225話 武辺者、所領割譲を受ける・7
領主館の会議室、アニリィ率いる斥候・工兵隊が測量を終えて書き上げた地図が机の上に広げられていた。──今まで誰も作ってこなかった、テイデ山北麓一帯の地図だ。等高線や登山道が描かれてるだけでなく、給水箇所や野営好適地、それに露出してる鉱物情報まで書かれている。
ナーベルが報告書を手に取り、淡々と読み上げた。
「ピクリス卿の『所領引き渡し目録』によればこの北部山稜の人口は三十名程度。しかしアニリィ殿の報告によれば“ワイスの森”と呼ばれる一帯があり、その中心部にカルデラ壁に覆われたエルフ族の隠れ里がありました」
そう言うとナーベルはテイデ山から見て北北東の位置を指差した。その辺りには等高線が急に連なる場所、カルデラ地形が描かれている。地図を一見すればテイデ山の北峰にも見て取れるが朱文字で小さく『カルデラ』と書かれている。
「隠れ里だと?」ヴァルトアが眉を寄せた。「しかも、エルフか」
トマファが静かに頷くと膝の上に載せてた資料を地図の上に置いた、ヴェッサのエルフ三家の家系図だ。
「はい。約百年ほど前、ヴェッサから出奔したピュルガ殿とその子たちなのではとアンティム家の古老が申しておりました。エルフの寿命は人間族の約二倍弱、その古老にとってピュルガ殿とは叔父甥の関係みたいですから、ワイスの現当主たちとは従兄弟関係になるかと思います」
トマファが差し出したアンティム家の家系図によると、ピュルガ及びその妻と子の名前すべてにカッコ書きで『出奔により生死不明』と朱文字で書かれていた。そのピュルガの一家がテイデ山周辺に住み着いてて元気に生きてる事を報告すると、皆が口々に『懐かしいね』とか『あいつら元気だったんだ』と安堵の声が上がったという。彼らは大家族主義社会のため、離れ離れになっていても相手を思いやる意識は強い。中には涙ぐみながらも『また会いたいね』と漏らす長老も居たと報告書に書かれていた。
なお木こりの民らはヴェッサのエルフ達と交流があったためにアニリィが口ずさんだ歌を知っていたという。
トマファはアニリィからの報告書を開くと読み上げた。
「ワイスに住み着いている彼らエルフ族の人口は木こりの民を含めて七十三人。養蚕と織物、紙漉き、そして宝飾品加工と販売を生業としており、いずれも極めて高品質です。しかし、統一戦争の前から“偽装純金”と呼ばれる金メッキの宝飾品が流通しており、その生産拠点がこのワイスの隠れ里であることが判明しました」
トマファは懐から桐製の小箱を取り出し、机の上に置いた。金色の玉が二つ、秋の陽射しを受けて光る。ヴァルトアはそれを手に取ると目を細めた。トマファは報告書に視線を落とすとさらに続ける。
「アニリィ殿の報告では“聖霊の奇跡”だそうです。──出来はその精霊の気分次第らしく、成功すれば鑑定士でも判別がつかないのですが、失敗すれば子供でも見抜けるとか。……なおハイネ殿はメッキ法を教える代わりに拘留中の行商人ポワルへの司法取引を求めてきました」
「司法取引とは穏やかではないが、巷を騒がせていた“偽装純金”の出所が明らかになったのは大きいな」
ナーベルも金の玉を指でつまむと低く唸った。
アニリィは証拠品として持ち帰ってきたこの玉をキュリクスで宝石商を営む者たちに鑑定させたところ、何人かはメッキ品だと見抜けなかったという。水に沈めて体積を測って重さとの比率を計ったり、表面をルーペで見定めても本物の金だとプロが鑑定したぐらいに精巧な偽装品だったということだ。なお、どれだけメッキしたとしても腐食性の高い液体に漬け込むと素地が腐ってメッキが浮くという。そのため家宝として伝わる宝飾品を“酢”の中に放り込むのが最近流行っていると聞く。……中には結婚指輪を放り込んで夫婦の危機となった家もあるとか。
「今後は“メッキ品である旨は明示する”、”純金品を謳うならキュリクスの宝石商ギルドで鑑定を受けさせる”とハイネ殿から言質を取ってます。司法取引として被疑者ポワルの罪一等を減ずればワイスのエルフたちの歓心は得られると思います」
ヴァルトアはしばし考え、黙って頷いた。
「表面上の問題はこれで解決出来るのですが、実は根底の問題があるんです」
トマファは続けた。「──彼らはヴェッサのエルフと同じく、“領主”という概念を持っておりません。ですから人頭税を課すといった税の徴収は望めませんし、彼らは独自の流通手段を握ってますから流通税を取ることすら出来ません」
「ならば、どうやって統治するというのだ?」
ヴァルトアが問う。
ヴェッサとワイスのエルフたちの違いと言えば貨幣経済を理解してるか否かだろう。未だ物々交換を行い、良質な木炭と木製食器を作り続けるヴェッサの民。翻って様々な商品を市場の要望に応えながら自ら売り歩く行商というスタイルでシェーリング公国やビルビディア王国まで足を延ばすワイスのエルフ達は、貨幣経済どころか市場原理も生産者行動も経験知で体系化している。つまり同じエルフ族だからといって画一的な統治は通用しないということだ。
「彼らが作る織物や紙、宝飾品といった産品はあちこちの市場で高額取引されていますし、独自の流通まで持っている独立経済圏なんです」
それを聞いてヴァルトアは低く唸た。
「誇り高いエルフの民にこちらの言い分だけであれこれ強要したら禍根を残すよな……」
ナーベルは頭を掻いて言った。「トマファ殿、ならばどうすればいい?」
*
トマファがテイデ山南陵、ヴェッサの森を指差した。その指し示した場所はオーク事件が起きた月詠の泉周辺だ。
「彼らの帰属意識を利用するのは如何でしょうか」
その声を聞いて会議室内が静まり返る。ヴァルトアは顎髭をさすりながら「続けたまえ」と言う。
「──ワイスのエルフ族もテイデ教徒ですので、彼らにとっても月詠の泉は聖地です。ですが出奔した手前、聖地への巡礼をお願いしたくても合わせる顔が無いと言っておりました。……それならアニリィ殿に彼らを仲介させてみては?」
アニリィにはヴェッサの代官としてテイデ南陵でのあらゆる決定権を与えているし、意外な話だが彼女は非常に上手く統治している。特にオーク事件での彼女の活躍は従属度を跳ね上げさせるには充分だったろう。それならワイスのエルフ族の長年の願いを叶えてやる橋渡しをすれば恩義を感じるだろうとトマファは説く。
「──あともう一つ。ワイスのエルフ族に留学の許可証を出すのは如何でしょう?」
「はぁ?」「ほう……?」
会議室の空気がすっと緩む。するとトマファは静かに続けた。
「彼らは市場に適った商売を続けておりますが、経済や経営に関する専門教育を受けた者は誰一人おりません。──今のところ彼らは成功を続けてますが、今後それを継続させるのは困難かと思いますよ」
「つまり、彼らは『経験知・経験則』で運用してるものを言語的に体系化させる機会をぶら下げる、と?」
「左様でございます、ナーベル様。今は七十名程度の規模だからなんとかやっていけてますが、これが百名を超えてくると組織としての運用が一気に難しくなります。市場変動への対応やリスク管理といった、経済や経営、それに財務を専門的に扱える者が必要となる時期が来るはずです」
個人商店レベルでの商売なら帳場を仕切れる番頭が一人居れば、経営はなんとか回してゆけるだろう。しかし、組織として経営していくとなれば経験則は却って足枷になってしまう。しかも規模が大きくなればなるほど組織運用にも専門知識は絶対的に必要となるし、そもそも多額の資金が必要になってくる。つまるところ、大きな目標を達成するための具体的な短期的、中期的な行動計画や方策を定めていかなければまとまるものもまとまらないようなものだ。
「ということはトマファ殿、連中らをルツェル公国の経済高等学院へ入れるのか?」
「いえ、彼らは初等教育すらまともに受けてませんので、留学させても苦労させるだけです。それならこちらも大きな目標に対して一歩進める必要があるかと──キュリクス高等学院の設立に向けて」
*
ヴァルトアがゆっくり立ち上がる。窓の外には建設中の城壁が橙色に照らされる。
「まずはポワルへの司法取引に応じるとハイネ殿と奴の弁護士に伝えろ。それから先は──適切な裁判を行った上で決めるものとする」
それを聞いてナーベルとトマファが深く頭を下げた。
「──御意」
「それにしても一ついいか?」
「どうかなさいましたか、父上」
ナーベルが静かに訊くとヴァルトアはすっかり冷え切ったお茶を一口飲むと、しみじみと吐き出したのであった。
「お前ら、もう少し判りやすい言葉で話してくれ。生産者行動とかストラテジーとかわけのわからん言葉を使うな!」
「そうよ、私なんて頭の中で何回、『なるほど、わからん!』って呟いたやら!」
ヴァルトアの言葉を聞いてユリカも苦笑いを浮かべるのであった。
・作者註
生産者行動とは『利潤の最大化』を目的として『労働、資本、土地』などの生産要素を投入し、『需要に応じた商品を生み出す』企業や個人の活動を指す。詳しくはジョセフ.E.スティグリッツの『ミクロ経済学』を読むのをお勧めする。──あなたの身の回りで経済学部や経営学部卒のひとが居るなら質問攻めにするときっと涙目になって喜んでくれるはずだ(笑)




