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22話 武辺者の妻、果たし状をもらう

 領主館の執務室には、かすかに漂う甘い香りが広がる。

 先日、キュリクス南のロバスティア王国から行商人がキャラバンを組んでやってきた。その行商人の一人が熱心に勧めてきた香木の匂いが部屋中に漂う。半ば強引な売り込みだったがふと気になって試してみたのだが、ただこの香りを嗅いでいると、いつもより思考がクリアになるようなそんな気がするのだ。


 思考がクリアになる? これ、本当に大丈夫なものなのか?


 念のため錬金術ギルドに成分検査を依頼したところ、『ごくありふれた抹香』という拍子抜けな結果だったのだが。過去に某大国が別の大国との貿易赤字を解消するために『いけないおクスリ』を密貿易してたって話もあったからな。用心は肝心だと思う。



「おはようございます、ヴァルトア様! お便りでございます!」


 そう言って執務室の扉を勢いよく開け放ったのは、今日の昼番を務めるメイド、プリスカだ。元気いっぱい、笑顔満開。猫のように素早しっこい彼女のことを、俺は内心『ご機嫌な猫メイド』と呼んでいる。――決して、名前をど忘れしたわけではない、ないのだ。


 彼女は、書類や手紙の入った籠から一つずつ出すと、きちんと整えて私の机に並べていく。――思えば、以前は籠ごとひっくり返して「はい、全部置きました!」とか言ってたな。あの頃を思うと――うん、成長した。とても、成長した。


「それでは、何かありましたら鈴で呼んでくださいませ!」


 一礼して、くるりと踵を返す。ここも完璧な所作だった。



 そんな時、窓の外の中庭から女声が。


「プリスカぁー、あなたちょっといらっしゃい!」

「はいッ! マイリス様、今すぐ参ります! ――ヴァルトア様、では失礼します!」


 プリスカは手順通りカーテシをひとつ、見事なまでに優雅に。そしてそのまま執務机を軽やかに――蹴り飛ばし、窓から飛び降りた。


 二階だぞ、ここ!


 机の上に置かれたトマファ発出の書類の表紙には、靴裏の足跡がくっきりと。もう一回言おう、二階だぞ。思わず椅子から立ち上がり、窓の外を覗く。すると――


「プリスカ! 洗濯物はちゃんと皺を伸ばして干す! なんですか、このしわっしわの肌着は!」


 中庭の物干し場で、物静かな副隊長マイリスが、珍しく声を荒げていた。

 一方、怒られている当のプリスカはどこかしら遠い目で空を見上げながら、ぽつり。


「ええー? だってそれ、ヴァルトア様のぱんつでしょ? 私、頑張って干したんですよぉ?」

「それなら、あともう少しだけ頑張りなさい!」

「でも、臭そうだし」

「我慢なさい!」


 ――今日いちばん凹んだ。

 俺は何も言わず、机に戻る。そして引き出しから小箱を取り出して香炉に抹香を一つかみ、無言で放り込む。ささやかな慰めとともに、白い煙が静かに立ち上る。


 ――バルサンですか? と、後に執務室を訪れたオリゴに言われたが。


 * * *


 お昼前、ひとつ深く息をついて、俺は一通の封筒を手に、ユリカの部屋の扉をノックした。


「ユリカ、ちょっといいか?」


 扉の向こうから「どうぞ」の声がして、そっと入る。

 室内では、陽の差し込む窓辺でユリカが新聞を読んでいた。普段の軍装ではなく、珍しくドレープのある部屋着姿。だが座り方はやっぱり背筋が一直線、完全に軍隊仕込みである。


 俺は手にした封筒をちらっと持ち上げる。


「どうしたの、息子たちから手紙?」

「まさか――招待状だ。キュリクス商工ギルド婦人会からの」


 新聞から顔を上げたユリカの眉が、ぴくりと跳ねた。

 無言のまま、数秒。その眉が、次第に『眉間の皺だけで圧をかけてくる』モードに切り替わっていくのが、手に取るように分かる。


「……あれですか。午後のお茶会とか、刺繍会とか、嫁の品格チェック大会とか、ついでに“うちの息子はエラールで文官を~”とか聞かされるやつですか?」

「うむ。まあ、そういうやつだな」


 できるだけにこやかに答えたつもりだが、きっと今の俺の顔は“完全に他人事モード”だったと思う。

 それに気づいたのか、ユリカはじとっとした目を寄越してきた。


「あなた、こういう時だけ本当に都合よく『俺は武人だからそういうの分からん』って顔するのよね」


「いやいや、そんなことは――いやまあ、否定はしないけども」


 俺はそっと咳払いし、封筒を差し出した。


「ただ、君の笑顔がそこにあるだけで、場は和むと思うんだ。きっと、皆と長閑な昼下がりを楽しめる」

「ねぇ、それ本気で言ってる?」

「あぁ、本気だ。俺は知ってるぞ。――君が笑顔で刺繍針を握ってる姿が、一番こわ――もとい、美しいってことを」

「今、『怖い』って言いかけたわよね?」


 鋭い、ほんと鋭い。俺はちょっとだけ視線を逸らす。

 ユリカは手を伸ばし、封筒を受け取った。ちらりと差出人の筆跡を見ただけで、ふうっとため息をつく。


「どうせ断れないんでしょ?」

「うん。えっと、いや、そのぉ。――君に任せるよ。信頼してるからこそ、だよ?」

「そう言って任されたものの九割が厄介事なのは何故なのか、次の軍議で議題にしていい?」

「ちょ、やめて。なんかスルホンやオリゴから本当に怒られそうだからやめて」


 俺はそそくさと退散するふりをしつつ、心の中で手を合わせた。

(ユリカ、あとは頼んだぞ――)


 * * *


 その日の午後、私はそっと領主館の裏口を抜け出していた。

 目指す先は、旧友にして戦友、エルザの家――という名の、『昼間は美味しいご飯と本音を吐きだせる避難所』へ! 通用口を抜け、中庭を突っ切る石畳を進みながら私は眉間を押さえた。


『ああ。キュリクスに赴任したらこんなお付き合いは無いと思ってたのに! ここでも婦人会のご招待だなんて!』


 首筋がむずがゆい。そして肩に違和感が走る。

 刺繍? 紅茶? マウント会話? そして意外と重いあのカツラ!

 そういうのは貴族マナーの専門家に任せておいてほしい。もしくは代打を希望したい! 代打、ヒコノー! 

 私は、領地の安全と飯のうまさ、お風呂の心地よさ、そして夫と家族の平穏のために生きてるのに!

 ようやくエルザの家に着くと、玄関からパンの焼けるいい香りが漂ってきた。

 ベルを鳴らすと、数秒後にふわりとドアが開き、ふわふわエプロン姿のエルザが現れた。


「ユリカじゃない! ちょうど今、昼のパンを焼いてたところ。入って入って、バターと蜂蜜あるわよ」

「エルザ、あなたは天使に見える。――え、それに蜂蜜ですって!」

「そうそう、臨時文官のオキサミルさんが趣味で養蜂を始めて少しおすそ分けして頂いたのよ?」

「それに焼き立てパン!? エルザ、まじ天使」

「なによ泣かないでよ、そんなことで。――てか、何かあったのね。はよ入りぃ? お茶も出すから」


 その一言で、ユリカはため息を三つほどまとめて吐き出し、甘いパンの香りを吸い込んだ。



 エルザの家、――ようは武官長スルホンとの愛の巣だ。部屋の中はいつも掃除が行き届いており、整然としていた。ゴミ溜めのような部屋に住むアニリィとは対極である。だが武官長の家だ、壁にはエルザ用のブロードソードと短剣、そしてスルホンが暇つぶしに拵えたレティセラが壁に掛けられている。なお厳つい顔をしたスルホンだが、実は趣味が刺繍。


「んで、どうしたのよ?」

「……婦人会。招待状が来たのよ、婦人会から」

「あらまぁ」

「エルザも判るでしょ? 午後の紅茶と刺繍と息子自慢、ついでに姑の愚痴と香水とエゴと嫉妬とライアーゲームの坩堝……!」

「形容がエグすぎて笑えない」

「私、あの場で笑顔を保てる気がしないの。だって『刺繍はお得意ですの?』って聞かれたら、『戦場では人の傷口を縫ってました』って応えるもの」


 エルザはクスッと笑いながら、カップに紅茶を注ぎ、ユリカの前に差し出した。


「実際に縫ってたわよね、夫スルホンちゃんの二の腕とか――それなら、あたし、一緒に行ってあげよっか」

「えっ?」

「誰か一人でも味方がいれば、絶望的な戦でも活路を見出せるものよ!」

「――心強いけどさ、あなたって、そういう場の経験あるのかしら?」

「任せなさい。あなたよりかは『おほほほ』と言い慣れてるわよ?」


 ユリカは思わず笑ってしまった。


「本当に、助かる」

「うちの旦那も言ってたわ。“ユリカと私が並んだら戦争が始まる”って」

「始める気はないけど、やる気にはなってきたわ」


 二人のカップが小さく触れ合う。

 ――キュリクス商工婦人会。

 そこは確かに戦場だが、

 この二人が揃えば、もはや連隊。


「てかエルザ、いつ『オホホホ』と言ってるのよ」

「悪役令嬢の練習?」



 なおその婦人会の日は非番だったオリゴを護衛兼メイドとして連行、――もとい随行させることとなり、ヴァルトア領のほぼ全戦力が婦人会へ出ることになった。なおオリゴはものすごく嫌そうな顔を浮かべていたが、ユリカもエルザも気にしない。


 なおアニリィは先のやらかしが累積して現在、出勤停止中である。


 * * *


 キュリクス中心街にある商工ギルド本館。

 その二階応接室では、上品な香りと笑みが交差していた。絨毯、香炉、彩り豊かな陶磁器で飾られた円卓。

 ここでの主役は私ではない。商工ギルドに連なる大店の奥方様である。あらかじめオリゴが出席者の素性を調査して報告書にまとめてくれたので、会話の中で腹の探り合いをしなくて良いのは助かったと思っている。



「まぁエルザ様。こちら本日ご用意いたしましたのは、特製ローズミントティーでございますの」


 そう声をかけたのは、婦人会の中心人物であり幹事のイリナ夫人。輸入雑貨店『金茶屋』の女主人であり、上品さや気品の演出には余念がない人物である。今もテーブルに並ぶ紅茶食器は、彼女が持ち込んだ自慢のコレクション。真っ白でくすみ一つないティーセットが並ぶが、テーブルクロスが何故かサイケ柄。何かがキマッてるのかと勘違いしそうである、てかその『特製』ってどういう意味だろうか。


「なんて素敵な香り。さすがイリナ夫人のお取り寄せは格が違いますわ」

「そしてエラールで流行りの白肌のティーセット! 素敵だわ」


 エラールの流行に敏感なつもりだろうが、私にとっては見慣れた品で新鮮味はない。むしろ野苺柄や花模様の方が、心が和むというものだ。そしてテーブルクロスについては誰もツッコまないの? 目がちかちかしてくるんだけど。


 そんなことを考えている私を余所に、取り澄ました微笑が交差する。そんな中、会話の主導権を奪おうとぐいぐい割り込んでくるのが穀物卸『金穂屋』のフラウ夫人である。「おほほほ」と笑いながら、やたらと話を引っ張り回す田舎出身の成金系マダムだ。まともに相手するだけの労力が惜しい人種だ。



「そういえば今度、領主様の肝入りで学校ができるんですってね? 魔法科は設けるのかしら?」


 そう問いかけたのは装飾・宝飾品店のナディン夫人。オリゴの報告書にも「地方都市の魔法学校出身」と書かれており、一口噛みたいのか私に切り出してきた。そして私が何も応えていないのにあれやこれやと魔法術式学について早口で捲し立てる。あ、こういう方ってどこにでもいるのね。お茶会って席で専門用語を口にしているが、内容がやや古くて偏っている。



 そんな中、定食屋『麦の月』のサーシャ夫人がティーカップをソーサーに置いた瞬間、かちゃりと音が響く。


「あら、ごめんなさい!」

「ちょっとサーシャ様ぁ? せっかくのエラールウッドの食器ですのよ!」


 イリナ夫人の声が鋭く飛ぶ。おいおい、気品とは?

 しゅんとした顔を見せるサーシャ夫人、ちなみに『麦の月』のクッキーは隊員らの携行食で人気だとか。



「あらぁ、イリナ様って食器と同じでお高くとまってて怖いです〜。ねぇ?」


 染物商『七彩屋』のヴェルナ夫人がぽろりと無邪気に“地雷”を落とす。空気がぴしりと張り詰める音がした気がした。ちなみに本人に悪気はない、天然らしい。とはいえこちらにむかって同意を求めないでほしい。


「おほほ」「おほほほほ」


 夫人たちが扇子で口元を隠しながら、乾いた笑いを交わす。

 紅茶を手にした私は、オリゴと視線を合わせる。

『もはや戦場ね』と視線で問いかければ、オリゴは片眉をぴくりと上げて、腹の位置で組んだ手指がぱたぱたと動く。

『撤退しますか? 殿(しんがり)は嫌ですよ?』、と。――なるほど。私は口角だけで返事をした。


 言葉を交わさずとも、私たちには意思疎通が出来る。

(まるで潜伏する反体制派に夜襲を仕掛ける時みたいね)


 完璧な笑顔の裏で私の内心は警戒心に満ちていた。



 一方のエルザはというと、テーブルに肘をつきながら、心底退屈そうにぽつりと漏らす。


「普通のお茶が欲しいかな」

 その一言に、サーシャ夫人がぱあっと笑顔を浮かべた。

「判るぅ。私、庶民出だから、そっちの方が落ち着くわぁ」

 ……私も同感。



 貴婦人たちの会話は、刺繍、紅茶、子どもの成績、夫の功績……。

 だがその実態は、まるで前線の斥候部隊が互いの意図を探り合う、神経戦であった。

 私は心の中で、一言だけ、強く念じていた。


(はやく終わんないかな)


 * * *


 そんな事を考えていた私に突然の質問が飛んでくる。


「ユリカ様はお裁縫の腕前も確かだと伺いましたわ。どのようなものを?」

「え!? あ、針? 刺し貫くような握りが得意です!」

「――えっ?」

 一瞬、紅茶を持つ婦人たちの手が止まった。カップとソーサーがかすかに触れ合う音が、静けさに紛れて鳴る。突然の質問を咄嗟に応えたらトンデモな回答してしまったらしい。


「お裁縫……の話でございますわよね?」とフラウ夫人が声をひそめて確認する。


 私はあくまで涼しい表情で頷いた。 「ええ、布を貫く時の力加減と角度、それに手首の返しが大切で。訓練で覚えたことが、そのまま活きるんです。オホホホ」


 意味を悟った一同が、さらに微妙な顔をする中――エルザがさっとカップを置き、微笑みと共に話題を切り替えた。


「おほほほ。――そういえばユリカ様、一昨日、ゴブリンと一騎討ちしたって話はよろしくて? 三匹を短剣でって武勇伝」


「短剣……!? ゴブリンと!? 三匹!?」


 ある婦人の手が震えて、ティースプーンがカチャリと鳴る。


「え、えぇ。そろそろ良い季節ですから兎でも狩りに西の森に入ったらばったり遭遇戦、おほほほ!」

「か、狩りですの?」

「なんて野蛮な」

「――うんうん、野兎はおいしいですもんねぇ」


「え、サーシャ夫人は野兎がお好きですの?」と私は思わず訊き返す。

「えぇ! もし多く採れたならおすそ分けを希望致しますわ、おほほほ」


 ちなみに飼い兎はラパン、野兎はリエーブル。それぐらい知識は貴族のたしなみですわ。


「おほほ」「おほほほほほ!」



「そ、そういえば、最近領主館の『女勇者様』がご活躍だとか?」


 突然、ヴェルナ夫人が話題を投下する。この町で『女勇者様』といえば、アニリィをおいて他はいない。


「酔いどれ勇者様ですわね」

「ホブゴブリンを短剣で一突きは、吟遊詩人が最近歌ってますわよね」

「酔って騒動起こす女勇者様には相手が居ないのかしら。――女の幸せは結婚なのに」


 おい、最後のセリフ。余計なお世話だろ!

 思わず叫びそうになった。


 どうしてお茶会では、妙齢の女性に『結婚』という言葉をぶつけたがるのだろう?

 独り身が羨ましいのか、それとも、自由そうに見えるから妬ましいのか。

 それとも、自分が思い描く枠に収まってくれないと落ち着かない、そんな“固定観念”の奴隷なのか?

 私は昔、戦場でしか生きられない女だった。結婚なんて想像もしなかった。

 けれど、夫ヴァルトアと出会って変わった。愛があったから結ばれた。

 結婚は“幸せのゴール”じゃない。人生の一里塚だ。ただの通過点でしかない。


「おほほ!」「おほほほほほ!」



「ところで、もしこのキュリクスが戦争になったら私たちの安全はどうなるのでしょう」

「領主館の皆様、きちんと対応してくださるのでしょうか」


 誰かからの問いかけに、柔らかく、だが逃げ場のない視線が私を取り囲む。

 だが、私は動じない。


「――それでは、この前入ったばかりの新兵たちの訓練をご覧になりますか?」

 場に沈黙が走る。「まぁ?」「視察ですの?」

 私は楽しげにカップを置いた。


「視察だけじゃ物足りないでしょうから……体験入隊なさってみます?」


 私の目論見では『そんな事、出来ませんわ』と皆が言いだして、さぁ解散、お茶会終了――の予定だった。  そのとき、そっと近寄ったのはオリゴだった。


「本日午後の訓練もメリーナ姉さんが担当です。――“全身どころか胃袋まで汗をかく”と評判の訓練ですから、御婦人方のダイエットには最適ですよ」


 にやりと笑みを浮かべるオリゴを見て、夫人たちは生唾を飲む音が響いた。

 優雅なお茶会は、ここから第二回戦へと突入する。



     ★ ★ ★



 午後の訓練場――。

 砂と汗と怒号が交差するその場所に、普段は見かけない服装のご婦人方が並んでいる。

 立ち並ぶのは、先ほどまでティーカップ片手に「女の幸せ」と大層な事を語っていた奥様方。だが今、彼女たちは体験入隊という名の『地獄の午後ティー』に参加する羽目となっている。もし彼女たちが女学生なら放課後ティータイムと形容すべきか。

 奥様方はというと、きょろきょろと辺りを見回しながら、思い思いの感想を漏らしていた。


「まぁ、あれってポリーナちゃんじゃない?」

「うわぁ、すごい土の匂い」

「これ、本当に体験するんですの?」

「泥でドレスが汚れたらどうしましょう……」


 そして、訓練生を引き連れて現れたのが――今日の訓練担当官。


「ごきげんよう〜♪ 本日ご担当致しますメリーナで〜す!」


 快活な声と共に小柄な影が一歩前に出る。年端もいかない少女のような姿に、奥様方の反応は一様に緩んだ。


「小さい!」「かわいい!」「あらまぁ子どもなのかしら?」


 油断した笑みの波が広がっていく。


「子どもじゃないよ! ボクは永遠の17歳だよ?」


 八重歯をみせて笑うメリーナを見て私は思わず、エルザと目を合わせた。エルザは静かに頷き、そして心の声が聞こえた気がした。

『メリーナ姉さんっていくつだっけ?』

 メリーナは満面の笑みで、さらりと指信号を送った。

『よし、エルザ、シメる!』



「今日は“軽め”に身体をほぐす訓練だよー!」


 メリーナ小隊長の「軽めの訓練」宣言と共に、地獄の幕が静かに上がった。


「それじゃあまずは、準備運動! スクワット10回からいってみようね〜♪」


 メリーナの音頭で、訓練生たちが一斉に動き出す。後ろに並んだ奥様方も、ぎこちなく見様見真似で腰を落とす。


「まぁ! 体がポカポカしてきましたわ!」

「意外と、いけますわね!」


 最初の1、2回はそんな呑気な声が聞こえていたが……


「御婦人さま、猫背はダメだよ~♪」

「御婦人さま、膝はつま先より出しちゃダメですぅ~♪」

「御婦人さま、腰がそり過ぎだねぇ~♪」


と、メリーナが一人ひとりに指摘をして正しいスクワット姿勢を教えたところ様子が変わる。御婦人たちの膝が震え始め、次第に上がる悲鳴と息切れ。


「お、重い! お尻が、何ていうの! 重い……!」

「うっ、わたくしの膝がぷるぷる!」


 フラウ夫人は既に顔を紅潮させ、イリナ夫人は汗で前髪がペタリと額に張り付いていた。ナディン夫人に至ってはカツラがズレており、ヴェルナ夫人は『来るんじゃなかった』と本音を漏らしている。


「はいっ次、腕立て伏せ〜! これも軽〜く10回だけねっ♪」

「軽くって何よ!!」


 ついに悲鳴が上がる。


「こんなに地面を熱っぽく見てた事があったかしら」とフラウ夫人が地面を見つめて呟く。

「……腕が、腕が言うことを聞きませんわあぁぁあ!」とイリナ夫人、ついに地面とお友達になる。


 サーシャ夫人だけが比較的元気だった。

「私、片手腕立て伏せができますわよ? おほほほ」

 あらゆる意味で奥様カテゴリから外れつつある。すごい。


 そして――

「では次、ぴょんぴょんスクワットですっ♪ 皆さん、飛んで〜!!」

「もう無理ですわぁぁぁぁ!」


 サーシャ夫人以外が叫び、三人が脱落し、ヴェルナ夫人に至っては笑いながら倒れ込んでいた。


「楽しい~♡ 背中の肉が取れていく感じがしますわあ〜!」


 それ、脂肪じゃなくて魂じゃない?

 とどめを刺すように、メリーナが微笑む。


「ちなみに皆様の横にいる子たちは、一か月前に入隊したばかりの訓練生ですよ〜。皆さんも負けないでね!」


 訓練生がいきいきと笑顔で訓練に付き合っている姿を見て、奥様方の表情が凍りついた瞬間だった。たった一か月で彼女たちをここまで変えたのか、と。そして、まだ――これは“準備運動”に過ぎない。


 * * *


 奥様方が地に伏し、風前の灯火と化した頃――

 満面の笑顔で、メリーナ小隊長が手を叩いた。


「はい、みなさーん! そろそろ本日のお楽しみ、模擬戦のお時間ですよぉ~♪」


 もはや返事をする者もなく、ゼエゼエと地面に手をつく奥様たち。目だけがメリーナを見つめている。いや、目しか動かない。わぁいと感嘆をあげるサーシャ夫人、そして泡を吹いて突っ伏しているヴェルナ夫人。


「本日は、特別に! ユリカ様とエルザがご披露しま~す♪」


 その一言に、訓練生たちの目が輝く。

 私とエルザは、練兵所中央の小さな闘技場――お立ち台? へと進み出る。


「お手柔らかにお願いね、エルザ」

「うふふ、こちらこそ」


 エルザが腰の後ろから取り出したのは銀のレードル。スープを掬う什器を持って構える姿は珍妙だが――エルザから湧き上がるのは威圧感そのものであった。私は訓練用短槍を軽く振るいながら一歩前へ出る。


「エルザ、魔法攻撃も使っていいわよ? 遠慮しないで」

「そぉ? お言葉に甘えて」


 エルザは口元には余裕の笑み。彼女が指を鳴らすと空気がピリリと震えた。


雷撃魔法(リトゥス・フルグル)――!」

 迸る蒼い稲妻がエルザのレードルから私に向けて一直線に降り注ぐ。

 ――が、その瞬間。

 私は短槍を握った手を、くるりと返す。

 乾いた風音と共に、槍が雷を薙ぎ払う。

 稲妻は切り裂かれ、空へと弾かれ、何もない地面に炸裂する。

 轟音。衝撃。そして――静寂。


「……あれが、“槍の女傑”の実力……!」

「雷撃を、短槍で、斬った……?」


 呟いた誰かの声を背に、私は一歩引く。

 するとエルザが私の懐へ潜り込むために乱撃に入る。

 私は間合いに踏み込まれるとジリ貧となるため牽制のために突きを繰り出すが、笑顔のエルザはレードルで槍先を弾く。


 一進一退の打ち込みをするさなか。


火撃魔法(リトゥス・フラグルト)――!」


 お互い打ち合いながらこっそり詠唱をしていたか! レードルの先からキャベツ大の火焔を噴き出した。


「あ、あちっ♡」


 ――銀は熱伝導率が高いからね。熱くて思わずレードルを落としたエルザの右肩に短槍の先を寸止めをする。


「あらら、負けちゃった」

「もう一回雷撃を出されてたら私が負けてたわ」


 短槍を皆んなに見せると、縦一本の裂け目が出来ていた。二度目の雷撃なんか斬った途端に短槍は爆ぜ飛ぶだろうし私も真っ黒こげだろう。


「二人とも感想戦、もうすこしやる? ――じゃ、そこの御夫人たち、どうぞ好きな得物で! どっちと戦う?」


 メリーナの問いかけに先ほどまで青い顔をしていたイリナ夫人やフラウ夫人がさらに顔を青くする。


「や、やめてください! 命までは取らないで!」

「こんなの貴婦人の嗜みじゃありませんわ〜〜!」


 先ほどまで泡を吹いて倒れていたヴェルナ夫人が土まみれのドレス姿で逃げ出そうとするも、オリゴがすっと現れて制止。


「敵前逃亡はだめですよ。体験訓練は最後までご参加ください」


 微笑みの奥の静かな圧力に、奥様方は全員、悟った。

 ――この戦場において、“常識”なんか通用しないと。


 * * *


 メリーナ小隊長は、くるりと回って拍手を送る。


「はい! 本日の“優雅なる婦人のための体験訓練会”、無事に終了です!」


 何が“優雅”なのかは、誰にも分からなかった。

 オリゴが微笑みながら、奥様方の土を払う。


「皆様、次回のご参加もお待ちしております♡」


 その笑みが、何より恐ろしい。

 やがて。


「ユリカ様。あなたってもしかして、戦場で育った方、ですの?」


 イリナ夫人が恐る恐る尋ねる。

 私が首を傾げかけたその時――


「えぇ、当家の女性家臣は全員従軍経験者ですわよ?」


 メリーナ小隊長が、両手をひらひらと振りながら笑顔で補足する。

「ボクだって、統一戦争にもちゃんと従軍したよ~」


 エルザがレードルをクルクルと回しながら微笑む。

「私は剣よりもこっちがメインだったけどね」


 途中参加のクラーレもはにかみながら一礼して言う。

「私は三年任期制でしたが従軍経験があります」


 その言葉に夫人たちは魂が抜けたような顔でため息を付く。

 そして私は、土のついたスカートを払いつつ、いつもの口調で言った。


「お茶も結構ですが、たまには身体を動かすのも悪くありませんわよ? 定期的にいらっしゃいませんか? 入隊訓練(ブートキャンプ)





(とある新任女兵士、ネリスの日記)

入隊1か月と4日目


 昼ごはんを食べている時、メリーナ小隊長が食堂にやってきた。

 昼食休み時間になると、どこにいるか判らないメリーナ小隊長だけどな。


「はーい注目。ユリカ様からの伝言で、昼からの訓練では、キュリクスの偉い方の御夫人たちが見物に来ます!」


 へぇ、そりゃ大変だ。気合い入れてやらんとね。


「ってことで、――いつも通りやればいいから! 気合い入れなくても良いよ!」


 へっ? そこは歯ぁ食いしばって挑めって言うもんじゃないんですかねぇ?


「あ、そうそう。領主夫人のユリカ様も見にくるから。そこまで気合い入れなくても良いよ!」


 いいのかよ!



 んで、場違いなドレス姿の御夫人たちがやってきた。

 屋根から落ちても助かりそうな程広がったクリノリン・スカート。

 何の鳥から毟ったのか趣味の悪い羽根帽子。

 そして「おほほほほ」と意味もなく笑ってる中年太りたち。

 年ごろの女の子は箸が転がっても可笑しいというけど、この人たちはきっと常に……いや何もない。


 キュリクスに生まれ育った私には見知った顔のオバサンたちがちらほらと。あ、『麦の月』のサーシャさんだ! あのお店の野菜スープはまじ旨い。しかも私に気付いたのか、小さくひらひらと手を振ってくれた。しかし私は軍人、口角を少しあげるだけにとどめておく。


「ねぇ、ネリスちゃーん!」


 気さくなサーシャさんは思いっきり手を振るだけでなく名前まで呼んできた!

 気付いてますって!!


「御夫人、彼女たちは訓練中なのでお声がけは差し控えてください♪」


 ほらー、メリーナ小隊長に窘められちゃった。


「よかったら休みの日にでも皆んなでお店においでー」


 ――めげないなぁ、サーシャさん。



 その後、余裕ぶちかましだった御夫人らは半死半()の状態で訓練に付き合わされる。そりゃ私たちが気合い入れて訓練してたらこのオバサンたち、マジで逝っちゃうかもしれんからメリーナ小隊長のいう事はご尤もだと思ったわ。



 その後のユリカ様とエルザ様の模擬戦がエグすぎた。

 なにあの魔法と打撃のコンボ、あんな兵士と戦場でばったり出会ったら戦いたくないんだけど! しかもユリカ様、雷撃魔法を斬るって人間技じゃないんだけど!


「あ、槍折ったわ」


 あれって折れるんだ。


「訓練生のみんな。ちゃんと訓練したらみんなもあぁいう風になるから!」


 メリーナ小隊長の一言を聞いて思いました。

 領主軍の訓練が終わったら私も人外になってしまうのでしょうか?

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