239話 武辺者、豊穣祭のあとしまつ・5
朝の一番鐘が鳴れば留置所は起床時間となる。しかし随分と秋が深まったせいか日の出時間が遅くなり、独房から朝日を望む事は到底出来ない。しかしレオダムは朝の早くからごそごそと荷物を麻袋へ詰めながら、どこか名残惜しそうにため息をついた。
「……ふむ。この独房も慣れれば悪くないもんじゃな」
夕べ、レオダムには翌日釈放と知らせが入り、『持ち帰るべき私物は片づけておくように』と監視兵に言われたので、朝からごそごそと片付けをしてた。他の独房からぐーぐーと寝息が聞こえてるのに年寄の気質なのか性質なのか、彼は既に活動時間に入っているようだ。
レオダムが苦笑しながら漏らしたその声が聞こえたのか、たまたま巡回中だった見張り兵が困ったように返す。
「レオダム殿、そう言って何度も万引きでやってくる連中らも居るんですから勘弁して欲しいっすわ……」
前に書いたと思うが、留置所は貧民街のドヤより住みやすく、冬場になると虞犯で転がり込んでくる者が一定数居たりする。ただ、キュリクスではヴァルトアが統治するようになってから『三振法』が領主令により定められ、前科二犯者がしょうもない罪で逮捕されたとしても、追放刑や無期限強制労働刑といった重刑になってしまう。掲示板や新聞告知をしていたにも係わらず、三振法を知らぬ者が留置所に転がり込んできては悲劇的な判決を迎えるという。
半地下の留置所内にガチャリ、と鍵が回る音が響いた。そして鉄扉がゆっくりと開くとアニリィが先頭に立ち、後ろには私服姿のネリスとクイラが並んで入ってくる。随分と朝が早いにも係わらず三人は寝起きの気配はなく、お化粧もしてきりっとした様子であった。
「レオダム爺さん。身柄を引き取りに来たよ」
アニリィはそう言いながら監視兵に鍵を開けてもらって鉄格子を押し開けた。レオダムは「思ったより早いんだな」と呟くと小さく眉を上げた。
「おお、お嬢か。……こんな時間に釈放なのか? なんなら朝食後とか……定食屋が開く時間まで待ってくれても良かったんだがのぉ」
「こちらも色々と段取りがあるんで、申し訳ないけどこんな早朝に釈放ってなったのよ。──お腹空いてるなら、裏の『エンバシー』って喫茶店は朝早くからやってるからそこ行こっか。──私が奢ったげる」
「ふん! お嬢らには迷惑かけまくったんだ。──儂が出す!」
レオダムなりの意地か、腰に手をやってそう言うとクイラは肩をすくめ、ネリスはじいちゃんの手を握ろうとして、しかし寸前で気後れしたようにそっと引っ込めた。
「じいちゃん、今日で留置生活はおしまい。朝ごはん食べにいこ?」
「ふむ……そうじゃな。では行くとするか。……しかし」
レオダムは独房を振り返り、名残惜しげに壁を軽く撫でた。「──ここ、本当に居心地がよかったのぉ」
「その名残惜しそうな顔やめなさい!」
アニリィが即座にツッコミを入れ、ネリスは「あのねぇ……」と呆れた声を漏らし、クイラも苦笑しながら「ここ、留置所です。レオダムさま」と優しく言った。
レオダムが滑車弓を作り上げたことで、領主館の会議室では賛否が真っ二つに割れた。ウタリは「面制圧力の底上げになる」と開発推進を主張し、スルホンは「便利すぎる武器は治安を壊す」と強く反対。さらにユリカが「領主館主導で実用化への秘匿研究を進めていけばいい」と提案すれば、ハルセリアは「それこそバレたら周辺国への不要な緊張を与える」と警鐘を鳴らした。結局、ヴァルトアの判断で滑車弓の開発は一時凍結、武器開発に繋がる研究は翌日には領主令により禁止となった。
長弓ほどの威力を簡単に出せる短弓ってのは『既存のルールや状況を一変させるもの』でしかない。あまりにも便利で画期的過ぎた滑車弓はあまりにも評価が良すぎたのだ。整備性が多少悪いって弱点はあったものの、これも開発で克服できるだろうと技官ミルドラスが言い切ったことで法令による開発禁止の判断となったのだった。
通用路を歩きながらアニリィが声を低めた。
「爺さん。念のため言っとくけど──これ以上の滑車弓の研究開発は領主令によって本当に駄目だからね?」
「む……そこまで言われたなら仕方ないのぉ。だけど、ちぃとだけ試したい事がいくつかあったんだが……お嬢、だめかなぁ?」
「じいちゃん、ダメだって言ってるでしょ!」
ネリスが慌てて声を上げると、クイラがそっとネリスの肩に手を置いて落ち着かせる。
「ネリス、抑えて抑えて。レオダムさまは無邪気なだけだから」
アニリィは深い息を吐いてレオダムの横顔を見た。
「他にも領主令によって武器開発についてや火薬類の取扱いについても細かい通達が出てるから、明日にでもいいから必ず錬金術ギルドに出頭して説明を受けて?」
「ふむ……留置された時にギルド証を預けてたからなぁ。ひとッ風呂浴びて、酔虎亭でエールの一杯でも引っかけてから行くかのぉ」
「ネリちんやクイラちゃんも、レオダム爺さんを頼むわね」
「了解っす」「承知です」
その日が非番だったネリスとクイラが身元引受人として立ち会うこととなった。本来ならレオダムの実娘──ネリスの母──が出向くべきだろうが、今はネリスがメイド隊転属で領主館三階にクイラと共に住んでいるし、連絡も付きやすいと言うことで朝早くから来てもらったというわけだ。それに、釈放後の諸手続きにきちんと従っているか確認する役としても適任だったし、何よりレオダム自身が「身元引受人はネリスがいい」と言い出したからだ。
理由を聞けば──「娘は怒ると怖いから」──という、実にかわいらしいものだったが。
地上へと上がる階段を一段一段と上がり、娑婆へと戻る扉が近づいてくる。
「……はぁ。戻ったら戻ったで飯も洗濯も自分でなんとかせにゃならん。──独房はその点、そこそこ旨い飯は出てくるし、洗濯も頼めばやってくれたし、ちょっとした研究は認めてくれたし……気楽でよかったのぉ」
「じいちゃん、それなら養老院に入る?」
「──ネリス。人をジジイ扱いするな!」
「充分にジジイだよあんたは、もう!」
「ねぇ、ネリス落ち着こ? レオダムさまは素直なだけだから」
「……まぁ、くれぐれもしょっぱい犯罪で戻ってこないでよね?」
アニリィが苦笑しながら入口の金属扉を押し開けた。朝の冷たい空気が一気に流れ込んでくる。レオダムは深く息を吸い込むとゆっくり吐き出した。
「……おお、久々に吸う娑婆の空気じゃ」
「じいちゃん、毎日運動の時間に深呼吸してるじゃん」
「ネリス、おまえツッコミマシーンになってっぞ──ふぅ、豊穣祭から一か月以上も経ってしまったんだから、すっかり冬めいてるのぉ……。それなら、弓の開発を止められたときに思いついた、火薬の爆発力で矢弾でも飛ばすものを開発しようかの」
「だから兵器開発は駄目って言ってるでしょ!?」
アニリィとネリスが同時に叫び、クイラは「さぁ、帰ろ」とレオダムの肩を引き寄せる。そしてアニリィたちは出入口を見張る兵に敬礼をして領主館を後にした。敬礼をしながら見張り兵は小声で呟いたのだった。
「……あの爺さん、留置所生活を全力で楽しんでたよなぁ」
*
レオダムが釈放されたその直後──静けさを取り戻した向かいの独房には名残惜しそうに鉄格子へと寄りかかり手を動かす中年男がいた、キュリクス西区の集合住宅に住む、売れない絵描きのクーグラである。ぼさぼさ髪にどこか眠たげな目、ヒゲは整えられておらず身なりもくたびれているが……独房の薄明かりの中でも黙々とスケッチブックに絵を描いていた。彼は鉄格子から半身を乗り出し、去っていくレオダム一行の背を見つめてぼそりと呟いた。
「……いやぁ、本当に愉快な爺さんだったなぁ」
クーグラは大店商家から受けた依頼について「筆が進まん、気分が乗らん」とのらりくらりと言って締め切りをいい加減に伸ばしていたところ、その依頼者から詐欺罪で告発され、レオダムの向かいの独房に留置され裁判を待つ身だ。身なりや仕事態度については怠惰でいい加減だが、デッサン力や写実力には目を見張るものがあり、まるで写真のように忠実に描くことが出来る男である。しかも一目見て気に入った瞬間を切り抜いたかのような絵を描くため、モデルを静止させ、凝視して描くことは無い。そんな能力を使っては監視兵──特にネリスやクイラ、毎朝お香を焚きに来るマイリス、健康管理のために訪れるオリゴやウタリなどといった若い女性──の横顔や正面の顔を一目ちらりと見ては似顔絵を描き、銅貨二、三枚で売るといった小遣い稼ぎをして暇をつぶしていた。いつしか当番でもないメイドたちが、まるで光画館にふらりとやってくるかのように一枚描いてもらうようにもなっていたという。そしてその金で、監視兵に頼んで買ってきてもらったのが──大量の画用紙やスケッチブックだった。怠惰な絵描きのくせに気の向いたものなら延々と描いてないと落ち着かない、そんな男である。
クーグラは鉄格子に背を預けながら、手にしてたスケッチブックを放り投げ、寝台に置いてあった別のスケッチブックを手にするとパラパラと捲った。
「……いやぁ、向かいの爺さん、あんたは最高の“題材”だったよ。上下の滑車にペグで弦の調整機構なんて細かいパーツは、なまくらになったデッサン力を鍛えるにはちょうど良かったわ。ははっ」
そのスケッチブックには──滑車やペグ、スタビライザーが付いた弓を様々な角度から描かれており、滑車にお手製の軸受けを挿入するレオダムの姿、駒に通した弦をZ字に張り替える手順を抑えたスケッチ、スタビライザーの取り付け位置や角度、ネリスが「じいちゃん!」と絶叫している瞬間の絵など、細かく描いた“技術記録”が並んでいた。
「弓なんてよく分かんねぇけど……手を動かしたいからって観察してたら、構造が勝手に頭に入っちまった。芸術家の性ってやつかな」
クーグラは鼻で笑ってスケッチブックを閉じた。
「さて……出られたら、誰に売り込むかねぇ。この絵を元に猟師ギルドに売り込めば一山当てられるんじゃねぇか?」
もちろん、彼は知らない。──そのスケッチこそが数日後にキュリクスの技術史を揺るがす“種火”になることを。
*
クーグラの保釈が決まったのはそれから三日後だった。そしていつものように朝一番鐘が鳴ってすぐ、留置場の鍵がガチャリと開くと監視兵と共に入ってきたのは黒い外套を羽織った男──クーグラが雇った弁護士であった。
「留置番号二番、保釈だ。身元引受人の弁護士殿も来てもらったから、直ぐに出てくれ」
レオダムの時もそうだったが、クーグラの釈放も一番鐘が鳴ってすぐだった。今の今までぐっすり寝ていたクーグラのご機嫌はすっかり斜めで、格子扉を開けようとする監視兵を睨みつけるように言う。
「おー、こんな時間に娑婆に出ろってか? せっかくなら朝飯食ってから出たかったんだが……」
「それは知らん。あ、ちなみに今日の朝飯は鳥のチーズガレットと芋スープだな」
「おいおい、それ俺の好物じゃねぇか……! くっそ、食ってからにしてくれっての!」
文句を言いながらも、クーグラはあちこちに散らばった画用紙やスケッチブックを拾い上げると頭陀袋に放り込んで鉄格子を出た。弁護士は困ったように笑いながら肩をすくめた。
「まぁ……そこまで言うなら外で朝食を食べましょうか。──今後の話もありますし」
領主館のすぐ裏手側に朝早くから開いている喫茶店『エンバシー』があり、玄関先にはルツェル公国旗とキュリクス旗がはためいていた。そこへむさくるしい男と身なりの整った男が入ってくる。焼きたてパンと濃い茶の香りが漂う店内でクーグラと弁護士は向かい合って座り、朝食セットを二つ頼んだ。女将は静かに頷いてすぐに料理を出す。玄関先にルツェル公国旗がはためいてたので、出てきた料理はルツェル人好みのチーズと生クリーム、バターをふんだんに使ったスープとパンだった。
「──で、今後の裁判日程と対策がこちらです。質問は?」
「んー……それより先生よ。俺、留置中に“ちょっとした発明”しちゃってな──これが当たれば先生への謝礼を」弾みたいんだよ
クーグラはニヤリと笑い、鞄から例のスケッチブックを取り出した。「──これよ、これ。大発明だぜ? 俺の芸術家人生にもようやく陽が差すかもしれねぇ」
詐欺罪で捕まった男の言う事なんて話半分に聞いても火傷をしかねない、弁護士はすこし呆れつつもページを開く。そこに描かれてたのを見て弁護士は感嘆な声を上げた。
「……え? なんで弓に滑車がついてるんです?」
「いい質問だ先生! こうすることでな──えーと、なんて理屈だったかな……?」
クーグラが頭を掻いたその時だった。
「うっわ、何そのデコった弓!?」「めっちゃ面白そうじゃんこれ!」
クーグラたちの隣席から突然小柄な女性たちの声が割り込んできた。振り向けば──赤髪で気の強そうな女と、その向かいには柔らかな雰囲気をもった女の二人が、ルツェル人好みの鳥とチーズのスープをすすりながら覗き込んできた。
「なんだよ小娘ども、今忙しいんだ、あっち行けシッシッ!」
「誰が小娘よオッサン! これでも“エリナ”って名前持ってるし、たぶんあんたと同年代よ!」
エリナと名乗った赤髪が腰に手を当てて睨みつける。しかし小柄なせいか、視線はクーグラや弁護士より僅かに低い。その向かいに座る女が苦笑しながら続けた。
「母は宝飾細工師で、私は金属の熔接加工を得意とする細工師のナタリヤです。母は反射炉建設のために父と兄と共にキュリクスへ呼ばれたドワーフでして……。失礼ですけれど──その弓、面白い絡繰が付いてるんですね」
弁護士が「あ、やっぱりドワーフ族の方でしたか」と頷く。底冷えするほど寒いのに半袖シャツに革のベストを羽織っただけの格好で、見える二の腕は鍛え抜かれている。それなのに小児のように小柄なため弁護士は直ぐに子どもではなくドワーフ族だと判ったようだ。
「……ふん、ドワーフ族ってなら手先が器用な技師が多いって聞いた事があるぞ。──お嬢さんら、この弓を作れる技師はいるか?」
クーグラが半分小馬鹿にしたような、そして下心半分で聞くと、ナタリヤはスケッチをぱらぱらめくりながら言った。
「お母さん。これぐらいなら作れますよね?」
「そうねぇ……この滑車の軸受けはキュリクスの金属加工やってるモグラットさんに投げれば喜んでやってくれるだろうし、この弦のラチェット巻上げ機構なら夫が得意ね。握りの部分の加工はナタリヤが好きそうだし、この弓本体はグランツが……あとは装飾細工の延長で十分いけるわね」
クーグラの顔がぱぁっと明るくなる。そして揉み手しながらご機嫌を取るかのように猫なで声を出してから、エリナに耳打ちした。
「じゃあよ、お嬢さんらに制作を頼もうかな? 予算は──このくらいで……」
「安ッ!!」
エリナが顔を真赤にして即座に叫ぶ。
「アンタなぁ! ドワーフ職人の技術を安く買いたたく気ぃ!? そんなガキの小遣いしか出せねぇってなら一昨日来やがれぇッ!」
「ちっ……じゃあ小銀貨これぐらいならどーだ!」
クーグラが右指を二本突き立てると、エリナがクーグラの薬指を立てさせようとする。
「最低限、これぐらいは必要よ。それが無理なら──契約なんか出来ないね!」
「くそぉ、足元見やがって」
「見てるのはどっちだい!」
クーグラもエリナも顔を真っ赤にしてぐぬぬと言い合ってる。しかしクーグラもどこかで折れないとドワーフの女二人がこの技術を盗んで売り出すかもしれない、そう考えたからか、大きなため息をついた。
「ふん、仕方ない……。弁護士先生、契約書の準備を頼む」
「それならドワーフ族の流儀に従った契約方式で締結してよね!」
「ちょ、おまッ! ──はいはい判りましたよっと」
なんだか上手く言いくるめられた気がしたが、クーグラは従わざるを得ない。そのため弁護士に向き直って契約書を作ってもらう事になった。
「はぁ……まぁ、やりますけどね……」
こうしてクーグラとエリナたちの間に滑車弓の試作契約が結ばれたのだった。




