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211話 武辺者を追い出したあとの新都エラール・16 =幕間=

 朝のエラール王宮、レピソフォンの執務机には封蝋が押された書状が山のように積み上がっていた。陽の光が差し込むたびに赤い封蝋が血のように輝く。


 王国東南部で起きた蒼晶宗の騒動を巡り各地の領主が次々と王宮へと書状を送りつけていた。中にはどさくさに紛れて『ヴィンターガルテン家と一緒に蒼晶宗を討伐した』という、いい加減なものまで混じっていたのだが。しかし事務能力皆無のレピソフォンにとってこんなに書状が届いても処理のしようがない。彼は眉をしかめ、その山を見下ろしていた。


「何なんだこれは! 誰が敵で誰が味方なんだ!? もう書類が魔物じゃないか!」


 王宮の規定では書状は必ず二通送る決まりだ。一通は陛下の決裁用正式版、もう一通は文官が理解できるよう詳細を書き添えた業務用の副本である、先に副本版を読んでた政務官カルビンとアリス・ハスペンゴが眉間を押さえながらため息をつく。そしてカルビンは慎重に書状を仕分け、アリスは手際よく封蝋を割りながら目を細めていた。


「蒼晶宗に唆されたプロピレン伯がヴィンターガルテン子爵領に侵攻し、撃退されたそうです。しかもヴィンターガルテン家は──田舎の納税優等生な領主ですね」


 アリスは説明をしながら山積みの書状の中からヴィンターガルテン家とポルフィリ家からの書状だけを引っ張り出し、レピソフォンへと手渡した。それを受け取ったレピソフォンは怪訝な顔をして「ヴィンターガルテン? 誰だっけそれ」と尋ねる。当たり前のことだが高位貴族家の者を「誰だっけ」と訊くなんて失礼千万である。


「ヴァルトア・ヴィンターガルテン子爵殿の事ですよ」


 カルビンからその名を聞いた瞬間、レピソフォンの表情がみるみる引きつってゆく。そして常にぎしぎし軋み音を立てる椅子から急に立ち上がると大声で叫んだのだった。


「あの男のことかァーーッ!!」


 バン、と机を叩く音が高く響いたのだった。──もちろんアリスは吹っ飛ばなかったが。



 レピソフォンにとってヴァルトアはかつて王宮にいた小うるさいことばかり言う教育係の一人だった。彼は統一戦争での功績が前王に認められて子爵位を賜るが、王宮内の権力争いには無関心を装う質実な武官だったが、自らを天才と信じて疑わないレピソフォンにとってそんな教育係、鬱陶しい存在でしかなかったのだ。ほかの教師が媚びへつらうのにヴァルトアだけは毅然と忠告を繰り返し、「殿下は言葉より剣を、剣より徳と知を学ばねばなりませぬ」と言ってのけたのである。結果、耳障りな事ばかり言う彼は容赦なくクビになったが。


 それから数年後。ロムド山地での冬山戦闘訓練が行われた際、『自称・天才軍略家』のレピソフォンは興味半分の物見遊山気分で勝手に随行してきた。冬山戦闘と聞いても「スキーして温泉に入って美味しいものを食うだけだろう」と高をくくっていたのだ。しかし現実の訓練は過酷を極め、寒さに震えた彼は近衛兵団長から指揮権を奪うと全軍撤退を命じているしその結果、近衛第一部隊が山中で遭難するという大事故を起こしてしまって死傷者まで出る始末を起こしている。その事件があった時、ヴァルトアは激怒して指揮権返上と命令撤回を厳しく進言したがレピソフォンはその苦言を恨みとしか受け取らず、今なお根に持っている。


 だが確執はそれだけでは終わらない。ヴァルトアの長男ナーベルは上級将校でありながら一級王宮文官試験に合格し、のちに王宮財務官となっている。何度チャレンジしても初級文官試験にすら受からないレピソフォンとは違い前代未聞の快挙であり、ナーベルが一級武官と一級文官という二つの肩書を持つ真の天才であったことを示している。そのナーベルがノクシィ一派から引きずっていた放漫財政やレピソフォンの軽率な徳政令発言による混乱を見事に収めたことで一時は「国家の救世主」とまで呼ばれることとなったのだ。だがその有能さこそが王子の癇に障ったのだ。


「父子揃って俺を馬鹿にしている! あのナーベルとかいう若造も、親父の方も、俺の許しも無く勝手ばかりしおって!」


 以来、レピソフォンの中ではヴァルトア父子=“自分を諫める無礼者”という図式が固まってしまっていた。


「“王家の者として軍略の基本を学んでいただかないと”などと俺に説教した奴か! 一生忘れんぞ!」


 レピソフォンは憤然と叫ぶ、机の上のペンが跳ねインク壺がひっくり返った。それを見てアリスが苦笑を浮かべて口を開いた。


「ですが、ヴァルトア卿はキュリクス領へと入府してからは領地経営がうまく行ってるようで王宮に対して寄付金だけでなく名産の香茶まで納めてくれてます。少々小うるさいところはございましょうが忠義厚き領主を慰撫すれば殿下の懐の広さを示せますよ」


「民心対策としてもヴァルトア卿を利用するのは悪手ではありませんよ、殿下。他にもエラールへ公設穀物会所担当のクラレンス伯へ小麦の下支えをしているのもヴァルトア卿ですし」


 アリスに続いてカルビンもヴァルトアを褒める。それを聞いてレピソフォンは苦々しい表情をするが、二人が言ってることは間違っていない。エラールの穀物価格の乱高下もようやく落ち着きが出てきたが、これがもしヴィンターガルテン家が下支えをしていなければどこかで破綻してたかもしれなかったのだ。


 そこへ香炉を片手に妾妃ポンパイヤが現れた。アリスと優雅に挨拶を交わし、柔らかく微笑んだ。ようやく息子が身を固める気になったのかポンパイヤは上機嫌だし、嫁となるアリスを非常に可愛がっている。アリスも姑となる彼女に気に入られようとどこか必死さがうかがえた。


「ねぇアリスちゃん。今はどんな会議をしてたのかしら?」


「お義母様、キュリクス領のヴァルトア卿へ褒美を与えるべきか相談してたんですよ」


 アリスはお茶を淹れながら応えるとポンパイヤはソファに腰掛けて嬉しそうな声を上げる。


「まぁ、ヴィンターガルテン家にご褒美? あの家だけですよ、王后さまの部屋だけでなく私らの部屋にもお花や香茶を送ってくださるの。──しかも頂ける香茶って癒やし効果があるって言うの。お腹の赤ちゃんにも優しいらしいからアリスちゃんにも分けてあげるわね♡」


「わぁ、ありがとうございますお義母様!」


 お酒が飲めないポンパイヤ宛てにはキュリクスから香り高いカミツレ茶やハーブミックスが毎月届くという。なおポンパイヤが最近持ち歩いてるお香もキュリクスからの付け届けで、イライラの解消に良いのだとか。


「なにっ!? 買収か!? 母上まで買収されたのか!!」


『ただの礼儀でしょうに……』


 アリスとカルビンはレピソフォンの慌てた声を聞いて、同時に小声でつぶやいた。


「いっそヴィンターガルテン家に伯爵位を授与してはいかがでしょう。その代わり、プロピレン伯には今回の騒動の責任を取らせ、領地と伯爵位を没収して子爵位へ降格させるのです。信賞必罰、そうすれば公平です」


「名案ですカルビン様! ヴィンターガルテン家を味方に付ければ王国も安定ですわ」


 カルビンの提案にアリスが大げさに賛同する。前に王宮で権勢を誇っていたノクシィ一派はヴァルトアをキュリクスに左遷し、領地経営が失敗すれば爵位を剥奪して平民に落とす算段があった。しかし彼は周りの期待に反して領地経営に成功し、あちこちへの贈り物も欠かさなかったのだ。さらにレピソフォンが政権を奪取した際には王宮に忠誠を誓う詩を真っ先に送っているし、寄付や香茶の献上まで欠かさない。それを見たアリスとカルビンは冷遇よりも厚遇の方が得策だと判断し、ヴァルトアと聞いて渋るであろうレピソフォンをどう説得するか、密かに打ち合わせをしていたのだった。


 そんな二人の密約に気付くことなくレピソフォンは顎に手をやると考え込むようにして……にやりと笑った。


「伯爵だと? 甘い、あの男なら辺境の掃除役がお似合いだ! よし──“辺境伯”に飛ばしてやれッ!」


「へ、辺境伯……?」


 カルビンは持っていた書状のいくつかが手から滑り落ち、アリスはわなわなと声を震わせて訊く。


「え、それは……本気ですか、殿下……!」


 しかしポンパイヤだけが嬉しそうに手を叩き喜んでいた。


「まぁ素敵! 香茶のお礼だけでなくお祝いのお花も送らなくちゃ♪」


「今すぐ辞令書を書いてやる、印璽を持ってこい!」



 その後の王宮は大変だった。官僚たちが右往左往して書類が宙を舞うし、新聞屋はスクープ情報だとあちこち飛び回る。廊下を灯す蝋燭の火が揺れて焦げた蜜蝋の匂いが漂う中、辞令書はついに押印されてしまったのだった。


 カルビンたちの当初のシナリオは、ヴィンターガルテン家から吸えるだけ税を吸い取り適度に恩を売りつつ飼い殺しにするというものだった。プロピレン伯家が持つ海岸沿いの領地やテイデ山北部の救荒地をヴィンターガルテン家に分与し、伯爵位を与えておけば辺境の地で静かに献金を続けるだろうと踏んでいたのだ。だが実際には『辺境伯』という予想外の厚遇となり、ヴァルトアに力を持たせすぎるのではないかという懸念が頭をよぎってしまい、思わずカルビンが小声でつぶやいた。


「……終わった」


 *


 翌日、新都エラールはヴィンターガルテン家の陞爵話で持ちきりだった。あちこちの掲示板には「祝・ヴィンターガルテン辺境伯任命」の張り紙が躍るし、エラール都下の新聞はこぞって陞爵を記事にしていた。


「ふん、どうせ“辺境伯”だ。俺たちの嫌味で腰を抜かしておるだろう」


 レピソフォンの執務室、彼はギシギシ鳴る執務椅子でだらしなく足を組むと鼻を鳴らした。しかし彼は未だ辺境伯の意味に気付いていない、それを見てカルビンがため息をつく。


「……むしろ別の意味で腰を抜かしてると思いますよ」


アリスが「むしろ王宮的には百点の判断かもしれないですけどね」と言って肩をすくめていた。文字が読めないポンパイヤのためにアリスが新聞を読み聞かせていたところ、彼女は「お茶会に呼んじゃおうかしら♪」と上機嫌に笑っていた。それを聞いてレピソフォンの顔が引きつった。


「呼ぶなァーーーッ!!」


 *


 キュリクス領主館の静かな午後。


 相変わらずのんびりとした空気が流れるキュリクス領主館。メイドたちはいつも通り館内を掃除をし、外では洗濯機を回しながらわいわい騒いでいる。緊張感など微塵もないその日常の中にぽつんと一通の書状がヴァルトアの元に届いたのだった。それは場違いなほど上質な封筒と赤黒い封蝋が施された王宮からの書状である。ヴァルトアはそれを手に取り、眉をしかめた。「どうせ碌な話じゃないよな」と呟きながら封を切ると──中には一通の辞令書が入っていた。


「……トマファ、ちょっと聞くが──いいか?」


「あ、はい」


 ヴァルトアの執務机まで車椅子を漕いで近づくと、その辞令書をトマファに手渡した。それを読んだ瞬間、トマファは今まで見せた事がないほどのぎょっとした表情を浮かべたのだった。


「この“辺境伯”ってのはなんだ? ついに俺、“ハブられ左遷伯”ってのになったのか?」


「いえいえ! これ、とんでもない辞令書ですよ!」


 本来辺境伯とは国境地帯を守護する高位貴族階級であり、戦時には国境防衛総司令官としての立場を持つ役職だ。つまり有事となれば王に次ぐ軍事権と政治権を委ねられる、まさに国家の重責を担う役職となる。しかしレピソフォンにとって“辺境伯”とは『辺境に追いやられた哀れな伯爵家』としか思っていなかったし、皮肉なことにヴァルトア本人も『ハブられ左遷伯』くらいにしか受け取っていない。正しい意味と勘違いが奇妙に噛み合い、滑稽な結果だけが残ってしまう。


「ほう……つまり、なんだ?」


 真顔で聞いてくるヴァルトアを見て、トマファは苦笑いを浮かべると、窓の外に映る街並みを眺めたあと小声で呟いたのだった。


「昇進しても気づかない男、それがヴァルトア卿──いや、もうヴァルトア“辺境伯”なんですよね」


「ねぇ、俺ハブられたの!?」



 こうしてレピソフォンの勘違いと田舎の困惑が交差し“ヴィンターガルテン辺境伯領”が誕生した。誰も狙っていなかった陞爵でこの騒動で唯一得をしたのは、たぶんエラール王宮へと出入りしている花屋とキュリクスの香茶商人『金茶屋』だったろう──。

・作者註

『バン、と机を叩く音が高く響いたのだった。──もちろんアリスは吹っ飛ばなかったが。』



元ネタは2chの古典ネタ。

30代女性「夫が机をバンッ!!!と叩いた衝撃で4〜5メートルくらい吹き飛ばされました


……これ見た瞬間、夫は餓狼伝説(SNK)のテリー・ボガードなのかなと思ったわ

出した技はパワーウェイブ「↓↘→+P」


あ、個人的にはサムスピ(SNK)が好きです、シャルロット推しです!

誰も聞いてないでしょうけど……

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― 新着の感想 ―
「小説家になろう」ではお馴染みの辺境伯ではないですか! 太宰府とか開拓使とか連想するなら田舎の左遷に見えますが、日本で言うなら、九州または北海道の内政と軍事を担うようなもので……。でもやっぱり田舎かな…
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