212話 武辺者と、負傷兵の始末書たち
執務室に差し込む陽光がヴァルトアやスルホンの胸元の勲章を照らすたびに、その輝きがクイラとネリスの目にきらきらと映る。ヴァルトアの厳しい眼差しの奥にはかすかな温かみが宿るものの、その圧倒的な威厳に二人は息を詰めた。まるで戦場に再び立たされているような極度の緊張感が走る中、スルホンの声が静かに響いた。
「──以上をもってメイド隊クイラ二等兵、工兵隊ネリス二等兵に“白晶剣勲章”と謝状、そして幾ばくかの報奨を授与する!」
ジリノスでの強制捜査が終わって数日後、クイラとネリスの二人はキュリクス領主執務室に呼ばれ、武官長スルホンの手から謝状、そして勲章を賜った。しかし二人の表情は緊張感からか必要以上に引き攣っていた。その勲章に象られている白晶剣とは、ヴィンターガルテン家の紋章にある戦乙女が持つ破邪の剣を模している。実は二人のトレーニング仲間でもあるジュリアとパウラも一年前のホブゴブリン討伐の功で授与されている。
しかし二人とも左手をアームスリングで吊っている、暴れ狂うオークと対峙し奮戦したが猛突進を受けての名誉の負傷だ。キュリクスに戻って精密検査をしたところクイラは左腕にヒビが入り、ネリスは右肩は軽い捻挫で済んだが左肩関節は腱をひどく痛めてしまったという。しかし彼女らの奮戦を見ていた同僚からは『二人が仕留めてなければ被害は相当に拡大してた』という報告で、今回の勲章および謝状の授与となったという。なお加勢してくれた同僚らは一等低い“白剣勲章”が授与されている。
受け取った謝状と勲章に秋の陽光が反射して二人は一瞬目を細めた。そして改めて目の前に立つ領主ヴァルトアに視線を戻し、その姿や雰囲気を見て再び息を呑んだ。接点の少ないネリスにとっては「おっかない領主様」のイメージが強いだろう、しかしメイド隊所属のクイラは普段のヴァルトアをよく知っている。──執務机で報告書を広げては「書いてある文字が小さすぎるとオッサンには読めんのよ」とぼやいてたり、風呂上がりの楽居服姿で「クイラ嬢はいつも長袖メイド服で暑いだろ、少し涼んでから仕事に戻りなさい」と優しく声をかけてくれる。他にもこっそりアイスクリーム代を渡してくれたり、授業で判らない事も仕事中にも係わらず聞いてくるような気さくな好人物だ。だが今日ばかりは軍服姿で威圧感と貫禄をずっと纏っている。
ヴァルトアは二人を見やると短く息を吐き、ようやく微笑んだ。
「よくやった。君たちの勇気は我が領の誇りだ」
差し出されたのは可愛い革袋に入った金一封だった。二人は震える手でそれを受け取り、言葉にならずに嬉しく頷いた。この革袋には普段じゃお目にかかることが出来ないエラール金貨が数枚入っているのだろう、だからもったいなくて使えない。腫れる肩や腕の痛みを忘れるぐらいに胸の奥が熱くなる瞬間だった。
「こんな事言っちゃうと色々叱られるかもだが、嫁入り前の女子が怪我をするってのは俺にとっちゃ胸が痛い。お前さん達の親御さんに申し訳が立たんし、未来の旦那様に顔向け出来んしなァ──」
そして先ほどまで振り撒いてた威厳もどこへやら、相変わらず説教臭い事を言い出すヴァルトアを見てクイラは『やはりいつも通りのヴァルトア様だ』と思わず笑みをこぼしてしまったという。なお生真面目なネリスは『まるでうちの爺ちゃんみたいな事言ってる』と思いながら静かに拝聴してたそうだ。
「──では二人とも、完治まで原隊から離れて根治努力するように。痛みがひどい場合は専門医に診てもらった上で遠慮なく治療に専念してもいいんだぞ」
しばらく歓談した後、スルホンからそう促されると二人は敬礼をして静かに執務室を辞した。重厚な木扉を閉め、二人が振り返るとそこに立っていたのは柔らかな笑みを浮かべた二つの影だった。工兵・斥候隊長メリーナと、メイド隊長オリゴである。
「……その謝状と勲章、後でボクたちにもしっかりと見せてね♡」
「うんうん、──反省文と一緒にね」
そう言った次の瞬間、オリゴとメリーナの目と表情が氷のように冷えた。近くで廊下や窓の掃除をしてたメイド隊の面々は目を逸らし、クイラとネリスは凍りついた笑顔のままで固まってしまったのだった。
翌日。
領主館三階のメイド長執務室には二通反省文がその他の報告書と共に積まれていた。そして二人ずつ四人が向かい合うように正座している。
「押されてると判断したなら、どうして退却って選択肢を取らなかったの? 怪我を我慢してまで戦えなんて指導はしたことありません!」
「あのねぇ、『武勇と蛮勇は違う』ってボクは何度も教えたよね? それとも二人とも、訓練隊でもう一度シゴかれたい?」
叱責の嵐の中、二人は小さく縮こまりながら「すみません……」を繰り返すしかなかったのだった。オリゴもメリーナも二人の負傷を聞くや、撤収命令を出した直後に衛生看護隊の幕舎へと走って向かっている、何があったか心配で心配でたまらなかったのだ。そして腕を吊られたクイラと両肩を動かせないネリスを見て二人はへなへなと座り込み、「心配かけんなや、小娘ども」と呟いたという。そして心配かけられた分、オリゴとメリーナは今この時にきっちりと「指導」してるってわけである。
二人は完治するまで“事務兵扱い”となり、領主館の受付業務を担当する事になった。本来なら休職して治療に専念して貰いたかったのだが、二人は仕事させてくれと頑強に言い張るので肩肘を酷使せず心身に負担の少ない業務が割り当てられたという。ちなみに受付業務時の制服はメイド隊のと同じ──いわゆる“メイド服”である。
だが普段は訓練服か戦闘服ばかり、私服に至ってはパンツ姿が多いネリスにはこんなフリフリ服、全く馴染みがない。スカートも殆ど履かないしパニエなんて馴染みがなくて落ち着かないらしい。そしていつもと違う恰好のネリスを見て、受付の前を通る兵たちは皆「ネリちん似合ってるぞぉ」と言い、からかうように笑いながら通り過ぎてゆくのだ。ネリスも「笑うなお前ら!」と元気に言い返してはいたが。
「──クイラは普段からメイド服着てるから何とも思わないだろうけど、これってけっこう恥ずくね?」
メイド隊の制服は黒い二ピースドレスにピナフォア、白タイツとパニエだ。ガーターに挟んだナイフを素早く抜けるようスカートはやや短めに仕立てられている。不思議なことにヘッドドレスの着用は義務付けられているが、下着の規定『見られても恥ずかしくないもの』とされているため比較的自由である。
「──ネリスだって私のメイド服を初めて見た時はめちゃくちゃ爆笑してたでしょ。私は笑わなかったんだから……ぷっ」
「いま笑うのかよ!」
今日は暇なのかとても静かだった。窓口のカウンターに並んで座るクイラとネリスの視線はいつも窓の外──練兵場を向いていた。
「警備隊のみんな、相変わらず走ってるね……」 「はぁ……あたしも走り込みしたい……」
遺失物書類を書き込んだり伝票整理をしながら溜息が重なったのだった。
医官から『専門医に診療を引き継ぎたい』とのことで、二人は街にあるランバー接骨院へ通うよう指示された。見た目こそ古めかしい白い石壁の施術所は街でも評判で、治療はもとよりリハビリ計画から理学療法にも力を入れている。肩こりから腰や膝の痛み、骨接ぎやスポーツ外傷の相談にも乗ってくれるのでキュリクス屈指の名医でもある。
二人が診療室へ入ると院長のランバーは予め診断書やカルテを預かっていたのか、笑顔で二人に訊いた。
「どうだい、痛みは?」
「少し……でも、もう明日には治りますよね?」 「え、明日から原隊復帰できるんですか?」
ほぼ同時に言葉を発した二人にランバーは一瞬だけ沈黙した。やがて苦笑を浮かべ、カルテの上にペンを置く。
「……君ら、娯楽小説に出てくるポーションの存在でも信じてるのかい?」
待合室の患者たちにも会話が聞こえたのかどっと笑うのが聞こえるし、診療室の隅に立つ骨格模型のホネも顎をカタカタ鳴らして笑っている。二人は顔を真っ赤にしながら「だって、筋力が落ちちゃうんですもん」と弁解する。毎日汗だくになってでも走りたい、強くなりたいと願う二人にとって、走れない時期は辛いのだ。
「ではホネ先生、お付き合い願います──クイラ二等兵はこの部分、上腕骨近位部がこのようにヒビが入っててリハビリ込みで全治三か月。ネリス二等兵は左肩の上腕二頭筋長頭腱の部分断裂だから君も三か月ぐらいは掛かっちゃうよ」
診療室の隅に立っていたホネがカタカタ音を立てながらやってくると二人の目線に合わせて屈みこんだ、そしてランバーの説明に合わせて指で外傷部を差し示す。一見すると奇妙な光景だが愛想が良い(?)ホネらの説明を見て誰も何も言わない。むしろ皮膚や筋肉の下がどういう状況なのかが判りやすいと患者から好評だ。
「さ、三か月……」
ランバーの説明を聞いて二人は唖然としてしまう。出来る限り早くに原隊復帰したいのに三か月となれば季節が変わってしまう、それまで足踏みし続けなければならないのか。
「先生、私たち若いんだから1か月ぐらいに負けてください!」
必死な声を上げるクイラだったがランバーは苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
「クイラ二等兵の骨癒合ですら一か月から一か月半は掛かっちゃうし、ネリス二等兵の靭帯組織の治癒も同じぐらいだろう。──段階踏んで治療に当たらないと二人とも……完治不能となって除隊になるぞ?」
ランバーはふと患者の工兵隊長オーリキュラを思い出す。彼女も受傷後はかなり食い気味で「今すぐ完治って診断書を書いてください、原隊復帰させてください」と二人と同じことを言ってきたのだ。だがランバーや他の武官らの説得、そして想い人レニエの支えがあったからこそ長い半年の治療やリハビリに耐え抜けたのだろう。彼女はもうすぐ原隊復帰する予定だ。
「早く治したいならこのリハビリ計画書を元に筋トレに励んで欲しい。──もし痛むようならすぐに診せに来てね」
ランバーがそう言うとホネが一片の計画書を手渡した。しばらくは手指のリハビリばかりが続くらしい。それを読んで二人はため息を付くのだった。
夕暮れの帰り道、診療所を出た二人は街路樹の並ぶ通りでふと足を止めた。
「ねえ、軽く走るくらいならいいよね?」
「うん、腕は使わないし筋トレ以外は細かい指示は無かったし……多分大丈夫!」
そう言って二人は駆け出した。日が沈む街角、アームスリングで吊った腕を揺らしながら二人の息は軽く弾む。その様子を診療所の患者が窓越しに見ていたという。翌朝――ふたりそろって肩や腕が痛いと再診に現れた姿を見て、院長が額に手を当ててたっぷり説教くれてやったのは想像に難くない。
再び、オリゴの執務室。
ランバー接骨院から至急連絡が届いた、「厳重注意です」と。走る動作や衝撃、振動でクイラは癒合部の、ネリスは肩関節の炎症が再燃したのだ。これでは診療計画が遅れるどころか治りませんよとの連絡を受けクイラとネリスは呼び出されたのだった。腕組みして正座するオリゴとメリーナの前で、二人は土下座し、頭を床にぺたりと付けた。
「反省してます……」 「もうムチャしません……」
ランバーに相当厳しく叱られたのか、ため息まじりに二人の上官は顔を見合わせた。やがてオリゴが柔らかく言い、メリーナが微笑を浮かべて続けた。
「……まあ、焦る気持ちは判らないでもないわ」
「──若いうちの失敗は勲章よ」と。
その言葉に二人の表情がぱっと明るくなる。窓の外では秋の風が葉を揺らしていた。
「じゃあ、もう少し軽めのメニューで我慢します」
そう言ってしまったネリスに、うんうんとクイラは頷く。それを聞いたオリゴたちに「反省してるの!?」と言われ、めちゃくちゃ叱られたのだった。それでも笑顔で敬礼する二人の姿にオリゴとメリーナは小さく笑みを返すしかできなかったという。




