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234話 武辺者の娘たち、ヴィオシュラに戻る・2

 そして幾日月、季節は秋から冬へと変わっていた。もうすぐ聖夜祭の時期ではあるのだが、この学園都市ではこの時期は中間試験の季節でもある。


 学生たちは試験期間が近くなると図書館や自室に籠って勉強に腐心する。それはミニヨたちも例外ではないが、仲の良い三人は膝を交えて勉強会を開くところは、どうしても場所が限られてしまう。ミニヨやエルゼリアは学生寮住まいのため、夜遅くまで明かりを灯してあれこれとやっていれば他の生徒や隣室の迷惑になりかねない。図書館や喫茶店に集まるにしてもこの時期は混み過ぎだし、不特定多数が出入りするような場所での護衛となるとセーニャたちの心労も計り知れない。そのため自然と集まるのが、ラヴィーナと従者シュラウディアが暮らす屋敷、ルツェル王宮が所有する古く小さな宮殿である。ここは女学院から少し離れているものの、ミニヨが住む寮の近くや街の中心地からほど近くて利便性が高いし、王族ゆかりの建物ゆえに侵入者リスクは少ない。そして適度に散らかってるから、三人が勉強してる間に掃除したくてたまらない"武闘メイド"のセーニャやリーディアにはちょうどいい。そして客間がいくつもあるんので、夜遅くなってもそのまま泊まっていけるのも大きな理由だった。


 勉強会のたびに、それとなく休みの日に集まったたびに、ラヴィーナたちの住む屋敷はどんどんと綺麗になってゆくのだった。


 北方の地ヴィオシュラは冬の寒さが厳しく、試験直前となると昼間でも氷点下の気温である。薪は春のうちからセーニャたち従者組が薪割りしておいたものが積み上がっているから心配はないだろうが、これだけ溜め込んでも春先にはほとんど無くなってしまう。その日は昼過ぎから窓の外では粉雪が舞い、吹き込む隙間風がカーテンを微かに揺らしていた。魔導毛布や暖炉の火がぱちぱちと赤く瞬くにも関わらず勉強している部屋はどこかひんやりと冷え込んでいた。


 テラスを臨む大きな窓を背にした小部屋には丸い大理石のテーブルが据えられ、その上には分厚い参考書やテキストの山が築かれている。三人は肩を寄せ合いながら息を白くしつつ、夜更けまでペンを走らせていた。本当はもう少し薪を放り込んで火を強くすればいいのだろうが、暖かくしすぎると居眠りしそうになるから暖炉の日火は抑えめになっている。


「金属の精錬度合いと魔力変換理論……考えるだけで頭が痛い」


 ミニヨが額を押さえて呻いた。ノートには落書きのような数式が並び、消しゴムのカスがあちこちに散っている。課題にようやく目処が付いた彼女たちは中間試験に向けての勉強を始めていた。しかし難解なようで計算を始めたかと思えば消しゴムで消し、また書いては消してを繰り返している。ただ、やっている内容は彼女たちが選択した応用理論錬金学での基本的な単元で、ここがまず理解出来なかったり躓いたりしたら先に進めない。


「あらら、触媒比の算出式が合わないなと思ったら単位が揃ってないのね」


 エルゼリアはというと、冷静にひとりつぶやきながらノートに書き込んでゆく。一年次は首席だった彼女の表情もだんだんと険しくなっている。


「もう、数字の呪いに取りつかれてる気分! シュラウディア、お茶のおかわりをお願いするわ!」


 ラヴィーナが頭を抱えてそう言うと隣室で静かに控えていたであろうシュラウディアがすっと入ってきた。そしてテーブルの上に積み上がる参考文献をサイドボードに移すと、ラヴィーナが先ほどまで書き込んでいたノートをしばらく眺めると一つため息をつく。


「ラヴィーナ様、途中のこの部分から計算式が誤っています。──ですが今はお疲れのようでしょうからミニヨ様たちと共に休憩を取りましょう」


 彼女がそう言うとセーニャとリーディアも銀色のワゴンを押して入ってきて、あらかじめ用意しておいたケーキを切り分けたりお茶を入れ直したりする。セーニャはケーキを綺麗に六等分して皿に載せ、リーディアはすでに自分たちの分のカップまで用意していた。


 というのもミニヨたち主人三人がこの屋敷内でケーキを頂くときは、従者三人も同じ席で頂くようにとなっている。ちょうど一年前の、ミニヨ達が初めてこの屋敷に招かれた頃から変わらない習慣であった。


「はぁ……セーニャたちがいてくれて本当に助かるわ」


「ラヴィーナ様の頭からボンっと言わないうちに糖分補給を」


 普段は冗談など言わず真面目に仕事をこなすセーニャが淡々とした声で言うので、みんなは思わず吹き出してしまった。意外な事だが、生真面目なセーニャはこのように煮詰まった場になるとウイットに富んだ冗談をぼそりと言うのだ。


「そうね、セーニャの言う通り爆発したら大変だものね」


 ラヴィーナの声とともに笑い声が暖炉の炎と共に溶けていく。こうしてしばしの休憩と歓談を楽しんでから再び勉強を始める――その繰り返しが彼女たちの毎日になっていた。


 そしてまた数日、聖夜祭が目前の頃。


「もう無理! 理論式が夢にまで出てくるようになったわ!」


「これでラヴィーナも夢の中で勉強出来るようになったわね」


 ミニヨの突っ込みにラヴィーナは机に突っ伏しては「まぢ無理」と呻いていた。学校も試験期間となって自由登校になり、今日も朝からラヴィーナの屋敷で 勉強中だ。すると朝から晩まで文字通り勉強を続けると、目を閉じると数式が脳みそを駆け回るようだ。それを、夢の中で勉強できるとはなかなかじょ冗談である。


「ダナス教授も『冬の中間試験さえ乗り切れば楽になるから』って言ってたんだからとりあえず頑張ろ? むしろ……落第点だったら二週間の休みがすべて補習講義になるよ?」


 エルゼリアも人差し指で強く額を圧しながら言う。優秀な彼女もなりふり構わぬ様子で勉強を続けており、目の下には疲労の隈がうっすらと出来ていた。


「なんとか……なんとか試験を乗り越えれたら知究館のミルクショコラを飲みに行きましょ?」


 ミニヨの声掛けにラヴィーナは「そうね」と言うと顔を上げ、再びペンを握るのだった。今、三人の勉強の動機づけは『知究館のミルクショコラ(銅貨四枚)』だ。


 *


 中間試験は三日間かけて行われた。グラバル語やヤルガン語、歴史学や詩作に文学と試験が続く中で最後の科目が選択科目の応用理論錬金学だった。この科目を選択した二回生が十五人と再履修の三回生五人が受験したという。


 試験を終えたその夜。喫茶店『知究館』でミルクショコラを愉しんだ主従の六人は街路樹が続く大通りを歩いて帰る。昼間に降り積もった粉雪は吹き飛ばされたようで歩道には雪は無かったが、その代わりに冷たい風が頬に刺さり、吐く息が白く流れていく。ミニヨ達三人が先頭を歩き、その後ろをセーニャたち従者が静かに付き従っていた。


「勉強って、誰かと一緒にやるから楽しいんだろうね」


 ラヴィーナが空を見上げた、月明かりに照らされた瞳はほんのりと潤んでいる。彼女はもうやりきったぞという表情を浮かべていた。


「一人だったら、心折れてたかもね」


 ミニヨが笑うと、エルゼリアが肩をすくめた。


「とりあえずは、明日貼り出される結果次第よね……とりあえず今夜はゆっくり休みましょうか」


 そう言って交差点で立ち止まるとそれぞれの家へと戻っていった。新学期が始まって二ヶ月、怒涛のごとくに時間は流れ、課題、レポート、宿題、勉強と遊ぶ暇なく走りきったようだった。足取り軽い主人三人の横に従者が静かに付き添う。


 *


 翌日の学年掲示板。学生課の担当者が試験結果が書かれた羊皮紙を貼り付けた。それを見に集まった学生たちのざわめきが一瞬にして静まり返る。


「……中間試験、あのラヴィーナ様が首席!?」


「しかも選択の応用理論錬金学が満点!?」


 その声を聞いてミニヨとエルゼリアは思わず目を疑い、掲示板を凝視した。順位表には確かにラヴィーナ・パルミエの名が一番上に書かれている。


「ぎりぎり合格かなぁと思ってたら、なんとかなった!」


 ラヴィーナは笑いながら頭をかいた。


「勉強中に泣き言ばかり言ってた人が首席なんて納得いかないわ!」


「ひょっとして“わかんない”って言ってたの、ブラフ?」


 ミニヨやエルゼリアの言葉にラヴィーナは悪戯っぽく笑ってこう応えたのだった。


「うふふ、秘密」


 昨日までの曇天が嘘のように晴れ渡っている。鐘楼の鐘が遠くで鳴り始め、三人の白い息が青い空へと溶けていったのだった。


 *


 中間試験より一ヶ月前。応用理論錬金学の課題で三人が頭を悩ませていた頃、ミニヨたちが帰ったあとのラヴィーナの自室では──。


「いいですか? 初等学校の算数は疎かにしちゃいけませんって、お仕えし始めた頃から私は言ってましたでしょ?」


「わーん、シュラウディアがこわいよー!」


「茶化さない!」


 ミニヨたちが帰ったあと、ラヴィーナはシュラウディアを家庭教師代わりにして算数の基礎から徹底的に学び直していたのだった。しかもラヴィーナ自身、初等学校を卒業したらルツェルの女官学校へ通って適当に花嫁修業して……という将来設計だったためにろくすっぽ勉強をしてこなかったのだ。そのツケとして算数が超絶苦手だったという。


 応用理論錬金学で扱う数式は一見難解に見えるが、その多くは初等学校で教わる算数の延長線上である──それをミニヨたちは知らなかったのだ。単位換算や比例式、魔力効率の算定式といった部分もきちんと数式や単位を整理をしておけば苦悩することはないのだが、ラヴィーナたちはそれにすら気付かずつまずいていたという。なお算数を苦手どころか"親の仇"とまで思っていたラヴィーナは、まずは基礎の“足し算からやり直す”ところから始まったのだった。

(※ラヴィーナの両親は健在)


 シュラウディアは従者として仕えているが、実はルツェル女子の最高学府『ファドゥツシュタット高等礼節学院』を首席で卒業した才媛である。たまたまシュラウディアが学生時代、家庭教師のバイトをしてたときの生徒がまさかのラヴィーナだったのだ。そこから彼女たち二人の付き合いが始まっており、そのためミニヨたちからは『なんか主従というより姉妹みたいな関係性だよね』と言われる所以である。そんな優秀なシュラウディアは、応用理論錬金学の教科書などを一読しただけで理屈や理論が理解出来、ミニヨたちが帰ってからの勉強の一役買ったという訳だ。


 二人は夜更けまで机に齧りついて何度も図形を描き、式を展開し、間違えるたびに苦笑いを浮かべ合う。その繰り返しの中でラヴィーナは"数"に対する恐れを少しずつ克服していった。いつしか"親の仇"から根気と反復で"難解なもの"、そして"恐れ"が崩れていく瞬間を感じたのだった。


 首席を取れた秘密は天賦の才でもヤマが当たった訳でもなく、基礎に戻る勇気と根気強く寄り添ったシュラウディアの指導であっただろう。だが彼女たちは連日の徹夜続きで目の下には大きな隈を作り、肌荒れも目立っていたため少々お化粧が厚くなっていたという。



「算数の基礎理解が出来たなら、この公式の理解をしないと解ける訳ないじゃないですか」


「『なぜこの公式が成り立つか』を説明します。その説明が判らなかったらすぐ言ってください、何度でも解説しますから」


「じゃあ私が問題を作りましたので、解いてみてください。簡単な問題をとにかく解いてください!」


「あとは教授が授業中に出してた問題を書き抜きましたので……慣れてください!!」



 ラヴィーナが首席を取れたのはシュラウディアのおかげであったのは過言ではないのだが、シュラウディアは一週間ほど腰を気にしてたという。


「ねぇシュラウディア、あんた本当に大丈夫なの?」


「え、えぇ……ちょっと打っただけですから」


 そう言ってシュラウディアは苦笑いを浮かべたのだった。

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