229話 武辺者と、反射炉建造の話・1
ルツェル公国西部、ファドゥーツシュタットに小さな鍛冶工房がある。平野部であるキュリクスは冬の便りが届いたばかりだと言うのに山がちなこの地は既に屋根や街道にうっすらと雪が積もっている。そしてまたもや雪が舞い始めた午後、赤く焼けた鉄が炉の奥で唸りを上げていた。老職人マロッシ・フランコは火箸で白く燃える鉄片をつまみ上げて火床に乗せると、ひと息で打ち鍛えた。その音はまるで冬の静けさを破るように街中に響く。
いくつかの鉄と対話を終えたあと、工房の扉が軋ませながら郵便夫が風とともに滑り込んできた。厚手の外套そのままに、彼は肩から襷掛けして下げた大きな鞄から一通の封書を取り出した。
「いやぁ親父っさん、寒いですねぇ。──キュリクスからのお便りでございます」
「寒い中お疲れさん、どうせここで昼飯食ってくんだろ? グリューワインぐらい入れてやるよ」
「親父っさんいつも悪いねぇ──ここで一杯やってるって内緒にしておいてくださいよ?」
「なら配達先で酒臭い息を撒き散らすなよ?」
マロッシは手を拭い、小鍋に特製スパイス入りのワインを注ぎ込んで炉にかけた。しばらくすると果汁の香りと共にスパイスの香ばしい香りも工房内に広がる。沸騰する寸前にマグカップに移し替えると郵便夫に突き出した。彼は恭しく受け取ると同時にマロッシ宛の手紙を差し出した。
受け取った封書を窓から差し込む陽射しにかざす。見覚えのある几帳面な筆跡——婿・ミルドラスだ。ふいごを止めたせいで大人しくなった炉の火がちらちらと封蝋を照らす。彼は首から下げた老眼鏡を鼻の上にぽんと乗せると封を切って便箋を開いた。
義父様へ
前に話していたキュリクスでの反射炉建設が始まります。基本設計は二重構造の双炉式で定まりました。義父様がファドゥーツで作った通風制御法とパドル理論を組み込みたいのですが鋳造炉の耐熱構造と熱応力計算で行き詰まりました。
設計図と計算書をお送りしますのでご助言を賜りたく存じます。
——ミルドラス・ヘムベルク
マロッシは首掛けの老眼鏡を外すと長く伸びた髭を撫で、にやりと笑った。
「ほう……あの婿殿が“助けてくれ”だと?」
炉の熱気が頬を撫でる。目の奥で燃え残っていた職人魂がぱちんと火花を散らした。
「親父っさん、婿殿ってナタリヤちゃんの旦那さんかい?」
郵便夫はマグカップのグリューワイン片手にチーズ入りパンを齧りながら訊いた。
「あぁ、ようやく地に足つけて働くようになったかと思えば……なかなか楽しい仕事をしてるみたいじゃあないか! 」
マロッシはそう言うとマグカップに入れたコーヒーと共にチーズ入りパンを齧った。
*
夕鐘が鳴ってからしばらくして、ギルドで働く息子が帰ってきた。
「ただいま親父──なんか嬉しそうだな」
「あぁグランツ、おかえり。あの婿殿が俺に助けてくれ、だとさ」
マロッシは手紙を差し出した。グランツは黙って目を通し、静かに頷く。
「そう言えばギルド長が親父に『明朝出頭してくれ』だとさ。たぶん、その反射炉の件だろう」
グランツはそう言うと火床を挟むようにしてマロッシの前に座り、そして懐から煙草を一本取り出すと火をつけた。マロッシにも勧めたが、彼は静かに首を横に振る。
「大量の耐熱煉瓦の出荷もあったし、ナタリヤからもこまめに炉の話は手紙で聞いてたが……キュリクスも婿殿も相当に本気だな」
キュリクスからファーレンシュタッドに来る行商人は週に一度程度、雑味が強いアンガルゥ産蒸留酒を砥石や魔光石と交易してくる程度だった。しかし耐火煉瓦を砥石として大量購入していったのには村長もびっくりして、
「耐火煉瓦が売れるのは助かるが、その分酒が届けられたら──嬉しいじゃないか!」
と漏らしていた。ここの村民はドワーフ族が殆どのため、酒好きな彼らはあるだけ飲んでしまう。昼間にやってきた郵便夫だって昼休みにワインを一杯引っかけるのは普通の事だし、どこの職人も昼休みに軽く一杯飲んで昼寝して、陽が傾き始めた頃に午後からの仕事を始めるような連中だ。おかげで安くて旨い酒がファドゥーツシュタッドに出回っているせいか、街中が僅かに酒臭い。
「ところで親父、夕飯はどうする?」
「お前は飲みに行きたいんだろ? とっとと嫁さん連れて行ってこい。──俺はカカアと家で飯食ってるよ」
マロッシはにやりと笑い、炉に赤く燃える炭をスコップで掬うと消壷に放り込んだ。そして火箸を炉の縁に立てかける。雪は日暮れ過ぎから徐々に強まり、工房の屋根に白く積もってゆくのだった。




