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238話 武辺者、豊穣祭のあとしまつ・4

 夕鐘が鳴ったせいで地上では仕事上がりだからと騒然としてるが、半地下の留置所は明り取りの窓から夕陽が差し込むが、薄暗さがぐっと増して静けさがなお強く感じられるようになっていた。その明り取りの窓の前でレオダムはうとうと船を漕いでいた。初めて長弓を射ってからというものの、身体も気分も疲れが出てしまったようだ。図書館から借りた古文書が、そろそろ右手から滑り落ちそうである。そんな静寂をかわいらしい声が小さく響く。


「じいちゃん、ちょっといい?」


 きびきびとした足音とともに姿を見せたのはメイド服姿のネリスだった。その隣には、休日になるとよく一緒に訓練に励む無口な友人クイラが立つ。そのクイラも左肩は麻布製のアームスリングで吊られている。


「おぉ、ネリスに……おや、クイラ嬢か。──お主も腕の具合はどうじゃ?」


 孫娘ネリスを見るかのように柔らかい表情を浮かべてレオダムは左腕をさすりながら聞いた。


「お久しぶりでございます、レオダム師。まだ治療に手間取っております」


 クイラは表情一つ変えずに応えた。クイラが表情に乏しいことはレオダムは知っていたが、ここ最近になってだが、なんとなく彼女の感情が読み取れるようになってきていた。今のクイラの表情からは心配かけて申し訳ないという感情がかすかに見て取れる。


「で、本題はこっち──」


 ネリスは後ろをふり返り、二人で押して来た荷台を見ながらため息まじりに言った。


「アニリィ様がね、“古い弓とか捨てるやつあったよな?”って兵舎で言い出して……はいこれ」


 ネリスが押し出した荷台には、騎射隊が使っていた短弓が三張り、折れた矢が数本、滑車や駒の部品、用途不明の金具、そして古い工具類が雑多に入っていた。レオダムは目を細め、まるで宝を見つけた子どものように身を乗り出した。


「ほほう……これは……いい素材じゃ……!」


「やっぱそういう反応すると思ったよ……」


 ネリスの胃からはキリリと軋む音が聞こえた気がした。横に立つクイラが僅かに、ほんのわずかに心配そうな目をネリスに向ける。しかしどれだけ機微に敏い人でも今のクイラの表情の変化を読み取れるのは、きっとネリスかオリゴだけだろう。──なお、オリゴも表情が読めない人だ。


「これ捨てる予定の“粗大ごみ”だから、アニリィ様が“遠慮なく好きに使って良いよ”だってさ」


「ふむ。──壊れてよいなら遠慮なく使わせてもらおう。ふむ、この短弓も折れやヒビはないし、滑車は調整すればまだ使えるじゃろう……多少補強は要るみたいだが……」


「じいちゃん、少しは遠慮って言葉を覚えない?」


 そこへ留置所の見廻りをしていた今夜の当番監視兵が通りかかり、独房へと押し込まれた木箱を覗きこんだ。


「おいネリス一等兵にクイラ一等兵、なんだそのガラクタ? 何か修理の依頼か?」


「わ、分かりません。アニリィ様の指示でして……たぶん、うちのじいちゃんと何か……」


「レオダム爺さんよ。脱獄するなら、俺が非番のときにやってくれよ?」


「はっはっは、儂は逃げも隠れもせんぞ!」


 レオダムが高笑いすると監視兵はにやりと笑って「作業するなら消灯までだぞ」と言うと奥へと消えていった。レオダムはここに留置されてから監視兵や他の留置人の私物を修理して小遣い稼ぎをしていたので、彼が何かしようとしても誰も咎めないのだ。


「へいへい……うむ、これはええぞ!」


 レオダムは聞いてるかどうかわからないが、すでに短弓の分解に取り掛かっていた。それら一部始終を見ていた向かいの独房に入ってた留置人が呆れたように言う。


「なんだ、弓でも直すのかと思ったが……おいお嬢ちゃんら、楽器でも作るのか? ハープなら俺、少しだけ弾けるんだぜ?」


「ちょっと想像できませんって」


 ネリスが苦笑いを浮かべているが、レオダムは嬉々として古びた滑車を回し、木片の曲がり具合を確かめ、折れた矢を手にしては角度を見てうなずいている。


「……理想的な曲がり方じゃ。この折れた矢の長さを“揺れ止め”に使えそうじゃのぉ」


「え、揺れ止め? 矢で?」


「矢を射る瞬間のブレを減らせるのじゃ。理とはこうして形になるんじゃよ」


 ネリスは吊られた左肩がずきりと痛むのを無視しながら声を出した。


「ねぇじいちゃん……お願いだから、留置所で爆発させるのはやめてよね……?」


「心配するな。今のところ安心しとけ」


「今のところって──その言葉、何の安心にもならないから!」


 留置所の空気は静けさを取り戻すどころか妙にそわそわと活気を帯びていた。ほかの留置者たちも何事かと顔を覗かせ、レオダムの独房を覗き込む始末。


 こうして──半地下の牢は、ひっそりと“発明工房”へ変貌し始めたのであった。


 *


 それから一週間後。


 レオダムの独房はまったくの別世界になっていた。石壁にはずらりと工具が並び、小さな文卓には大きな万力がドンと置かれている。その万力には滑車部品が挟まっている。薄暗い半地下の牢がまるで怪しげな職人工房のような光景を呈しはじめていた。


 レオダムは滑車部品に軸受けを圧入しながらぶつぶつと呟いている。


「この滑車は……ここじゃな。二つでは足らん。三つ……いや、四つがええかな……力というのは計算した上で分散すれば応力は減る」


「じ、じいちゃん? 楽しんでるよね絶対……」


 独房の鉄格子越しに食事を持ってきたネリスが引きつった顔で見ている。クイラは隣で相変わらず無表情だが、微妙に、ほんのわずかだが眉が下がっているようにも見える。


「弦は“Z”字にかけるんじゃ。ほれ、こうして……張力の流れを変えれば、引き絞る力は格段に軽くなる。支点を……ここじゃな」


 レオダムは古い短弓の握りに穴を空け、折れた矢をねじ込んで角度を測ってから満足げにうなずいた。


「いや矢を弓にくっつける意味が分からんのだけど!? じいちゃん、それ本当に弓なの!?」


「大丈夫、爆発はせん!」


 やはり物事の基準は爆発なんだと横で立っていたクイラは思ってしまった。向かいの留置人はいつもの事だと寝台に横になりながらぼんやりと眺めてスケッチをしていた。この留置人、依頼料と契約料との齟齬で詐欺罪として告発された売れない画家である。暇さえあればスケッチしており、ネリスたちの似顔絵を描いては小銭を稼ぎ、画用紙に充てているという変わり者である。


「リュートの調律ペグにラチェット機能を付けてみたから、弦の張力も調整できるぞぃ」


「もう何が何だかわかんなくなってきた!」


「まだ理の途中じゃ」


「理の途中ってなによ!?」


 相変わらずやいやいと牢内で騒いでるせいか、留置者たちが好奇心の塊となって鉄格子の向こうから覗き込む。


「おい……あの爺さん、ほんとは楽器でも作ってんじゃねぇの?」


「あれをどう弾くんだ? いや、射るのか? もしくは弾くのか?」


「判らん──判る事と言えば、判らんってことだ」


「なんだよそれ!」


 留置者も監視兵もあれこれと言い合うが答えは判然としない。レオダムに何を作ってるんだと訊いても「まだ理の途中」と応えるだけで答えになっていない。だが何だか面白そうな事をやってるのが見て取れるし、留置所の面々もこのレオダムがどうして投獄されてるかって事情も判っているから文句を言う者は誰一人いない。監視兵も「留置番号三番・レオダム。毎日認知症(ボケ)防止に取り組む」と業務日誌に書いていたので、彼が留置所で何をしてたかを領主館の面々が知る由も無かったという。



 さらに一週間後。


 ついに弓の両端に「の」の字型の滑車が追加され、弦は複雑に張り巡らされ、短弓はもはや原型を留めていない。それは弓であり、弓でなく、弦楽器の様で、そうでない、“何とも形容しがたい道具”へと変貌していた。


「……できたぞ」


 レオダムは満足げに手を離した。


 ネリスは震える声で呟く。


「じいちゃん……それ、ほんとに……何……?」


 レオダムが作り上げた弓を見て留置者たちは口々に言う。


「いや弓じゃねぇだろこれ」「なんだこの機構……」「……でもちょっと撃ってみたくね?」


 娯楽の少ない牢内の“工房化”はエンタメとしては絶頂へと達し、誰もがその奇怪な試作機から目を離せなくなっていた。


 ──そして、翌日の試射へと繋がっていくのである。


 *


 翌朝。半地下の留置所の鉄扉がきぃ、と重々しく開いた。


「じいさん、アニリィ様がお呼びだ」


 その日の当番監視兵の声にレオダムは胸を張って立ち上がった。試作品第一号──奇怪な滑車式短弓を抱え、その後ろを当直明けのネリスが小走りで追う。


「ねぇじいちゃん、本当に撃てるの? なんか……いろいろ……すごい形になったけど……」


「試さねば理は完成せん。“撃ってこそ”、儂の理は型になるのじゃ」


「その理ってやつ、毎回不安なんだよね」


 連れてこられた先はいつもの射手練兵所だった。柔らかい朝陽が射場に射し込み、空気は随分とひんやりしている。そこに待っていたアニリィは腕を組んで仁王立ちしていた。


「おはよ。……で、それが爺さんが言う“理が具現化したおもちゃ”ね?」


 アニリィの視線が試作品に向かって細く鋭くなる。短弓に取り付けられた滑車、その滑車を通って幾重にも張られた弦、その張りが簡単に調整できるラチェット式のペグ、前方に突き出たスタビライザー(安定器)──。


 その姿は確かに弓ではあるが、どこかかしら“弓の形をしたメカニカルな器具”だった。


「あぁそうじゃ、理の結晶じゃよ」


「理の結晶って言葉、私の中では“危険物”って意味なんだけどね?」


 ネリスがぼそりと毒づくが、アニリィは気にすることなく肩を回しながら手を伸ばす。


「じゃ、ちょっとお借りして良い……?」


 アニリィが弓を手にするが、ごてごてした装備に反して重さはそんなに感じない。普段扱ってる長弓の方が僅かに重い気がするほどであった。持ち手部分に木片が付けられており、そこに人差し指を引っかけると驚くほどに軽く感じてしまう。それを見て「ふむ」と漏らすと、正しい射型と射法に則って姿勢よく矢を番え、ゆっくりと弦を引く。


 くっ……。


 滑車とZ字弦が稼働し、弦が滑らかに動いた。


「……え、軽ッ」


 アニリィが目を見開く。


「普段の半分……いや、三分の一くらいの力で引けてる。張力は明らかに高いはずなのに」


「じゃから言うたじゃろ。理は嘘をつかん」


 アニリィは弦を顎にしっかり付け、引き手の人差し指を顎下の頬に固定し、親指の付け根を頬に押し付けた。俗に言う『頬付け』である。そして異様に軽い引き具合に当惑の表情を浮かべつつも、弓に付けられた照準器を的の中心の黒点に併せ──やがて小さく息を吸った。


 ──ビシュッ!


 軽い音とともに矢は一直線に飛び、次の瞬間──


 パアンッ!


 二十ヒロ(約36m)先の的を貫き、背後の(あづち)へと深々と突き刺さった。


 ネリスは思わず声を失う。


「……えっ……」


 安全帯からクイラが飛び出してくると、的に近づいて右手に持つ白旗をまっすぐ上げた、中心である黒点を貫いてるという合図だった。その後、アニリィは二射、三射と繰り返したが、クイラは全てに白旗をまっすぐ上げて中心に当たってると判定をしていた。短弓なので二十ヒロも離れると射程から外れて成績はブレるのだが、矢は真ん中を打ち抜いているようである。


 四射してからアニリィたちは的まで無言で歩み寄る。そこで目にしたのは二本は完全に的を貫通しており、残り二本も的に深々と突き刺さっていた。


「……閣下。これ、長弓よりも強いと思います」


 クイラのその一言でアニリィの表情が変わった。しかしレオダムは嬉しそうに胸を張る。


「どうじゃ? 理が形になった瞬間じゃろ?」


 ネリスが震える声で言う。


「じいちゃん……これフルプレート着ててもこの矢に当たったら……死んじゃうんじゃ……」


 アニリィが静かに口を開く。


「爺さん──いや、レオダム師。これはあまりにも“危険すぎる”。長弓隊が長年鍛錬して身につける技能が……弓を引く力も軽いし照準器も付いててブレも少ないんじゃ、民兵でも使えてしまう」


「ええじゃろ。皆が扱えて」


「よくないよ!」


 アニリィの声が跳ねた。彼女がレオダムを“爺さん”扱いから“師”に呼び方を変えたのは、すでに事態を軍事的脅威と判断した証だった。これは気安いお遊びってラインを優に飛び越えるような代物であり脅威だった。


「便利すぎる武器ってのは……戦場のルールを荒らすのよ。今は落ち着いてるけど、不安定な情勢になってこれが民衆に流れれば……蜂起が起きてしまう」


 レオダムはぽかんとしている。


「そんなにかの?」


「そんなに、よ」


 アニリィの表情は武官のそれだった。笑いも軽口もない、戦場の現実を知る者の顔だった。


「……申し訳ないけどすぐにヴァルトア様へ報告しなきゃ。これは“兵器開発案件”として扱うべき代物よ」


 アニリィの手の中で試作品第一号がぎらりと朝日に光った。


 ──それは、ただの弓ではなかった。発明と戦争の境界線に立つ、危険な“新しい兵器”の誕生であった。

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