207話 武辺者、盗賊を襲撃する・5
ジリノスで取ってる宿の一室はシュランク事件についての臨時の捜査拠点となっている。木のテーブルの上には押収してきた資料が山と積まれ、それらが古めかしいランプと蝋燭のぬめっとした明かりに照らされている。書類や日記、蒼晶宗に関わる書籍──いずれもウタリは片隅に押しやると薄っぺらい帳面を中央に置いた。走り書きで書かれた名前と出生地に続き「救済、未救済」などと書かれており、この帳面が何を示しているのかが全くわからないでいた。
「ここに書かれている人達をすべて調べれば良いんですか?」
ぼんやりとその帳面を眺めていたプリスカがそう言った途端、全員が「シィー!」と言うと静かにというジェスチャをした。それを見てプリスカは慌てて自分の口を両手で塞ぐ。
「ここから先は随分とナイーブな捜査となるぞ」
「え、ウタリ様どうしてなんですか? これって銀行員シュランクの顧客名簿か何かじゃないんですか?」
プリスカも机を囲むクラーレやブリスケットらの剣呑な空気を読んだのか薄暗い客室の隅をあちこち見やると異様なまでに小声で話した。彼女の横に立つマイリスが耳打ちするかのように説明する。
「きっとこの名簿、蒼晶宗に関係してると思うのよ。でもこの街やこの宿のどこに信者が紛れ込んでるかなんて判らないし、数年前に宗教絡みの大きな事件があったから大っぴらな捜査ができないってことなのよ」
シュランクの家宅捜索でも、話し好きの大家を警戒してウタリたちは小声で捜査していたし、捜索内容を覗かれないよう情報も漏洩しないようマイリスが必死になって大家の気を反らしていた。楽しそうに耳を傾けてくれるマイリスたちに気を良くしたのか、大家が捜査の妨害をすることは無かったのだが。
「だけど私たちに捜査権があるんだし、それなら令状取って蒼晶宗を調べれば……」
「プリスカ嬢。信者にとって宗教ってのは、ただの教えじゃなく"生活そのもの"なんだ。それを権力者が捜査権で脅かすなんて敵か悪魔か邪魔者かの何者でしかないから、令状を突きつけても非協力的になるだけだし、場合によっては先鋭化したり攻撃してくる危険性だってあるんだよ」
ブリスケットが詳しく説明するが、彼女の両親や家族がそこまで信心深くないのか、プリスカにとってはぴんとこない説明だった。彼女はぽかーんとしていたが、慎重な捜査を心がけると決まったので彼女も頷くことにした。
しかし眼の前のこの帳面が何なのかが一切解らない。クラーレは「……役場を回ってここに書かれてる人物について調査したほうが良いかもね」と漏らす。熱心な蒼晶宗の信者で毎朝の礼拝を欠かさず、高給取りでありながら生活は質素そのもの、そんな男が死に際に残したかったこの帳面は一体何なのか。蒼晶宗独特の符丁なのか、あるいは銀行員シュランクが抱え込んでいた顧客名簿なのかすら判断つかなかったのだった。
*
夕べの捜査会議で「まずは公的記録からここに書かれている人物照合をしよう」という事が決まったのでそれぞれが役割を決めて動く事となった。
ブリスケットは早朝の霞が残る街路を抜けると領主館別館の行政記録室へと足を運んだ。ここは一般市民がそうそう訪れるような部署ではないため、室内は埃っぽくてなんだか古紙の酸っぱい香りが漂っていた。そして窓口の役人はブリスケットがやってきた時はうつらうつらと居眠りしていたぐらいである。それに役人は最初面倒そうに応じていたが、キュリクス領の武官と知るや慌てて背筋を伸ばし、愛想よく協力を申し出てくれたのだった。
「きゅ、キュリクス領とおっしゃいますと……あのアニリィ“姫”はお元気なんでしょうか?」
あのじゃじゃ馬娘を”姫”と聞いてブリスケットは少し吹き出してしまった。「失礼」と言うとブリスケットはアニリィの近況、諸用で来れなかった事を簡単に話す。
「そうなんですね! 実は私、”姫”とは学友でございまして──」
役人はにこにこと昔話を始めたが、ブリスケットはその彼の言葉の節々に棘を感じ取っていた。十数年ほど昔、同じ学校に通っていたアニリィを"領主の娘"と甘く見てからかったらとてつもなく痛い目を見たに違いない。彼の口からは何度も『可愛がってもらった』と言ってたが、どう聞いても『相当に可愛がられた』と想像がつく。王国軍士官だった頃からアニリィとは付き合いのあるブリスケットからしてみたら、彼の話のオチが手に取るように判ってしまったのだった。
だが少し馴れ馴れしい役人だったが、その彼の手伝いで照合が早く進み、やがて二人の眉は同時に曇ってゆく。というのもシュランクの名簿に載っていた者のうち数名が、数年前から消息を絶った『行方不明者台帳』に記載のある人物だったのだ。その不可解な符合に彼も小さく唸り声を漏らす。──もちろんシュランクの名簿は重要証拠なので、内容はメモに書き落としてある。
「ちなみに武官殿、この人たちについて一体何を調べたいんですかい?」
「いやいや、少し気になったところがあって調べているんだ」
*
一方でクラーレは警邏隊詰所に籠もり、保存されてる犯罪者に関する各種台帳を繰っていた。”公開厳禁”と四隅に赤黒い公印が押された『捜査記録簿』を開くと、人物名と罪状、捜査状況といったものが事細かに記録されている。軽微な盗みから殺人に至るまでの記録の中にやはりシュランクの名簿と一致する者がいたのだ。
その男は数年前まで広域で指名手配されており、半年前にはアジトへの潜伏が疑われるところまで捜査されていたが記録はそこで唐突に途絶え、それ以降足取りは一切不明とされている。また、彼以外にも集団スリ団とし活動していたにもかかわらず、ある時期を境に姿を消した者もいた。
さらに剣闘士や武芸者の台帳にもシュランクの名簿に名前が載っている者がいた。かつて剣術道場を開いて武芸に励んでいた男だった。彼は武者修行に出て以来、忽然と姿を消して失踪扱いとなり、公的な記録から抹消されている。
*
夕刻、ブリスケットとクラーレが集めてきた資料が机の上に並べられた。それと並行してウタリ、マイリス、プリスカの三人はシュランクの名簿に記載された者たちの出生地へと出向き、確認作業を行っていた。
「つまりシュランクの名簿に載っていた四十六名のうち、ポルフィリ出身の者二十四名はどれも行方不明だった、と」
ウタリが小さな声で漏らした。ポルフィリ領の記録として残っているのはこの地に縁があった者たちだけである。残り二十二名については隣領のフルヴァンやプロピレンなどへと出向いて記録を照合しないと解らないだろう。が、ここに居る誰もが、残り二十二人も既に行方不明になってるのであろうとは想像付いてしまう。
「やはり蒼晶宗へも聞き込みも行ったほうが良いんじゃ……」
「それはやはり辞めたほうが良いかと。──数年前にエラールを騒がせた“陽輪会事件”って例もありますから」
クラーレが漏らした一言にブリスケットは静かに制した。
かつて新都エラールでは陽輪会という新興宗教が急速にその勢力を拡大した。彼らが掲げる「真の平等、そして幸福」の理想が疲弊した民衆の心をとらえたのだが、その実態はただの原始共産主義の模倣と教祖への絶対的服従を強いるものであった。それに陽輪会の強引な布教活動と共同体内の特異な慣習は近隣住民とのトラブルを絶え間なく引き起こしてしまったのだ。
当初官憲は王国憲法で保障された「信教の自由」を尊重し及び腰だったが、社会的な混乱が無視できない水準に達したため、ついに取り締まりに踏み切った。これに対し陽輪会は「信仰への弾圧だ」と激しく反発。その抵抗は近隣住民と当局の焦燥を煽り、捜査は強硬化の一途を辿ってしまう。混乱の末、王立裁判所は教団の解散命令を下すという最終通告を行ったのだった。この裁定を受け入れた教祖は信者たちを最後の集会に招集し、「この世の汚れた権威に屈するよりも我らの純粋な理想を守る革命的な終焉」を説く。そしてその夜、新都エラールの片隅で数十人の信者とともに集団自決するという王国史上類を見ない悲劇的な最期を迎えてしまったのだ。
つまり捜査手法を誤るとシュランクが遺したこの名簿が完全に闇堕ちしてしまう事を意味しているのだ。しかしそんな空気を余所に、ぼそりと呟いたウタリの一言に全員が生唾を飲み込むのであった。
「いや……逆に蒼晶宗というのを見に行ってみないか?」
少しだけ書かせていただきました
気が向いたら、ついでにお読みください。
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