230話 武辺者と、反射炉建造の話・2
翌日。
グランツに言われた通り、マロッシは石造りのギルド会館に姿を見せた。ファドゥーツシュタッドは小さな村のため、金属加工や窯業、錬金術などの技術系ギルドはすべてこの会館に入っている。そのギルド全体を取りまとめているのがファドゥーツ統括ギルド長――ロジャースだ。マロッシは三階にあるロジャースの執務室へと向かうと扉を二度ノックし、重厚な木扉を押し開けた。
「よぉ、来てくれたかマロッシ!」
ロジャースとマロッシは同じ頃に鍛冶師の丁稚として働き、同じ師匠に怒鳴られ槌を投げつけられと、今では笑い話にしかならない修業時代を過ごして来た仲だ。しかし今では、ロジャースはこの村の技術ギルドを束ねる統括長となり、書類仕事ばかりの日々を送っている。普段は苦虫を嚙み潰したような顔をしているが、マロッシの顔を見た時ばかりは柔らかな笑みで旧友を迎え入れた。
「ギルド長からの呼び出しなら朝一番に来るさ。……急ぎの仕事でもない限りはな」
執務室に入ってきたマロッシは右手を差し出すと、ロジャースも立ち上がり、その右手を取る。ロジャースのその掌はインクで黒く汚れていた――今は羽根ペンで陳情や進捗報告をまとめるのが彼の仕事。対してマロッシのは、炉の熱で鍛えられたせいか赤く分厚いグローブのような手のひらだった。
「では早速だが――マロッシ宛に王宮から書状が届いている」
ロジャースの執務机の上には羅紗張りのお盆に巻紙が載せられていた。普段はどんな書類でも執務机に乱雑に乗せられているのにその巻紙だけは丁寧な扱いをされていた。しかも王宮からの書状だと聞いてマロッシはとんでもない呼び出しだと悟ったのだった。
ロジャースは封蝋を切るとが咳払いをひとつして恭しく読み上げた。
「『“栄光ある”ルツェルの名において、技師マロッシ・フランコに対して国外渡航と技術支援の許可を与える。目的地はキュリクス領。ハルセリア・ルコック女史の推薦により、反射炉建設への参画を命ずる』──だとさ。ようは反射炉建設で名高いマロッシの知識を、キュリクスで役立ててくれって話だ。公主閣下のご要望だぞ」
彼はニヤリと笑いながら書状を片手で差し出した。書状の内容を聞いてぽかんとしていたマロッシは差し出された書状を思わず片手で受け取ってしまう。それを見た若い書記官がすぐに咳払いをした。
「マロッシ殿……正式な王命書ですので、適切な御配慮を!」
マロッシは慌てて手を離し、上衣で慌てて両手を拭ってから改めて深く頭を下げて受け取った。
「王宮から支度金も出ますしそれなりの報酬も出る予定です。――それに公主閣下からの“直接指名”ですが……どうなさいますか?」
書記官のその言い方だと、まるで『断ったらどうなるか判ってるよな』という凄味、嫌味を感じてしまう。なお書記官の彼は技術学院卒の秀才で将来はギルド長候補と言われている。ただ、槌を振るうよりも机に齧りつく方が得意な男でその口調には人の温かみがない。マロッシは苦笑してロジャースを見た。
「公主殿下の署名入りだからドッキリとかじゃねぇし、こんなこと滅多にない栄誉だ。それに――あのハルセリア女史が“マロッシと一緒に仕事をしたい”って推薦してくれたんだ。俺からも頼む。この仕事、受けてくれ。もし今抱えてる仕事があるならギルドが責任もって引き継ぐぞ」
ロジャースが必死に頼み込む様子を見てマロッシは驚きの表情を見せたが、ミルドラスからの『手助けして欲しい』という手紙や娘ナタリヤから届いていた進捗報告を思い出す。『これは婿殿夫婦を助ける機会かもな』と独り言ちると小さく笑い、頭を下げた。
「閣下やハルセリア女史の御指名とあらば失敗は許されんわな」
そしてすかさず一言、続けた。「……で俺の仕事、お前やんのか? その手でか?」
ロジャースは一瞬黙り、自分の手のインク汚れをまじまじと見つめると次の瞬間、ふっと笑った。
「ははっ、俺もまだまだ槌ぐらい振るえるわい!」
二人の笑い声がひんやりとした執務室に心地よく響いたのだった。
*
その日の夜、囂々と唸ってた炉の火が落ちたマロッシの工房兼自宅にグランツとその妻オロが帰ってきた。たまたま帰りの時間が重なったらしく、二人揃っての帰宅だ。日が暮れてから急に冷えてきたのか二人とも頬を火照らせ、粉雪を肩にまとっている。――どちらも職人だ。ガラス細工技師グランツと、窯業ギルド技師のオロ。二人で作った、左薬指に光る銀環がランプの光にきらりと光っていた。
「親父、聞いたぞ! キュリクスへ技術派遣だって!?」
グランツは驚いた表情を見せながら肩に積もった雪を払い、靴を脱ぎながら言った。それに続いてオロも熱気を帯びた室内に入ったせいか、頬を赤くして嬉しそうにいる。
「しかも公主閣下からお義父様調節ご指名だって……窯業ギルドでもその話で持ちきりでしたわ」
息子夫婦がマロッシにあれこれと興奮気味に訊くから、「まぁ、あの婿殿からも“反射炉の計算で悩んでる”って手紙をもらってたしな」 と言いながらテーブルの上に王宮からの書状をぽんと置く。
「あらあなた、公主閣下のお手紙をそんなぞんざいに扱うんじゃありませんよ」
それを見たマロッシの妻・エリナが小柄な体で腕を組み、呆れたようにため息をついた。腕には細かい火傷の痕──彼女も昔から炉の前に立つ装飾細工職人だ。
「それ、ギルドの書記官にも言われたんだよな……額縁にでも入れて飾っておくか?」
マロッシが頭を掻きながら書状を両手で恭しく手に取ると、グランツたちにそっと突き出した。それを見てオロが「だったらグランツ君が作ってよ。硝子の額縁!」とが嬉しそうに声を上げる。それを聞いてグランツは「あぁ、いいな。みんなで作ろう!」と笑顔でそう言うと、マロッシが突き出した書状を受け取ってまじまじと読んだあと、にやりと笑った。
「王宮からのご指名だったら、今夜は一杯やらんとな!」
と、グランツは右手で杯を傾ける仕草をする。ドワーフ族のこの一家はマロッシ以外は全員酒好きで、何かと理由を付けて酒を飲みたがる。「お前は毎晩飲んでるだろうが!」 とマロッシは豪快に笑った。
「ところでお義母さま。今夜の夕飯は……?」
いつもならスープの香りが漂う室内だが今日は竈にも火は熾きてなくしんと静まり返っていた。オロの質問にエリナは少し顔を赤らめると頭を掻いた。
「えっとねぇ……キュリクスってどこかしらって地図で探してたら、夕飯作り忘れちゃってねぇ」
と苦笑しながら手に墨のついた指先をこすり合わせる。エリナは地図でキュリクスの場所を確認すると今度は図書館でキュリクスの情報集めに回っており、そのため夕飯の準備を忘れていたのである。彼女自身も職人のため、仕事が立て込むと夕飯を"意図的に"忘れて家族で飲みに行くというのはザラだ。
「なんだ、母さんも行くのか?」
グランツは驚きと期待が混じった声を上げるとエリナは「まぁ……お父さん一人で行かせるの、可哀そうでしょ?」と言って頬を掻き、少し照れくさそうに笑った。マロッシもわずかに頬を赤らめ、咳払いひとつする。二人のそのやり取りを見るやグランツとオロが顔を見合わせ、無言でうんと頷くと──どたどたと自室へ駆け込んでいった。
「……あんたたち、どうしたのよ?」
「大型の双炉式反射炉だろ? 俺も手伝いたいに決まってるだろう!」
「私は煉瓦職人なんですから、旦那とお義父様のお供をするのが筋ですわ!」
グランツとオロは自室に飛び込んだとたんに二人して荷造りを始めていた。床の上で革鞄が開かれ、お互いの工具が次々と詰め込まれていく。二人ともギルド勤めの職人だから泊まり勤務もあるので旅支度はあっという間に出来てしまう。二人が目をキラキラして荷造りしてるのをエリナは見て、「じゃあ今夜は、“ランプ亭”で壮行会ね!」と嬉しそうに両手を叩いたのだった。木の椅子に腰かけたマロッシは苦笑しながら老眼鏡を外して呟いた。
「まったく……この家は誰も“反対”って言葉を知らんのかよ」
そしてマロッシ一家はファドゥーツシュタッドのにある酒場《ランプ亭》へと入っていく。やはり夕方から随分と冷えてきたのか暖炉が赤々と燃え、店中には酒の香りと笑い声が満ちていた。グランツとオロ、エリナが入り、最後にマロッシが入ると常連の職人たちが一斉に杯を掲げた。
「マロッシ、キュリクスでも頑張ってこいよ!」
「土産は期待してねぇからな!」
あちこちから笑い声と乾杯の音が響く。マロッシは「うるせぇ!」と笑いながら言うと四人はそれぞれ杯を重ね、夜のひと時を愉しんだのだった。なおエリナは桶サイズのジョッキをあっという間に飲み干し、グランツ夫妻も雑味ある蒸留酒をおいしそうに飲んでいた。それを見てマロッシは頭をかきながら、「まったく……うちのカカアは相変わらず強ぇな」と、苦笑いするしかなかったという。
*
数日後。
いつもは朝早くから工房の煙突から煙が上がるはずだが、今日は何も火の気は上がっていない。少し仕立ての良い服に袖を通したマロッシは入口に木札を打ちつける。
『しばらく休業します──急ぎの仕事はギルド長ロジャースへ』
小さな馬車は四人と荷を積み、国境へと続く街道を走らせる。冬の風が頬を撫でる。車輪の音に重なるようにエリナが小声で言った。
「あなた、嬉しそうね」
「……気のせいだ」
「親父は腕が鳴って仕方ないんだろ?」
「まぁ、お義父様ったら」
ここ数日の好天で雪解けの水を馬車の車輪が弾きながら、ゆっくりと山道を下っていくのだった。




