215話 武辺者と、訪問者戦争・3
「せ、整列、行進、敬礼? わたくしたち、社交のマナーを学びに参りましたのよ?」
ツェンダが扇子をばさりと開いてわざとらしく扇ぐ。今日のキュリクスは寒気が入ってきたのかひんやりとしており、わざわざ扇ぐほどの暑さではない。その横に立つヴェルデ家の令嬢も緑の翼竜が描かれた扇子で同じく扇ぐと「そんな野蛮な事、わたくしたちには出来ませんことよ」と言ってのけたのだ。
「兵たち”なんて“しょせん駒であり、貴族家たる私らはその駒をどう動かすかを決める者ですわ。それなのにどうしてわたくしのような伯爵家の者が、泥にまみれて戦闘訓練など受けなきゃいけないんですの?」
ツェンダが吐き捨てるのもあながち間違いではない。古来より戦争とは、徴発した農民兵や傭兵を指揮官たる貴族たちがいかに用兵するかで勝敗を決めるものだ。つまり彼女たちにとっては高位貴族家の子女が泥にまみれるなど、想像の埒外なのである。
しかしそれを冷ややかな目で見ていたオリゴが一人のメイドを呼びつけた。
「サンティナ兵長、ちょっと来なさい。──いや、サンティナ・ドゥ・ラール兵長と言ったほうが良いかしら?」
「え? ドゥ、……ドゥ・ラールってバランティン様と婚約なされた、あのラール伯爵家の!?」
その名前を聞いてツェンダたちは驚き声を上げた。そして一歩前に出たサンティナが静かに頭を下げると、これでもかと言うほど唇を引き延ばして笑った。
「はい。──私めの妹、ウルリアには良くして頂いたと伺ってますわよ。ツェンダ”訓練生”さまッ!」
サンティナの実家であるラール家は、今でこそ完全に凋落しているが古くから伯爵位を与る家柄だ。しかし統一戦争では敗軍の将となり、戦後は領地もエラール王家へごっそりもってかれてしまったが、“名門”ってことだけで爵位だけが残ったという。なおラールという家名は意外とありふれているのでサンティナの実家だけが前置詞の『ド(de)』を付けて『伯爵家のラール』を指している。統一戦争では勝ち馬に乗って成り上がった新興貴族家からは由緒ある“没落した”名家なんてただただ煙たいだろう。そんな“いわく付き”の伯爵家に長女として生まれたサンティナにとって、初等学校を卒業した頃には進学する金も無ければ礼儀見習いとして使ってくれる家もない、結婚したくても支度金など用意できるはずもないし、もちろん相手も居ない状態だった。しかしそれでも弟妹たちの学費は稼いでこなければならなかったため、サンティナはヴィンターガルテン家へ一般兵として志願し雇われたという経歴がある。
一般兵として住み込みとなれば食事は三食出るし、訓練服や戦闘服、メイド服を着てれば私服代は銅貨一枚も掛からない。衣類は床に脱ぎっぱなし、整理整頓を面倒臭がるなど、私生活は“若干だらしない”といった欠点はあるものの、人当たりは良いし仕事は真面目にこなすサンティナは先輩兵であるマイリスやオリゴ、セーニャからは大いに可愛がられ、酒が飲みたくなれば彼女たちを持ち上げてはご馳走してもらっていたというちゃっかりした一面もある。高位貴族家の娘なのに世渡り上手な彼女は、そんなケチケチ生活をしてたおかげで給金の殆んどを実家への仕送りに費やし、弟妹らを私立学校に出す事が出来たという。
しかし、「貧乏で落ち目な家」なんてものはいじめの対象として美味しいものはない。サンティナの妹ウルリアとは私立の初等貴族学校で同級生だったツェンダ達は、彼女を徹底的にいじめ抜いたのだ。その酸鼻きわまる内容は妹が『ニール伯爵の娘、めっちゃムカつく!』と手紙で事細かに知らせてくれたのだ。サンティナにとっても彼女らが入隊してくれれば『最高の仕返し』が出来ると腕が鳴って仕方がない。
ちなみにサンティナの妹ウルリアは、今年の初夏頃に同級生で幼馴染でもあるゼルベル公爵家の嫡男バランティンと婚約したことから再注目を浴びている。
「オリゴ様。少しは生活態度を改めますので、新兵訓練と同時に行われる『リーダーシップ訓練』に参加させてもらえませんかねぇ? 何でか判んないんスけど、そろそろ曹長になりたいっス。──不思議だなぁ〜」
その直後にサンティナがツェンダたちを指差しては小声で「けつあな確定な」と言うのが聞こえ、プリスカたち何人かがプッと吹いたという。ちなみにヴィンターガルテン家の隠語で「尻の穴から汗が吹くほどの訓練」を意味するものであって、決して“棒”内野手の事ではない、たぶん。
「あなた。訓練に付いていけるよう普段から基礎トレしてんの? 新兵の前でバテてアヘ顔とか晒さないで頂戴ね」
──その時。
「ん〜、サンティナちゃん、ついにリーダー訓練受ける気になったの?」
泥のにおいとともに、旧練兵所から“いつもの姿”のメリーナが現れた。黒のスポーツブラに腰へ結んだ訓練上衣、赤く短い髪を揺らしながら杭を担いでにかっと笑う。その後ろには同じ装いで訓練用短槍を数本も担いだオーリキュラを先頭に、測量器や掛矢を担いだ工兵隊、ワイン樽のようなリュックを背負った斥候隊が続く。いずれも鍛え抜かれた身体に陽に焼けた肌の、精鋭の女兵たちだ。
「あ、メリーナ隊長、お疲れ様です! ──いやぁ、なんか知らんけどそろそろ本気になろうかなぁ〜って」
サンティナの言葉を聞いた瞬間、メリーナは嬉しそうな顔をして何度も頷くと右親指を突き立てた。
「良いね、良いねッ! サンティナちゃんにはそろそろメイド隊を率いる武闘“女官”として羽ばたく時期だとボクやオリゴちゃんだけでなくユリカちゃんも考えてたんだよ!」
「──あと姉さん。この御令嬢たちにも“新兵訓練”に参加できないかしら? 礼儀見習いだってさ」
人よりうんと小柄なメリーナは、自分の背丈ほどある杭を「よっこらセ●クス」と言ってドスンと置くと笑顔でいった。
「良いよ〜! ちょうど明日から新しい練兵所で新兵訓練が始まるとこだったから……」
杭を置いたせいで泥が跳ね、ツェンダの白い靴やドレスに点々と染まる。しかしメリーナはそんなこと気にも留めず、泥だらけの手で彼女の肩を軽く叩いてこう言い続けた。
「一緒に胃から汗かこっか♡」
「い、胃からっ!?」
ツェンダの声が裏返った、しかしメリーナは一切気にしない。再び杭を肩に担ぐと、
「だいじょーぶだって! 三日も経てば礼儀なんて自然と身につくよ! ──なんとしてでも生き残ろうとするヴィンターガルテン家の“礼儀”がね!」
とにっこり。それを聞いてアニリィが「いいこと言うなぁ」と感心し、居並ぶ兵たちも同時に頷いていた。しかし令嬢たちの笑顔は引きつったまま、凍り付いていたのだった。
ちなみにだが、ヴィンターガルテン家の兵たちは「人生の濃い部分三か月間を切り取れと言われたら、間違いなく訓練隊の時代だ」と必ず言う程に濃厚な訓練が待っている。どのような訓練なのかは過去に書いた、ネリスとクイラが歩んできた話を参考にしていただきたい。
*
秋の陽射しが傾く頃、キュリクス郊外にある広大な練兵場──豊穣祭の後に造成した、新しい練兵所──には土と市場から届くイモを焼く匂いが立ちこめていた。訓練生に交じって令嬢たちはというと訓練服に身を包み、青ざめた顔で並ばされている。白い手袋やドレス、それに香水は営舎に預け、“気品”という言葉は練兵所に放り込まれた瞬間には殉職している。
「気を付けぇーぃ! ……はい、アルモンド訓練生、少し遅れたよね? では全員、練兵所をランニング♡」
メリーナが手を叩いて満面の笑みを見せる。訓練隊名物、『敬礼地獄』だ。最初の三日間はひたすらに行進し、ひたすらに『気を付け、敬礼』の練習をさせられる。誰かが遅れた、角度が悪い、目線がずれたらペナルティで筋トレかランニングを全員でさせられる。
「いい? 走るときは腕と息を合わせて! 今は辛いけど明日は楽になる! 汗は嘘をつかない! さぁさぁ気合い入れて走れぇぇぇ!!」
訓練生たちを追い立てるのはリーダーシップ訓練中のサンティナたちだ。彼女らより遅れたらペナルティがさらに重くなるから全員必死で走るしかない。今回の女子訓練隊は二十八名に令嬢六名メイド一名、そしてリーダーシップ訓練中の兵たちは十名。彼女らは一斉に走るが、その後ろから山盛りの荷物を背負った斥候隊パウラが「ティナちゃん、お先にぃ」と軽やかに手を振って走り抜けてゆく。
「お、パウラっちお疲れ──ほらほら掛け声全然聞こえねぇぞぉ! 遅れたらサビ残で訓練継続だぞ!」
やがて夕鐘が鳴り、今日一日の訓練が終わる。泥と汗と涙にまみれた訓練生たちはそれぞれの営舎へとよろよろ戻っていった、中には歩きながら気絶している者もいる。その背をメリーナが手を振って見送っているとオリゴが書類片手にやってきて訊いた。
「明日起きれますかね、彼女たち」
「まだ胃から汗かいてないから大丈夫だよ♡」
二人の声が西の空に沈む夕暮れと共に消えてゆく。
*
令嬢たちの"礼儀見習い"が始まって六日目の早朝、訓練が始まって最初の休日だ。しかしキュリクスからエラールへと帰還する馬車の列ができていた。わずか数日前に“学び”を求めてやってきた華やかな一行の末路だ。行きは洋々とやってきたはずなのに、帰りは逃げるように馬車に乗り込んでいった。ヴァルトアはその車列を館の階段から眺め、腕を組んで言った。
「いやあ、せっかくやってきたのに残念だったなあ」
隣でユリカが眉をひそめてから鼻を鳴らす。
「あなた、どう見ても残念そうには見えないわよ」
「いや、こう見えても心の中では泣いてるんだよ?」
「笑ってるようにしか見えないけど?」
「……そりゃニール伯爵家と仲良くなる機会だったのにねぇ」
「──心にもない事を」
ヴァルトアとツェンダの父であるロジェルとの間には三十年近く前からの因縁がある。さきの統一戦争においてヴァルトアは反乱軍の重要拠点である砦を一番に抑えたにもかかわらず、その手柄をロジェルに掻っ攫われたのだ。ヴァルトアや当時の討伐軍の将官だったクラレンスはもちろん猛抗議。しかし数百人程度の一介の部隊長と当時子爵位で数千の兵を抱えるロジェルの言い分であれば将軍は後者を信じてしまったのだ。結局、拠点制覇の功績は僅かばかりの褒賞しか得られず、ロジェルはその後も他人の功績を自分のものにして成り上がっていったのだった。結局、戦後の論功行賞でロジェルは伯爵位という栄誉には預かったものの王宮では完全に浮いた存在となっている。しかもニール伯爵家は穀物の先物投機に手を出して焦げ付かせたらしく喉から手が出るほど『金廻りの良い友人』が欲しいとも聞く、……もちろん助けてやる義理は無い。
背後でオリゴが咳払いをした。
「歓談中失礼します、ツェンダ嬢たち五人とメイド一人は訓練隊の辞退届を提出し、先ほどキュリクスを発ちました」
「あれ、確か令嬢がたは六人だったはずでは?」
「一人、残っております」
ヴァルトアとユリカがぽかんとする。オリゴが抱えていた書類の束から一人の入隊宣誓書をヴァルトアたちに差し出した。
「“礼儀見習い”のうちの一人が、辞退せずこのまま訓練を続けたいと」
「おお、根性あるな! どこのご令嬢だ?」
「それが……ゼルベル公爵家のトリス嬢なんです」
「…………」
空気が一瞬止まった、ユリカが口の端を上げる。
「ねえあなた、たしかゼルベル公って──」
「エラールの現王朝を拓いたマスチェラス様の弟、ギラン様の息子ジェラール・ド・ゼルベル公のご息女様です。──王太子だったレオナ様とは“はとこ”になりますね」
オリゴが静かに応える。槍働き一本で成り上がったヴァルトアにとって、統一戦争時には旗頭となっていたマスチェラスやギランは恩人以外の何物でもない。残念ながら二人とも既に故人だが。
「え、トリス嬢って確かキュブロン男爵家の娘じゃないのか?」
「ちょっと面倒くさい話ですが、どうやらトリス嬢はツェンダ嬢たちから高貴なる血筋って事実を隠すためキュブロン家を騙っていたみたいです。まぁトリス嬢はキュブロン男爵位を実際に持っておりますから、あながち嘘はついてないのですが」
ちなみにキュブロンとは新都エラールの北西部にある小さな漁村で、彼女はそこを所領として持ってるという事だ。入隊宣誓書にも『トリス・キュブロン』と署名されている。しかし公爵令嬢のトリスがどういう事情で世間知らずな伯爵令嬢の腰巾着をやっていたかは判らないし、どうしてここへ残るって判断をしたかも判らない。六人の中で一番目立たない子だったはずだ。
「オリゴ、──姉さんはどうするって?」
「もちろん、等しく訓練を」
「うん、それがいい」
「“胃から汗をかく”まで叩き込みますと」
それを聞いてヴァルトアとユリカは笑いながら頷いたのだった。
*
さらに一週間後、エラールからいくつもの書簡が届いた。
『我が娘になにがご不満でしょうか? 泣きながら帰ってまいりましたぞ!』
礼儀見習いとしてキュリクスへ送り出した娘が身も心もぼろぼろになって帰ってきたのだ、父親としては文句の一つも垂れたくなったのだろう。それをトマファが苦笑しながら読み上げるとヴァルトアは「やっぱりな」と言ってお茶をすする。ちなみに今回の女子訓練隊はぎっくり腰で一人が離脱、トリスを含めて二十八名が現在三週目の訓練を始めている。しかし抗議書簡の中に手漉き紙を丁寧に折って作ったであろう封筒が一通混じっており、オリゴが静かに便箋を引っ張り出すと、そこには流れるような筆致でこう書かれていた。
『親愛なるヴァルトア辺境伯へ
我が娘トリスより「大変だけど頑張ってる」と手紙が届きました。ヴァルトア殿、どうか遠慮なく厳しく教育してやってください。礼節の大切さと心の強さはきっとどこに行っても通じるはずですから。
ジェラール・ゼルベルより』
オリゴの唇にわずかな笑みが浮かぶ。
「……良識ある親御様が、まだこの国にも残ってたようですね」
ジェラールが想像する礼儀見習いと、キュリクスでトリスが受けてるものはきっと違うだろう。だがメリーナから届く訓練報告書には、活き活きとした表情で訓練を受けるトリスたち新兵の様子が書かれているのだった。




