228話 武辺者と、金属錬成への道・7
反射炉建設予定地に建てられていた倉庫の中にはクリーム色やベージュ色の耐火煉瓦がぎっしり詰まっている。しかし、そんな状態でも馬車はひっきりなしにやってきては次々と耐火煉瓦を荷卸ししていく。
「……これ、もう入りきりませんよね?」
倉庫横に併設されている小さな平屋建ての現場事務所でクラーレは倉庫一杯になっている耐火煉瓦をぼんやりとした表情で眺めながら呟いた。向かいに座るハルセリアは眉ひとつ動かさずに帳簿をめくりながら応えた。
「──大丈夫よ、問題ないわ」
さも当たり前の表情で応えるハルセリアであったが、あからさまに動揺していた。『帳簿を見てる』と言いながら視点は定まっていないし、忙しなく右足を貧乏ゆすりする。予定数量に達したにも係わらずまだまだやってくる荷馬車を見て、そして溢れかえる倉庫の現状を見て彼女の指先はかすかに震えていた。彼女の背筋を、首筋を、冷たい汗が伝っている。
ハルセリアは、ルツェル公主フランツ・ヨーゼフ十世から『我が"栄光ある"ルツェルとキュリクスを繋ぐ架け橋となりなさい』と命じられ、トマファとの婚約を機にヴァルトアの下で働くようになった。しかしその初仕事がこの有り様である。──プライドがとびきり高い彼女にとってこの混乱はまさに悪夢だった。唇を引き結び、平静を装いながらも胸の奥では「どうしてこうなったのよ」と繰り返していた。そして、彼女が考えてる次の一手が「どうやって愛しの"カリエル君"にバレずに済むか」であった。
昼過ぎになっても馬車便は途切れず倉庫はすでに満杯である。積み下ろす場所などもうどこにもない。それでも次々とやってくる荷馬車を見てはハルセリアの心臓はどくんと跳ねる。──『ひょっとして、発注を間違えた?』──嫌な予感で首筋どころか額にも冷たい汗が流れる。だが今さら止めるわけにもいかないし受け取らないわけにもいかない。彼女は顔を引きつらせながら、慌てて帳簿を閉じると決断した。
ハルセリアはスカート姿のまま馬に飛び乗るとそのまま駆け、ボンボル河岸の貸し倉庫屋を数軒あたって急遽自分名義で倉庫を契約し、荷受け先をそこに変更するという偽装工作を行った。やってくる馬車には「納入場所が変わった」と告げ、渋る御者にチップを渡して借りた倉庫へ向かわせることでなんとか現場の混乱を回避することにしたのだった。
しかし突然の納品先変更は御者に取って気分の良いものではない。即座に彼らの不満が運送業ギルド経由で領主館に報告が入り、トマファの耳に入ってしまい、あっさりと全てがバレたのだった。
*
報告を受けたトマファは技官ミルドラスを伴って現場事務所に駆けつけた。普段は柔和な表情のトマファだがこの日ばかりは憮然とした表情を浮かべていたし、勝ち気な表情のハルセリアは今にも泣きだしそうな表情を浮かべていた。
「──ハルセリア君、分かる範囲で素直に答えて欲しい。どの時点でおかしいと思い、どの時点でズルを考えた?」
「あのね、実は……」
納入が始まって直ぐに違和感があったという。二ヶ月かけて総数十万個のスケジュールで各地の煉瓦商と話をまとめたにも係わらず、十日そこらで七万個の入荷があったのだ。最初は『早くに完納させたら、私の評価はうなぎ登りよね』と思っていたらしいが、十万を越えてからおかしいと思うようになり、御者から荷降ろし出来ないと言われた時には貸し倉庫屋に走り、勝手に契約してそこへ預けることにしたと白状した。
本来なら一緒に商談に出向いたクラーレに「なんか多くない?」って相談すれば良かったのだが、彼女に対する個人的感情が先走りして相談できなかった。そしてバレてはいけないという一心で偽装工作することにしたのだった。
「それよりも、どこで発注ミスが起きたか、なにが起きてるかを把握することからです。──発注書や送り状を全部出してください」
トマファは表情を変えず憮然とした表情でそう言うと、泣き出しそうな顔のハルセリアが引き出しから書類綴りを引っ張り出した。今までトマファの横で静かに話を聞いていたミルドラスが「あ」と漏らした。トマファとハルセリアの視線が彼のもとに集まる。
「ミルドラス殿、どうかしました?」
「あの、ファドゥツやヴィルフェシスの煉瓦商が出してきた"受注書"を見せてもらっても良いですか?」
「──あ、はい。これです」
ハルセリアは各所から送られてきた受注書の原紙を手渡すと、ミルドラスはあからさまに大きなため息を付いた。
「ハルセリア女史。商談してた時、商人らは『こおり』って単位を使ってませんでした?」
「え? どうだっけ……」
ハルセリアは青い顔をしていたが、顎に手を置いて首をかしげた。商談したときの事を一生懸命思い出してるようだが、如何せん時間が経ってるため首をかしげるばかりだ。
「“個”と“甲”だと、慣れないと聞き間違えるんですよ──というか、どの受注書も送り状も単位が“甲”になってます」
ミルドラスはびっくりするぐらい口下手なのだが、彼なりに一生懸命言葉を紡ぎ出して説明を続けた。その様子を黙って聞いてたトマファが「ところで『こおり』って何ですか?」と思わず尋ねる。
「この耐火煉瓦ですが、四個で紐括ってありますよね。これが”一甲”なんです。煉瓦商などの窯業ギルドがよく使います──“十万甲”なら……四十万個って意味です」
一瞬、誰も声を出せなかった。今日の昼現在の在庫数が五万甲……十五万個。あと二十五万個も届くということだ。それを聞いてトマファは両手で顔を伏せると吐き出すように言った。
「これは、純粋にコミュニケーション不足と知識不足が原因ですよ」
*
「……俺、どうすればいい?」
「町内会が持つパン焼き窯の更新に使います……?」
その日の夕方、ハルセリアの不正についてヴァルトアに報告したところ、彼も頭を抱えた。元々の見積額通りだが、ただただ大量に耐火煉瓦の在庫を抱えたのだ。
なお今回の反射炉計画ではトマファが実務責任者であり、発注単位の確認ミスはまぎれもなく彼の失態である。言わば夫婦揃ってやらかしたのだが、顔面蒼白となっている彼が必死にひねり出した苦肉の策は──町内会所有の焼き窯を更新することだった。
かつて前王朝時代には、『設置されている焼き窯に課税する』という“窯税”の制度があり、庶民たちは町内会ごとに共同の窯を建てて税負担を減らしていた。その名残で今も町内会の集会所には焼き窯があり、町会費の中から維持費を出して使い続けているのだが、近年は老朽化が進み、修繕の相談が絶えなかったのだ。本来なら領主がそれらの面倒を見る必要はないのだが、余った耐火煉瓦を提供して自主修理させるくらいなら、むしろ喜ばれるだろう。
「それより……倉庫代はどうする気だ? そのまま女史に払わせるのは感心せんぞ」
「彼女が契約した倉庫なんですが、もともとは当家名義で借りて小麦やライ麦を保管していた倉庫なんです。先月クラレンスにそれらを全部売却したため中は空っぽになっていて、倉庫屋も仕事がなく暇をしていたところでした。だから、急に借主が現れて助かったと笑ってましたよ」
キュリクス領では麦価調整や飢饉対策としてビルビディア産小麦をあちこちの倉庫に保管していたのだが、先月それら全部をクラレンスに売りつけたため倉庫は急に空っぽになってしまったのだ。そこへ耐火煉瓦の契約が決まったのだから倉庫屋も決して嫌な顔はしない。彼らにとって、誰も借りてくれない事の方が大惨事である。
「まぁ、その辺は解決してるなら俺は何も言わん。……だが、先に相談して欲しかったよな」
「えぇ、傷口の小さいうちに相談してくれたなら良かったんですが」
「だがなぁ、“個”と“甲”って罠みたいなもんじゃねぇか?」
「決裁印を押した僕にも責任はございます。今後、技術系の決裁ならミルドラス殿に助言を頂こうかと思っております」
結局、ミスを隠匿しようとしたハルセリアには厳重注意の処分が下ったという。しかしこれだけの耐火煉瓦をどうするか……である。
・作者註
“個”と“甲”
おじま屋が若かりし頃、リアルでミスった事例。
「おじまちゃん、馬刺し4ケースでって頼んだのに16ケース届いてるよ!」
と得意先から慌てた口調の肉屋担当者からの電話。
はい、発注ミスりました。賞味期限が短いモノなので返品不可、肉屋も買取拒否……。
──結局、12ケース自腹買上げしたったぜぃ。
旨かった! 馬だけになッ!




