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210話 武辺者と、オークが遺したもの・終

 強制捜査翌日のポルフィリ家の応接間。


 領主ポルフォ、嫡男カリン、若き文官ネレスト、そしてヴァルトアとトマファが正装で席に着いていた。重苦しい空気の中、机上には押収された魔導書や捜査報告書が山積みに積み上げられていた。


 トマファたちが纏めた捜査報告書の概要を読んでいたポルフィリ家の面々だが、場を支配する沈黙を破るようにネレストが静かに口を開いた。


「つまり──オーク化して不要となった“頸から下”の肉を炊き出しに回していた、ということですね。屠殺直後でなければ術式が成立しないからこそ、生きた豚が頻繁に搬入されていた、と」


 今回の強制捜査で蒼晶宗幹部らを全員逮捕し、シュランクの名簿に載ってる『未救済』の二人だけでなく地下牢に放り込まれていた無辜の民数名も保護した。そして炊き出し施設の奥からオーク化処置をするための手術室や道具や魔導書、そして資料などの証拠物件が多数発見された。それだけでなくオーク化処置のために切り取られた頭部もホルマリン漬けされた状態で発見されている。なお他の施設でオークが暴れた事例は無く、クイラが左腕の骨折、ネリスが両肩の亜脱臼、他の隊員は軽傷で収まったと従軍医官アルベルトから報告が上がってきた。


 施設内で監禁されていた信者らは現在、他の宗教団体に頼んで保護して貰っている。ヴァルトアは眉間に深い皺を刻み静かに息をひそめた。怒りが胸の奥から湧き上がり拳を固く握りしめる。人々を救うはずの宗教が、そして貧民を救うはずの炊き出しが実は恐るべき実験の隠れ蓑であり、恵まれた体格や知性を持つ者を選別する場であったと知った瞬間、彼の中で何かがぶち切れた。普段は寡黙で穏やかな領主の表情だが今は怒気に満ちている。あまりにも残酷で無残なやり口に怒りを抑えることが出来なかったのだ。その圧に呑まれポルフォとカリンは顔をこわばらせ、半ば萎縮して言葉を失っている。


 トマファがネレストの言葉を静かに聞いて頷くと静かに補った。


「貧民対策はどの領地でも抱えてる問題ですが、公的救済──いわゆる『公助』については忠実な領民や納税者が対象です。基本は自助や共助に頼るべきでしょうから犯罪者や追放者、そしてその家族について救済はどうしても排除、もしくは後回しになってしまう。そもそも『義務を果たさぬ者への施しは不要だ』とする声はどこへ行っても強いでしょう」


 トマファの声が一段低くなり、車椅子の肘置きを指で軽く叩きながら言葉を続けた。「──だが蒼晶宗は違った。『最も見捨てられた者こそ救済される魂だ』と宣言して彼らに赦しと尊厳を与えようと動いた。これは我々や他の宗教団体には用意出来ない“報酬"でした」


 ヴァルトアは内心で苦しく思っている。キュリクス領では領主館だけでは十分な救貧活動ができないため、主に月信教や聖心教といった宗教団体が信者からの寄進によって細々と活動を行っている。しかしキュリクス領はギルドとの技術開発に力を入れているおかげで景気が良いため、領主館は年に四回の主神祭や収穫祭などの機会に公金から各救貧団体へ寄進して支援を補っている。誰しもが富める領地経営なんてまさに理想論なんかではない、稚児の戯言だ。だがヴァルトア自身、貧民上がりのため飢えによる苦しみは誰よりも判っているし、幼い頃はあちこちの炊き出しを回っては食事にありつけた思いがあるため、救えないのは自分のせいなのではと思う節がある。だからこそ蒼晶宗が差し伸べた手は、彼ら貧民にとって唯一の救いだったのだろうが、その裏で行われた行為は決して許せぬ背徳であった。


 ネレストはヴァルトアから発する威圧には冷ややかなのか無関心なのか、トマファの言葉に対して静かに言い加える。


「しかし救貧政策には限度があります。資金が尽きればどこかで帳尻を合わせねばならないでしょう」


 神経質そうな表情を浮かべて言ったがそこに感情の色はない。ネレストはきっとナーベルのような官僚主義的な文官なのだろう。ただ、彼はジリノスの中等学校を出てポルフィリ家に仕官しているので決してエリート官僚というわけではない。


 どの宗派にも『財物を貪ることなかれ』と戒禁の定めがあるため信者らは貧しき隣人を救おうと寄進はする。しかし蒼晶宗のジリノス支部から押収した帳簿を精査したところ登録信者数は二百人程度、彼らにどれだけの財力があってもポルフィリ領やフルヴァン領の貧しき者たち全てを救うには限界がある。では炊き出しに通ってた貧民らは蒼晶宗徒なのかと言えばそういう訳でもなく、月信教や聖心教などの炊き出しにも顔を出していた。──つまりタダ飯にありつけるのならどんな神にでも縋りついてゆくのだろう。


「恥ずかしいことですがミトゥ殿とトマファ殿とで我が領の公金の流れを追ってたところバルトノフがこっそり蒼晶宗に寄進していたと判明しました」


 カリンが下唇をかみしめながら言った。代々ポルフィリ家に仕えてきた重臣の不正だ、内心忸怩たる思いだろう。


 今回の強制捜査ではトマファもミトゥも出向いている。しかしトマファは車椅子のため強制捜査には立ち会えないし、ミトゥは軍事訓練の経験が無いので参加は控えてもらった。その代わりにポルフィリ領のすべての帳簿の洗い出しをしてもらったのだ。これもミトゥが銀行家権限でかき集めた取引情報により、ポルフィリ領から蒼晶宗へと資金が流れている事を掴んでの事だ。


「連中らは宗教団体だから『公益性』がある。社会の精神的安定や文化の維持に貢献しており、『営利目的でない』ならかき集めたお金で救貧活動をする分には我々も文句は言えない。そしてシュランクのような優秀な孤児を育て、金蔓にしてきた──これも百歩譲っても良い、一つの『経営判断』だ。だが魔導師や錬金術師をも育て、そこで育てた技術をどんな形にしてでも売ろうとする。──つまり元犯罪者らを囲い、オーク化させてプロピレン伯へと売り込んでさらなる“太い金蔓”を誘い込もうとしたのは、治安擾乱どころか悪鬼羅刹の所業です」


 トマファが淡々と机上の資料に手を置いて言うと、ポルフォ、カリン、ネレストは静かにうつむいた。これらの事実はポルフィリ領の財政不安のせいで必要な救貧策が全く講じられず、蒼晶宗に付け入る隙を与えてしまった結果だ。そればかりか彼ら狂信者が貧しい領民の心へと綿密に侵蝕し続けてきたことの動かぬ証拠でもあった。


「証拠は揃っているし、領民を害する宗教は見過ごせぬ。──今回の件では我が領ヴェッサへの不法侵入や領民の失踪があったわけだから、キュリクス領主として背を向けることはできん」


 今まで静かに座っていたヴァルトアが厳しく言い放った。威圧感溢れるその表情、その声には揺るぎのない決意がこもっていた。「処置はそちらに一任するが、厳格に頼む」


「盗賊事件に続き、またもやヴァルトア卿、それにトマファ殿にご迷惑をお掛けしましたね」


 カリンは深く頭を下げるとポルフォが静かに告げた。


「我々は寄親の伯爵クレメル殿とは縁を切り、──ヴィンターガルテン家の寄木となろうかと思ってるのだが……どうだろうかヴァルトア卿」


 それを聞いたヴァルトアは、厳しい表情を浮かべたまま戸惑いを覚えた。


 同じ子爵家とはいえポルフィリ家は領都ジリノスや広大なシュヴァルの森を代々守り続けてきた歴史ある一族だ。統一戦争の功績で叙爵したヴァルトアとは「家の重み」がまったく違う。立場を超える提案に驚きつつも、その重圧とポルフォの想いがヴァルトアの胸に重くのしかかった。しかし当惑するヴァルトアに忖度することなく、ネレストは冷徹に言い添える。


「財政再建はすでにトマファ殿やミトゥ殿が担っておられます。形式だけの寄親に今さら何の意味があるでしょうか?」 


 ポルフィリ家とは古くから付き合いがあるクレメル伯家だったが、王宮内でのノクシィ一派との抗争で今では完全に没落している。寄木がどれだけ困窮していても今となってはクレメル伯家が手を差し伸べる事は適わないだろう。


 カリンが「あと、バルトノフは当家できっちり処断いたします」と続けた。


 その時、応接間の扉が静かに開くとポルフィリ家のメイド長が近づいてポルフォに耳打ちした。ポルフォの顔色が見る間に蒼白になり額に汗が浮かぶ。狼狽えたように頭を抱えたので、隣に座るカリンが震える声で訊いた。


「どうしたんです、お父様」


「……バルトノフが、療養中の病室で自刃した……」


 応接間は一瞬にして凍りついた。誰もが息を呑み、空気そのものが重く沈む。肩を小刻みに震わせながら呻き声を漏らすポルフォの姿が蒼晶宗事件の残酷な結末を際立たせていた。ヴァルトアはその光景を前に、全ての言葉を呑み込んでしまったのだった。


 *


『シュランクの日記より抜粋』


 毎月の寄進ノルマが正直きつい。『我々の精霊、永遠の女王であるあなたに祝福を』と聖句で言うが、それもこれも日々なんとか生きていけるからこそ吐ける言葉だと思う。孤児だった俺を掬いあげてくれたのは感謝でしかないが、感謝と祝福なんてものは富める者が出来る範囲でするべき話だと思う。


(中略)


 俺は酒が飲めないのだが支店長は酒好き女好きのろくでなしだ。ものすごく不愉快で仕方ないが、評価者から嫌われてまで我を通すのは馬鹿のする事だ。終業後に一杯どうだと誘われたので付き合うことに。そこで支店長は俺にこう切り出して来た。


「シュランク君。効率よく金を稼ぐ方法が有るんだが、興味はあるかい?」


 商会から預かった情報を盗賊に売り、その分け前を貰うっていう悪魔の所業だった。しかしノルマ必達こそが永遠の女王から祝福を頂けると思うと乗らざるを得ないのかもしれない。──だが、蒼晶宗の商人の情報は売らないと決めた。


(中略)


 寄進ノルマを達成し続けた俺は育ての親でもある司導ピュルマン様から感謝の言葉と共に蒼晶宗の秘術について教えてもらった。詳しくは書きたくないし思い出したくもないが、罪有りき衆生への救済の一環についてだ。


 今までずっとうまくいかず、その魂を永遠の女王の御許へと送られて行ったのだが、ようやく手法が確立したようだ。そして『救済』された者を無敵の傭兵として売り出し、救いを求める衆生を掬うという。プロピレン伯爵が興味を持ったらしく、実験として十二人を救済する事に。罪有りき衆生に永遠の女神の救済あらん事を。


 ピュルマン様が見せてくれた名簿は、メモとして残しておく。だがこんな事、本当に永遠の女王の思し召しなのだろうか。人を人成らざる者へと施すなんて所業が救済と言うならば、俺は救われたくはない。帰り道、俺は裏街で青酸カリを買った。蒼晶宗への疑問は一度湧いてくると尽きないものだ。もし何かがあったなら、自身で救いを拒絶する。


 *


 その後、蒼晶宗幹部に対しては殺人や死体損壊だけでなくヴェッサの森への侵攻といった戦争に関する罪にも問われる事になった。しかしオーク事件について公開裁判を行なえば模倣する者や悪用する者も出るだろうからオークの事はおくびに出さずこの三点のみに絞って審議する事となった。


 しかし事情をよく知らない傍聴人からしてみれば「あの死人は救済されている、生きている」と訳の分からない言い訳を繰り返す幹部に呆れ散らかすしかなかったという。結局オーク事件に係わっていた者たちには死罪もしくはアルカ島への強制労働という判決に至った。


 その後オーク事件には一切係わっていない下級幹部らは棄教せず後継団体の『蒼星宗』というものを立ち上げていたが、それはまた別の話。


 *


「今、この器は大地に還り、その嘆きは永遠の女王に委ねます。故人の魂に宿った蒼晶石の曇りはすでに大地と水の浄化の風に吹かれました。いかなる罪も大いなる精霊の慈悲を遮ることはできません。故人の魂が安息を得、再び清らかな光となることを、我らは祈ります」


 夕刻を告げる鐘が遠くで鳴り響く。淡い茜色の光が墓地を包んでいた。


 バルトノフはジリノスの集合墓地の片隅に、ひっそりと埋葬されることとなった。本来ならミルタザ家が保護する教会の墓所に葬られるべき身だったが、公金横領や戸籍偽装の罪、そして主神への冒涜行為とも言える自刃で生を散らしたため集合墓地へと埋葬されることになったという。──ちなみにミルタザ家としては聖心教を保護していた。


 淡い夕光のなか、墓地の風は冷たく静かだった。刈られたばかりの秋草の匂いと遠くの鐘の音が溶け合い、誰もが言葉を失っていた。ポルフィリ家からは代表としてカリンとネレスト、ヴィンターガルテン家からはナーベルとトマファ、そしてアニリィが参列した。しかしながら彼を埋葬するために裁判係争中の蒼晶宗の聖職者を呼ぶことは叶わず、代わりにネレストが震える声で蒼晶宗の聖句を唱えた。その声は風に溶け、まるで赦しを求める祈りのように響く。


 飾り気のない棺が掘られたばかりの冷たい土の上にそっと置かれる。そこにコスモスの花束が手向けられると、墓守は静かに土を掛けてゆく。ざっ、ざっと音を立てて掛けられてゆく様を皆が静かに見守っているとアニリィがそっと口を開いた。


「バルトノフ、昔っから大ッ嫌いだった……。領主様の娘なんだからお淑やかにだとか、言葉遣いに気を付けろだとかお小言ばかり。今も大嫌いだし、会いたくはないと思ってたけど、最期のお別れがこんなのは、もっと嫌だな──」


 いつもは滅多に涙を見せぬアニリィが今は静かに瞳を潤ませていた。口では何度も嫌いだと言いながらもその言葉の裏にあった温かな叱咤を知っている。けれどもその感謝を伝える勇気もなく、ただ意地と不器用さを抱えたまま時を重ねてしまい、最期のお別れの時を迎えているのだ。月信教の聖句を唱えていたカリンが土で隠れていく棺を見つめながら小さく呟いた。


「……バルトノフや父上は昔からアニリィには厳しかったな」


 アニリィはフルヴァン領の強制捜査で陣頭指揮を執っていたが、バルトノフの訃報を聞くや十数年ぶりにジリノスへ飛んで帰ってきた。父ポルフォとは顔を合わせづらかったのか葬儀では一般参列者の列に紛れていたが。だが埋葬にポルフォが来ないと知ると、今度はヴィンターガルテン家の家臣として参列を申し出た。──もちろん一ヒロを超える高身長の女将校が目立たぬはずもなく、ポルフォは久方ぶりに見た末娘の姿にわずかに目を細めていた。


 一拍の沈黙の中に秋風がすっと吹き抜けた。その後にナーベルが穏やかに口を開く。


「ずっと大事に想い続けていたエルマン殿と共に埋葬されたんだ。──お別れは寂しいだろうが、御許への加護を祈ろうじゃないか」


 埋葬が終わり、皆は真新しい墓石に一礼して静かに集合墓地を去っていった。その後に墓守が鐘楼に登り、鐘を衝く。秋の空に響く鐘の音と夕陽に照らされた墓標が二つ並んでいた。その柔らかい陽射しが二人を赦すよう温かく広がっていたのだった。

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