飛び乗ると、まるでゴリクたちへ見せつけるように歌い上げた。
♪ 土を運べ 山を削れ ワシらは基礎打ちフロイ組ぃ ♪
♪ るー るー るーるらー ♪
「おお、始まったぞ!」「フロイは相変わらずのバリトンボイスだのぉ!」
労働者たちは囃し立てればフロイはゴリクにどや顔を送るのであった。
「んっん~、いまいち本調子じゃないけんのぉ~」
「ふぅん、儂もまだまだ本気はだしとらんしぃ~!」
悔しそうな表情を見せるとゴリクはさらに声を張り上げ、フロイにテノールを送り付ける。周りの労働者たちはやいのやいのと囃し、フロイも負けじと競うかのように朗々とバリトンを響かせたのだった。
その日の夜にはゴリクとフロイの“歌のタイマン勝負”は良い意味で酒の肴となっており、出稼ぎ労働者たちの中では収拾つかない状態であった。
「なぁ、"クラーレ組"のゴリクの歌は良いんだけど徒弟のコーラスがすごく調和が取れてて良かったよなぁ」
「いやいや、あれぐらいなら俺たちマイヅ村のモンでも歌えるでさー!」
「おう、そこまで言うならやってみろや!」
「俺はフロイ組のバリトンと出稼ぎ農民のコーラスが好きだなぁ」
「そぉかぁ? あれぐらいなら俺たちの班でも歌えるでさ!」
もちろん、歌の出来なんて周りがあれこれ言うよりも自分たちの方が気付いているもんで、ゴリクやフロイは部下たちを集めて酒場で反省会をしたかと思えば酒一杯を“エサ”に歌練習を始めたのだった。その歌声を聞いた親方衆も“我こそは”と自尊心が刺激されたのか、班ごとに部下や出稼ぎ農民を集めては声楽団体を作ってはヴォイストレーニングを始めてしまう。そのうちどの酒場でも同じやり取りが聞こえるようになった。
「兄ちゃんはどこの班だ?」
「モルタルのコーダ組ッス。だけどファルセットが出せなくて親方からめっちゃ叱られたンスよ」
「ほぉ、なるほどなぁ。酒一杯奢ってくれるなら発声方法を教えてやるぞ!」
「まじスカ? おーいお嬢、火酒をこっちに!」
「はいはーい!」
……完全に職場を巻き込んだ歌合戦である。
キュリクスのあちこちの工区で練習された歌声が響いていた頃。キュリクス日報の若手記者が現場に足を運び、「……これ、記事になるのでは?」と記事にした事によって要らぬ方向へと広げられていくのであった。
『親方衆、城壁工事はそっちのけ? 班ごとの歌比べが白熱中!』
この活字が出た瞬間、キュリクスの空気は一変した。
昼には作業をしながら歌い、夜には練習し、飲んで騒ぐ。
そして領主館には……『賑やかで良いのですが、少しやかましいです』という控えめな苦情が届き始めたという。だが、この一件はまだまだ“前哨戦”に過ぎなかった。ここから──マスコミがさらに焚きつけ、メイド隊が歌い、領内総出の大騒動へと発展していくのであった。




