199話 武辺者と、金属錬成への道・3
領主館を訪れたのはキュリクス駐在大使のレオノールと共にやってきたのはビルビディアの銀行家エドモン・ポンドゥであった。南国好みの格式ばった礼服に身を包み、帳簿や鞄を抱えた随員を二人も従えていた。控え室ではメイド隊の面々が「銀行家って怖そうだよねぇ」と囁き合っていた。確かにエドモンは神経質そうな顔で、後にロゼットの話によれば『トマファたちが来るまでずっと手鏡を覗き込んで前髪を気にしてた』という。
先にトマファたちが応接室に入ってレオノールとエドモンと顔合わせをしてから、遅れてヴァルトアがやってきた。レオノールは手土産としてホリウカという蒸留酒や炭酸柑橘酒を差し出すとアポなし訪問の非礼を詫びた。エドモンは挨拶もそこそこにこう切り出した。
「我々は貴領に融資を申し出たい」
憮然とした表情で言ってのけたエドモンは驚き戸惑う面々を一瞥も反応もせず淡々と融資する理由を続けた。応接間で新人教習のために控えてたプリスカですら「ひぇ」と声を上げて驚いていたのにも係わらずだ。
「このキュリクスの地のことは、こちらにおわすレオノール王子からの書状で詳しく伺っております。夜間学校で複式簿記を一般市民にまで惜しげもなく教えているとか──我が“親愛なる”ビルビディアの王都ミラフォンにおいても、ごく一部の大商会しか扱えぬ高度な知識を平然と開放しているなどまさしく将来性の証左でございましょう。そればかりか港湾開発や城壁改築において出資者を集めた実績もある。さらにミスリル鉱、陶石鉱、岩塩鉱をも抱え、加えて反射炉建設の噂まで耳に届いております。──次の投資に際し、ぜひとも我ら『三角フラスコ』ポンドゥ家にお任せいただきたく存じます」
まるで立て板に水を掛けるかのようにすらすらと告げたのだ。その間じゅうエドモンは憮然とした表情を崩さず、不気味なほど感情を見せなかった。だがナーベルの姿を目にした瞬間だけ、わずかに表情を緩め、口角を上げて微かに微笑んだ。
「そしてエラール王宮の財務官頭を務めてらしたご長男ナーベル殿がいるというのは頼もしい限り。当家はその点も信頼に足ると評価しまして不躾な申し出を致しました」
そう言うとエドモンはすっと頭を下げ、上げるや否や右手を握って胸にやった。部屋の隅で静かに立つ随行員の二人も同じタイミングで拳を胸の中央にやる、ビルビディア式敬礼だった。レオノールは右手を軽く挙げると彼らは再び同じタイミングで右手を引っ込めた、それを見てプリスカは「かっこいい」と呟いてしまった。
「いやねぇ、トマファ殿がハルセリア嬢と婚約してキュリクスとルツェルの結束が強くなったのはビルビディアにとって脅威なんだよね。かといって後からやってきた我々にモバラ港湾利権をこちらに分けてくれというのは変な話だし、城壁改築の投資話にも乗り遅れてしまったのも我々だ。だがキュリクス領にとって大掛かりなプロジェクトを二つも抱えてて、今度は反射炉建設ともなれば資金も心許ないだろう。ビルビディアが出来る最大限の努力がエドモンを紹介する事しか出来ないんだよ」
レオノールは笑いながらそう言うと出されたお茶に口を付けた。「お茶旨いよ、メイドちゃん」と言うとプリスカと新人メイドの二人が静かに頭を下げた。
「融資して欲しいと言いますがもちろん条件はあるんでしょ? 『ビルビディア・ゲッツェン家の銀行』とまで言われてる大銀行家が無条件で融資してくれるとは思えません」
ナーベルも木製カップをソーサーに静かに置くと前のめりになってエドモンの顔を覗き込んだ。いつもの柔和な表情からは信じられないほど眼光が鋭く、新人メイドが「ひっ」と声を上げるぐらいだった。
ポンドゥ家はもともとミラフォンで古銭や白磁食器を取扱う小さな商家として出発した経緯がある。およそ二百年ほど前、当時のビルビディアは領邦の集合体であったが干ばつや洪水による度重なる凶作が引き金となって戦乱が勃発し、月信教と聖心教との対立も重なって約三十年にも及ぶ統一戦争へと発展したのだ。その戦乱を制したゲッツェン家が現在のビルビディア王国を築いたのだが、ポンドゥ家はその統一戦争前からそのゲッツェン家に仕える御用商人として銀行業を担い続けてきた。ゆえにエドモン率いるポンドゥ家とゲッツェン家の蜜月ぶりからしばしば『ビルビディアの銀行』と揶揄されている。──ちなみに第172話で登場する宰相代理ブリンマーはポンドゥ家の前当主であり、エドモンの父でもある。
鋭い眼差しを向けるナーベルの剣呑な気配を前にしても、エドモンは憮然とした表情を崩さず、敢えて手にする木製食器をじっと眺めていた。その木製食器はヴェッサの森のエルフ族アンティム家ブロドン自慢の品で、『今月最大の出来』と称して納品されたシンプルな日常用の器である。毎月必ず一揃い以上が届けられるため、倉庫には次第に山のように積み上がっているというが。エドモンがそれを眺めていたのは不穏な空気を放つナーベルに呑まれぬためか、それとも元来食器商だった家の血が騒いだからか──その強かさの表れにも見えた。やがて静かにカップをソーサーに戻すと、エドモンはナーベルに向き直って、
「でしたら、キュリクス北部のミスリル鉱山を担保にしませんか?」
と言い放ったのだ。突然の物言いに応接間に緊張が走る。
「当家所有のミスリル鉱ですが、採掘される鉱石には砒素を含んでおりますから安全を期して鉱属技師ギルドに採掘を委託しています。加えて本掘が始まったばかりの鉱山ですからいつ鉱脈が尽きるか分かりませんよ」
トマファが静かに応えた。アニリィの“違法”爆破魔法でたまたま発見されたミスリル鉱山だが、砒素やカドミウムなどといった人体に有害な重金属を含んだ鉱石に交じってミスリルが採れる。有害性や環境汚染の防止のため専門ギルドに委託しての採掘のため採算性が明るいとは言い難いが、さらなる掘削で高純度のミスリルが発掘できるかもしれないからと今も様子見しながら採掘を進めているという具合だ。
「承知しております。しかし他領では秘匿にされがちな業務推移について毎月公表されてますし損益計算書に偽装の可能性は低い。それに鉱脈が尽きたとしても我々が欲しいのは鉱山そのものではありません」
「……では何を担保に?」
「採掘権です。仮に返済が滞れば融資した額に達するまでの一定期間、その鉱山から上がる収益を我々が優先して受け取れる権利を担保にしていただきたい。なんでしたら陶石や岩塩鉱山の採掘権をも担保にして頂けるなら年利は面倒見ますよ」
エドモンの説明を聞いてプリスカがぼそっと毒を吐いた。
「つまり借金の人質として鉱山収益権を差し出せ、滞れば収益は掻っ攫うし経費分はこっち持ちだったなら丸損じゃない!」
ミスリル鉱に対する投資は続けているがそれに見合った利益は今のところ上がっていない、現状は経費ばかりが掛かっているのだ。その経費はキュリクス領が支払い続け、収益をごっそりエドモンが持っていくなんて条件はとてもじゃないが飲める訳がない。もしこんな条件を飲んだと聞けば民衆は腹を立てるだろうし、それこそ信用不安の原因になりかねない。あまりにも的を得たプリスカの毒づきに、エドモンの提案の危険性が目を閉じて難しい顔で話を聞いてたヴァルトアにようやく理解ができたようだ。
「悪いがそんな条件を飲むほど当家はお金に困っていない、この話は聞かなかったことにしていいかね?」
ムッとした表情で席を立とうとするナーベルにエドモンは憮然とした表情で話を続けた。
「では次の案を申し上げましょう。──私の弟ミトゥを会計士として雇っていただきたいのです。身内の自慢と受け取られるかもしれませんが彼は経理実務と税務に通じ、ルツェル学院で金融学と経営学の修士資格も取得しております。ナーベル殿は財政学におかれては卓越しておられるが金融や経営の実務は専門外でしょうし、トマファ殿とて万能ではない。であれば弟を起用するのが最も合理的な選択肢ではございませんか?」
「つまりミトゥさんという監査役を付ける事でキュリクス領の資金の流れをビルビディアがきっちり見張るって事ですよね」
再びプリスカが毒づいた。あまりにも核心を得た言葉で皆が彼女を見たがレオノールもエドモンも何も言い返さなかった。──要はそういう事だ、ナーベル一つ咳払いをすると冷静に切り返した。
「我々は毎月財務諸表を新聞各社を使って公表している。王宮どころかどこの領主ですらやってもない事をやってるのにミトゥ殿を派遣する理由は無いでしょう」
「言葉を返すようで恐縮ですが、その公表してる財務諸表を承認する監査役は誰ですか? 確かクラレンス伯だったはずです。“ほぼ身内”の監査役が承認してる財務諸表に合理性と明朗性、そして証明性が担保されてるとは思えませんね。──それにヴィンターガルテン家はクラレンス伯の“寄木”でしょ? 他にもブリスケット殿とアリシア嬢の件だって、ね」
レオノールが静かにカップをソーサーに戻し、笑顔でそう言った。ヴァルトアの後ろ盾にクラレンス伯がいるのは事実だ、だが両家が寄親・寄木の関係にあることは公にしていない。エラール王宮の者たちでさえ一部を除けば統一戦争時に共に戦った旧知の仲程度にしか認識していないはずだ。この発言からビルビディア王家がキュリクスやヴァルトア、そしてその背後関係まで詳細に調査していることが明らかである。
「……金が要る以上、条件を飲まざるを得んな」
今まで目を閉じて静かに話を聞き言っていたヴァルトアがようやく目を開けた。そしてお茶をぐいっと一気に飲み干すとレオノールとエドモンを見やると静かに口を開いた。
「鉱山の収益を人質に取られるより人材を雇う方がよほど安上がりだ。──その弟君を雇おう。そして好きなだけ当家の“健全な”財務状況をレオノール殿下に知らせればいい」
「承知しました。ではミトゥをすぐに寄越しますので、好きなようにお使いください。そして融資額と返済スケジュールの相談ですが……」
こうしてミトゥを会計士として迎え入れることで合意し、反射炉資金の第一歩が確保されたのだった。
*
「──で、典型的ビルビディア商法に騙されたって訳?」
「言い訳のしようがない」「僕もほいほい乗せられたよ」
エドモンとの融資契約にサインをした事を知ったハルセリアがトマファとナーベルを呼び出すと開口一番そう切り出したのだった。二人が顔を真っ赤にして伏目がちにそう言うと彼女は「呆れた」と呟き、ぐいっとジョッキを傾ける。
「“カリエル君”さぁ、ビルビディア人が交渉に来るなら私を呼びなさいって言ってたの、忘れたの?」
「いや、忘れてたわけじゃなくて、先触れもなくレオノール殿下と一緒にやってきたんだよ」
「なら開口一番で『帰れ』って言えばいいの! あいつらは会談するにも常識守れないんだから!」
ぷりぷりしながらハルセリアは再びエールを流し込んだ。そして近くでむすっと立ってるプリスカに「お代わり!」と言うと「聞こえてるわボケ!」と言い返してきた。すぐに女将トトメスが飛んでやってきて特大のゲンコツを食らわせると「ハルちゃん、気を悪くしないでね」と言ってプリスカを引っ張って厨房へと消えていった。とはいえアポなしでやってくるのはルツェル人も同じだろうとトマファは思ったという。なにせルツェル公フランツも“せっかち”だ。ハルセリアを駐在大使として派遣させた時もヴァルトアには何の打ち合わせもせず送り付けてきた、どっちもどっちだ、アポなしなんて電波少年かよ。
「はい、ハルちゃんが好きな焙煎麦のエールね──これサービスのチーズのお漬物」
「わぁ、ママさん大好き!」
「はいはい、私もハルちゃん大好きよ。じゃ、トマファ君もナーベル様もゆっくりしてってねぇ」
トトメスがふるふると手を振ると猫のように去っていく。テーブル代わりの樽や酔客たちを縫うように歩く姿は母娘そっくりだった。
「ビルビディア人って先ずは飲めないような無茶な要望を突きつけてくるの。前にモバラ港の通商に関する商談だって無茶苦茶言ってきたでしょ? その時、私、何て言ったか覚えてる?」
「あ、あぁ……。てか、おおよそ女性が吐いて良い言葉じゃなかったぞ」
そう、あの時はトマファとハルセリアの婚約祝賀の名目で特使が送られたのだが、その時の通商に関する商談であからさまにキュリクス不利の条件を突きつけてきたのだ。それに対しハルセリアは、
『ナメてんの』、『クソボケが』
と言ってテーブルを蹴り倒す暴挙に出たのだ。もちろん舐めてかかってたビルビディア商人らは泡を食って飛び出して行ったのだが。──なお、その会談内容はきっちりキュリクス日報にスッパ抜かれ、しかも内容を切り抜かれた結果、『ナメんじゃねぇぞクソボケが!』ってのが今年の流行語大賞を取りそうなぐらいにこの地で流行ってしまっている。他にも『イエスか、ノーか!』もだが。まぁビルビディア側が出してきた条件があまりにも乱暴だったからハルセリアは暴挙で返しただけだ、彼女を貶す論調は今のところ出ていない。ちなみに『なめんじゃねぇ』と『くそぼけ』はハルセリアを重用してきた公妃ゲオルギーネの口癖だったということはここに付け加えておく。
「だからね、あぁいう時は怒鳴って追い返すべきだったの。──反射炉建設だってルコック家に製鉄優先権をくれるなら全力でバックアップしたのに」
「ハルセリア嬢。──ここで僕は『ナメんじゃねぇぞクソボケが!』てツッコミを入れたほうがいいのかい?」
「ナーベル様も人が悪いわ」
そう言うとハルセリアはエールをグイっと飲み干した、ちなみに彼女は既にエール6杯目だ。しかし彼女の顔色は何一つ変わっていない。
「まぁ2,000ミラフォン金貨・ポタンを年利1.2%、20年償還、稼働までの3年間は支払猶予で融資を受けたのならまだ良心的ね。──ちなみに月額返済はいくらになるんだっけ?」
「……95.4ポタンだよ。現在の金貨為替が1.28対1だから、現在のレートなら74.53エラール・タリになるかな」
「……“カリエル君”って本当に計算早いよね」
「同じく僕も思った。算盤が無いと計算出来ないよ」
ハルセリアもナーベルも舌を巻いた。しかしトマファは苦笑いを浮かべながらジョッキを空けると右手を上げて言った。
「そんなことないですよ。てか、実は僕より計算が早い人がいる──プリスカ君」
「はいにゃ♪ どーしたの?」
トマファに呼ばれてプリスカはこれでもかと嬉しそうな顔してやってきた、あまりにも嬉しいのかあちこちでくるりとターンしながら飛んできたといった具合だ。
「1850タリを年利0.8%で23年償還だったら」
「73.406タリ! ──ボーナス払いを含む計算もできるよ?」
まさに一瞬だった。ハルセリアはぽかんとしてるしナーベルに至っては目を見開いて驚いていた。
「実はプリスカ君に算盤を教えたら、しばらくしたら『頭の中でその珠を弾いて暗算できるようになった』と言うんですよ。おかげで月末時の締め処理の検算は彼女にやってもらってます」
「文官執務補助手当が出るので美味しいです!」
そう言ってトマファの首に飛びついた、それを見てハルセリアは眉間にぐっと皺を寄せる。なおその執務補助手当は白銅貨20シリンで残業手当も支給される。プリスカはずらりと並ぶ数字を黙々検算するだけだが1時間でさっと終わってしまうため、通常夜哨手当の30シリン(本務以外なら残業手当支給)と比べたら相当に割が良いんだとか。だから彼女は月末になるとトマファのために喜んで残業をしてくれるというし、オリゴに頼んで月末勤務をわざわざ変更して貰っている。
「猫娘にも一個ぐらいは使えるところがあるのね──お代わり!」
むすーっとしたハルセリアはプリスカに向かってジョッキを突き出した。わざとか偶然かは判らないが、突き出したジョッキがプリスカの頬にペタリと当たる。髪の毛を逆立ててプリスカは指を突き出した。
「なッ! ナメんじゃねぇぞクソボケが!」
ガツンッ!
「すぐにお代わりもってくるわねぇ! ──おほほッ!」
再び飛んできたトトメスからゲンコツを食らうと、プリスカは首根っこを掴まれ厨房へと引きずられていったのだった。
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