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24話 武辺者、インチキ薬に振り回される。

 夏も終わり。

 うだるような暑さは昼間だけとなり、朝晩に吹く風は少しひんやりさを孕むようになってきた。


 キュリクス東街の隅にある生薬ギルドの裏庭。整然と畝が立てられて薬草が丁寧に植えられたその小さな庭で、ひとりの男が膝をついて夢中になっていた。


「リコリスは水はけの良い弱酸性土壌を好むか、ふむふむ。――んでこれはルバーブか」


 背を丸め、赤紫の茎を手に取る男――その名はアルディ・シルヴェスタ。錬金術師テルメの実兄にして、自他ともに認める生薬オタクである。エラールの都から、両親の療養を理由に故郷キュリクスへ戻ってきた彼は、帰郷早々に生薬コーホネから抽出した解熱鎮痛薬『ラクナル』を開発し、一躍その名を轟かせた辣腕でもあった。


 その肩書きも名声も、今この瞬間は二の次。

 彼の関心はただ、手のひらのルバーブに向けられている。


「金属加工ギルドの職人たちがこいつを磨き剤にしてるって言ってたな。作用機序が判らんし、効率の良い磨き剤が出来ないか試してみよう」


 思い立ったら試してみないと気が済まない。

 アルディはギルド内の創薬研究室に籠ると手際よく小鍋に水を張り、ルバーブを刻み入れる。煮立つ鍋から、ほのかな酸味と甘い草の香りが立ち昇った。


「ほう? なかなかいい匂いがするんだな」


 鼻をくすぐるその香気に、アルディは思わず深呼吸した。

 以来、彼の創薬研究室では毎日、ルバーブの煮出し実験が続いた。




 それから、およそ一か月後。

 刻み方や煮出し温度、時間によって真鍮や銅の研磨に違いが出る事が判った。どうも葉部に含む何らかの物質が影響しているようだ。


「……ん? 」


 ふと真鍮に映る自分を見て、アルディは目を細めた。

 ──何か痩せた気がする。

 慌てて研究室に置いてある体重秤に飛び乗る。

 カラン、と小さな音。目盛りは――確かに、減っていた。


「これはッ! 新たな発見だぁぁああッ!!!」


 早朝の創薬ギルドにアルディの歓喜の絶叫が響き渡った。



 * * *



「いいぞアルディ君! これで君は創薬ギルドの、いや、キュリクスの救世主だよッ!」


 工房に響き渡るのは、ギルドマスター・ベーレンの大声だった。

 年季の入った白衣をばさばさとなびかせながら、彼はすでに大興奮している。


「鎮痛生薬『ラクナル』に続く大ヒットだ! お前は二匹目のドジョウどころか、鯨を釣り上げたんだぞッ!」


 目を輝かせ、紙束になった注文書をアルディの目の前にどさりと積み上げる。アルディはそれを見下ろしながら、そっと顔を引きつらせた。


(いや、確かに売れてるって聞いてたけど……これって大変な事になってるのでは?)


 まだ臨床データも揃っていない段階でここまで騒がれるのは、正直、複雑な気持ちだった。もう少し治験データを揃えてから販売すべきとベーレンには言ったのだが、彼の独断で販売することになったのだ。


 しかも現実は容赦ない。金属研磨用のルバーブ乾燥粉を『痩せるお香』として販売に踏み切った結果、上流階級の奥様方を中心に市中で口コミが広がった。ギルドには香水屋や雑貨商からの追加注文が殺到していたのだ。


「さあ! 宣伝文句も考えておいたぞッ! “焚くだけで美しく痩せる――奇跡の香り、ルバーブ・ダイエット!”、商品名は『ルバスリム』だ!」


 なんだろう、原料のルバーブにダイエット効果のスリムを足したような安直な名前。消臭剤の素だったら『消臭元』って付けそうな勢いだな。


「――ルバスリムの香りで、あなたもスッキリ♪」


「……それ、煽りすぎですよね」


 アルディのか細い抗議は、陽気なギルマスの歓声にかき消された。

 そんな喧騒の裏側で――

 すでに静かに“想定外の波紋”が、街中へと広がりつつあった。




     ★ ★ ★




「ねぇユリカ、聞いた? ルバスリムの話」


 初秋の官舎、スルホン宅。


 ガラス器に盛られたババロアをテーブルに並べながら、エルザがにやりと笑う。

 私はスプーンを手に取り、ぷるぷる震えるそれを一気に口に運んだ。ひんやり甘い感触が、口の中でほどける。初夏に採れた木苺をシロップ漬けと、エルザの作るぷるぷるは本当に美味しい! しかもアングレーズソースがさらに旨い! こんな料理を毎日食べられるスルホンは羨ましすぎる。


「うんうん、聞いたよ。痩せるお香でしょ? 面白そうだよね」


  私も、ここ最近――狩りに出た翌朝とか、なんとなく体が重い気がしていた。筋肉痛? いやいや、これは年齢のせい……かもしれない。それともエルザのお菓子ばかり食べてるせい? ちょっと不安。


「オリゴちゃんもババロアどうぞ!」

「――いただきます」


  隣に控えていたオリゴも一礼して、ババロアをつつき始める。


(護衛として連れてきたけど、スルホンの官舎なら正直いらないよね? だって領主館の敷地内なんだから)


「あど――おごどばでずが……」

「オリゴちゃん、ごっくんしてから喋ろうね」

「――んっ、がっ、んっ、ぐッ――ごくん」


 エルザにたしなめられて、オリゴはあわてて喉を鳴らす。あの子、ババロアでも戦闘モードなのね。


「――お言葉ですが、効能は話半分で信じたほうがよろしいかと存じます。というより、古今東西――“やせ薬”と“長命薬”に関しては、過信は禁物です」


 オリゴは淡々とした口調で言う。確かに風邪薬とか止瀉薬とかあるけど、やせ薬と長命薬はなかなか販売されないもんね。昔、どこかの皇帝が“不死の薬”とかいって砒素や水銀を飲んで死んだって話もあったし。


  まぁ、結局、バカにつける薬はないんだよね。バカは薬ならなんでも飲んじゃうから“付ける薬が無い”って言うらしいし。……でもまあ、バカは世界に一定数存在する。それも歴史が証明している。


「まぁまぁ、そこまで身構えなくても♪」


 エルザがにこやかに笑って、またスプーンを口に運ぶ。

 エルザって――そもそも痩せるとか痩せないとか、どうでも良さそうだもんね。若い頃から体重が殆ど変わらないし、そもそもどれだけ食べても太らない体質だって言ってたもんね。

 私もババロアをすくいながら、心の中でそっと思った。

 ――本当に痩せたかったら、お香なんて焚かずに、練兵場で槍でも振ればいいのよ。でも、世の中って、そういう簡単な話じゃないんだよね。


 だけど、世の中、バカは一定数居るってのは聞いてたけど、ここまでとは――。




     ★ ★ ★




「あら、このお香、焚いても焚いても痩せませんわ」


 一人の貴婦人が、ルバスリムを焚いた香煙を仰ぎながら、憮然と呟いた。

 あれほど盛り上がっている痩身ブーム。しかし、日がな一日部屋中にお香を満たしても目に見える変化がないことに、彼女たちは次第に苛立ちを覚え始めていた。


「なによ、こんなのインチキじゃないの、もう――」


 この一言で立ち止まれば良かったのだが、彼女は禁断の地をさらに一歩踏み込んでしまう。



「それなら……飲んでしまえば効くんじゃなくて?」

「お香で痩せるなら、食べたらもっと早く効果が出るんじゃない?」

「煎じてみたら? 薬草なんでしょう?」



 焦りと欲望に突き動かされるように、互いの言葉に乗せられていく貴婦人たち。

 思考よりも感情が先走る、その様子はどこか滑稽で――そして、少し怖かった。


 効果が見えない薬を前にしたとき、人はどうするか?

 普通なら慎重になる、もしくは諦めるはずだ。

 しかし、それでも“早く”、そして“簡単に”と願う心が勝った時――人は自ら、禁じられた一線を越えてしまう。


 これが、「バカに付ける薬がない」という、古い格言の意味なのだ。



 * * *


 キュリクスの街外れに佇む、古くからある小さな医院。

 物静かな老医師と、献身的な看護師の妻と事務の娘。――家族三人で営まれるその医院は、普段なら夏風邪や小さな擦り傷の患者がちらほら訪れる程度だった。


 しかし今、その小さな医院は、まるで戦場のような有様だった。



「昨日から吐き気とお手洗いが止まらないんです」

「胃が痛くて、何度も吐きまして」

「お腹が――その、あの、何度も――」


 次々と押し寄せる患者たちの訴えは、どれも異様に似通っていた。しかも症状の進行が速い。老医師は患者らの声を聞き、聴診器を置き、顔を曇らせた。


(――これは、ただの食あたりじゃ済まない)


 長年の勘が告げていた。

 この症状は偶然ではない。何か、広範囲に拡がる「共通原因」があるはずだ。


「すぐに医業ギルドへ連絡に走ってくれ。異常事態だ」


 老医師は事務の娘に短く告げた。

 だが、異常を察知したのはこの医院だけではなかった。

 市内各地の診療所からも、同様の緊急報告が、相次いで医業ギルドへ届けられていたのである。

 医業ギルドは即座に動いた。

 事態はもはや一医院、一医師、ギルドの手に負えるものではないと判断したのだ。



 昼鐘が打たれる少し前、医業ギルドから領主館へ、正式に「市中で衛生上の異常発生」の緊急申し入れが届いた。



「領主館より告知! 本日の昼鐘をもって、緊急天幕を開設する!」


 角の見張り台から、衛兵たちの声が響き渡った。その呼びかけに、街角の人々がざわつき始める。

 間もなく、領主軍の衛生隊が大広場へ駆け込み、手際よく巨大な天幕を広げていく。打ち込まれる杭、引き締められるロープ――騒然とする群衆を押し分けながら、兵士たちが慣れた手つきで緊急診療所を即席で立ち上げてゆく。


「おそらく食中毒か、何らかの毒性物質の蔓延だ。……初期対応を急げ!」


 衛生隊長が低く鋭く命じる。

 その指示と同時に、天幕の下へ続々と運び込まれてくる人々。

 腹を押さえて顔面蒼白の商人。吐き気を堪える使用人。床に崩れ落ちたご婦人たち――

 衛生兵たちは素早く診察にあたり、症状を聞き取っていく。

 文官のクラーレも現場に駆けつけ、症状の記録と分類を手早くこなしていた。

 そのクラーレの目にも、馴染みある商店主の顔が混ざっている。


(まずい……これは本当に、街全体に広がっている)



「痩せたい一心で!」と泣きながら訴える奥様。

「トイレ往復してたら、確かに体重は減ったけど!」と錯乱気味に叫ぶ若い商人娘。


 この異様な主張にベテラン医官の一人が眉をひそめる。時折聞こえる「痩身」のワードに違和感を覚えたのだ。



「御婦人。ここ最近、ダイエットに係わるものを食べたり飲んだりしましたか?」


 医官の問いかけに、呻きながら患者たちが応える。


「あ、はい……ルバスリムを、煎じて飲みました……」

「ルバスリムを、食事に混ぜたんです……」

「ルバスリムを……(ごぼっ)」


 医官の顔色が変わった。


「――全衛生班に通達! 腹痛、嘔吐、下痢症状の患者について、ルバスリム喫食の有無を必ず確認しろ!」


 場が一気に緊迫する。



 結局、判明したのは、本来「香として焚くだけ」で使用すべきルバスリムを、自己判断で“飲食”したことが原因だということだった。


 即座に領主館から布告が発された。


『ルバスリム及び類似品の摂取・使用を控えるよう、全市民に通達する』


 街に立ち上る、緊急鐘の音。

 キュリクス全体が、珍妙かつ深刻な混乱に飲み込まれていく。



 * * *



 数日後。

 創薬ギルド本部は――もはや暴動直前だった。


「訴えてやるわよ!」

「こんなインチキ薬、売りつけて!」

「謝罪と賠償を求めるわ!」


 怒号とともに、怒り心頭の奥様方がなだれ込んできた。ギルドのカウンター前は、華やかなドレスの山、山、山。


 カウンター越しで、ギルマスのベーレンはため息をつく。

 頭をかきながら、ぶっきらぼうに言った。


「――なぁ、あんたら。ちゃんと説明書、読んだか?」


 バン、とカウンターに叩きつけたのは、ルバスリム正規品に添付されていた説明文書だった。

 そこには、誰が見ても分かる大文字で、こう書かれている。



『※絶対に食べたり飲んだりしないでください※』



 奥様方が顔を見合わせ、しばし沈黙する。

 ベーレンは、さらに冷たく言い放つ。


「こっちはな、お香として正しく焚いて使うために売ったんだ。勝手に食って、勝手に腹壊して、勝手に騒いで――それで謝罪しろ? 訴訟するって?」


 ベーレンは鼻で笑った。


「――上等だ、全部出るとこ出てくれ。正規品の取扱説明を無視した時点で、全部自己責任だ」

「……」


 奥様方は何も答えられなかった。


 しかし、実際、ベーレンも事態を把握していた。

 街には、正規販売品をはるかに超える数の「ルバスリムもどき」が溢れていた。


『サラリ香』『ル()スリム』『本家・やせる香』『ル●スリム』など――。


 どれもこれも、怪しい二番煎じのパクリ品ばかり。中には、正規品だが説明書すら付けずに量り売りしていた悪質な業者もいたという。

 もちろん、そんな商品に正式な保証などない。


「お香だからって、食えると思ったのか?」


 ベーレンが重たく問いかけると、奥様方は顔を見合わせ、なぜか胸を張って言った。


「だって! ルバーブは薬草ですわ!」

「体にいいって聞きましたの!」

「薬草なら、お茶みたいに煎じて飲めると思うのが当然ではなくて?」

「ほら、ほうじ茶も薬草茶もみんな葉っぱですし!」


 口々に畳みかける奥様たち。中には丁寧に装丁された本を取り出し、


「この『万能薬草大全』って本にも“ルバーブは地方によっては食用されることもある”って書いてありましたわ!」


 と、鼻息荒く主張する者もいた。

 だがベーレンは、一つ溜息をつくとカウンター下から同じ万能薬草大全を取り出す。


「……その万能薬草大全のルバーブの項、“食用されることもある”って一文の、後ろを読んだか?」


 静かに、だが鋭く問う。


「“食用種に限る。薬用種の生葉には強い瀉下作用があり、誤用すると中毒死する場合もある”――と、書いてあるだろうが」


 その場に、ひやりと冷たい沈黙が落ちた。


「薬草だからって、全部が体にいいと思うな」


 バッサリと、鋭い声が響く。


「世の中にはなぁ、飲めば毒、食えば毒、擦り付ければ毒って草ッ葉がゴマンとある。量を間違えてもコロリと逝くのもある。んなこと言ったらジャガイモなんか、塊茎(イモ)部以外は基本は毒だぞ? 薬だ薬だってありがたがる前に、――まず使い方を学べ」


 ベーレンは、最後に突き放すように言い切った。


「それができねぇなら、頼むから薬なんか飲むな、死ぬぞ。――用法用量を守れ、以上だ」


 奥様たちは蒼白になり、さすがにそれ以上は何も言えなくなった――。


 結局、『適用外服用による中毒症状は自己責任』という結論で、事態は収束を迎える。


 ――もっとも。


『焚いて正しく使ったら、確かにちょっと痩せた!』

『お腹は壊さなかった!』


 そんな口コミが広がり、今でもルバスリムは地味に売れ続けているという。

 なにごとも、『正しく使う』が肝要である。




     ★ ★ ★



 領主館の執務室。

 昼下がりの光が窓から差し込む中、俺は分厚い報告書を手にしながら眉間に皺を寄せた。


「んで結局、どうしてアルディさんは実験中に痩せたんだ?」


 机の向こう側。控えていたクラーレが、ぴしっと姿勢を正しつつ淡々と答える。


「それなんですが。――実験に没頭するあまり、自分の食事をすっぽかしていたそうです」

「……つまり?」

「言わば、“研究ダイエット”です」


 俺は思わず顔をしかめてしまった。


「原因はメシ抜きだったのかよ! 痩せるお香は関係ないじゃねぇかよ」


 ばさり、と報告書を机に放り出す。呆れるやら笑うやらで、肩をすくめるしかない。クラーレも苦笑いを浮かべるだけだ。


「まったく、インチキ薬も大概にしろっての……」


 ぼやきつつも俺はペンを取り、命令書の一文を書き付けた。



『今後、創薬ギルドにおいては、販売する薬剤は必ず治験および安全審査を経ること。違反した場合は厳罰に処す』



 さらさらと署名を入れ、封をした。


「この命令書を後日届けてくれ」

「はい、承知しました」


 これにて、キュリクスを揺るがした『痩せるお香騒動』は、一応の幕を閉じたのであった。

【注意】

ルバーブには強い瀉下成分センノシドが含まれています。意外とあちこちに自生している場合もありますが、食用種以外のルバーブは絶対に食べないでください。


あと、ルバーブにはシュウ酸Ca(劇物)、いわばアクを多く含みます。

胃痛や嘔吐、腎攻撃性を持ちますので要注意ですよ。

(そのシュウ酸Caを、かつては磨き剤として利用していたそうです)



ブクマ、評価はモチベーション維持向上につながります。


現時点でも構いませんので、ページ下部の☆☆☆☆☆から評価して頂けると嬉しいです!


お好きな★を入れてください。




よろしくお願いします。

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