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231話 武辺者と、反射炉建造の話・3

 夜の急激な冷え込みで出来た霜は、海から山へ吹き流れる温かい風と生まれたての太陽のせいでゆっくりと溶けていく。黒く濡れた地面からは土の香りと靄がじわじわと立ちのぼっていた。魔導整地車で均されたキュリクス北部のまっさらな地面には測量杭と縄張り線が碁盤目状に伸びており、その格子の随所にはこの一帯に敷き詰めるであろう煉瓦や石畳がきっちり積み上げられていた。


 建設予定地近くに建つ倉庫にはファドゥーツの乳白色の耐火煉瓦、もう一つの倉庫にはファーレンシュタッドの淡黄とフューゲルの赤黒い煉瓦が産地ごとに整然と積み上げられており、これらは炉となるのを今か今かと待ってるようであった。


 ──キュリクスは、まさに鉄の都へと胎動を始めていた。



 小さな森の縁をなぞるように走る街道を一頭立ての小さな幌馬車がゆっくりと駆けてゆく。その御者台に座って手綱を捌くのは、短く刈り揃えた灰色の髭を蓄えたマロッシ・フランコである。五十代半ばを過ぎたばかりの彼の表情には長旅の疲れが僅かに滲み出ているが、その瞳にはまだまだ若い者には負けぬ炎のような光が宿っていた。そのマロッシは目を細め、遠くに見える高くて長い城壁と黒鉄の門を眺めてふっと笑った。


「……ようやく西門が見えてきたな」


「十年前の交流会の時以来よね。──あの門を作ったのって確か、金属加工ギルドの……"モグラさん"だっけ、元気かしら?」


 隣にちょこんと座る小柄なエリナが襟元に巻いた厚手のスカーフを押さえながら相槌を打つ。「多分な」とマロッシが漏らすと、ぽたぽたと走る馬が小さく嘶いた。


 二日酔いのせいか荷物に寄りかかって今の今まで大いびきをかいていたグランツがボサボサの前髪をかき上げながらむくりと御者台に顔を出す。


「"モグラットさん"だよ、母さん。──その人とは二ヶ月前の技師交換会で顔を合わせたんだけど、開発の進め方でオーケラ師と揉めに揉めて立ち飲み屋で大喧嘩だったよ」


「あらまぁ、あの冷静なオーケラ師が?」


 エリナが訊ねるとグランツは腕を組んでふんと鼻を鳴らし、夏の終わりに行われた技師交換会の話をし始めた。マロッシはこの話はグランツだけでなく、他に派遣された技師たちからも散々聞かされた話である。……しかしその揉め事はとんだ茶番で終わったという。というのも技師たちを取りまとめる女性文官二人が飲み屋で酔っぱらって取っ組み合い寸前の大喧嘩となり、開発方針で熱くなっていた技師たちが逆に冷静になってしまうという始末だったからだ。


 御者台で手綱を握るマロッシは、口の端だけで笑った。


「モグラット“師”は昔からの職人だから、頭でっかちで何も生みだそうとしない技師が大嫌いな頑固者だよ。──奴は超一流の“師”だよ」


「お義父さまが人様に尊称の“師”をつけるなんて珍しいですね」


 マロッシたちが楽しそうに話をしてたからか、聖典を読んでうとうとしていたオロが荷の隙間から身を乗り出すと、目を丸くして言った。


「俺はどれほど偉い肩書を持っていようが、口ばっかりの下手くそ野郎なら敬意は一切払う気は無い。だが……本物の技師には尊称を付けて気を払う度量ぐらいはあるよ」


 マロッシが手綱を引いて馬を制動させてるのをエリナは見て、ふふっと笑うとポケットから出したハンカチでマロッシの額の汗を拭った。陽が高くなるにつれ気温は上がってゆく。朝は路面に霜が降り、馬車が走る度にぱりぱりと音を立てていたのに今では汗ばむほどのぽかぽか陽気だ。


「お義父様がそこまでお褒めになられる方なら一度は会ってみたいわね……ほら見て、門番さんが手を振ってる」


 連子窓や石落としが備えられた二階櫓に黒い帯鉄が設えられた立派な筋金門が近づくにつれ、この街の息づかいがはっきりと感じられた。街への出入り手続きをする行商人や旅人、そして行き交う荷馬の往来だ。マロッシの幌馬車が門前に差し掛かると、警備兵の前方に三つの人影が進み出た。


 一人はマロッシをルツェル公主に推薦したハルセリア・ルコックだ。騎乗姿の彼女は濃紺のロングテールコートを羽織り、カーキ色のキュロット、そして真っ黒な革のブーツとヘルメットが冬陽にきらきらと反射する。その横に並ぶのは文官服のミルドラス・ヘムベルクと、ニットのかわいらしいストールを肩に掛けた妻のナタリヤ──マロッシ夫妻の娘が立っている。


 ナタリヤは頬を紅く染め、小さな手をぴこぴこと振ってぴょんぴょんと飛び跳ねた。彼女の背の低さを見たら子どもそのものだが彼女は二十台半ばだ。


「お父さん、お母さん、それに兄さんたち──ようこそ、キュリクスへ!」


「──やれやれ。キュリクスでも娘らは元気にやっているようで何より」


 それを見てマロッシがわずかに肩の力を抜くと、幌馬車の横に若い女性警備兵がやってくる。あらかじめ用意しておいた四人分の旅券と入場許可証を差し出すと、女兵は静かに確認する。そして直立し、「ようこそキュリクスへ」と敬礼して言うとハルセリアたちの前まで誘導してくれた。


 そしてミルドラス夫妻は幌馬車に乗り込むとハルセリアの先導で城内へと進んだ。門をくぐった瞬間、マロッシとエリナの脳裏に十年前のキュリクスの記憶がふっと蘇る。あの頃に比べて街中に敷き詰められた石畳は驚くほど綺麗に整備され、街全体が清潔に保たれていた。そして、みなぎるような活気に満ちた様子を見て、「領主が代わると街の雰囲気もかくも変わるものか」とマロッシは深い感銘を抱いたのだった。

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