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206話 武辺者、盗賊を襲撃する・4

 キュリクスより北、ポルフィリ家の館。その広々とした応接間では途轍もなく緊張した空気が漂っていた。北街道を拠点としていた盗賊事件捜査班長のウタリは領主ヴァルトアの捜査助力の書状を携えて立っており、その対面に座るのは嫡男カリンと白髭の家老バルトノフだった。


「キュリクス領での盗賊事件に伴って容疑者シュランクの家宅捜索を許可いただきたい」


 他領の人間を逮捕する際は事後報告でも構わないという事になっているが家宅捜索となると話は別だ。きちんと仁義を通さなければその領の官憲が飛んでくるかもしれないし、場合によっては現場を荒らされるかもしれない。むしろ他領の捜査担当武官が土足で入ってくる事に快く思う人は居ないだろう。そのためウタリはきちんと捜査許可を取るためにポルフィリ領主の元へと訪れて書状を手渡したのだ。それを一読したカリンは静かに頷いた。


「え、えぇ……構いませんよ」


「お待ちくださいませ若様! そのシュランクという男、確か領都のど真ん中で服毒自殺を遂げた男ではありませんか。死人を掘り返すかのような真似をすれば領民の心証を損ねましょうぞ!」


 だがその横でバルトノフが急に立ち上がると声を荒げた。──この男はポルフィリ家に代々仕える家老の一人で、アニリィは「ポルフィリ家で“とんでもなく面倒くさいジジイ”」と評している。ちなみにそのアニリィ、実家へ寄って捜査許可を取らなきゃいけないと伝えると頑なに参加を拒絶した。どうしても父親とこのバルトノフには会いたくないらしい。


「バルトノフ殿の言う事はご尤も。ですが世間が嗅ぎつけたら大いに驚くでしょうね。──高給取りの銀行員が裏で盗賊と結託してただけでも大ニュースなのに、しかも荒稼ぎまでしてたと。我々はその金の流れを追っているんです。……むしろ、こんな大ニュースを放っておくことこそ大スキャンダルになると私は思いますけどね」


「だからもう済んだ話だろうって言ってるんだ! しかもその男はお前たちの目の前で命を絶ったんだ。それを今さら蒸し返して何の得があるというんだ! いい加減にしろ、我が領民の名誉を、そしてポルフィリ家をとことん踏みにじるのが目的か!」


 唾を飛ばす勢いで叫ぶバルトノフだがウタリは一歩も引かない。ちなみに他領の人間の家宅捜索は基本的に拒絶してはならないという王国法がある。キュリクス領は事前に連絡を入れているし、共助要請まで取ろうと努力しているにもかかわらずバルトノフはそれを頑なに拒絶しているのだ、これでは何か裏があるのではないかと疑ってしまうだろう。応接間の空気がぎりぎりと張り詰めていったときに応接間の扉が開いたかと思えば低い声が響いた。


「──バルトノフ、控えよ」


 堂々たる体躯から威厳を放つ当主ポルフォが姿を見せた。アニリィの父だけあって目元や鼻筋は娘とよく似ているが、ウタリの視線は彼の耳に釘付けとなってしまった。耳がすっと長く鋭く伸びており彼ら一族がエルフの血を強く引いていることを雄弁に物語っていた。


「ヴァルトア卿から儂宛にもカリン宛にも捜査協力の書状はきちんと届いておるし、わざわざご足労頂いてまでお願いに上がってるのだ。それなのに失礼を重ねるなんてバルトノフ、慎まんか! ──ウタリ嬢、我が古老が無礼を働いて済まなんだ」


「いえ、領内の秩序を思えば当然の事です」


「件の事もあるし、我が“じゃじゃ馬娘”がお世話になっておるのだ、気の済むまで捜査をするといい。──あと、ヴァルトア卿にはよろしくとお伝えくだされ」


「御意にございます」


「──ッ」


 ウタリは一礼した。少し前まで歳出超過が祟り、生活インフラの保全はおろか凶悪犯罪者を罰する施設すら維持できなかったポルフィリ領である。その窮状にある領にとってキュリクス領からの悪感情は是が非でも避けたい事態だった。現に十数名の山賊はキュリクス領へと引き渡されているし、債務整理や生活インフラの改善についてもキュリクス領が手を貸してくれた経緯がある。なおポルフィリ領の寄親であるクレメル伯爵に窮状を訴えたところで、伯爵家自体が勢いを失っているためにまともな支援は期待できない状況なのである。腰を低くして振舞うポルフォに反してバルトノフは顔を真っ赤にして歯を食いしばりながら黙り込む。その態度がかえって不穏な影を残したのだった。


 *


 シュランクが暮らしていたのは領都ジリノスの端に立つ見窄らしい集合住宅だった。その立地も建物も銀行員にしてはあまりに質素でむしろ違和感を覚えるほどだった。聞き込みによると彼には身寄りがなかったらしく、ここ数日は部屋に寄り付く者は誰もいなかったという。集合住宅の大家に捜査令状を見せると老齢の女性は驚きを見せたもののすぐに鍵を開けてくれた。


「シュランクさん、一体何があったの? それに部屋の物はどうすればいいのかしら?」


 シュランクの死はジリノスでは大きく報道されていない。大家の問いかけに対し捜索班に付き添ってきたプリスカとマイリスが静かに応対する。人の良さそうな大家は家宅捜索しようとしてたウタリたちの耳にも届くように「シュランクさんは真面目で信仰深い方でしたよ」と漏らしていた。


 ウタリとクラーレ、ブリスケットらが玄関先に掛けられていた麻織の戸口カーテンを開いてその部屋に入るとあまりにも質素すぎる部屋の作りと家具に驚愕したという。それは「片付いた部屋」というより必要最低限のものだけ置かれただけというがらんどうな空間だったのだ。一人掛けの机と椅子、そして寝台と本棚、あまりの物のなさで落ち着かないほどである。


「銀行員って割には……なんというか、質素な部屋ね」


「僕ももっと豪奢な暮らしをしてると思ってましたよ」


 クラーレが鼻を鳴らすとブリスケットも静かに頷いた。銀行員は一般庶民よりも高給取りであり、その待遇によって金銭的・道徳的不正に手を染める誘惑を減らし、職務の清廉さを保つ狙いがある。だがシュランクの部屋は清潔感こそあれど貧民の住まいと大差なく、むしろ庶民の方が物を持っているぐらいである。ブリスケットが開けた洋服箪笥には銀行員の制服数着と庶民的な麻織着が二着のみ。居並ぶ家具はどれも安物で、食卓には乾ききった黒パンが一切れだけぽつんと残っていた。そのパンも高給取りな銀行員が口にするには似つかわしくなく、貧民がありがたがって食べるような粗末なものだった。奥の書架には経済書や哲学書と並んで蒼晶宗の聖典や教義書が整然と並んでいた。今でも玄関の外からプリスカやマイリスに向かってシュランクについてあれこれと話す大家の声が聞こえてくる。


「あの方は本当に信心深くてねぇ、毎朝夜明けの頃には蒼晶宗の教会に向かって祈りを捧げてたのよぉ」


「へぇ、そうなんですね──で、シュランクさんとお付き合いのある方について……」


「“我々の精霊、永遠の女王であるあなたに祝福がありますように。あなたが今日と我がシュランクを創造し、そして一日の加護を賜りますよう謹んでお願い申し上げます"って聖句を上げててねぇ」


 しかしマイリスの問いかけにも意に介さず、話好きな大家はシュランクが熱心な蒼晶宗徒であったことを熱心に語り続けていた。事実、シュランクの部屋から玄関を出ると蒼晶宗の教会の丸屋根と尖塔が正面に見える。まるで日の出と共に尖塔へ祈りを捧げられるよう彼がこの場所を選んで住んだのではとさえ思えたのだ。部屋に戻ったウタリは蒼晶宗の本に目を止める。ふとシュランクの最期の言葉を思い出したのだった。


 ──本棚の奥──


 証拠物品収納箱に書架の本棚をいくつか放り込むと壁に埋め込まれた小さな金庫が現れた。だが立派な錠前がついており簡単には開けられそうにない。


「破壊は無理そうですよ、これ」


 ブリスケットが鍵や金庫に手を掛けて引っ張ってみたが、しばらくして首を振った。


「……プリスカを呼べ」


 ウタリの声にほどなくして小柄な少女が駆け込んできた。メイド服姿のプリスカに「頼めるか」とウタリが訊くと、彼女は頭からヘアピンを二本引き抜いてにやりと笑った。


「えへへ、“母の秘伝”の出番ですね」


「……あの女将って本当に規格外よね、色々と」


 クラーレが呆れ声を上げた。トトメスは普段こそ酔虎亭を取り仕切っている女将だが、喧嘩騒動を起こす酔客を怒声一喝で黙らせ、さらには回収騒ぎになった“レオダム式防犯閃光筒"を大量に隠し持ってるなどなかなか危険な女でもある。その娘であるプリスカの特技が「華麗な踊り」と「母秘伝の錠前破り」なのだから本当に規格外と言うほかない。ブリスケットは苦笑しながら「くれぐれも犯罪には使わないでね、プリスカ嬢」と釘を刺すとプリスカが「──はいはい」と気のない返事をしたその瞬間「カチリ」と音がして錠前が開き、彼女は薄い胸を張った。


「はい、今回は10秒掛からなかった」


 プリスカが金庫を開けると中には一冊の帳簿が入っていた。それをブリスケットが引っ張り出すと、そこには走り書きで氏名・出自などが列挙されていた。さらに横欄には不気味な書き込みがある。


「“救済”……“御許”……“未救済”……なんですかね、これ」


 クラーレやブリスケットは顔をしかめた。


「ただの名簿には見えねぇな」


 ウタリはそう言うと証拠物品として箱に収めた。ブリスケットが書架に残る何冊もの蒼晶宗の本を手に取るとウタリが小さな声で呟いた。


「蒼晶宗……精霊崇拝の一派だな」


 それを聞いてクラーレが続ける。


「ポルフィリ領やフルヴァン領に多い一派で孤児と貧民に対する救済や炊き出しをこまめに行うから評判はいいと聞くわ。でも──“罪人ですら救済の対象”って説いているのよね」


「いわゆる月信教や聖心教といった宗派は罪人への救いは無いと明確に説いている、聖典で禁じられていることすら守れない人間になんて救済は不要だという考えからだったな。──だからこそ蒼晶宗は他宗派から異端あるいは異様な考え方として捉えられている、らしいな」


 どの信仰にも信者が守るべき厳しい定めがある。例えば主神を疑うこと、その名を軽々しく呼ぶこと、安息日を破ることなど教えによって若干の違いはある。しかし殺人、暴力、姦淫、窃盗といった行為に対してはいかなる教団も固く禁じている。そのため一般的な宗派では、罪を犯した者は主神への反逆者と見なして救済は行われないと説く。しかし蒼晶宗だけは考え方が特殊で、彼らは罪を犯す原因についてこう説いている。


「罪を犯すのはその人だけが悪いのではない。社会や貧困、そして周りの無理解がその人を許さないからである。そして罪を犯しても救済が無ければ人はいくらでも罪を犯すし、誰とて無視され手を差し伸べられなければ罪を犯す」


 彼らの教えによれば犯罪者であっても許しを与え救済の対象とする。そしてその罪が濯がれるまで祈りを求め、救済を求める者には静かに手を差し伸べるというのだ。しかしウタリの声は低かった。目の前の名簿に書かれていたその救済が単なる慈善を意味するのかそれとも……。彼女はその裏に隠された意味を疑っていた。


「この名簿に載ってる連中らについて調査してみるか」


「ということはウタリ殿、蒼晶宗に問い合わせるんですか?」


 小声で訊くブリスケットにウタリは耳打ちするかのようにそっと答えた。


「いや。まずはこの名簿情報で追えるところまで追ってみよう」


 さらに捜索を進めると引き出しからいくつものシュランクに関する様々な書類が見つかった。孤児院発行の出生証明、ヴィオシュラ高等学院の卒業証書や成績証明書、そして行商人ギルド加盟証書や賃金明細書などが几帳面に綴じられていた。それを見てクラーレが感嘆な声を上げる。


「孤児院出身? しかもこの人、高等学院まで出てるの?」


「銀行に勤めるまでの立身出世、相当な才覚だったんだろうな」


 ブリスケットが感心したように言うとウタリは手にしていた賃金明細書に目を落とした。そこに記されていた支払額は文官長トマファよりも高額である。毎月これだけの賃金を得ていながら彼の私服は相当に粗末で食卓には貧民が口にするような黒パンしかなかった。これでは相当の預貯金があるはずだと思われたが、既に驚くほど少額しか残っていないことも判明している。しかも支店長や同僚の話では、仕事ぶりも真面目で愛想が良く、酒は飲めないが付き合いも良く、顧客からも慕われる良い銀行員だったという証言も得ている。


「つまり夜明け前には起き出して祈りをかかさない熱心な信者で、収入の大半をお布施に回していたってわけか」


「そんな人がどうして盗賊と通じたの?」


 クラーレの問いに沈黙が漂う中、ウタリが低く、そして静かに答えた。


「……それを調べるのが私たちの仕事だ」


 名簿に書かれた救済という不気味な文字列が三人をじっと見返しているように感じたのだった。

少しだけ書かせていただきました


気が向いたら、ついでにお読みください。



おじま屋作品をお楽しみの皆様へ

https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2471795/blogkey/3511394/

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