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227話 武辺者、初雪を予測する

 領主館の食堂にある暖炉に今年初めての薪木が放り込まれた。ぱちぱちと音を立てながらゆらゆらと暖炉の火が揺れ、壁に掛かる白銀色の食器をオレンジ色に照らしていた。窓の外は鈍色の雲がゆっくりと流れ、冷たい風が木々を揺らして葉を落とす。


 その食堂の窓際に座っていたアニリィが朝食のライ麦パンをかじりながらぽつりと呟いた。


「なあ、今年の初雪はいつ来ると思う?」


 アニリィの前にイモのポタージュを置いていたプリスカは即座に手を上げる。


「私はちょうど二週間後と予想! 領主館に住み着いてる三毛猫の顔洗いがまだ秋だったからねっ!」


「何よそれ。てか猫の顔洗いに季節は関係無いでしょ!」


 プリスカの大胆予想をたまたま聞いてたロゼットが笑いながらそう言うと、テーブルに残る食器を左手に持つお盆へと一つ一つ重ねながら必死な顔をしてメモを取る幼な顔の新人メイドに片付け方を教えていた。


「去年の初雪は今頃でしたけど、まだ市場には秋野菜が安定的に並んでます。統計的にみて来週半ばあたりじゃ無いですかねぇ?」


 アニリィの向かいの席で食事を取ってたテンフィがピクルスをつまみながらメモ帳を開いて静かに言った。彼のメモ帳には去年の天気から市場相場と事細かに記録を残している。


「じゃあそろそろ、お漬物用の”お大根さん”を買っておかないとね」


 テンフィの隣に座るメイド服姿のマイリスが口に含んでいたパンを飲み込むとそう続けた。夜勤明けのマイリスは家に帰っても夫テンフィのため朝食が準備出来ないからと夫婦揃ってここで食事を取っている。


 そこへ朝食後のお茶を愉しんでたユリカが楽しそうに口を挟む。


「ふふ、じゃあ今年の『初雪日』をみんなで賭けてみない? 大きく外れた人は今度の安息日に皿洗いとか」


 アニリィはそれを聞くやにやりと笑う。


「よーし。ユリカ様、みんなてそれやりましょうよ! 賭け金は一口銅貨一枚、当たった人が総取りで!」


 それを聞いてヴァルトアがパンを千切ったまま顔を上げた。


「おいおい、そんな下らないことで賭け事するのか?」


 静かにスープを啜っていたオリゴが肩をすくめた。


「──まぁ、いつものことじゃないですか」


「……まあな。じゃ、今週末投票締切でやってみようか」


 こうして領主公認の『初雪日予測競争』が始まったのだった。


 *


 領主館の近くにある初等学校の屋根上ではテンフィとオキサミルが並んで空を見上げていた。彼らは初雪日を科学的に予測すべく温度計や気圧計、湿度計に望遠鏡まで駆使して予測することにしたようだ。


「北西の方向から雲が流れてきてるし、一時間前に比べて湿度は上がってるけど気圧は下り気味。来週頭とか意外と早くに降るんじゃないか?」


「地上ではそうでしょうけど、上空の気圧や温度が分からないと予測って立てづらいですよね」


 望遠鏡を覗き込みながらオキサミルが漏らし、風速計を見ながらメモを取るテンフィが応えた。それを聞いてロゼットは首をかしげる。


「──それならテイデ山に登って観測します?」


 夜勤明けで午後から仕事が休みの彼女は、二人の観測予報を参考にして初雪日を予想しようと彼らに着いてきたのだった。なかなかにずる賢い少女である。


「ロゼット君、ちょい見てみなさい。今のテイデ山の山頂部はすっかり雪景色になっているよ」


 オキサミルはさっきから覗き込んでた望遠鏡をロゼットに勧めると彼女もそれを覗き込んだ。霞んで見えるテイデの山頂は既に真っ白で、人を寄せ付ける気は全くなさそうであった。


「どれだけ装備を整えても冬山は危険って言いますよね」


 テンフィは気圧計をぼんやりと手に取ってからケースに収めた。「──ですが、上空の気象計測は予報を作る上では必須ですけどね……」


 実はテイデ山山頂に測候所を作ろうって話はあり、先んじてテイデ教に打診したところ『別に構わない』と言質は取れたという。しかし建設に応じてくれる業者はどこにも居なかったし、常駐させる観測員のあてもない。そもそも観測データを地上へと通信する方法がないなら天気予報を立てるもなにもないため、予算は立てられないと言われて却下されたのだった。


 遠くに見えるテイデ山を眺めてた三人だったが、望遠鏡から目を離したロゼットがぼんやりと空を仰ぎ見る。


「それなら……いっそのこと空を飛んで測るしかないですかね?」


 ロゼットの何気ない一言に二人は顔を見合わせると、同時に叫んだ。


「……それだ!」


 そして二人は観測器具をさっさと片付けるとロゼットを連れて宿舎へと駆けたのだった。そして夜勤明けなのに独身用宿舎を黙々と掃除していたマイリスを巻き込み、蝋で縫い目を固めた大きな麻袋を用意した。その麻袋の端部に縛りつけた紐で油壺を吊り下げると、その中に魔素を添加したアルコールを入れて火をつける。そして麻袋に熱風を吹き込むとみるみるうちに膨らみ、空へと浮かび上がる。


「え、……なにこれ」


 ロゼットが歓声を上げるとテンフィは自慢げに指を立てた。


「加熱した空気は密度が低下して浮力が生まれるんです。聖夜祭のランタンと原理は同じですね」


「いいなあ、空を自由に飛びたいな」とマイリスが漏らす。


「これで上空の記録も取れるな、がはは!」


 そう笑いながらオキサミルはふわりと浮き上がる気球の固定紐を切り落とした。すると気球はどんどんと空へと吸い込まれていく。……だが床には温度計と気圧計が転がったままだったし、空に飛ばした気球をどうやって回収するかの算段を決めないままに空に放ってしまったのだ。


「オッキさんて相変わらず後先考えない人だよね」


「そこが良いところなのかもしれないわよ?」


 空の彼方へと吸い込まれてゆく気球を見送りながらロゼットが漏らすと、マイリスがさりげなくフォローするのであった。



 一方、プリスカは領主館の中庭で猫たちと戯れながら観察を続けていた。


「まだ顔洗いはみんな秋モードだねぇ」


 *


 投票が締切となって数日。いつ降るかなと皆がそわそわしながら空を眺めていても雪が降る様子は見られず、むしろ徐々に暖かくなっていった。こと昼間に至っては子どもたちが上着を脱いで広場で走り回っている始末。市場では冬迎え市の準備が始まって専門の屋台が並ぶが、皆が口々に「今年は(ぬっ)かねぇ」と漏らしているという。栗やイモを焼く香りが立つ中、あちこちでリンゴパイやグリューワインが売り出される。しかしここまで暖かい日が続くと、冷えた身体を温めてくれそうなパイやワインが全然売れないと店主は嘆いていた。


 あまりにも雪が降る気配がない、空っ風すら吹かないと言って行商人ギルドは聖心教の歌い巫女を呼んで雪乞いダンスを頼んでみた。しかしどれだけ喜捨して踊ってもらっても雪は降らないし、降ってくる気配すらない。むしろ鈍色の雲すら見えなくなってしまい、夏に逆戻りしたのかというぐらいに汗ばむ日々が続く。


「あぁ~サッと雪乞いダンス~♪」


 歌い巫女の振り付けを覚えてきたプリスカが食堂で踊っては皆んなを笑わせていた。予想を立ててた殆どの者は必死になって雪乞いダンスを踊るが、結局雪は降らずに一日、また一日と過ぎてゆく。


 *


 その日の夕方ごろまではかなり暖かかったが、日が沈むとテイデ山からの風が吹いてきたことでキュリクスは途端に冷え込んできた。当直の夜哨メイドたちも「急に寒くなったよね」と言いながら白い息を弾ませて領主館内を見廻っている。


「メイド長、急に冷えましたね」


「そりゃ冬ですもの……交代まであともう少し、夜哨頑張ってね」


 オリゴは二人一組で巡回していたメイドたちに冬用外套とミトンを手渡した。それを羽織り、探索棒を片手にメイドたちは再び夜哨へと戻っていく。随分と冷えるわね、そう思いながらオリゴは廊下を歩いていると窓の外から白いものが舞い落ちてきた。


「……ようやく降ってきましたか」


 粉雪がゆっくりと舞い落ち、夜空の鐘が遠く小さく鳴り響いた。



 翌朝、キュリクスのは一面銀世界だった。雪を見た子どもたちが歓声を上げ、その日の夜勤当直メイドたちは一番鐘が鳴る前からスコップ片手に玄関先の雪を払う。


「やったー! あたしの猫占いが当たったー!」


 スコップ片手にプリスカが右手を挙げて叫んでいた。


「なんで猫の顔洗いで当てられるのよ!」


 同じく夜勤明けのアニリィは出力調整を掛けながら爆破魔法で雪を吹き飛ばしつつ叫んだ。


「うーん、観察眼?」


「アニリィ様、プリスカ、手も動かして下さいね」


 ロゼットが言うと二人は「はぁい」と気のない返事をして雪かきを続ける。初雪は湿気を多く抱え込んで降ることが多いため、積もってしまうと非常に厄介だ。初雪は思っている以上に重く、例え鍛え抜かれたメイドたちでもスコップ片手で雪かきしてれば足腕がガクガクしてしまう。キュリクス出身のメイド達は手慣れているだろうが、エラール出身の古参メイド──パルチミンやステアリンは青い顔をして雪かきに励んでいた。


「初雪日」を当てる賭けはプリスカの一人勝ちであった。しかも食堂でその話があったちょうど二週間後、つまりあの時に宣言してた通りの日に初雪が降り、しかも腰ぐらいまでどかっと積もったのだった。朝の二番鐘が鳴り響く前まで夜勤明けのメイドたちは玄関先の雪かきをと必死にこなしていた。


「雨降る前は前脚をこう使うんですけど、雪だったらこうなるんですよー」


「いや、だから違いが判んないって」


「猫って観察すると色々判りますよぉ!」


「──プリスカ、口ばっか動かさないで手も動かす!」


 再びのロゼットの声にプリスカは重い雪をスコップに乗せ、ぽいっと雪を放り投げていく。そして凍結防止剤を撒いて彼女たちの夜勤は終了だ。


 スコップ片手にヴァルトアがマントを翻して空を見上げた。


「……キュリクスの冬は、こうでなくてはな」


 同じくスコップを持つオリゴが隣で微笑んでいた。


「ヴァルトア様。張り切り過ぎると腰、やっちゃいますよ」


 白い息が空へと昇っていく。玄関前の路盤に残る冷たい雪は、陽に照らされて徐々に溶けゆくのであった。

・作者註


 なお初雪前の数日、妙に温かくなることはある。そして雪が降り始めたら気温は下がってゆくのだが、雪が降ってる最中は妙に温かく感じるのは雪国ならではの感覚かもしれない。むしろ雪降る前に雨が降ってる時がぐっと寒く感じてしまう。


 ──ちなみに余談。中の人が学生時代、北海道に住んでて体感したマイナス20度以下の世界よりも、冬場の東京都下で地下鉄から出てきた時に浴びる“からっ風”の方が冷たく寒く感じてしまうのは私だけだろうか? 冬場に関東圏へ行きたくないのは、寒いからである。北陸の雪国出身者が嫌がるほどに、関東の冬は寒い!


 あと関東の冬は乾燥ひどすぎて唇が「パカッ♡」といきそうで怖い……。

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