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213話 武辺者と、訪問者戦争・1

 陞爵を伝える王宮からの正式な使者がやって来たのはそろそろ秋本番といった時期の朝であり、西からの風のせいでふんわりと芋と栗を焼く香りを運んできてくれる。しかしそんなのどかな朝とは打って変わって領主館では緊張感に満ちており、玄関先で待ち構えるヴァルトアは肩に力を入れすぎて儀礼用の白銀鎧がぎしぎしと鳴っていた。そのヴァルトアの周りにはスルホンやトマファを始めとした文武官だけでなく兵たちもそれぞれの隊旗を持って居並んでいる。


 やがて門が開く。レンタル屋からわざわざ借りてきた赤い絨毯の上を、使者はこれでもかというほど絢爛な衣装に身を包んでゆったりと歩いてやってきた。裾を引くほどの赤の外套、銀糸と絹糸で縫われたエラール王家の紋章、そして鼻につくほど濃い香水の匂い。礼儀作法の粋を凝らした動作でヴァルトアの前にやってくると紫檀の箱を差し出した、中には国王印璽が捺された所領安堵状が入っている。そして使者はまるで舞台俳優のような調子でこう宣言した。


「ヴァルトア・ヴィンターガルテンに辺境伯の位を授く」


「つゅ──謹んでお受けいたします」


 ヴァルトアは返答の後、紫檀の箱を厳かに受け取った。そして一拍の沈黙の後、館中の空気が一気に弾けた。ユリカが指揮を執るとアニリィ率いる儀仗隊(通称・呑兵衛団)が音を立てて槍を鳴らし、メイド隊や警備隊など居並ぶ兵たち全員が一糸乱れぬ動作で敬礼した。塀の上からその様子を覗き見ていた民衆からもどよめきが起こり、文武官と並んでそれを見ていたスルホンはハンカチ片手に涙をそぞろに流し、「良かった、良かった」と呟いていた。


 実は前夜、ヴァルトアは使者への返答である「謹んでお受けいたします」を何度練習してもその都度噛んでしまい、「つちゅしんで」と口走っては皆から心配されていた。よりにもよってこんなタイミングでヴァルトアは口内炎が腫れて舌っ足らずな話し方しかできなくなっていたのだ。


 ユリカからは「麻酔もせず戦場で盲腸の手術を受けた人が口内炎一つで情けない」と叱責され、オリゴからも「腫れている部分、切り落としましょうか?」と真面目な顔で言われる始末。唯一、スルホンの妻エルザだけは「ヴァルちゃんは本番に強い人だから大丈夫よ」と慰めてくれたが、もちろんただの気休めだ。式当日、彼が無事に言い終えた瞬間、オリゴ以下全員が心の中で小さく拍手したほどである。


 ──そして辺境伯陞爵の儀は滞りなく終わる。王宮の使者が乗った馬車が走り去ってからも館の前には街の人々が押しかけては祝福の声が飛び交っていた。しかしただ一人、ヴァルトアだけがどこか夢でも見ているような顔でつぶやいていた。


「……辺境伯になったとしても今まで通り静かな領地経営をしたいなぁ」


 だが彼のその願いは、今日が最後だったのかもしれない。



 儀式の翌朝。領主館入口近くにある小さな郵便室で悲鳴が上がっていた。最初に声を上げたのは新人メイドらに郵便係を指導していたプリスカとロゼットである。


 キュリクス領主館に届く手紙や書状は多くても日に三十通程度だ。それをメイド隊の中で時々回ってくる業務の一つ、郵便係が各部署に振り分けてワゴンに乗せては館内を回ったりギルドへ書状を配るのが仕事だ。──ちなみに郵便係の仕事は重量貨物が来ない限りは比較的楽な仕事だし、街中で途中買い食いしても大目に見てもらえるので心待ちにしてるメイドたちが多い。


 しかし朝一番、ポストに投函されていた書状の数は優に二百通を越えていた。今からこれらを担当部署へ配達しなければならないのだ。


「ぎゃー、書状の山がまるで喋ってるぅぅ!!」


 相変わらず面白い表現で驚くプリスカに、ロゼットはため息をつくと書状を確認しては、振り分け先が書かれた籠へポイポイと放り込んでゆく。


「プリスカ、口を動かしてないで手を動かす! ──宛先が書かれてない書状については文官執務室窓口へ。他は宛名ごとに分けなさい。くれぐれも私たちが勝手に開封しないように」


「はいっ!」


「ちなみに割れ物や壊れ物もあるから、気を付けて扱いなさ……」


 プリスカが新人メイド達に向けて注意を払うよう言ってる最中に、ロゼットがぽいっと放り投げた封筒からガチャンと派手な音が聞こえた。しかも宛名はスルホンと書かれており、皆の顔が青ざめた。


「──プリスカ一等兵、こういう場合は……」


 一人がメモを片手に訊くと、「すかさずオリゴ隊長かマイリス副長に報告、そして始末書よ」とロゼットが頭を抱えながら青い顔して呟いたのだった。



 いっぽう、入場門が開いてから領主館の門前には早くも各地の貴族家の使者が馬車で押し寄せ、“祝福の渋滞”が出来ていた。スルホンが衛兵隊に混じって渋い顔で列を整理している。


「おい、馬車を左に詰めろ! 通りが塞がるだろーが!」


 だが新・辺境伯家の武官長自らが馬車の整理業務をしてるなんて御者たちが知る由もない。スルホンが怒声交じりに言うもんだから御者たちが腹を立てて反論し始める。


「うっせぇ! こちとらエラール北西ドンバス侯爵家の——」


「ごちゃごちゃ言ってねぇで詰めろっつってんだろがい!」


 こうなれば喧嘩だ。「このオッサン警備兵は口の利き方も知らねえのか」と御者が言えば「おめぇこそ誰に向かって口利いてんだ!」とスルホンも言い返す。そうなれば他の御者たちも衛兵隊たちもとあちこちで喧嘩騒ぎを始めてしまう。結局、順番待ちする馬車や御者たちにお菓子を配り歩いてたエルザがスルホンをしゃもじで“成敗”すると「ウチの夫がごめんなさいね」と頭を下げるのだった。


 玄関ホールではマイリスが書簡や花輪を受け取りながら淡々と指示を飛ばしていた。紙の束が山のように積み上がるたびパルチミンが几帳面に仕分けを行っていく。さすがプリスカやロゼットと違ってマイリスたちは手慣れた手付きで机の上に振り分けていた。しかしそんなマイリスも書簡の山を処理し終えてから一つため息をついて言った。


「これはもはや……書簡戦争ですよ」



 館内がある意味お祭り騒ぎになっている中、ヴァルトア宛にひときわ立派な封蝋の手紙が届いた。宛名はエラールの高官らしき人物からであり、それを手にしたオリゴが、口内炎に沁みるからと熱々のお茶をふーふーしながら飲むヴァルトアに目配せすると、恭しく封を切り、目を細めながら読み上げた。


「──で、礼儀見習いとして我が娘をお預けしたく」


 横で書状の返事を書いてたユリカの眉がぴくりと動き、ヴァルトアはお茶を吹いた。


「れ、礼儀見習い!? うちはサンティナですら兵卒上がりだぞ!」


 メイド隊の中でサンティナだけが貴族の娘だ。彼女の実家は前王朝では伯爵家に連なる名家だったが時流に乗れず没落し、生活のためにヴィンターガルテン家へ仕官したという。学費を稼ぎながら弟妹を支え、今では兵長として信頼を集める存在となっている。


 ──そして、館に本当の戦火が上がるのは、もうすぐのことだった。

・作者註


中の人も口内炎が5つもあるため絶賛舌っ足らずなのれす


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