表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

200/248

200話 武辺者と、金属錬成への道・4

 キュリクス東区の隅にある古びた屋敷に三つのフラスコを描いた旗とキュリクス街旗、そして戦乙女の旗が三流仲良く掲げられた。それはビルビディアの銀行家ポンドゥ家が領主ヴァルトアの許可を得て当地に支店を開業したことを示していた。これに伴い現家長エドモンの弟ミトゥをはじめ本店から若い銀行員たちが王都ミラフォンから移ってきたという。


 銀行家の役割は王や領主に金を貸すだけにとどまらない。顧客の資産を管理し、その富をさらに増やすためにあらゆる金融活動を行うのが仕事であり、将来性のある分野に積極的に投資して利益を拡大するのも大事な仕事である。また、各国に広がるポンドゥ家の金融ネットワークを通じて政治や経済に関する重要な情報を収集・提供することも大切な任務のひとつである。


 キュリクス支店に選ばれたその古い屋敷は十年近くも空き家となっていたため外装も庭も屋敷内も荒れ果てていた。だがポンドゥ家は掃除、植木、大工など各種ギルドに大金を投じ、わずか十日間で新築同様に生まれ変わらせたという。まさに匠の技、劇的ビフォーアフターである。昼夜を問わず掃除や草刈り、修繕作業が続けられたのはまさにポンドゥ家の意地の表れであろうか。ちなみにその掃除や植木の仕事にメイド隊がこっそり加わり小遣い稼ぎをしていたのはここだけの話だ。彼女たちに副業は禁止されていないため有休を取ってフル稼働した者や、日勤を終えた後に寝る間を惜しんで働きに行った者もいたらしい。


 なおポンドゥ家と取引をする上で取り交わされた条件の一つが「主要銀行(メインバンク)」の取扱いだった。本来なら全てポンドゥ家に移管してくれと言ってくるかと思われそうだが、意外な事にエドモンは「そのままで構わない」と言ってのけた。というのも文武官や兵たちの俸禄振込からギルドからの徴税、王宮への納税代務も主要銀行の仕事だ。しかしそういう仕事こそ主要銀行にやらせればいい話で、他国の大銀行家がわざわざそんな仕事まで全て掻っ攫う必要はない。だが給与積立投資や小額投資、花嫁&花婿積立などの証券商品や生命保険はキュリクスのどの銀行よりも割の良いものを優先して販売してくれるという。面白い商品としては一定額の投資を募り、十年後に十年物の火酒を利息として元金と共に返すというのもあるんだとか。ユニークと言えばユニークだがちょっと変わった金融商品もあるのがポンドゥ家ならではというべきだろう。


 ポンドゥ家からヴィンターガルテン家の主要銀行に融資額2,560エラール・タリが全額振り込まれた。しかもミラフォン・ポタンからエラール・タリ金貨への両替手数料もポンドゥ家が持ってくれたという、まさに致せり尽くせりであった。これを元に反射炉建造を目指し、そして安定生産が始まってから20年かけて返済していくこととなる。なお“お金に色はついてない”というが、このお金は反射炉建造と安定生産するまでの材料費や人件費、燃料費としての使途に限定されている。もちろん、それを見張るためというのもミトゥの仕事だろう。


 で、資金調達を終えた翌週。


 領主館の会議室には重苦しい空気が漂っていた。帳簿や統計表が机一面に広げられ、窓の外では狭い練兵所で訓練する領主軍の姿が見てとれる。集められたのはヴァルトア、トマファ、ナーベル、クラーレ、レオナ、そして技官のミルドラスとオキサミル。そこに今回からヴィンターガルテン家に加わる新しい会計士がゆっくりと姿を現した。


「うす、よろしくぅ!」


 気合の入った挨拶一つすると長身で細身、パンチパーマにリーゼントというまるで一昔前のツッパリのような髪型の男が入ってきた。決して素肌で白スーツを羽織っていない。ただ鋭い眼光を放ちながらも歩みは堂々と落ち着いており、会議室に入ってくるだけで空気が変わったのだ。武官とは違った鋭さや冷たさ、そして畏怖嫌悪の情からかメイド隊のひそひそ声が扉の外から聞こえてきた。「……なんか怖い」「近寄りたくない」──それが新たに採用された会計士ミトゥ・ポンドゥの誰もが抱いた第一印象だった。


 無言のまま帳簿の束を受け取ったミトゥは右手をズボンに突っ込んだまま、立ったまま左手でページを繰る。視線は紙に落ちているが、その存在感だけで皆が自然と息を呑んだ。数分の沈黙の後、彼は低く短く言った。


「……まぁ、これなら兄貴も親父も文句は言わねぇよ」


 それだけを告げると帳簿を机に置き、椅子にゆっくり静かに腰を下ろした。ピクリとも笑わず誰とも目を合わせずただそこにいるだけで場を支配している。それを見てナーベルもトマファもわずかに頷いた。やがてヴァルトアが口を開く。


「よし。金は確保した。だが反射炉建設には次の課題がある──」


 こうしてミトゥを迎えた初めての技術会議が始まった。



 会議では反射炉を建設するにあたり避けて通れない実務的課題が次々と俎上に載せられた。耐火煉瓦の量だけでなく品質の確保に始まり、丸いドーム形状に組み上げるための木枠を誰が作るか、煉瓦を正確に積む専門職人の育成、煉瓦同士を接着するモルタルやセメントの安定調達とミルドラスが示した論点は多岐にわたった。これらを一つひとつ解決していくことで初めて反射炉の完成が見えてくる。


 必要数量が耐火煉瓦十万個程度と予想される大型反射炉なんて製造ノウハウなんかどこにも無い。書物だけで作るなんて“無謀”の一言に尽きてしまう。まずは反射炉自体作った事がある技師を探さなきゃいけなかったのだが、これは意外と早くに見つかった。


「ミルドラス君の妻ナタリヤさんの父上とその叔父上が、二万個規模の小さな反射炉ならいくつか造ったことがあるそうです。普段はガラス炉や丸壺窯を作ってて、手紙で技術支援を願ったら『是非とも十万個規模は挑戦したい』と快諾してくれました!」


 嬉しそうな顔をしてレオナが言った。相変わらず作業着姿の彼女だが隣に座るミルドラスの肩をボンボンと叩くと、そのミルドラスは目を泳がせて滝のような汗をかきながらぼそりと付け足した。


「あの、義父殿と……叔父殿が若い衆を──ファーレンシュタッドから来ていただけるそうです」


「だがなぁ、一から百までルツェルのモンに作らせるってのはどうかと思うぞ?」


 静かに耳を傾けていたスルホンが渋い顔で資料に目を落とした。彼の指摘はもっともだ、彼らに作らせてやるのは良いとしてももし崩れて修繕が必要になったからといって毎度呼び寄せるわけにはいかない。できればキュリクス近辺に住む石工たちにも炉づくり技術を継承させておきたい──そう言わんばかりの空気にトマファが静かに挙手した。


「一年ほど前にキュリクス北の街道沿いに物見やぐらを建設した際、汗を流してくれた石工集団が『また百年後も残るものを作りたい』と支援を申し出てくれてます」


「石工集団? 百年後?」


 ユリカが眉を顰める。その言葉にトマファが静かに続けた。


「えぇ、クラーレ嬢がやる気なく仕事する石工たちに『百年後も残るものを』と言って鼓舞したんですよ。おかげで彼らなんて今じゃ『クラーレ組』と勝手に名乗ってキュリクス周辺で石組み造りの仕事をこなしております。ちなみに北部城壁の建造にも名乗りを上げてくれておりますよ」


「それって止めさせられない? すっごく恥ずかしいんだけど」


 クラーレが顔を赤くして言うと、ユリカは軽く口笛を吹いて「あら、モテモテじゃない」と冷やかしていた。


「あとナタリヤさんの父上の提案なんですが、先に二万個程度の小型反射炉を試作してみて、うまくいったなら小型炉を耐熱煉瓦生産専用窯として活用するのはどうかと」


「あ、それ……すごく良いかも」


 いきなり大型炉をつくるのではなく、先ずはリハーサルとして小型炉を作って問題点を洗い出そうという事も決まった。


 ちなみに反射炉とは内部の丸いドーム形状で炎の熱を反射させ、高温を維持する構造を持つ炉である。賢明なる読者諸君には『ピザ窯のようにドーム形状で熱を反射させる仕組み』と説明すれば分かりやすいだろうか。例えば映画『魔女の宅急便』でニシンのパイを焼いていた薪オーブンは250~350度と、電気オーブンより高温にはなる。しかし火の調整に苦労するだろうし。なにせオーブンの位置で焼き上がりが変わるのだ。あと350度以上の高温を出そうとすれば薪の消費は半端ないし、そもそもそこまでの高温設計となっていないので火災の原因にもなりかねない。しかしピザ窯では400~500度の高温を引き出す設計になっているし、高温でなければナポリピッツァのマルゲリータにならないとか。ちなみにこのようなドーム状の炉を造る方法には大きく二通りある。


 一つは木製センタリング工法で、リブと円環を組み合わせて半割ユニット化した木製ドーム型をいくつも作っては組み上げ、煉瓦を積んで硬化させたのちに内部型を解体・回収する方式である。標尺やゲージ治具が必須で精密な木工技術が無ければ作れないし、安普請で型を作れば煉瓦自重でドーム形状が歪んでしまう。もう一つは盛土・砂芯方式で、土を叩き締めてドーム形状や煙突に繋がる排煙路を作り煉瓦の施工後に掻き出すやり方である。今回取り入れるのは木製センタリング工法と盛土・砂芯方式を組み合わせたハイブリッド式で、煙突部などの細部は盛土、炉中央部は木製型で施工する見込みだ。


「大工ギルドが“技術継承”のために若い大工らに木製型を任せてほしいと申し出てくれております。土盛りについては土木ギルドや壁塗り職人も協力を望んでくれました」


「あと地盤強化と転圧には金属加工ギルドと土木ギルドが共同開発した“魔導転圧機”を実験的に使いたいとの要望も届いています」


 トマファとレオナが共に発表する。その後も技術継承のため、今後のキュリクス発展のためにも夜間学校の学域を広げて耐火煉瓦造りの『窯業科』、木型づくりの『木工科』、炉体を積む『石工科』の工業コースを立ち上げるべきという話も出たり、熱伝導計算を担う『理工学研究科』も必要だという声も上がったという。


 こうして会議は熱が上がり、建設に向けた具体的な工程へと話は進んでいくのであった。



 キュリクスは他領と違って領主や文官たちとギルドとの関係が非常に密接だ。金属加工ギルドなんてレオナは半ばギルド員みたいな立ち位置で働いているし、アルディやテルメ、レオダムのように何かと領主館で技術進捗の話をしに来る技術者も多い。それに領主ヴァルトアとユリカの二人がギルドの慰安旅行があると言われれば顔を出すようなフットワークの軽さもあるし、慶弔があればいくらか包んで渡してるというのもある。だから何か新しい事をするぞと領主らが言えばギルドも「一枚噛みたい」と気安く言ってくれるのだ。それを見てミトゥは「驚いた」と一言、実家に速報を送ったという。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ