220話 武辺者、所領割譲を受ける・2
「領地を富ませる方法? 俺が知りたいわ!」
プロピレン領から戻ってきたヴァルトアは文武官を集めて臨時評定を始めた。会議室に集ったのは文官長トマファを筆頭にナーベル、そしてクラーレ。武官アニリィとウタリ、傍らにはユリカが腕を組んで立ち、ゾエが書記として部屋の隅にて議事録を取る。
「テイデ山の北部……?」とナーベルが眉を寄せる。「トマファ殿、何か判るか?」
「資料を見る限り情報が少なすぎます、ですから実地調査してみないことには何とも」
所領引き渡し目録を読む限りピクリスは長年領地の調査をろくすっぽしていないようだ。テイデ山北部山稜にある村の最新情報は十年ぐらい前、ツクモ湾の漁村に関する記録も五年以上も前から更新されていない。付属の地図も粗雑だし山道記録や漁獲記録なんかは曖昧そのものであった。人頭税徴収として毎年同じ額の税収計上はされているようだが、二十年近くも人口増減しないというのも変な話である。
もし仮にテイデ山稜から鉱物資源が採掘されたとしても資材搬入や荷馬車路、鉱山夫の街といったインフラ整備のため莫大な費用が掛かってしまう。金銀がざくざく取れるとなれば話は別だろうが、つまりどれだけ開発に力を注いでも採算性が取れないと見限ったようである。本来、領主が土地を取られるなんてはらわたが煮えくり返るほど腹立たしい事だが、あれだけの領地を取られてもふてぶてしい態度と口ぶりを崩さなかったのは開発に向いてない土地を処分出来て清々してたのかもしれない。
「では誰を実地調査に出そうか」
ヴァルトアの言葉に被せるように、アニリィが勢いよく手を挙げた。
「はいはーい! 私、テイデ山の調査してくる!」
その元気な声に一同が驚きと安堵の入り混じった視線を送った。彼女はテイデ山南部に広がるヴェッサの森の代官であり、その管理を一任されている。そんな彼女が名乗りを上げてくれたおかげで、ヴァルトアは肩をすくめながらも頷いた。
「よし、ならば明後日にでも工兵隊と斥候隊を選抜して木こりの集落への調査へ入ってくれ」
「了解っ!」とアニリィが敬礼する。
「クラーレ、お前はミトゥと共にピクリス領の財務と租税台帳をもう少し詳しく洗ってくれ。帳簿が残ってなくても銀行取引でピクリス殿の収支を分析できるはずだ」
「承知しました、帳簿は王立公文書館に問い合わせれば大丈夫だと思いますので、ひと洗いしてみます」
「こちらもプロピレン領の金の動き、出来る限り漁っておきますよ」
「ウタリは補給路の確認を頼む、アニリィの隊が動くなら補給線をきっちり確保せねばならん」
「了解です。ついでに街道と橋梁の状態についても測量や簡易修繕をやらせます」
すると会議の端で黙って聞いていたユリカが、ふと不敵な笑みを浮かべて言った。
「ツクモ湾の調査、私がやろうかしら?」
「母さんが行くの?」とブリスケットが目を丸くする。
「たまには仕事しないとね」とユリカがにやりと笑った。
ヴァルトアはハンカチを取り出すと汗ばむ額を軽く拭い、妻であるユリカを静かに見やると一つ溜息をついて言った。
「ユリカ、もし行くなら護衛として誰かを必ず連れて行ってくれ」
「あらヴァルちゃん、心配してくれてるの? ──それならエルザを連れて行ってもいい?」
エルザとはスルホンの妻だ。かの統一戦争の時は“女傑姉妹”として前線では一世を風靡したコンビでもある。ちなみにだがユリカとエルザは古くからの友人なだけで血縁は無い。
「別に構わんが……問題だけは起こすなよ?」
「判ってるわ」
こうしてヴィンターガルテン家による“新領地調査”が始まることとなった。
外では風が鳴り、遠くに見えるテイデ山の稜線に薄い霧がつぅと流れていた。まるで新たな物語の幕開けを告げるかのようでもあった。
*
アニリィ率いる斥候と工兵で選抜された小隊はヴィルフェシスへと続く北街道を進み、途中から切り立った岩の細道へと入っていく。街道沿いの村で情報収集した際、「あの村は馬では行けん」と警告されたため、荷馬車を置いてきたのは正解だったようだ。
カサグ川に沿ってテイデ山へと登る道はまさに険道で、まるで神が人を試すために造ったかのようであった。眼下には白濁した奔流が轟々と唸り、道は川の真上に張り付くように続いている。というのもこの険道は、修験者が登るため整備されてきた登山道だ。人の肩幅ほどしかない狭い道幅で片側は垂直の岩壁、もう片側は川面まで百尺もの落差がある切れ落ちた谷だ。下手にのぞき込んだら吸い込まれそうな気分になるだろう。丸太を荒縄で縛り付けただけの足場が断崖に貼り付けてある場所もあり、道なき道を踏み超えるたびに小石がカサグ川へと落ちていく。岩々に叩きつけるその川の唸りが絶え間なく耳を打ち、圧倒的な自然の力の前に人間はいかに無力であるかを思い知らされる。足を踏み外せば無事では済まない道が続くため、こまめに休憩を取り、集中力を切らさぬよう一歩一歩を確かめながら進むしかなかった。
「アニリィ殿ぉ、これ、本当に道ですか」
休憩中、携行食をかじっていた工兵の一人がぼそりと呟いた。それを聞いてアニリィは笑い飛ばす。
「そりゃ霊山への道だもん、楽に登られたらテイデの神様へのありがたみが減っちゃうんじゃない?」
彼女の視線の先には雲を突くようにそびえる峰、テイデ山がある。プロピレン領では“月夜に照らされし霊峰”と呼ばれ、かつては修験者が夜通しかけて登ったとされる信仰の山だ。キュリクス領でも信仰の対象であり、麓のコーラル村やヴェッサのエルフたちは”月詠の霊峰”と称えられている。
「神様へのありがたさの前に、谷底へ落ちたら神様の元へ行っちゃいません?」
別の工兵がぼやくとアニリィは「信仰心があれば大丈夫、──知らんけど」と真顔で言うもんだから隊は笑いに包まれた。険しい行軍だがアニリィの声には皆を元気づける不思議な明るさがある。
緊張を強いる断崖絶壁の切通しを抜けた先にブナの原生林へと入ってゆく。誰かが手入れをしてるのか、下草は綺麗に刈られてるのかここらへんからは登山道が整備されている。時折鉄鎖を手繰って昇り降りする道はあるものの先程の道と比べれば気が楽だ。
やがてブナ林の中に丸太小屋がいくつも目に入る、どうやらここがテイデ北陵の木こりの集落だ。雪の重みから家を守るためなのか屋根は高く大きい造りとなっているし、その軒下には根菜が荒縄で縛って吊ってある。炭の焼ける匂いと斧と槌の音が小さく響き、まるでヴェッサのエルフの集落のようであった。アニリィらの姿を見つけた村人たちは、警戒したかのように作業の手を止める。
「私はヴィンターガルテン伯家の武官アニリィと申す、村長さんに挨拶がしたい」
彼女が大声で名乗ると背を丸めた白髪の老人が杖をつき、ゆっくりと近づいてきた。髪も髭も長くのばされているが、どれも丁寧に梳かれ整えられており、長く伸びた眉まで整然としている。貧しい土地と聞いていたし、粗末な服の上に鹿の子斑の獣革ベストを身に着けているが、その小綺麗さはむしろ不自然なほどであった
「……ほぉ。たしかこの村の領主様はケトプロン伯様だったと思ったのだが、他領のご使者様とはご足労なことですな」
「いえいえ、新領地の挨拶まわりでしてね」
アニリィは笑顔を浮かべてそう言うと、村長は「なんと」と言って驚きの声を上げた。しかし長く伸びた眉や髭のせいで表情を察することが出来ないが。どうやらこの村に領主交代の報は届いていないらしく、アニリィは事のあらましを簡単に説明すると静かに聞いていた村長は「ふむ」と言って顎髭を手繰っただけだった。
村長の周りに立つ村人たちの表情はアニリィの背後に並ぶ十数人の兵たちのせいで、警戒しているのかどれも強張って見えた。
「昔はこの村もテイデ信仰の修験者で潤ったとは聞いてますが今ではこの通り、すっかり寂れてしまいましてな。若い者は皆ふもとへ下りてしまい、炭焼きとほんの少しの豹目石くらいしか取り柄が無い村でございます」
村長の言葉に「豹目石?」とジュリアが目を輝かせた。
「パウラ先輩、豹目石ってこれですよ」
ジュリアが小声で言うと、隣に立つパウラに左耳の黄色い石が付いたピアスを指差した。豹目石とはテイデ山北部で採れる黄金色の半貴石で、身に付けていると厄災除けになると信じられている。普段は赤や水色の石を付けたピアスをしているジュリアだが、危険な課業の時はこの豹目石のを付けている。
「だけど村長、豹目石がどれだけ採れても村人らの麦を買ったら利益にはならんだろう? 歩荷を雇って持ってきて貰うにも金は掛かるだろうし」
「左様です。ですが我々にはこの地を守る使命がありますから、里に降りるって考えはござりませぬ」
「守る使命──ねぇ。ところで村長、あのさぁ」
アニリィは村の隅への野営の許可を願い出た。新領地の調査、測量をするための拠点として使わせてほしいと申し出たのだ。
「火の始末さえしていただければ構いませんが……ですが我らは何もお構いできませぬぞ」
村長が申し訳なさそうに応えた瞬間、彼女の唇がゆるむ。
「それなら村長──飲みましょう!」
瞬間、隊員たちは一斉にリュックを降ろすと火酒、ワイン、干し肉、チーズと引っ張り出した。
「えっ、お主たち、こんな山奥にわざわざ酒を持って来たってのか……?」
兵たちが背負っていた大きなリュックの中身が酒や肴だったのだから村長だけでなく村人までもが目を丸くした。
「祭りでもないのに酒をふるまってくれるのか?」
「飲んだら税金が上がるとか……?」
集まってきた村人たちは、どこか怯えたように心配事を口にした。いつもは年に一度やってくる徴税官があまりにも横柄で、村人から人頭税だとなけなしの財を搾り取っていったらしい。そのくせどれだけ嘆願しても道の補修や井戸掘削は聞き入れられなかったのだ。それゆえ領主という存在に抱くのは期待ではなく恐れと諦めだった。ましてや今回やってきた新領主の使者は兵を伴っているのだから、不安の色を隠せぬのも無理はない。
「心配ご無用!」
アニリィは朗々と宣言した。「これは我が領主様からの心付けだ。今日は領主変更の祝いとして乾杯しようじゃないか!」
その言葉に、誰からともなく笑いが漏れる。やがて日が暮れてきた頃には村人も輪の中へ入り、久しぶりの酒にありつくのだった。焚かれた炎が揺れ、笑い声と酒の香りが夜の村を包むのだった。
*
やがて村人らも酒が回り、この地の歌と踊りを披露する。それを見てアニリィが杯を持ち上げた。
「飲み足りない奴、手を挙げろー!」
「はーい!」と斥候や村人たちが声を上げる。最初こそ互いに遠慮がちだったが、焚き火の熱と酒の勢い、そして斥候たちの手際のよい調理で空気は一変した。どの村でも祭りの席では男が騒ぎ、女が世話に追われるものだが、この夜ばかりは“一味”違っていた。斥候隊は潜入訓練の一環として料理技術を磨いており、敵地でどんなものを食べても生き抜くための工夫を心得ていた。彼らは村の女たちに代わって鍋を振り、香草と香辛料の入った温かい煮込みを次々と配ったのだ。しかも斥候・工兵隊で定番になりつつある“ネリスの香辛料”が村人たちの舌に合ったのか、いつの間にか笑い声が絶えず響くようになり、警戒心で固まっていた村人と兵たちの間に、自然な親近感が芽生えていたという。
「じゃあ、先ほどはこの地の民謡を聴かせてもらったからお礼として、私の知ってるの森の民謡を歌おうかしら」
村長の横で楽しそうに呑んでたアニリィがそう言うと急に立ち上がった。真ん中の焚火がぱちぱちはぜる音だけが響く中、彼女の柔らかい声が夜空一杯に響く。
テイデに寄り添う秋の月よ
このままずっと輝き続けてくれ
私を置いて去って行った彼の上でも
ずっと輝いていてくれ
月がテイデに寄り添うならば
お互い同じ月を愛でてるはずだ
この絆はつながっているからね
歌詞はカルトゥリ語のため兵たちには聞き馴染みが無いが、村人たちは手拍子を打ちながらもアニリィと同じように唇を動かしていた。彼女の歌声が山に溶け、風が止まったかのようだった。
『……その歌、どうして知っておる?』
歌い終わってすぐ、ジュリアからお酌をしてもらっては鼻の下を伸ばしてた村の老人がぽつりとカルトゥリ語で訊いた。
『テイデの南側に住むヴェッサの森の民から教えてもらってたんです』
アニリィは自分がヴェッサの森の代官をやってる事、そこに古くから住みつくエルフ達とは活発に交流してる事を話したのだ。
『なら訊いたことあるか? このワイスの森にも“耳長族”が住むということを?』
村長が続けて訊くとアニリィは村長の手に持つゴブレットにワインを注ぎながら言った。
『えぇ、それは父ポルフォから聞きましたよ』
『──なんだお前、“シュヴァル”のポルフィリ家の者なのか!?』
村長が驚いた声を上げた。先ほどから眉や髭のせいで表情が読み取れない男だが、この時ばかりは相当に驚いた表情を浮かべてたのが読み取れた。
『ここから先はけっこう真面目な話になりますんで、また明日にでもシラフで話しませんかねぇ?』
アニリィがにやりと笑いながら言うと、村長は髭を手繰りながら「うむ」と応えるのだった。今の今までアニリィや村長らはカルトゥリ語で話してたから兵たちは何の話をしているかサッパリ理解できていなかったが。
「せっかくの酒宴だから……パウラっち、一つ楽しい舞を見せてくれるか?」
「──御意」
村長と同じく長く伸びた眉と髭の老人に酌をしていたパウラが静かに立ち上がる。裸足になって焚き火の周りを舞いはじめると、炎に照らされたその姿がひときわ大きく映えた。彼女は新都エラールでも指折りの踊り子として知られていたが、背丈は一ヒロ近いため、舞うたびに圧倒的な迫力があった。大柄な体からは想像もつかぬほどしなやかな動きで、村人たちは息を呑み、兵たちさえも言葉を失ってしまう。指先の一つ、足さばきの一歩ごとに、場の全てを魅了していったのだった。
笑い声、火の粉、酒と肉を焼く香り。その騒ぎの中、夜空の月がテイデ山頂を明るく照らしているのだった。




