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214話 武辺者と、訪問者戦争・2

 領主館へと舞い込んでくる“書簡攻撃”が収束して数日、それでも文官執務室にはなんとなくだが独特なにおいが漂っている。封蝋の原料には一部蜜蝋が使われてて独特なワックス臭があり、それを覆い隠すようほとんどのものには香料が使われるという。しかしその香料にも差出人の趣味が反映されるため、それらが色々混ざり合って独特なにおいとなって執務室に残っていた。


「……これで、ひとまず“返書地獄”は終わりでしょうか」


 未返答の手紙も残りわずか。トマファがそう言うと二人は無言で頷くとインク壺に羽根ペンを投げ入れた。今日だけで彼女たちは何本のペン先を駄目にしただろうか。彼女らは痛む右手首をさすりながらうーんと伸びをする。


「ヴァルトア様が銭湯のサービス券やランバー接骨院の無料マッサージ券をもくれなかったら……ストライキでしたよ」


 クラーレはヴァルトア配下の文武官では一、二を争うほど字がうまく、かつ洗練された美文字を書く能筆家だ。翻ってヴァルトアやユリカが書く字は少々クセが強すぎて残念ながら返礼には使えない。そのためトマファが下書きをして彼女が代筆し、最後にヴァルトアらが署名するよう分業制にしたのだ。しかし大量の清書を書くのはさすがに負担が大きいという事でクラーレは賃金アップを要求したところ、ヴァルトアが隠し持つ各種サービス券をもぎ取ってきたという。クラーレはなかなかに逞しい女である。


「あの──私のような庶民の書く文字が貴族様の目に入れてもいいんでしょうか」


 真新しい文官服に身を包んだ少女──ゾエが続けて言った。彼女は事情あって数年は自宅に引きこもっていたが、一念発起して夜間学校に通い出てみたところ、歴史学や哲学を教えていたトマファの目に止まり、作務師見習いとして採用した少女だ。メイド隊のクイラと共に夜間学校へ通っているが、実は彼女は夜間学校首席の成績である。そんな彼女の特技も能筆だったので、代筆業務を手伝ってもらっている。


「大丈夫よ、私だってトマファ君だって庶民だから大丈夫!」


 クラーレは机の上に置かれたカップを持つと両手で抱えるように持ち、一口啜った。それを真似るかのようにゾエもカップを抱えて一口飲む。


「あ、でもフォーレン家は貴族家だったんだっけ?」


「前王朝の初期頃に返納してますからただの庶民ですよ」


 トマファは苦笑いを浮かべると、彼はカップの持ち手を右手で摘まみ、左手にはソーサーを持って優雅に啜った。貴族位は返納しても酒造の麦を確保するために所領管理権を手放していない。そのためクリル村を今でも実質的に管理しているのはフォーレン家である。


 しばしの休憩時間、そこへ扉が勢いよく開くと息を切らしたプリスカが駆け込んできた。あまりの慌てっぷりにぐったりとしていたクラーレも怪訝とした顔を持ち上げる。


「と、トマファ君、大変ですっ!」


 館内には受付窓口からリズミカルに木槌で木板を打ち叩く音が聞こえるため、メイドや衛兵隊、それに文官らへの集合合図が掛かっているようだ。


「か、火事ですか?」


「違います! ……“人材”が届きました!」


 プリスカ流の面白い言い回しにクラーレが「人材が届くって何よそれ」と呟いていた。人間がリボンをつけてかわいく包装されている事を想像したゾエはふふっと笑みを漏らしていた。だが集合合図が鳴ってるため、館内にいる兵や文官らは急ぎ玄関先へと集まらければならない。そのためプリスカはトマファの車椅子の手押しハンドルに手を回すと、優しく押しながら新都エラールから“礼儀見習い”の貴族子女の一団がやってきたという。


「……文字通り“人”が届いたんですね」


 廊下の窓から見える金縁の馬車列を見てクラーレがそう呟いた。艶やかな紋章が掲げられた黒塗りの箱馬車に、黒いジャケットに白手袋やシルクハットといった正装の御者、まるでここが辺境ではなく都会の迎賓館のようである。それが隊列を組んでやってきたようだ。


「すごい数……あれ、五台? いや、六?」


「“貴族令嬢の礼儀見習い団”だって」


「ここで実務と礼節を学ばせたいからってはるばる来たみたいよ」


「つまり、“お嬢さま保育所”ですね」


 館内に居るメイドや衛兵隊らが玄関先に並ぶとあれやこれやと小声で話し始めた。どうやら先触れが領主館の窓口にやってきたので、受付担当クイラが木板を叩いて知らせ、ネリスが大声で「第二種招集命令」と知らせつつ三階のメイド長執務室へ走ってオリゴを呼びに行ったようだ。その話を聞きつけた兵たちがあれこれと噂する。


 ちなみにその第二種招集命令とは先触れを出してる貴人らが大挙して訪れる際に出される緊急招集の事であり、戦闘準備の第一種から領主出迎えの第三種までと招集命令が細かく存在する。



 領主館の門前に馬車が止まると、兵たちは一瞬で口を噤む。そして御者が素早く下りて赤い羅紗張りの足台を素早く置き、芝居かかった仕草で黒塗りのドアを引き開けるとふわりドレスの裾を揺らせながら令嬢が一人キュリクスの地へと降り立った。しかしすぐに馬車は動き、二台目、三台目と色鮮やかなドレスに身を纏った令嬢が一人、また一人と降り立ってくる。そして最後に降り立った令嬢は、連れてきた若いメイドから日傘を差し出されている。


 異様な雰囲気を纏った六人と令嬢と一人のメイドが陽の光を背にして現れた。鼻をくすぐる香水の香りが風に乗って空へと溶けていく。プリスカがずずっと鼻をすするとトマファの耳元で呟いた。


「……きっと高価な香水なんでしょうけど、なんだかすごく臭いですよね」


 良い香水というのは適量使うからこそいい香りがふんわり漂うが、振りかけすぎると途端に他人の目や鼻を刺激してしまう。しかし令嬢たちは毎日浴びるように香水を振りかけてるのかそれに気づいていない。しかもエラールからキュリクスまでは馬車で一週間ほど掛かってしまうので、下手したらまともにお風呂に浸かれないため、香水の消費量は自宅で過ごすよりも飛躍的に増えてしまうだろう。


「ちょっと気持ち悪くなってきた」


「私なんてくしゃみが出そうで鼻むずむずします」


 いつの間にかプリスカの横に立っていたアニリィが小声で言うと、プリスカは小鼻をひくひくさせながら応えていた。客人らを迎えるため全員背筋を伸ばして整列している中にアニリィがいつの間にかその列に並んで加わっていた。武官の彼女は呼び出しに応じる義務はないのだが、彼女の事だから“面白そう”って興味だけで出迎えに参加しているのだ。


 やがて六人の令嬢の前へ、オリゴが一歩進み出た。それを見て日傘を差し出されている純白のドレスに銀髪の少女が口許を扇子で隠しながら彼女も一歩進み出る。


「──遠路はるばるヴィンターガルテン家へ。“礼儀見習い”だと伺ってますが間違いはございませんか?」


「はい♡」


 オリゴの問いかけに、銀髪の令嬢が胸を張って応えた。年の頃はプリスカと同じくらいだろうか、中等礼節学校に通う御令嬢といった感じに見える。しかし、髪を盛り上げるように結っているため背は無駄に高く見え、ごてごてに塗ったファンデーションのせいで顔色は白いというより青白い。それに一昔以上前に流行ったパフスリーブのワンピースドレスにパラシュートスカートに大きなリボン。他の令嬢たちも同じようなドレスにメイクとヘアアレンジをしていることから、これが最新のエラールファッションなのだろう。


 他の令嬢たちはそれぞれ扇子で口元を隠し、口々に「さすがツェンダ様」と讃えていた。どうやら、このツェンダという令嬢は、エラール南部を古くから治めるニール伯爵家の娘であるようだ。彼女の日傘には二つ頭の赤獅子が描かれているから間違いは無いだろう。その銀髪令嬢ツェンダはさらに続ける。


「最近飛ぶ鳥勢いの辺境伯家で礼儀を学ぶ事も大事でしょうが、こんな田舎にも“エラールの風”を送るのも悪くはないでしょう、と」


 ツェンダの一言に令嬢たちがオホホホホと小さく笑う。


「……ほう」


 オリゴは何一つ表情を変えていないが、後ろに居並ぶ兵たちの表情が一瞬で変わった。涼しい顔して皮肉を込めたのだ。そしてツェンダの隣に立つ橙髪の令嬢が周囲を見回し、眉を寄せた。


「まあ……本当に“辺境”なんですのね、空気が香ばしいこと香ばしいこと」


「“リス屋”が栗でも焼いてんじゃね? ──姉ちゃんら都会の”お大尽様”は喰ったことねぇだろうけど」


「まぁ!」


 更に重ねてきた皮肉にアニリィが真顔で返すと、メイドたち数名は笑いを堪えきれず背を向けた。この橙髪の令嬢が持つ扇子には、緑の翼竜が描かれてるからニール伯爵家の寄木子爵家であるヴェルデ家の者だろう。アニリィなりの嫌味にムッとした顔を見せた橙髪の令嬢だったが、何か言っても素早く言い返してきそうな雰囲気を醸すアニリィを見て口を噤む選択をしたようだ。


 この時期になるとキュリクスではあちこちで焼き栗が屋台で売られ、秋のお菓子の定番である。しかし貴族令嬢がそんな下賤な屋台の食べ物なんかを喜んで食べるはずも無く、キュリクスを露骨にバカにしたためにアニリィが皮肉で返したのだ。ちなみにアニリィが言う"リス屋"とは、キュリクスで指折りの美味しい焼き栗屋台の事で、栗を持った子リスが描かれているため“リス屋”と呼ばれている。──なお余談だが、キュリクスでは昔から「栗」と「リス」を公共の場で繋げて言ってはならないという不文律があり、口走ったら何故か官憲が飛んでくるという噂である。


 オリゴが冷ややかな目でアニリィを制すると玄関周りの温度がぐっと下がった。彼女たちは客人だ、下手な事を口走ればヴィンターガルテン家の評判を落としかねない。しかしアニリィはどこ吹く風で視線を逸らすと吹けもしないのに口笛を吹く真似をして誤魔化した。


 六人の令嬢と一人のメイドはというとオリゴの鋭い目線を見て一瞬たじろいだ。それを一瞥してかオリゴは改めて姿勢を正すと声を落とした。


「それでは確認させていただきます。──当家で“礼儀見習い”を希望されるということは、当家のやり方には一切文句も言わず、やれ待遇がブラックだとかお肌が荒れるとかも言わず、黙って従って礼儀作法を学ぶという認識でよろしいでしょうか?」


「え、えぇ……当然じゃありませんこと?」


 ツェンダは驚き戸惑いながらも周りの令嬢たちの顔色を見てから当然とばかりに胸を張って応えた。オリゴは口をにぃっと引いて含みのある笑みを見せてからこう言い放った。


「では礼儀作法の第一歩として、練兵所でまずはみっちりと整列と行進、そして敬礼の訓練から始まりますが──よろしいのでしょうか?」


「え?」


 ツェンダたちの笑顔が一瞬で凍った。しかしその瞬間──


「気を付けぇ!」


 アニリィの地鳴りのような号令が響くと一斉にザッと地面を蹴る音がした。全員が同じ角度で右足を蹴り上げて地面を踏みしめる音だ。


「──全員、戦乙女旗に、敬礼ッ!」


 そしてビシという衣擦れ音が鳴る。列をなす衛兵隊だけでなくメイド、アニリィ、そしてクラーレまでもが一糸乱れぬ動作で腕を上げ、玄関ポーチに掲げられているヴィンターガルテン家を示す戦乙女が刺繍された旗に敬礼したのだ。オリゴが静かに「直れ」と言うと全員が同時に右手を身体の横にピタリと付ける。令嬢たちは呆然と立ち尽くすしかなかったのは言うまでもない。この館での“礼儀”が、すでに貴族社会のそれとはまったく別種であることを告げていたのだった。

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